第56話 ネズミの目で見る陰騎士ムスタ 中編
『逃ゲラレタ、逃ゲラレタ』
『デモ、マダ、ツナガッテル』
『マダ、イケル。マダ、ヤレル』
中央のワーラットのうち三匹が、そう言って頭を上下させている。
いや、正確には、鳴き声の中に意味ある言葉が混ざっている。
『デモ、離レタ』
『見エナイ。遠スギル』
あいつらは後ろ足で立ち上がってはいるが、頭の形はネズミそのままだ。当然、口から出る音もネズミの鳴き声でしかない。
だが、その鳴き声に重なって、意味ある言葉が精神感応の呪術のように頭の中へ直接響いてくる。
『追イカケル?』
『キツイ』
『アッチニアルノ、草バッカリ。木ガ少ナイ』
『隠レルトコロ、ナイ』
カタコトとはいえ、会話できるだけの知能があるってことか。ネズミごときに。
その上、テレパシーによる意思疎通までできる?
『ソレニ、アイツラ、マダ多イ』
『強イノモイル』
『同胞、少シ、ヤラレタ』
僕の予想では、ここのワーラットどもは呪術師が洗脳の呪術で操っていると考えていた。
数百匹のすべてを呪術で操るのは無理でも、数匹なら余裕で可能だからな。
動物の群れのボス格を操ることができたなら、そいつを利用して群れ全体を誘導することができる。
だがこうして見てると、どうも違うっぽいな。
洗脳した術者がいるなら、会話はその術者が中心になるはず。それに呪術による洗脳相手への会話なら、もっと一方的、命令的だ。
それに対して、こいつらは自分の意志で言葉を発し、相手の言葉を聞き、考えて返答している。
思考能力がある。
ネズミに知能がある、か。自分で言っても信じられないな。
だが。
死体の記憶は、嘘をつかない。
僕が自分でワーラットに記憶読みの術を使い、そしてこの光景が見えてるんだ。
なら、どれだけ信じがたくても、これが事実だ。
やっぱり先入観ってのは厄介だな。
一度なにかを思い込むと、実際にはそれが違ったってときにそれを頭が受け入れにくくなる。
頭が固くなっちまうのは年を食ったせいかねぇ。いやだいやだ。
『勝テナイ?』
『ダメ?』
『食ベラレル?』
ワーラットどものつぶやきが悲観的な方向に向かっていたところで。
『落ち着いてください、皆さん』
他とは違うなめらかな発音の声が、カタコトのざわめきをさえぎるように響いた。
『確かに、あの土壁に隠れていた者たちには逃げられました。ですが今のところ、皆さんが得た能力に劣化はなさそうですよね?』
その声を聞いた他のワーラットが静まり、広場の中央に向かってひれ伏していく。
『私たちは強くなりました。もう、あの憎き捕食者どもに狩られるだけの存在ではありません』
発言者は、紫色の頭をしたワーラット。
薄汚れた厚手の布をマントのように肩にかけてやがる。
あの布には見覚えがあるな。引っぺがされた馬車の内装か?
『群れた毛無しの二本足にも、巨大な身体を持つ四本足にも、対抗できるだけの力を手に入れたのです』
『ソウダ! ソウダ!』
『憎キ二本足!』
『憎キ四本足!』
『我ラハ強クナッタ!』
『はい。そうです。もう怯えて生きる必要はありません。ですから同胞たちよ、どうか落ち着いてください』
そいつは周囲をゆっくりと見回しながら、周囲のワーラットたちをなだめるように語り続けた。
逃げちまったワーラットの群れにもいたよな、あの紫頭。
さっきはしっかりと見る時間がなかったが、記憶の中である今ならじっくり相手を観察できる。
そいつはやや小柄で毛が長く、ムク犬みたいな顔をしていた。
手足は他のワーラットほど発達していなくて、人間に近い体格バランスをしてる。
毛の色は黒に近い灰色だが、額にはギザギザした黒紫の紋様があって、その上側の頭部から背中側の首筋までの毛が紫だ。
遠目で見ると黒っぽい顔に紫色の長髪が生えているようだな。体格もあって、他のワーラットどもよりずいぶんと人間に近く見える。
紋様のあるところが特に発達してるとするなら、あいつは頭、つまり知能が優れてるってことなのかね?
『同胞たちよ、慌てることはありません』
紫頭のワーラットの演説によって、周囲のワーラットたちはすっかり落ち着きを取り戻していた。
『どのみち、今はまだ時間が必要なのです』
よくもまぁ舌が回るもんだ。さっきからずっとしゃべり続けてるぞ。
そして他のワーラットもよく聞いてる。
この様子からして、あの紫頭がこの群れのボスっぽいな。
『あの紫の光がもたらした、新たな力に慣れる時間が』
お、言いやがったな?
確かに聞いたぞ。
紫の光がもたらした新たな力、だって?
あの光で、僕らは力を奪われた。
こいつらは逆に力を得た?
こいつらか?
このワーラットどもが、僕らを苦しめてる大呪術の術者だってのか?
『どうですか?』
紫頭がこっちのほうを見る。
『先ほど渡したそれ。槍というそうですが、あなたでも使えそうですか?』
あいつが話しかけてるのは僕ではなく、この記憶の持ち主であるワーラットだ。
『アア』
視界がわずかに縦に揺れ、続いて毛むくじゃらの太い右腕が入ってきた。
その手には一本の槍が握られている。
兵士たちが持っていた槍とはちょっと違うな。ロンの槍か?
『持テル。振ルエル』
僕の目の前で、槍がブンブンと勢いよく振り回される。
風切り音が広場の中に響き渡り、近くにいたワーラットの何匹かが身をすくめた。
こいつの記憶の中に、この槍を無理して動かしているという認識はない。これで普通だ。
つまり、こいつはごく自然にこれだけの腕力を操っている。
もし僕がこいつと正面からやりあってたら、普通に力負けしてたな。
『では、しばらくそれを使ってみてください。二本足どもが残していった物品の中では、それが一番良さそうでしたから』
『コレデ、俺ガ一番強イ』
『槍は他にもあります。他の同胞たちにも配りますので、慣れてきたら使い方を教えてあげてくださいね?』
『ナゼダ。強イ俺ガイレバ、ソレデイイダロウ?』
『いいえ。戦える者は少しでも増やさないと』
『ムダダト思ウガナ』
ああ、なるほど。
この記憶の持ち主は力を得て調子に乗っちゃったんだな。
それでロンにぶちのめされたあげく、負けを認められなくて逃げずに足を止めて、僕に背後を取られた、と。
自惚れってのは怖いねぇ。
『ナンダ、マタカジルノカ』
この記憶の視線が、手元の槍から紫頭のワーラットに移動した。
紫頭は、どこから取り出したのか青黒い岩を手に持っていて、それを自分の口に近づけていた。
『ええ。最近、歯がすごくムズムスするんですよ。あなたは違うのですか?』
『ソウデモナイ。ムズムズスルノハ右腕ノホウダ』
『それに、こうやってかじってれば、また光るかもしれませんし』
『ソノ岩ハ、砕ケタ後ダ。モウ光ラナインジャナイカ?』
『分かりませんよ?』
紫頭が口を開け、ガリガリと音を立てて岩をかじる。
ネズミは硬いものをかじって伸びる歯を削るって言うが、こいつらがかじってたのはここの岩か。
さらには、かじってるときに光ったことがあると。
毒水晶、だよな。おそらくは。
『連絡! 敵! 外、敵!』
突然、一匹のワーラットが騒ぎ出した。
背中が紫のそいつは、ぴょこぴょこと頭を振りながら敵、敵とくり返す。
『落ち着いて。詳しく聞かせてください』
『外! 敵! 食ワレル! 四本足! 馬! 翼! 鳥! 敵! デカイ! 食ワレタ!』
その言葉はひどく断片的で、ちょくちょく不安をあおるような言葉が混ざってる。
かん高く耳障りな警告の叫びに、周囲のワーラットがざわつき始めた。
『それでは伝わりませんよ。もう少しゆっくりしゃべってください』
『デカイ! ハヤイ! 敵、一匹! デモデカイ! マタ食ワレタ!』
『ああもう』
相手が言うことを聞かくて、紫頭のワーラットが困ったみたいに小さな手で自分の顔を覆う。
まるで人間がやるような仕草だな。
『直に見たほうが早そうですね。そっちにつなげられますか?』




