第87話 夢か現か
「ロン」
ん……。
「ロン、めをさまして、ロン」
誰かが俺を起こそうとしてる。
これは、キュウの声か?
いつの間にか、ずいぶんはっきりしゃべれるように……。
「ロン」
目を開けると、一体の飛竜がそこにいた。
「キュウ!?」
見間違えるわけがない。
キュウだ。
若草色の鱗に翼。
じっとこちらを見つめる、深緑の瞳に、黒く縦長の瞳孔。
細長く美しい首としっぽ。
「キュウだよな?」
俺が手を伸ばし、声をかけると、飛竜の姿のキュウはうれしそうに目を細めた。
「そうだよ」
キュウが応える。
竜の姿のまま、だが声は少女の姿のときのもので。
「きこえる? わたしのこえ」
「ああ、聞こえるよ。ちゃんと聞こえる」
「ほんとう?」
「本当さ」
「じゃあ、あたまなでて?」
言われるままに、キュウの頭に腕を伸ばす。
不思議な感覚だった。
見た目は鱗なのに、触り心地は髪の毛。
「くびも、なでて?」
俺の胸に頭を乗せたキュウが、小さく言う。
こっちも見た目は鱗なのに、触った感じはすべすべしていてほのかに暖かく、継ぎ目が感じられない。
「きこえるんだね。マールくんのいってたこと、ほんとうだったんだぁ」
「マールが?」
「うん。まえに、きいたことがあるの。けものつかいのじゅつの、さいしょのさいしょ。どうぶつとおはなしする、じゅつ。それは、いっしょに、ねることからはじめるんだって」
獣使いの術か。
俺はその話、初めて聞いたと思う。
「ってことは、これは夢なのか?」
キュウが首を横に振る。
「ちがうよ。ゆめだけど、ちゃんとつながってるよ」
「そういう、ものなのか」
けど、なんで今、初めてこんな、つながる夢を見てるんだろう。
今までだって、ほとんど毎日一緒に寝て過ごしてきたのに。
「あのね。ロンと、おはなししたいこと、いっぱいあるんだけどね」
「ああ、そうか」
そうだな。今は考えてもしょうがない。
キュウのやりたいことを最優先だ。
「たくさんしゃべっていいぞ。好きなだけな」
「この、ゆめのじかん、みじかいんだって」
キュウが残念そうに首としっぽを下げる。
「ありゃ、そうなのか」
「だからね?」
キュウの顔が、こっちに迫ってくる。
「さきに、つたわらないこと、いうね?」
伝わらないこと?
俺がキュウの次の言葉を待っていると、キュウは俺から少し離れ、後ろ足で立ち上がった。
「わたしね? いまがいちばん、たのしいの」
キュウが翼をはためかせ、くるりと回った。
その大きく広がった羽根が、キュウの身体を一瞬隠し。
再び現れたその姿は、翼を背に持つ緑髪の女の子へと変わっていた。
「ロンといっしょに、じめんをあるくのが、すき」
「俺も好きだぞ」
「カエデとおりょうりして、できたてをたべるのが、すき」
「それは楽しそうだ」
「クォン、クァオ、ガウ、みんなおんなじ、にんげんのかっこうで、おいかけっこするのが、すき」
「あぁ、よく走ってたよな」
「マクシムさんたちと、はたけのつちをほって、おやさいをとるのが、すき」
「それは知らなかった」
「ルスカさんとか、リアラさんと、みんなで、おうたのれんしゅうするのが、すき」
「そうか。みんなと、たくさん色んなことをしてきたんだな」
「あのね? うまく言えないんだけど」
キュウの言葉が途切れる。
どんな言葉を使えばいいのか迷ってるみたいだ。
「ロンは、わたしが、りゅうから、にんげんになったこと、もう、きにしないで?」
「えっ?」
「わたし、きづいたの。りゅうのときのわたしが、いっしょにいるとき、ロン、ひとりなんだって」
それは。
ある意味、竜騎士の宿命みたいなものだ。
「でも、それは、しょうがないんだ」
人は竜を恐れる。
だから、竜と共に生きる竜騎士も、人は恐れ、距離を置く。
俺みたいに、物心ついたときから竜と一緒だったほうが、例外なんだ。
「俺は気にしてないよ」
「わたしが、きにするの」
キュウは正面から、じっと俺の目を見つめてくる。
「わたしが、にんげんのかっこうになって、とべなくなって。さいしょは、すてられるかなって、おもった」
「そんなこと、するわけがない」
「うん。そうだよね。ロン、わたしが、おちつくまで、ずっといっしょにいてくれた。でもね」
キュウが頭を下げ、俺の胸にその額をぶつける。
「ロンが、わたしをすてないって、わかってから、きづいたの。ロンは、りゅうのわたしといっしょにいるせいで、ひとのくらしを、すててる、って」
「いや、捨てるだなんて、そんなことは」
「ロンはいつも、ベッドじゃなくて、ゆかとか、じめんのうえで、ねてたよね」
「それはまぁ、そうかもしれないけど」
「ごはんも、みんなと、べつべつ」
俺の胸で、キュウが顔を上げてこっちを見た。
その瞳には、かすかに涙がたまっている。
「いっしょにいよう? わたしとだけじゃなくて、みんなと」
「キュウ……」
「ユニと。カエデと。リアラさんと。マールくんと。ジオールと。マクシムさんと。ルスカさんと。ムスタと。みんな、みんな、やさしいから」
俺は。
俺自身は、どう思っていたんだろう。
子供のころから、竜と、キュウといることが、俺にとっての自然だった。
それは確かに、俺を他人から引き離す理由になっていたのかもしれない。
だが、俺はそれでいいと思っていた。
竜騎士とはそういうものだと、竜騎士になる勉強中の時にも言われた。
人とのやり取りの回数で言うなら、キュウが人の姿になる前までの二十四年間より、その後の百数十日のほうが多いかもしれない。
その、人とのやり取りというのも、最初はただの義務感だった。
周囲との和を保ち、積極的に協力することが、キュウの身を守る唯一の手段だからと。
今はどうだろう。
未だに他人とのやり取りに慣れず、ぎこちなさを感じるときもある。
だが、いつしか俺はキュウを他の騎士たちに預けるまでになっていた。
これは信頼なのか、妥協なのか、ただの慣れか?
「ロン、もう、じかんみたい」
キュウの声に我に返ると、その姿は色あせ、消えかかっていた。
「キュウ!」
「だいじょうぶ。ロンのめが、さめるだけだから」
気が付けば、周囲も真っ白になり、キュウの姿がそれに溶け込むように薄らいでいく。
「ロン、さいごに、これだけ」
キュウは少女の顔のまま、俺に顔を近づけた。
その緑の髪が俺の顔にかかるくらいにまで近づいて。
「えっとね」
少しだけ、恥じらってから。
「だいすき!」
にっこりと、満面の笑顔で、そう言ってくれた。
「ああ、俺もだ」
その言葉は、キュウに伝わっただろうか。
もう、お互いの姿は白いもやのようになっていて。
やがて世界が真っ白になり、やがてゆっくりと黒色に反転していった。
「うっ」
一瞬の浮遊感、そして落下感があり、意識が再びはっきりしていく。
目を開けても周囲は暗いままで、物の輪郭だけがうっすらと見える。
この暗さだと、今は夜中か?
そうだ、思い出してきた。
ここは俺の部屋。俺のベッドの中だ。
会議室からキュウをだっこしてベッドまで連れてきたのはいいが、シャツを離してくれないからそのまま一緒に横になったんだった。
着替えることもできず、呪具もつけたまま。
寝心地はそんなによくなかったけど、いつの間にか一緒に寝ちゃってたか。
横向きで寝ていた俺の胸元には、小さな頭らしい影がある。
よく見えないが、聞きなれた寝息だ。キュウだろう。
さっきの夢は、本当にキュウと意識がつながっていた上での夢だったんだろうか。
それとも、俺の心の奥にあった悩みが夢になって出てきたのか?
夢にしてはずいぶんはっきりしたもので、今でも内容を思い出せる。
ともかく、今はもう少し寝ておこうか。
さっきの夢が本当かどうかは、後でキュウに聞いてみよう。
夢の続きが見られるなら、そこで聞いてみよう。
だめなら、朝にふたりとも起きてからかな。




