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出会い《side 姫》


 月夜に響き渡る、美しいメロディ。


 どこか儚く、物悲しい――その曲名を知る者は、誰一人いない。


 いつしか誰もが聴き惚れるその歌を最後まで聴くことができた者には幸運が訪れるといわれるようになった。


 ある者は負っていた怪我が治癒し、ある者は治る見込みのない病が完治し、ある者はかけられていた呪いが解けたという――。


 今宵の夜会にも響き渡る――美しい鼻歌、が。



 ◇◇◇◇



(ど、ど、ど、どうしよう!!!)


 全然、そんなつもりはなかったのに。知らぬ間に大事になっていた。


 王城で行われた舞踏会の会場から一人の令嬢が全速力でかけていく。


 そして、その後ろを追う黒い塊――じゃなくて、人。


(ひぃいぃ。何で追いかけてくるのよぅ!)


「待ってくれ、どうか逃げないで」


(いやぁあぁ!)


 質素なドレスを身にまとい、必要最小限の装飾品で着飾った令嬢――ルナリアは今、全身黒ずくめの見知らぬ男から逃げている。


(何で? どうしてこうなった!?)


 ルナリアは田舎にある伯爵家のしがない令嬢だ。デビュタントを終え、数えるほどしか夜会に出ていない。

 だから、()()()()があることなど、まったく知らなかった。


 久しぶりの夜会で王都に出てきたルナリアはルンルン気分のまま、お気に入りのガゼボで鼻歌を響かせ、一人くるくると踊っていた。


 その近くに、人影があるとも知らずに。


 一人楽しく鼻歌ダンスを踊り、小腹が減ってきたところでルナリアがホールに戻ると、例の噂話が耳に入ってきたのだ。


 その場の誰かが、こう言った。


『今宵は幸せを運ぶ“鼻歌姫”が現れた』――と。


(鼻歌姫? 何それ?)


 会場の片隅に用意された軽食を口に運び、もぐもぐと動かしながら、そっと聞き耳を立てる。

 周りを見渡すと皆、こぞって庭園の方向へと耳を傾けていた。


「おかしいな? 先ほどまで確かに聴こえていたのだけれど……」

「せっかく聴こえたのに、最後までお聴きにならなかったの?」

「それは残念なことをしましたわね」

「えっ……なぜです?」

「最後まで聴けると幸運がもたらされるのですわ」


 聴こえた、と話していた紳士は少し悔しそうに顔を歪めた。

 彼らの話に聞き耳を立てていたルナリアは菓子を頬張る手を止める。


(『幸運をもたらす鼻歌』か……へえ、何それ? すごい! どんな鼻歌なんだろう。私も聴いてみたいな……って、あれ? ちょっと待って。先ほどまで、庭園の方……鼻歌って……それ、もしかして――)


「――やっと見つけた。俺の姫」

「へっ?」


 耳元で小さく囁かれ、ルナリアがそちらへ視線を向けると、目の前には真っ黒な布があった。

 ――いや、真っ黒な布を被った人がいた。


 まるで隠密活動中の忍……のような。

 目の部分だけがあいておりギョロリと黄金色の瞳を光らせている。


(こっわ……。っていうか、今この人“俺の姫”とか言ってなかった?)


 見ず知らずの、それに頭のてっぺんからつま先まで全身真っ黒な男に耳元で囁かれたのだ。

 その恐ろしさからルナリアは思わず、両腕を抱え込み、ぶるりと震わせた。


「おや、寒いですか? 春とはいえ、まだ夜は冷えますからね」


 隣に控える従者に目配せし、彼は受け取ったストールをふわりとルナリアの肩にかける。

 一連の手慣れた所作に呆気に取られていたルナリアはハッと意識を戻した。


(いやいや、そもそもあなたのせいだけどね)


 と心の中で突っ込み、目の前の明らかに自分より高位だとわかる身なりの御方に、今できる精一杯の笑顔を向ける。


「ありがとうございます。でも……もう帰りますので、お返しいたしますわ」

令嬢(レディ)さえよろしければ、そのまま貰っていただけますか」

「え、あの……いえ、いただけません」


(肌触りが良くて美しい刺繍が施されている……。こんな高価そうなもの、タダで貰えるわけないじゃない)


 ルナリアが小さく首を横に振り断ると、目の前に浮かび上がる金色の瞳が少し揺れた。


「では、御名前を伺っても?」

「……ルナリア・フォーサイスと申します」


 ルナリアはスカートをちょんと摘み、淑女の礼をとる。それを見た黄金の瞳はスッと細められた。


(何だかいろいろと嫌な予感しかしない……家名は伝えてしまったけれど一刻も早く、この場から逃げないと)


 鼻歌の件といい、全身真っ黒の妙な男に耳元で囁かれた意味不明の言葉といい、ここは退散するのが賢明な判断だろう。


「こちらはお返しいたしますわね! では、失礼いたします」


 ストールを黒い胸元にグイと無理やり押し付け、足早に会場の外に出た。

 庭園からのびた石畳をまっすぐ抜ければ、馬車止めがある。


 馬車までスタスタと歩いていると、後ろから自分のものとは違う足音がコツコツと聞こえてきた。

 振り返ると、黒い塊――ではなく、先ほどの男性が追ってきている。


「あの……まだ何か?」


 ルナリアは足を止め怪訝な顔を隠さず問いかけると、彼は懇願するような瞳を向けて、口を開いた。


「少し話をしたいのだが……」

「申し訳ございません。私、急いでおりますので」


 話の途中で遮り、馬車まで走り出すと、その後を彼も追いかけてくる。


(ひぃいぃ。何で追いかけてくるのよぅ!)


「待ってくれ、どうか逃げないで」


(いやぁあぁ!)


 このままだと本当に危ないかもしれない。

 変なのに付き纏われるのも、ゴタゴタに巻き込まれるのも、御免だ。


 ルナリアは、ぐわっし、とスカートをたくし上げ、しゅたたっと()()()走る。


 田舎令嬢をナメないでいただきたい。領地の見渡せるかぎりすべての野山が庭代わりなのだから。

 そして、二人の兄に鍛え上げられた、この瞬足を今使わずにいつ使うというのか。


「フォーサイス伯爵邸へ。早く出してちょうだい」


 あっという間に馬車に乗り込んだルナリアが窓にかかる白いレースの隙間から外に目を向けると、令嬢らしからぬ瞬足に驚き、呆然と立ちすくんだままの黒い塊が月明かりに照らされ、わずかに揺れているのが見えた。


 馬車が走り出し、少しずつ遠ざかっていく黒い塊に、ルナリアはホッと安堵の息を吐き、座席に背を預けたのだった。



 

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