第80話 怒りの矛先
見える範囲のカブトイノシシは、すべてが地に伏せ、動かなくなっていた。
「よーし、よくやった! 兵士たちの被害は?」
ムスタがマールのほうに手を振って問いかける。
「大きなケガ人はいないよ。だけど新しく呪いを受けた人たちがいる。後ろの方の、まだ壊れてない建物に入ってもらってる」
「そんなら、そのままでいいな。このデカブツは僕らが引き受ける。お前の使い魔の通信で、他の騎士の連中が今どうしてるか聞けるか?」
「広場のほうは準備できてて、弓のほうもすぐできるってさ! こっちがどうなってるかとか、その変なヒポグリフの情報はクーやクォンを通してみんなに伝えてあるよ!」
「上出来だ!」
「イノシシの最後の一匹があっちから出てくるよ!」
マールが指さす、俺たちを挟んで反対側。
最後のカブトイノシシが、よたよたと身体を左右に揺らしながら、散らばった材木を乗り越えてこっちに向かおうとしている。
そいつはキマイラの吐息を受けたせいか、額の部分の皮が紫色に染まっていた。
「そっち行きそうだから、あっ」
マールの声より早く、カエデが瞬時に間合いを詰め、手にした剣を横一直線に走らせる。
カエデの一閃を額に受けたカブトイノシシは、悲鳴も上げられぬまま、その場に崩れ落ちた。
「あら、柔らかい」
一瞬だけ手元の剣に視線を飛ばしたカエデが、そうつぶやいた。
その右腕には、黒革の上から紫色の塗料を塗られた籠手型の呪具がある。
カエデは右腕に呪いを受けているが、調子はかなり良さそうだ。
毎朝の鍛錬のおかげか、呪具の効果か、その両方か。
「これであとはそこのキマイラのみです。が、どうしましたムスタ?」
再び俺たちの横に戻ってきたカエデがムスタを見る。
ナイフをしまったムスタは、苛立たしそうに自分の頭をかいた。
「カエデよぉ。今のイノシシの頭は柔らかかったんだな?」
「そうですね。牽制のため弾かれるのも承知の上での打ち込みでしたが、拍子抜けでした」
「なら、キマイラの身体の固さはそのせいだな。イノシシ自慢の頭の固さを、呪いで奪って身につけたわけだ」
なるほど、あの異様な固さは、そういうことだったのか。
それに、冷静になった今なら見える。
あのキマイラ、紫色の部分は背中のネズミや翼の一部だけじゃない。
身体の全体が、うっすらと紫の光に包まれている。
あれは、呪いの吐息で兵士やカブトイノシシから力を奪った影響か?
「これはちょいとマズいぞ。あのキマイラは人間だけじゃなく、他の生物からも長所を奪える。ここで逃がせば、次に会ったときにどんな能力を身につけてるかわかったもんじゃない。かといって、あの固さだと僕らだけじゃあいつを仕留めるのは無理そうだ」
悲観的な言葉を並べるムスタだが、その視線は鋭く、諦めの色は無い。
「何か考えがあるのか? どうすればいい?」
「アレはこの手で殺したかったが、しゃーない。ロン、あいつを第一兵舎前の大広場におびき寄せるぞ」
「それから?」
「今はそれだけでいい。余計なことを考えるな、動きが鈍る」
「わかった」
俺は横を向き、カエデに目くばせする。
「カエデ、キュウを頼む。先に行っててくれ」
「いいんですね?」
「あぁ」
俺がうなずくと、カエデは剣を鞘に納めてキュウの手を握った。
「キュゥア?」
「すぐに行くさ。広場で待っててくれよ。大丈夫、さっきみたいにはならない」
「キュ」
キュウは少しだけ心配そうに口をゆがませたが、すぐにカエデと並んで走り出した。
ムスタも広場へと身体を向ける。
「よし、僕らも下がるぞロン」
「なあムスタ。ここで俺たちが全員逃げたとして、キマイラはちゃんと追ってくると思うか?」
「あー? うーん。毒をぶちかました僕を狙ってくるとは思うけどなぁ」
「もう一発くらいやっとくのが確実だと思わないか?」
「そりゃそうだろうけど、もう僕の毒は品切れだぞ?」
「いいんだ、俺がやる」
キマイラの顔にまとわりついていた黄色い煙は、ほとんど散りつつあった。
のたうち回っていたキマイラは、どうにか地面に足をつけ、再び立ち上がろうとしている。
今が絶好の機会、ってやつだ。
「ロン。お前もしかして、まだ怒ってんの?」
「それなりには」
「嘘だぞ絶対ものすごく怒ってるぞ」
「先に行ってくれ。俺もすぐ行く」
「一発だけだぞ? その後は兵舎前におびき寄せるんだからな?」
「わかってるよ」
「この場でまた戦いだすんじゃねぇぞ?」
「わかってるから、はよ先に行け」
「信じるからな?」
ま、怒ってることを否定はしない。
正直、俺だってこの手でこいつを仕留めてやりたい。
だが、さっきの手応えだと仕留めきれないというのもよくわかっている。
だから、思いきりの、一発だけだ。
「さっき思い出したよ。お前、どっかで見たなって、ずっと思ってたんだ」
俺が声をかけると、それに反応したキマイラの三つ首がこっちを向く。
「お前だよ、下のお前」
キマイラは威嚇する猫のように身を伏せている。
その一番下の首、ヒポグリフの顔は俺の腰ぐらいの高さ。
実に狙いやすい位置だ。
「あの時も」
俺は槍を左後ろに振りかぶり、反動をつけ。
「こんな風に切ってやったよなぁ!」
そのまま横一線に振りぬいた。
そう、あの時。
呪いを受ける前の日、輸送隊の護衛時にやった、ヒポグリフの迎撃と同じように。
こいつは、あの時のヒポグリフだ。
俺が振った槍は、狙い通りヒポグリフの顔面、その古傷と同じ位置を切り裂いた。
ガラスを切りつけたような、硬質で、ひどく耳障りな音が鳴り響き。
「ゴギャアアアアアッ!?」
続いてヒポグリフの首が雄叫びとも悲鳴ともつかない鳴き声を上げた。
「お前も思い出したか? 俺たちに群れを追い立てられ、立ち向かってきて逆に切られた時のことを」
真っ黒だったヒポグリフの瞳、その外周部分が、わずかに黄色く変化する。
本来のヒポグリフの瞳の色だ。
ネズミと無理やり合成されていても、ヒポグリフの個体の意識はまだ残っているらしい。
「あの時、俺はお前を見逃した。他に優先すべきことがあったからな。お前は二の次だった」
「グルルルルル」
古傷の上に新たな傷を作られて、ヒポグリフの首の見開かれた目、その視線、意識が俺に集中した。
「ネズミに乗っ取られたお前に、まだ感情が残ってるなら。あの時の屈辱を晴らしたいのなら」
俺はそのまま振り返り。
「追ってこい!」
全力で離脱する。
「グギイイイイイィッ!」
キマイラはふらつきながらも立ち上がり、俺に向かって動き出した。
ムスタの麻痺毒はまだ効いている。
翼はまともに動かせず、足の速さも人間が小走りで進むくらいだ。
この程度なら、余裕でおびき寄せられる。
向かうのは、視界の奥でキュウたちが走る道の先。
俺たちがこの開拓地に来て最初に作った大型建築物。
有事の時には最後の砦としても機能するよう意識して作られた、堅牢な横長の建築物。第一兵舎。
そのすぐ隣にある、大広場だ。




