アドベント・クレーマー 〜〜現代社会に迫る危機〜〜
♪ニッポン、ニッポン!スッポンポン♪
どうも、こんにちは。
私は"アカテン"の愛称でお馴染みの山賊なろう作家:"世界の根源に到達する者"です。
柄にもなくこのような真面目な出だしで始めた理由は、私が昨今抱えているある懸念に対するものでした。
昨今は、コラボ企画に参加したキャラクターの女の子やその作品をやたらと"卑猥"認定して、コンテンツそのものを潰す勢いで叩く風潮が強くなったように感じます。
私自身も
『"全年齢向けにも関わらず、過激な性描写をウリにするライトノベル作品"とかは、厳しい規制にあえぎながらも頑張っているアダルト業界の努力を嘲笑うかのような卑劣な絶対悪。……"家族の大切さ"やら"仲間との絆"を表現するのに、そこまでむやみにエロい事する必要ある?本当に作品に自信あるなら、コソコソとキッズ相手の小遣い稼ぎなんかせずに、R18の方で堂々と勝負すれば良いじゃん。――でも私が気に入った作品は、無条件でほぼ無罪。それはこの社会に"多様性"と"寛容さ"を示す理だから、ドンドン!やりなはれ♪』
と言った具合に年齢制限を弁えない作品を嫌悪していますし、アイドルアニメに関しても
『そのコンテンツに全く罪はないけど、そのコンテンツのキャラ設定は知ってて当然!とか、一緒に北海道旅行に行けば、やたらと"この場所は作中のどの場面で出てきたでしょう〜か?www"みたいな情緒ブチ壊しな質問をしてきたり、ライブに行けば批判を全く許さない感動の押しつけをしてくる、そんなイキリアイドルアニメオタクは100パー悪い。――もう一人のアイドルアニメオタクとは普通にやり取り出来てるから問題ないけど、そいつはそんだけ人に強要しときながら、自分の仕事が忙しくなったらあっさりその趣味を諦めるし……お前、本当そういうとこやぞ?』
と、複雑な想いを抱えています。
ただ、そういうオタクコンテンツに批判的な見方をする私から見ても、昨今のオタクコンテンツに対する反応はあまりにも過剰というか、そうやって他者の大事にしている想いを気軽に踏みにじったり、そのコンテンツに関わっている人達の食い扶持・生活を潰すくらいの勢いで暴れまわって、本当に何もかも上手くいくと思っているのかな?と、疑問に感じます。
人間の歴史って、古今東西"怒り"が原動力というか、もっと言うなら『現状の自分達に"この程度"の社会しか作れなかった、前の世代に対する不満・反発』みたいなものが、どの世代でも繰り返されていると思うんですよ。(二元論〜〜天狗道みたいな感じで)
もしも今、そういう"正義"の声を高らかに上げている人達が主流ないし社会の中心に台頭したとき、自分達の主張に賛同している訳ではない"その他大勢"の人達を納得させるだけの理屈とか、落としどころを図れるだけの冷静さや交渉術があるのかとか、その他大勢の人達を大人しくさせるだけの利益などを与える事が出来るのか?などの懸念を抱かざるをえません。
そういう事を全く考慮せずに自分達が好き勝手するだけで終わらせていたら、台頭する過程で踏みにじられる人が確実に出てくる以上、そういう人達の恨みと何の恩恵にもあやかれないまま尻拭いだけさせられるその他大勢の不満・反発によって、"正義"の人達本人が糾弾されるだけでなく、その人達が嫌悪していたよりも更に過激な全年齢向けのエロオタクコンテンツが『悪い奴らの弾圧をも耐え抜いた、人類最高峰の芸術!!』と、過剰にもてはやされる時代が来てしまうかもしれません。(←もちろん、こういう動きにも反動が来て、またオタクコンテンツに対する規制・弾圧の揺り戻しがくるかも 笑)
こうして見ると人類の歴史って、少し対象や方法が変わっているだけで、ずっと同じ事を繰り返しているだけなのかもしれません……。
人は自身が抱える本来の問題から目を逸らして、自身に直接関わりのない外部にある目についた気に食わない存在・事象を延々と叩き続ける哀れな生き物……。
この悲しい連鎖を食い止めるためには、どうすれば良いのか?
その答えは、"アキヤラボパ"という存在にありました。
"アキヤラボパ"とは、アメリカの先住民であるプエブロ族に伝わる神話上の有名な怪鳥であり、ナイフのように鋭い切れ味の羽を持つ……と、されています。
――ですが、"有名"?
私がこの怪鳥の存在を知ったときに、試しにGoogleで検索してみると、全部含めても4件、検索に引っ掛かっただけでした。
――こんな有名なはずの"アキヤラボパ"様が、遠く離れた日本では全くの無名だなんて……あまりにも、悲しすぎますね。
ゆえに私は、"アキヤラボパ"という存在を有名にするため、そして、昨今のクレーマー的な風潮、もっと言えばこの人類史が始まって以降振り子のように繰り返されてきた悲劇と憎悪の連鎖を断ち切る新しい流れを生み出すために、"小説家になろう"の力を活用する事を思いつきました。
どういう事かと言うと、"なろうユーザー"である皆さんが自身の作品中において、日本に全く馴染みのない"アキヤラボパ"という存在を頻繁に出演させる事によってこの怪鳥を有名にさせ、"テンプレ"やら"ランキング"論争を繰り返すなろう界隈だけでなく、現在の日本社会そのものにそれまでになかった巨大な一石を投じよう!という試みなのです。
検索結果4件という悲劇を覆し、"アキヤラボパ"を有名にさせる事が出来れば、それに関わった人達の自信に繋がる上に何かを築き上げる事の大変さや大切さを実感出来ますし、自身の既知の中で敵・味方と分けて長い間狭い枠内で延々と罵り合いを繰り返していた人達の間に『なんだコイツは!?』と言いたくなるような存在をぶつける事によって、単なる振り子運動とは違う流れ・見たことない景色・遭遇した事のない未知が、社会全体にまで発生するかもしれないのです。
……人は自身を"正義"と信じ込んだ時に、異なる相手に対してどこまでも残酷になれる性質を持っています。
とことん話し合いなり武力でやり合えば、分かりあえたり対立を続ける事の"割りの合わなさ"に気づいて互いの落としどころを図って退く事も出来ますが、"インターネット"が普及した現代社会においては、例え自身の言い分に非があって相手の言い分が正しかったとしても、自身を全肯定してくれる狭いコミュニティに閉じこもる事が出来るし、武力衝突を繰り返すには進みすぎた人間の文明の力を受け止めるだけの余裕が、最早この星にはないのです。
"アキヤラボパ"はそういった問題全てを解決するような力もなく、決定打にはならないかもしれません。
――ですが、無名で無力な"アキヤラボパ"に私達が力を持たせる事によって、見飽きた惨状・繰り返すほどに悪化していく愚かさ――そういったものと人類が決別し、鋭利な羽の如き力で新時代を切り開いてみせるという意思表示、もしくはそのきっかけになるのではないでしょうか。
私は"アキヤラボパ"の翼に、そのような未来への希望と新たなる躍進の意思を託してみたいのです。