表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

出会い《side 公爵》


「間違いない、彼女だ……」


 彼女が馬車で走り去った後、彼以外誰もいないはずの庭園で、彼はポツリと言葉を漏らした。


「それより、今の……見たか?」

「ええ」


 いつの間にか彼の背後には従者が立っていた。


 真っ暗な庭園に、真っ黒な人物が小刻み肩を震わせる。顔すら黒い布で覆われているため、その表情は誰にもわからない。


 ただ漏れてきたクツクツという音が、込み上げる笑いを我慢できずにいることを示していた。


 令嬢らしからぬ足の速さ。まさかスカートをたくし上げてまで自分から逃れようとするとは思わなかった。


(それほどまでに自分の容姿は醜いのか)


 先ほどまで高揚していた気持ちが一気に沈み始める。彼は少し視線を下げ、彼女が乗り込んだ馬車があった場所を見つめた。

 今はもう何もない。まるで空っぽになってしまった自分の心のようだった。


 陰口は言われ慣れているし、全身を隠すように覆う特異な装いに奇異の目を向けられることも、そういう扱いにも慣れている。

 ただ身分上、面と向かって言ってくる者はいないのが些か救いだった。


「追わなくてよろしいのですか」

「ああ、構わない。名は聞けたからな」

「では、手はず通りに」

「頼む」


 覆われた布の中で小さくふうと息を吐く。


(まさか彼女が()()フォーサイス伯爵家の令嬢だったとは。どうりでいくら探しても見つからなかったはずだ。しかし……少々厄介なことになりそうだな)


 ずっと探していた人にやっと会えた喜びと、自分の身分であってもすんなりとはいかないことを理解し、彼は黒い布の上から頭を抱えた。



 ◇◇◇◇



 〜♪


 どこからか聴こえてくるメロディ。


 春の芳しい香りをまとった風が、聴いたこともなく歌詞もないその歌を乗せて運んでくる。


 月明かりだけが優しく降り注ぐだけのこの時間に、王城の庭園は静まり返っている――はずだった。


 ホールでは今まさにデビュタントが行われている。


 その音楽が漏れている、というわけではない。

 なぜならそれは明らかに楽器などの演奏ではなく、誰かの鼻歌であるのだから。


 でも――なぜだろう。すごく心地が良い。


 しばらく目を閉じてその鼻歌に聴き入っていた彼は、ゆっくりと開いた目に飛び込んできた光景に驚愕した。


「なっ……何故だ?」


 袖の隙間からチラリと見えた手首を凝視すると、彼は慌てて両方の手袋を外した。


 そこには見慣れているはずの赤黒くただれた皮膚はもうどこにも存在していなかった。




 彼――セドリック・オルティスは公爵家の嫡男である。

 三年ほど前に社交界デビューした彼は、その家柄だけでなく、眉目秀麗な容姿で数々の令嬢を魅了していた。


 セドリックも年頃の青年。持て囃されることに悪い気はしていなかった。

 もちろん公爵家の人間として恥ずかしくない振る舞いをしていたのだが、当たり障りなく、誰にでも麗しく接しすぎた。


 そんなある日、過度な想いを抱いた令嬢から“呪い”をかけられてしまったのだ。


『あなたと永遠に一緒にいたい。私と溶けて一つになりましょう』――と。


 セドリックは握られた手を振り払えず、その令嬢が放った火で彼女と共に全身を焼かれてしまった。


 これがただの火であれば、神殿に行き、神官による神聖力で治すことができたのだが。


 令嬢の“呪いの猛火”に焼かれたセドリックは昏睡状態に陥った。


 神官による懸命な治療で一命を取り留め、目覚めたものの、セドリックの美しかった肌は赤黒く変色したまま、それ以上回復することはなかった。


 一緒に焼かれた令嬢はその罪により治療することを許されず、そのまま儚くなり、彼女の両親はその責任を負い、処刑された。


 しかし、セドリックの両親であるオルティス公爵と夫人、そして何よりもセドリック自身がその容姿に絶望し、感情を昂らせるとシクシクと痛みだす全身のアザに少しでも刺激を与えぬよう、その痛みに耐えるよう、屋敷に引きこもった。


 それでもセドリックが目覚めたと聞きつけた貴族たちはこぞって見舞いにやってくる。公爵家との縁を深めたいという思惑だけで。


 セドリックは後悔した。


 紹介されるがまま、すべて受け入れてしまっていた。だから山のようなカードが送られてくるのだ。

 チヤホヤされ、うわついていた自分の完全な失敗である。付き合っていく者を見極めるべきだった。それが次期公爵としての社交の一部であっただろうに。


 今は過去の自分を殴りとばしてやりたい。


 そのままの姿で人前に出られなくなったセドリックの噂は瞬く間に広がり、いつの間にか“醜い怪物”とまで言われるようになった。


 継ぐべき公爵の仕事は屋敷内でできることのみを淡々とこなし、必要な外交はもっぱら父であるオルティス公爵がそのまま行っていた。


 そんなある日、外出先で公爵と夫人を乗せた馬車が何者かに襲われ、護衛もろとも亡き者にされてしまった。


 セドリックが表に出られないことに目をつけ、ここぞとばかりにオルティス公爵家を潰しにかかったのだ。


 寛容であった父と母。そして、過去の自分。


 セドリックは『優しさは時に己の身を滅ぼす』ということを学んだ。


 それからのセドリックはまるで人が変わったかのように冷酷になった。

 どんな理由で、どんな事情があろうと良し悪しの結果のみでスッパリと切り捨てていく。


 公爵を継ぐには外に出ることも必要となる。

 しかし、そのままの姿をさらすわけにもいかず、出ている部分をすべて布で覆うことにした。それが最低限の身だしなみであろう。


 ただ、その真っ黒な装いは、まるで暗闇にポツリと黄金色の瞳だけが不気味に浮いているように見えて、噂話はいつしか真実となっていった。


 そして三年が過ぎようとしていた、ある日。


 王城で行われるデビュタントに呼ばれたセドリックは自分の装いがこれからデビューするまっさらな者たちに相応しくないと、来たはいいが会場に足を踏み入れられず躊躇っていた。


 庭園に設置された長椅子に腰かけ、月に照らされた花々をぼんやりと眺める。


 しばらくすると、どこからともなく心地よいメロディが聴こえてきた。


 久しぶりの優しい感覚に、セドリックの心は穏やかになっていく。いつもシクシクと痛みだすアザのその痛みさえも軽くなっていくようだ。


 ゆっくりと開いた目に飛び込んできた光景にセドリックは驚愕した。


「なっ……何故だ?」


 袖の隙間からチラリと見えた手首を凝視し、慌てて両方の手袋を外した。


 そこには見慣れているはずの赤黒くただれた皮膚はもうどこにも存在していなかった。


 セドリックはおもむろに立ち上がると、心地よいメロディの音源に向かって走り出す。


(間違いない! あの歌は……!) 


 少しずつ音量が大きくなっていく。間違いなく、近づいている。

 遠く聴こえていた時には分からなかったが、近づいてきて分かった。


 鼻歌の主は――令嬢(レディ)だ。


 庭園にある半球状になった屋根のガゼボ。

 そこに彼女はいた。


 心が逸り、今の自分の容姿も考えず、みだりに近づいてしまった。

 芝を踏む音に、ピタリと鼻歌が止まる。


 ――こんばんは、令嬢(レディ)


 と、一声目を放つ前に彼女は音もなくそのガゼボから消えていた。


「……え?」


 まさに一瞬の出来事だった。

 自分は夢でも見たのではないか、とも思ったのだが、手袋(グローブ)が外された両手は、それが夢ではなかったことを証明していた。


 それ以降、セドリックは出来る限りすべての夜会や茶会に出席し、彼女を探した。


 そして、あの夜。


 ようやく出会えたのだ、月夜の鼻歌姫に。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ