第51話 再調査その8 岩壁の亀裂
翌朝、軽い朝食を取り身支度を整えた俺たちは、ムスタの先導で外の岩壁の近くを歩いていた。
「ここだね」
ムスタが足を止め、振り返って俺たちを見る。
「僕らはここで紫の光を受けたんだ」
「へえー」
マールがゆっくり身体ごと動かして周囲を見回し、岩壁の方向で動きを止めた。
そこには縦に一本、岩壁の下から上まで両断するような大きい亀裂が走っていた。
亀裂の幅そのものは人一人分くらいの狭さだが、上は岩壁の頂上にまで届いているように見える。
「でっかいヒビだね」
「ああ。あれが目印だよ。わかりやすいだろ」
「んー、だけどさ。紫の光が降ってきたときって夜明け前だったんでしょ? オイラそのとき寝てたけど」
視線をムスタのほうに戻したマールが、小さく首をかしげた。
「疑うわけじゃないけどさ。こんな森の中の夜明け前って真っ暗だよね? 細かい場所とかよくわかんないんじゃないの?」
「まあね。説明しようか」
そう言ってムスタが俺たちの横、昨日歩いてきた方向を指さした。
「あっちに遠征隊の避難所があったろ?」
「一昨日に泊まったとこ?」
「そうそう。あそこはもともと遠征隊が馬車や物資を置いておくために作った仮拠点だったんだ」
ムスタが指先で避難所を示すように円を描く。
「あのとき僕ら遠征隊は、馬と半数の兵士をあの避難所に置いて、残りのメンツでこっち方面の調査に来てた。この辺りまで馬を連れ歩くのはちょいと厳しいからね」
確かにここは入り口部分に比べて足場が良くない。
ゆっくり歩かせるならともかく、走らせるのは難しいだろう。走れない馬なんて魔獣のいいエサだ。
ここまで馬を連れ歩く利点は少ない。
「正騎士のみんなは?」
「六人全員、こっちにいたよ」
ムスタが指の方向を俺たちの背後のほうへ移動させた。
「紫の光が降る前日、僕らはここで夜を明かしていた。昨日寝てたあそこが野営地の中心だな。火を焚いて見張りを立てて、交代で休んでたよ」
遠征隊の兵士半数と正騎士六人、あわせて三十人前後か。
「遠征中は正騎士も最低一人は起きてるように当番を決めててね。僕は夜明け前の当番だったんだけど、普通に寝て起こされて見張りについてと、本当に何もない静かな夜だった」
ムスタが当時を思い出すように目を細めた。
「僕の前の当番だったリアラが寝て、少ししてからマクシムが早く起きてきた。あいつが鎧を着こんでるのをぼんやり眺めてたら、異変が始まったんだ」
両手を前に出したムスタが、指を開いて左右に振る。
「バサバサバサッってすごいたくさん羽音が聞こえて、岩壁の隙間や上側から大量の鳥とかコウモリが飛び立っていった。そしたら今度はネズミやリスなんかの小動物が岩壁から逃げるように一斉に走り出てきたのさ。そいつらは野営してる僕らなんかお構いなしで、立ってる兵士の足の間を通り抜けて森の奥へと突っ走っていった。その中の一匹がかがり火の支柱に体当たりしてひっくり返したけど、火の粉が飛び散ってもひるみもしない。そりゃもうどったんばったん大騒ぎよ」
芝居がかった口調だが、ムスタの表情は真剣だ。
「さすがに異常事態ってのを感じたのか、あるいは単に音がうるさかったのか、寝てた連中も起き始めた。僕は兵士たちに焚き火やたいまつを増やすよう指示してから、マクシムに指揮を任せてこの場所まで来たのさ」
「ここに、なにかあったの?」
「この位置から出てきた動物が一番多かったように見えたんだよ。だからこの辺りが怪しいと思ってね。で、少ししたらリアラやカエデ、ユニがたいまつを持ってきてくれた。その光であそこの岩壁の亀裂に気づいたんだ」
そう言って、ムスタが亀裂を指さした。
亀裂の奥は途中で折れ曲がり陰になっているが、もっと先まで続いていそうだ。
「そして僕が亀裂の奥をのぞいてみようとしたとき、空が紫色に光った。あとはお前らと同じさ。たくさんの紫の光が、僕らに向かって飛んできた」
「その光が、おっちゃんの股間をえぐったんだね」
「えぐられてはいないぞ!?」
マールの言葉にムスタが即ツッコミを入れた。
その表現は認められなかったらしい。
まあ本当にえぐられてたら今頃ここには立っていられないだろうけど。
「で、こっからが重要なんだが」
ムスタは亀裂を指さしたまま視線をこっちに向けた。
「紫の光の大半は岩壁の上から降ってきたんだが、何発かはこの亀裂の中から飛んできたように見えたんだ。それに注目してたせいで、亀裂に一番近かった僕が真っ先に光を食らったわけだけど」
「この奥から? それってもしかして」
「そう。この奥に紫の光の発生源があったのかもしれない」
指を下ろしたムスタが小さくため息をつく。
「まあ、あの時はすぐに避難所へ引き返したから、ここから先は確認できてない。それにこの奥で呪術の儀式が行われたとしても、あれからだいぶ時間が経ってる。僕が術者だったら、とっくに儀式の跡を片付けて逃げ出してるだろうね」
「だとしても、何か残っておるかもしれん。調べてはおくべきだの」
ジオールの言葉にムスタがうなずく。
「そういうこと。もちろん、発生源自体がこの岩壁の上や向こう側って可能性もある。けど、まずはこの奥だ。ちょいと入り口を調べるから、警戒は任せるぞ」
「オイラもそっち見ていい?」
「ん、そうだな。じゃあマールもこっちだ」
腕を回して関節をほぐしたムスタが早足で岩壁に向かっていく。そのすぐ後ろをマールが静かについて行った。
見えるところに生物の影はないが、自然の岩壁はごつごつしていて死角があちこちにある。いつ何が飛び出してきてもいいよう、俺は槍を、ジオールは手斧を握って襲撃に備えた。
岩壁に背を付けたムスタが、手鏡を取り出して亀裂にかざし奥の様子をうかがう。
「静かなもんだ。何もいなさそうだが、お前はどうだ?」
「んー」
ムスタの隣に控えるマールが、首に下げられた首飾りを握った。
その鼻の頭が琥珀色に変化する。
「うえっ」
鼻をひくつかせたマールが思いっきり顔をしかめた。
「どうした?」
「大ネズミの臭いがすごいや。ここって大ネズミの巣みたいだよ」
自分の鼻をつまんだマールが苦しそうな声を出した。その鼻から琥珀色の光が抜けていく。
「ごめん、鼻は使えそうにない。床も壁も大ネズミの臭いだらけで他の臭いが全然わかんないよ」
「そっか。他の感覚はどうだい?」
「んー、クァオ、ちょっとこっち来て」
手招きされて、クァオがガウの肩から降りマールの近くへちょこちょこと走っていく。
マールがしゃがんで背を向けると、クァオがマールの腰まである長髪の中にもぐりこんだ。
「おいおい、なにしてんだよ。じゃれてる場合じゃないぞ」
「そんなことしないってば。クァオの力を借りるんだよ。キツネは見えない場所もなんとなくわかる能力があるんだ。な?」
「あい」
長髪の中からクァオが顔を出し、可愛らしい返事をした。
マールがクァオをおんぶした状態で立ち上がると、その栗色の長髪でクァオの身体は完全に隠れ、金色のキツネしっぽだけが外に飛び出していた。
「これってオイラたち人間にはない感覚だから、クァオとくっついてないとうまく借りられないんだ」
マールとクァオが、そろって亀裂の奥へと顔を向けた。
ふたりは真剣な表情で、しっかり観察するように視線を動かしていく。
その目の色は今までと違って琥珀色に変化しないが、俺たちにはわからないなにかが見えているようだ。
視線が岩にぶつかってもブレることなく一定の速度で動いていっている。
「奥はちょっと広くなってる」
マールが岩壁を見つめたまま話し始めた。
「足元はゆっくり下り坂。上はけっこうたくさん穴が開いてる。あと、外からは見えないけど岩の内側にヒビとか隙間がけっこうあるよ」
そこまで言って、マールが意識を集中するように目を閉じる。
「うーん。広いところには何もいないけど、隙間の中がゆらゆらしてる。たぶん大ネズミがいるんじゃないかな」
「その隙間って人が通れるくらい広いのか?」
「場所によるけど、けっこう狭いよ。大ネズミでギリギリくらい」
「ふーむ。大ネズミならどうとでもなるが、ヘビやらトカゲなんかもいるかもな。その感覚、いつまで続けられる?」
「しばらくはいけるよ。昼メシ食う時間ぐらいまでなら持つかな」
「やるねぇ。それじゃしばらく頼む。なにかが潜んでたり、隠れた空間があるのを見つけたら教えてくれ」
「あいよー」
安全を確認し終えたムスタがナイフを抜き、逆手に持って身を低くした。
「お前ら、一応聞いておくぞ? はぐれたらどうするか、覚えてるか?」
そう言って肩越しにこっちを見たムスタに、俺とジオールがうなずいた。
「個別に避難所か開拓村まで撤退だ」
「お互い探すようなことはしない、だったの」
「そうだ。はぐれなきゃそれが一番だけどな」
小さく笑ったムスタが、亀裂の中に足を踏み入れた。
「そんじゃ、行きますか」




