第66話 呪具の効果
顔そのものは同じでも、表情が違う。さっきまでのゆるゆる状態とはまるで別物だ。
固く結ばれた小さな口と、目に映るものを魔術的に観察する鋭い視線。
寡黙な魔術研究者、術騎士ユニが戻ってきた。
「気分はどうじゃ。大事ないか?」
リアラがそっと声をかけると、ユニは黙ってうなずいた。
「思考のほうはどうじゃ。なにか考えたり思い出したりしようとして、具合が悪くなったりせぬか? ああ、ゆっくりでいいのじゃぞ」
そうか。
見た目は戻ったけど、考えると眠くなるという不調のほうがどうなっているかはまだわからない。
ユニはしばらく自分の手を見つめていたが、やがて顔をあげて俺たちのほうを見た。
そっと口を開けて何かを言おうとし、また口を閉じる。
さらに、その顔がみるみる赤くなっていった。
ついさっき紫から赤に変化した彼女の髪のように。
「うぅ」
苦しげな声を出したユニは、テーブルにひじをついて自分の顔を両手で覆った。
「どうしたのじゃ」
「キュ?」
「ユニ、大丈夫か?」
キュウが駆け寄り、俺が声をかけると、ユニは顔を隠したまま首を横に振った。
「ごめん、少しだけ時間をちょうだい。すぐ落ち着くから」
指の間からの声は、どんどん小さくなっていく。
「もう少し考えて発言しようよ私ぃ……」
あー。
なるほど、そうね。
紫の光を受けてから今まで、いろいろ問題発言してたからね。
縦一回転半とか。
耳まで赤くなってるけど、あれは呪具の影響じゃなくて恥ずかしがってるだけか。
「そっとしておいてやるのじゃ」
いろいろと察した表情のリアラが、キュウの手を引いてユニから離れた。
「成功と考えていいのかの?」
「だな。あの隙間だらけの髪飾りで呪具の効果が出せるかはちょいと不安だったけど、うまくいくもんだ」
「使った毒水晶の量自体は多かったからの。やはり形状よりも素材の量のほうが影響するのではないか?」
「かもね。けど、使う量をこれ以上増やすと研究用の在庫がなぁ」
テーブルの反対側では、ジオールとムスタがぼそぼそと話し合っている。
ああやって真面目にしてるぶんには格好いいんだけどな、ムスタも。
「さて、ロンのほうはどうかの?」
「ちょうど着け終わったとこだよ」
「どれ、見せてみい」
ジオールが俺の横に立ち、背当ての留め具に触れた。
「ちょっと腕を回してみてくれ」
「こうか?」
「うむ。ここはもう少し締めるか」
そうやって、俺が身体を動かしてはジオールが留め具やベルトをいじる。
微調整が一通り済むと、背当てはすっかり俺の身体に馴染んでいた。
「こんなもんでどうじゃい」
「ああ、ぴったりだ。ありがとう」
「後で槍や剣を振ってみるがいい。それで引っ掛かるところがあれば見てやろう」
「わかった、その時は頼むよ」
ここしばらく、ジオールにはずいぶん世話になってるな。
なにかお返しでもできればいいんだが。
「後は呪具のとしての効果なんだけど、お前の場合は特殊だからなぁ」
ムスタがそう言って頭の上に手を組んだ。
俺の場合、呪術を受けた俺自身には不調が発生していない。
変わってしまったのはキュウのほうだ。
「どうだい、竜の嬢ちゃん。なんか変わったとこはあるかい」
ムスタが視線をキュウに向ける。
俺もキュウを見てみたが、これっていう変化はない。
少なくとも、見た目では。
だが、キュウはなんだかムズムズしていた。
自分の背中が気になるみたいで、肩を回したり背中のほうを見ようとしたりしてる。
「なんだ嬢ちゃん。もしかして服の中に虫でも入ったか?」
それは違うと思うな。
キュウの虫に対する反応はもっと遠慮がない。
身体についた虫だと、飛竜のときなら足やしっぽでベシッとやる。人になった今でも、わりと素手でベシッとやる。
「ウウウゥゥ」
キュウがうなり声を出し始めた。
両手をぎゅっと握りしめ、上下にぶんぶん振っている。
その手を止めたと思ったら、少し前屈みになって。
「ンー!」
ちょっとリキんでみたりする。
具合が悪い訳じゃなさそうだけど、どうしよう。
こんなキュウは見たことないぞ。
「オナラ出るんじゃねえの?」
「これ!」
ムスタの軽口をリアラがたしなめる。
だけど、そのやりとりも今のキュウには聞こえてないみたいだ。
集中したキュウは、目をぎゅっとつぶったまま顔を上に向けた。
「キュアァ!」
短い鳴き声と共に、キュウの小さな身体が跳ねた。
肩にかかっていたケープがふわりと広がる。
そして、薄いケープはそのまま、なにかに引っ掛かったように空中で止まった。
「おお?」
後ろの方でずっと伏せっていたユニが顔を上げる。
彼女の視線の先、キュウの背中に、見覚えのある色が一瞬見えた。
あれは、もしかして。
すっきりした表情のキュウに近づくと、ケープと服の間から若草色のモコモコしたものが出ている。
そのひとかけらがキュウの背中から離れ、ヒラヒラとゆっくり床まで落ちた。
あれは、羽毛だ。
間違いない。
翼だ!
飛竜の翼がキュウの背中から生えてる!
「キュウアァ」
「ああ、きついか。ちょっと待ってろよ」
キュウが肩にかけたケープの下は、背中部分が開いた服になっている。
その服の切れ目に、翼の先端が引っ掛かっていた。
羽根を支える細い骨を痛めないようにそっと外してやると、解放された翼は一気に左右へ広がった。
久々の、キュウの羽ばたきだ。
「おお!」
「効果あったの」
「へえー」
一緒に見ていた騎士たちも声をあげる。
だけど俺は、すぐに言葉が出てこなかった。
懐かしさと、嬉しさと、それにキュウの背に乗っていた思い出が、俺の頭の中で飛び回っている。
うわあ。ちょっと涙が出てきた。
翼をたたんだキュウが、両手を横に伸ばしてゆっくりと身体を回す。
あー。しっぽも生えたんだな。
小さい鱗に覆われた細いしっぽが、ぴこぴこ揺れている。
そうだよな。しっぽもあるよ。飛竜なんだから。
しっぽは翼に比べるとまだ短いけど、治ってきたらまた伸びるかな?
「ロンが、なんというか、だいぶメロメロになっておるのじゃが」
「あれはどうしようもないだろ。あの呪いは僕にも対処不能だよ」
「竜バカは呪いなんじゃろうか?」
「呪いじゃなきゃ病気だな」
後ろでなんか言われてるけど気にしない。
それより、ユニがキュウを凝視しながらすごい勢いでなにか書いてるほうが気になる。
あの紙束とペン、どこから取り出したんだ?
「仮説その三。魔力による生物の肉体変化、適応速度の加速またはその類。却下。これほどの変化に必要なものは魔力にしろ時間にしろ膨大。実態と合わない。仮説その四。人と飛竜の親和性。相性は良い。犬並み。または馬並み。でも生物としての特徴はまったく異なる。別の要因? 疑問は残るが判断材料が足りない。保留。仮説その五」
ぼそぼそと独り言をしゃべっているが、そのつぶやき声もかなり早い。
そして右手では文章と平行してスケッチも描いてる。
あれは紫の光を受ける前に何度か見た、ユニの研究観察モードだ。
一度ああなると、ユニはしばらく止まらない。
そして、あのモードになれるってことは、どうやら思考能力も戻ってるみたいだ。
しかし、翼の生えたキュウのスケッチ、うまいな。
後でもらえないかな。写しでいいから。
ユニの描いているスケッチを見ていると、まぶしい光が目に入り一瞬目がくらんだ。
何かと思ったら、光ったのはユニの髪飾りだ。
壁のランタンの光を反射してるみたいだけど、さっきまでと光り方が違う気がする。
角度が少し変わったのかな?
そういや、ユニの頭の髪飾りが少しずつずり落ちてるような。
「仮説は以上? ううん、まだなにか引っ掛かる。推測、憶測、可能性……」
考えが煮詰まったのか、指を止めたユニが軽く頭を振った。
その拍子に、ずれていた髪飾りがユニの頭から外れ、彼女の膝の上に落ちる。
直後、ユニの両目が上を向き、一瞬ものすごい表情になった。
まぶたが閉じられ、力の抜けたユニの上体がテーブルに向かって傾いていく。
そしてテーブルの板面に額がぶつかって鈍い音を立て。
「いったあぁーい!」
ユニが悲鳴と共に跳ね起きた。
さっきのあれ、寝顔だよな。一応。
呪具が外れたせいで、考えると寝るって不調がぶり返してきたのか。
「うー。考えてたことが全部吹っ飛んだー」
「気をつけるのじゃ」
涙目のユニがに自分の額を押さえ、そこをリアラがなでている。
声の調子も元に戻ってるし、髪も赤の直毛が紫混じりのくせっ毛に変わりつつあった。
「妙だな。こんなにあっさり外れるようには作っとらんが」
「髪飾りなんてのはよく落っこちるもんさ」
床に落ちかかっていた髪飾りをムスタが拾い上げ、ジオールに手渡した。
「む、歪んだか? この短時間で? そんなバカな」
「どうしたよ。落としたせいで曲がったとか?」
「床まで落ちてはおらんし、落としたとしてもこんな歪み方にはならん」
「ふーん。それじゃ、素材自体に変化はないか? 柔らかくなってたりとか」
「いや、固いままだ。わからん。なぜだ?」
片目を細めたジオールが、髪飾りをじっと見つめている。
鉱石の専門家でもわからない、か。
まだ研究し始めたばかりだもんな、毒水晶。
しかし、そうなると。
「俺の方は大丈夫なのかな」
ずり落ちたりしたら困るぞ。
せっかくキュウが少し元に戻ったのに。
「おぬしのは問題なかろう。ベルトと内張りをおぬしの背にきっちり合わせておるし、その部分には毒水晶の塗料を使っておらん」
俺のつぶやきにジオールがきっぱり答えた。
確かに背当ては俺の背中にがっちりはまっている。
それに、固定しているベルトや金具は他の防具にも使われてる普通のものだ。
急に変形して外れたりはしない、か?
「まぁ、あれだ。ロン、お前は竜の嬢ちゃん連れて外に出な。こっちは僕らでやるから」
肩をすくめたムスタが俺たちの方へ振り向いた。
「嬢ちゃんの調子も確かめてほしいけど、ここだと狭いだろ?」
「ああ」
キュウのほうを見ると、たたんだ翼の先端を指でいじってるところだった。
そうだよな。翼を広げるには外でないと。
「こっちおいで、キュウ」
俺が手を伸ばすと、こっちに気づいたキュウが近づいてきて、頭をつきだしてくる。
頭をなでてやったらキュウのしっぽの振りが速くなった。
あぁ、これも前のままだな。しっぽの反応が子犬みたいだ。
なでながらキュウの翼を観察してみたが、傷や折れとかは見当たらない。
これまた懐かしい、ふわふわのきれいな羽だ。
「翼としっぽ、痛かったりするか?」
「ンーン」
太ももを二回叩かれた。
いいえのサインだ。
「なら、久しぶりに飛んでみるか?」
「キュ!」
笑顔を浮かべたキュウが、俺の太ももを一回叩いた。




