愛するお嬢様を傷付けられた少年、本人が部屋に閉じこもって泣き暮らしている間に復讐の準備を完璧に整える
俺は誰にも愛されない。要らないからと捨てられた。俺は誰も愛さない。愛なんて返ってこないから。
俺はこの世の全てを忌み嫌う。俺を捨てた家族。俺を小間使いにしたギャング。俺を追い出したスラム。俺を救ってくれない国。そして、俺自身を。
スラムでも特に問題を起こしまくっていた俺は、今日とうとうスラムを追い出された。行くあてもない。
その時、一台の馬車が俺の近くで止まった。馬車から燕尾服の男が出てきて俺に近寄ってくる。何か因縁をつけられるのかと思えば、優しそうに微笑んでパンを一つ差し出してきた。
…は?
訳もわからず何も言えなかった俺に、よかったらお嬢様の使用人にならないかと男は言う。衣食住は保証すると。…まあ、どうせこのままでは野垂れ死ぬしかないのだ。騙されても別にいいか。
了承して馬車に乗り込むと、馬車は再び出発した。燕尾服の男は俺を膝に乗せてじっとしていろという。
馬車にいたのは貴族のお嬢様。花が咲くような可愛い笑顔で言った。
「パン、ここで食べてもいいのよ。お腹が空いたでしょう?」
「え?ああ、まあ」
「召し上がれ」
「…ありがとうございます」
もらったパンを食べる。
「帰ったらまずお風呂に入りましょう?服はこちらで用意するわ。そうしたら、ご飯をたくさん食べましょうね。お医者様を呼ぶから、怪我や病気もチェックしましょう?クレマン、彼にはどんなお仕事を与えましょうか。住み込みで働かせてあげて欲しいのだけど」
「礼儀作法を教え込み、お嬢様の護衛に従事させましょう」
「まあ、では武芸も覚えてもらわないとね」
俺は、訳がわからないのでとりあえずパンを完食した。
俺は屋敷に着くと真っ先に風呂に入れられた。風呂なんてスラム街に捨てられてからは入ってない。ノミもいるし垢も多い。しかしここの屋敷の使用人たちは顔色一つ変えない。プロだ。
なんとかノミと垢をシャンプーと石鹸で流しまくり、湯船に浸かる。それでもやっぱり垢は浮く。
風呂を出たら、クレマンとかいう男の子供の頃の服と靴を貰った。着た。そこまで古着って感じがしない。物持ち良いんだな。
「さあ、食事をどうぞ」
「いただきます…美味い」
「ここの食事は毎日美味しいですよ」
馬鹿みたいに飯が美味い。あっという間に完食した。
部屋も与えられた。一番狭い使用人用の部屋らしいが、十分広い。家具も備え付けだ。タンスにはクレマンのくれた子供服が大量に入っていた。
一通り屋敷の中を案内された後医者が来た。なんか色々検査された。病気はないらしい。
「では、病気もないとのことで礼儀作法を学びましょうか」
しばらくはクレマンの授業を受けることが仕事らしい。その後はお嬢様とやらの護衛に従事するとのこと。
俺は死にものぐるいで頑張った。なにせ、帰る場所も頼れる人もいないのだ。必死でしがみ付くしかない。
幸い礼儀作法はすぐに身につき、お嬢様の護衛になれた。これで捨てられる可能性は少しは減ったかな。
「お嬢様、今日からお嬢様の護衛になります。よろしくお願いします」
名前はなんとなく名乗りたくなかった。あんな両親につけられた名前は要らない。仕える主人はエリアーヌ・ブリアン。とても可憐な公爵家の華。
「エリアーヌでいいわ」
「エリアーヌお嬢様」
「ふふ、よろしくね。お名前を教えてくれるかしら?」
…やだとは言えないのだけど。
「…エリアーヌお嬢様が、新しい名前をつけてくださいませんか?」
「え?…うーん、じゃあバティストは?」
「では、俺はバティストです」
「ふふ、バティストね。改めてこれからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
こうして俺はエリアーヌお嬢様に仕え始めた。
エリアーヌお嬢様は誰からもとても愛される。愛らしく、誰にでも優しく、嫌われる要素なんてなかった。
そんなエリアーヌお嬢様は歳を重ねるごとに美しくなる。どんどん手が届かなくなるお嬢様のために、俺はただお嬢様の盾となるべく鍛錬を重ねる。優しく可愛い俺の救世主に惹かれていくのを感じながら。
エリアーヌお嬢様には婚約者がいる。オーブリーというこの国の王太子。エリアーヌお嬢様を大切にしている様子が見て取れて、俺は好感を持っていた。
エリアーヌお嬢様は必ず幸せになるだろう。そう思っていたのに。エリアーヌお嬢様の幸せこそ俺の幸せだったのに。
エリアーヌお嬢様は、ある日突然王太子から捨てられた。
デルフィーヌという聖女。聖女はかなり貴重だ。その聖女が王太子との結婚を願い、国王はそれを叶えて王太子はエリアーヌお嬢様を捨てたらしい。
エリアーヌお嬢様は自室に引きこもった。ずっと泣いて過ごしているらしい。
俺はエリアーヌお嬢様のために、復讐の準備を完璧に整えることにした。
方法は…そう。デルフィーヌという聖女を引き摺り下ろすこと。俺は両親から捨てられたけれど、元は呪術師の家系に生まれてその方面では結構優秀だったのだ。優秀過ぎて恐ろしいと捨てられたけれど。
「さーて、どんな呪いをかけようかな」
そうだ。良いことを思いついた。
俺は毎日、エリアーヌお嬢様に部屋の外から声を掛けて励まし続けた。そして毎日、デルフィーヌとやらに呪いをかけ続けた。
一月後、デルフィーヌという聖女は偽聖女として処刑された。聖女の力を失ったのだ。
代わりに聖女のお告げを受けたのはエリアーヌお嬢様。そう、俺の呪術で能力を移し替えたのである。今のところ特に俺にバチが当たる様子もない。
これでエリアーヌお嬢様は、また王太子と婚約できる。そう思ったのだけど。
「聖女エリアーヌよ。今日はお願いがあると聞いた。どのような願いだ?」
「はい。私を王太子殿下の婚約者に…」
「おお、そうか」
「戻さないで欲しいのです」
公式な場での衝撃発言にその場にいた全員がざわつく。俺もびっくりしている。
「な、なぜだ?」
「好きな人がいるのです。その人との結婚を許して欲しいのです。そうでなければ国のために祈れません」
「なっ…!くぅ、いいだろう。相手は誰だ」
「バティスト、おいで」
何故か呼ばれてエリアーヌお嬢様の側に立つ。
「この者と結婚したいのです」
「な、そやつは貴族ですらないではないか!」
「はい。ですから国王陛下のお許しを頂きたくて」
「ぬぬぬぬぬぬ…わかった、いいだろう。好きにしろ!」
「ありがとうございます!」
俺は展開についていけない。
「バティスト」
「は、はい」
「貴方が塞ぎ込んでいた私をずっと心配して、部屋の外から声をかけ続けてくれたの…すごく嬉しかった。いつのまにか貴方に惹かれていたの。結婚して?」
「…エリアーヌお嬢様、俺。エリアーヌお嬢様をずっと愛していました。こんな俺でよければ」
「バティスト、私も愛してる!」
抱きついてくるエリアーヌお嬢様を受け止め抱きしめ返すと、周りにいた貴族たちからまばらに拍手が送られた。とりあえず認められたらしい。
「エリアーヌ…」
「…王太子殿下」
「私は、エリアーヌと聖女を天秤にかけて聖女を取った。それは言い訳出来ない。王太子として生まれた以上、国のために生きるのは当たり前だから。…ただ、エリアーヌには幸せになって欲しい。これは本当だ。…バティストとの結婚、本当におめでとう」
エリアーヌは王太子の言葉に、優しく微笑んで頷いた。
「さあ、バティスト。お父様とお母様に報告しなきゃ。帰りましょう?」
「はい、エリアーヌお嬢様」
「エリアーヌと呼んで?」
「…うん、エリアーヌ」
この後エリアーヌとの婚約をご両親に報告したら、反対されるどころか喜ばれた。俺の献身的な姿勢に信頼できると思っていたらしい。
「エリアーヌ、愛してるよ」
「私もよ、バティスト」
こうして俺たちは晴れて結ばれた。今は人生で一番幸せだ。でも、これから先人生で一番の幸せはどんどん更新されていくんだろうと思う。だって、エリアーヌの隣に立てるから。