第72話 誰かを乗せて
その体格は、明らかに一回り以上大きくなっている。
腕と足は毛むくじゃらで、その先には長く光る爪。
マールはさっきまでのガウと同じ、半分人類、半分クマの姿になっていた。
「ふうぅぅぅ。うまくいったみたい。だけど、暑いなぁ」
前屈みになったマールが、変化した自分の腕を見つめる。
その口から見え隠れする歯は鋭くとがっていて、まるでノコギリだ。
「どう? 驚いた?」
俺の方に向き直ったマールが、にっこり笑って胸を張る。
歯や顔つきはクマ化の影響で少しワイルドになったけど、中身はいつものマールみたいだ。
「驚いた驚いた」
本当に驚いた俺は、それしか言えなかった。
動かせるかって言ってたのは、使い魔の身体能力、というより肉体そのもののことか。
今までのマールは獣使いの能力で視覚とかの感覚だけ変化させていたけど、身体まで変化できるようになったんだな。
「ガウ、そっちはだいじょうぶ?」
マールがガウに声をかける。
「ん、問題ない」
ガウが短く答えた。
今のガウはクマの特徴を失い、人と変わらない姿をしている。
そのせいか、彼女の声は今までより自然でなめらかに響いた。
というか、ガウの口からまともな言葉を聞いたのは初めてかもしれない。
「こっちは気にすんな」
ガウってあんな口調なんだな。
ぶっきらぼうというか、男勝りというか。
相変わらず背が高いけど、クマ成分が抜けたせいか少しほっそりした気がする。
黒の短髪が似合う長身の美人さんだ。
舞台に立ったら女性からの人気が出そうだな。
「よかった。それじゃ成功だね」
マールがクマ型の腕を回し、調子を確かめている。
腰まである長髪のせいもあってか、角度によっては素肌が隠れて普通にクマに見える。
栗色のクマっているのかな。見たことないけど。
あ。しっぽも生えてる。
「成功ってことは、その変身は獣使いの術ってことでいいのか? 使い魔の力を借りるっていう」
「うん。今までのオイラが使えたのは感覚を借りたりするくらいだったけどね」
「だよな。身体まで変化はしなかったよな?」
マールが獣使いの術を使うときの変化といったら、目の色が変わるくらいだ。
姿形まで変わるところは見たことがない。
「できるようになったのは、ついさっきだよ。この呪具ってのをつけてから」
マールがクマの手で自分の長髪をおおざっぱにかき集め、まとめて自分の肩にかける。
むき出しになった呪具の背当てが、太陽の光を浴びて薄紫色に光った。
そうか。俺と違って、マールはもともと獣使いの力で使い魔たちとつながっていた。
だから、あんなふうに肉体の変化や操作も簡単にできるのか。
「こんなふうに使い魔の身体の一部まで使わせてもらうのは、獣使いの奥義ってやつなんだよ」
「奥義って、そんなのを使えるようになったのか?」
簡単じゃなかった。
奥義と言われるぐらいの技術だった。
同じことが俺にもできるなら、キュウを竜の姿に戻せるかと一瞬思ったけど。
少なくとも、そんなにすぐには使えなさそうだな。
「いや、すごいな。本当に」
「へへへ。オイラのいた里でも、使える人はほとんどいなかったんだ」
マールは得意そうに笑ってから、遠くのほうに目を向けた。
「それでさ。今のオイラがどれくらい動けるか試してみたいんだ。ちょっとあっちまで走ってくるよ」
あの方向に広がるのは、一面の草原だ。
村の防壁内で一応は畑の予定地だけど、まだ人の手は入っていない。
走り回るにはちょうどいいだろう。
「待て」
ガウがマールを呼び止めた。
「ん、なに?」
「誰か乗せて行け」
そう言って、ガウは俺たちのほうを見た。
そういや、クマ状態のガウはいつもマールや使い魔たちを乗っけてたな。
肩とか背中、たまに頭の上に。
「乗る?」
「くぁー!」
他のみんなが顔を見合わせる中、クァオがキツネの手をまっすぐ上に向けた。
後ろでは金色のしっぽが左右にぶんぶん揺れてる。
「あいよ。ほら、これで乗れるか?」
マールはクマの手を地面につけ、四つんばいの姿勢になった。
立ち上がったクァオがマールの背中に飛び付く。
ガウとクー、クォンは俺たちのいる木陰に入り、マールたちを見守っている。
マールの背に乗るのはクァオだけみたいだ。
「しっかり捕まってろよ」
「あい!」
マールの長髪にもぐりこんだクァオが、頭としっぽだけ外に出した。
「よーし、行くぞ!」
太く変化したマールの手足のクマ爪が、力強く地面を蹴った。
土くれが舞い上がり、その身体が勢いよく前へと飛び出す。
「うわああぁぁぁ」
「くあああぁぁぁ」
予想外に早かったのか、マールとクァオふたりの驚きの声が響く。
そして、その声はどんどん遠ざかっていく。
「ん、良い走りだ」
腕組みしたガウが、満足げにうなずいた。
ふたりの姿はあっという間に草原を駆け抜け、もう豆粒くらいにまで小さくなっている。
クマって足が速いんだよな。
身体の大きさに対して手足は短めだから、遅いって思ってる人もいるけど。
あの速度で追われたら絶対逃げ切れないぞ。
「あえ!」
キュウがマールたちを指差し、もう片方の手で俺をつついてきた。
「ん?」
「あえ、ありたい!」
「あれやりたい?」
「キュ!」
はい、の代わりに太ももを一回叩かれた。
「やってもいいけどなぁ」
飛竜の時ならともかく、今のキュウなら俺でもおんぶはできるだろう。
「でも俺がキュウを背負っても、あんなに速くは走れないぞ?」
はるか遠くを走るマールの速度は、明らかに人類の限界を超えてる。
走り続ける足元から土煙が上がってるのが見えるぞ。
仮にキュウを背負わなかったとしても、あの速さで走るのは無理だ。
「ンー?」
キュウは少しのあいだ俺を見ていたが、やがて俺の足を二回刻みで叩き始めた。
「ちゃぁう! オン、のる!」
「あ、俺が乗るほう?」
「そ!」
胸を張ったキュウが背中の翼をぱたぱたとはためかせている。
今のキュウにかー。
自信ありそうにしてるけど、飛竜の時ならともかく今の小柄なキュウが俺を乗せて飛べるか?
鎧を着てないとはいえ、俺だって人並みには重いんだぞ。
「のる!」
キュウに引っ張られ、俺は無理やり立ち上がらされた。
うん、腕力は強いんだよな。並みの大人以上だ。
「キュ!」
キュウが地面に手とひざをつき、犬のお座りのような姿勢を取る。
訓練された飛竜の、いつでも飛べる状態での待機姿勢だ。
その様子を見たクーが、静かに俺の横へと寄ってくる。
「ロン様? 先ほどと似た指摘で恐縮ですが、しゃがみこんだ童女の上に跨がろうとするというのは見た目がよろしくないかと」
クーはフクロウの羽根を口に当て、俺にそっとささやいた。
「わかってるよ? わかってるんだけどさ」
キュウが飛竜のとき、俺はずっとキュウの背中の前側、肩の近くに乗ってた。
俺はいつも、ああやって姿勢を下げてくれたキュウの腕や背中をよじ登って乗り降りしてたんだよ。
でも女の子の体格でそれをされると、キュウの頭が俺の腰ぐらいにまで下がるぞ。
どう乗ればいいんだよ。そもそも乗ってだいじょうぶか?
「ンー」
どうしようか悩んでいたら、キュウがお座り状態のまま、にじり寄ってきた。
キュウは俺の尻のほうに回り込むと、太ももをがっちりとつかみ、息を吸う。
「フンッキュ!」
「うおあ!」
聞いたことのない掛け声と共に、俺の身体が持ち上がった。
ひっくり返るかと思ったが、なにかに座らされて揺れが収まる。
「ンーフフフフフ」
下を向くと、キュウは俺の足の間から顔を出し、笑っていた。
これはあれか。肩車か。
キュウが下で俺が上の肩車。
「しっかー、つかあってー」
「えっ」
キュウの翼が羽ばたき始めている。
「いやこれ無理なんじゃないかキュ」
「キュアアアア!」
俺が呼び掛けるより速くキュウが地面を蹴った。
がくんと揺れ、続いて下からの強い浮力が俺の全身を持ち上げる。
「うおあああ!?」
「キュウア!」
キュウが気合いの鳴き声をあげ、上昇速度が上がる。
俺は離陸するキュウの邪魔にならないよう、背中に力を入れて上半身をできるだけ動かさないようにした。
高度はぐんぐん上がっていき、もう俺の視界に映るのは青い空だけだ。
「キュッ!」
下から「どうだ!」と言わんばかりの鳴き声が聞こえる。
そっちを向いたら、俺の足の間からこっちを見上げるキュウと目が合った。
「とえた!」
「ああ、飛べたな」
頭を軽くなでてやると、はにかんだキュウは前を向き、さらに翼をはためかせる。
やや前傾姿勢になった俺たちは、空中を前方へと移動し始めた。
久々の空だ。
キュウと一緒に飛ぶ空。
いつかは戻りたいと願ってたけど、思ったよりはずっと早かったな。
「おっと」
「キュ?」




