第45話 再調査その2 ぃぃにおい
俺はクーに背を向け、右手の槍を握り直して先行するムスタの後に続いた。
「こっちだよ。僕の後についてきてくれ」
木の幹に指をかけたムスタが、木々の間をすべるように抜けて進んでいく。
ムスタが着ているのは、彼の細い身体にぴったり合わせるように作られた薄い黒革製の服だ。腕や手首、腰、太ももなどのあちこちにベルトが巻いてあり、そこに投げナイフや革袋、陶器の小ビンなどの小物類がくくりつけられている。
足元はこげ茶色の地味なブーツ。靴底は毛皮でできているらしく、この荒れた地面を歩いていても足音がまったく聞こえない。
俺たちはムスタに先導されて林の中を進んでいったが、薄暗い林の中に溶け込むようなムスタの姿はまさに陰のようだ。揺れる銀の長髪が目印になってるけど、あれをフードとかで隠されたらすぐに見失ってしまうだろう。
そんなムスタの後にぴったりついていくのはマールだ。毛皮製の胸当てと腰巻に靴といういつもの格好で、腰には小振りの剣鉈と吹き矢の筒を下げている。
そのすぐ後ろに続くガウとクァオは、マールの予備の胸当てだけ身に着けていた。手足や腰の部分は動物状態そのままで、クマの短い黒毛玉のようなしっぽとキツネの細長い金色のしっぽがそろって揺れている。
本部から送られてきた服は開拓村に置いてきたみたいだ。まあ、この林の中じゃ服はすぐ汚れるからなあ。
マールたちは林の中を散歩するような調子で進んでいく。
地面に平坦なところはほとんどなくて、所々に木の根が張り出している。草は少ないが石が多く、ところどころで大岩が行く先をふさいでいた。だが彼らはそんな自然の障害物を軽々と乗り越えていった。
マールは出身地である獣使いの里が深い森の中と聞いてるし、使い魔の二体も元は山で生きてきた野生動物だ。こんな木々の密度が薄い林なんて歩きなれた庭みたいなものなんだろう。
鉄片つきの皮鎧に身を包んだジオールも、彼らの後にしっかりついていっていた。
ドワーフの身体的な特徴としては豊かなヒゲの他に、筋力があるけど背は低く歩幅が短いというのがある。そのせいで足が遅いというイメージが強い。
ヒゲをそり落としたとはいえ体格に変化のないジオールの歩行速度も確かに遅めではあるけど、彼の足はこの悪路でも常に一定で遅くなることはなく、先行するムスタたちに問題なくついていけていた。
倒木や若木、枝が密集した場所ではジオールが前に出て、その片手に一本ずつ握った手斧を振り回し邪魔になる木や枝を軽々と切り飛ばしていく。
むしろ、この調査隊の中で一番足が遅いのは俺だった。気づいたら俺が最後尾になっている。
こんな未整備の地で彼らについていくのはけっこうきつい。俺の着ている竜鱗の鎧は見た目より軽いけど、持ってる槍が木とかに引っかかって歩きにくいんだよな。
あまりに地形の悪いところはジオールが土魔法で足場や階段を作ってくれるけど、その助けがなかったら俺は皆に置いていかれてる気がする。
俺たちは途中で小休止を挟みつつ、太陽が頭上に来るまで移動を続けた。
進むにつれてだんだん岩が増えていき、土と木が減ってきている。今歩いている地面はゆるやかな下り坂で、近くに並んだ背の高い岩の陰にはコケがまばらに生えていた。
この先は、周囲の岩から一段下がった石交じりの地面が道のように続いている。
地形からして、もしかしたらここは干上がった川なのかもしれない。
「さーて、確かこのへんだったはずだけどな」
足を止めたムスタが、そう言って近くの大岩に指をかけた。そのまま小動物のようにするすると岩を登り、あっという間に岩のてっぺんにまで移動する。
マールも岩をよじ登ってムスタの横に立ち、目の上に手を当てて周囲を見回した。
「魔獣や動物はいなさそうだね。なにを探してんの?」
「前に遠征隊で調査してたとき、この近くで野営したんだ。そろそろ昼時だし、休むならそこを使うのが楽だと思ってたんだけどな」
二人の背は同じくらいで、見た目だけなら同年代だ。実際には百歳以上の年の差があるけど。
「あったあった、あれだ」
ムスタが指さす岩場の陰を見てみると、地面が踏み固められたように整えられている場所があった。焚火の跡らしい焦げた木の破片も転がっている。
「あそこで昼メシにするかね」
「ん、そうだね。オイラ腹減ったよ」
岩から降りたムスタが野営跡まで進み、近くの岩に腰かけた。俺たちも倒木や岩をイス代わりにして座り、それぞれ休息を取り始めた。
俺は鎧の隙間から布を入れて汗をぬぐい、腰に下げていた水筒を取り出して水を口につける。
横ではジオールがブーツをゆるめて自分のふくらはぎをもみほぐしていた。俺も足を休めなきゃな。ああやってもみほぐして、少しでも足の負担を解消しないとこの後がきつい。
そんな俺たちを見ていたムスタが、そっと立ち上がって少し離れた場所に座り直した。
俺の隣に座っていたマールが不思議そうに首をかしげる。
「ん? ムスタのおっちゃん、なんで動いたの?」
「いや、ちょっとな」
ムスタは答えたくなさそうだったが、マールにじっと見つめられて気まずそうに口を開いた。
「さっきまで僕が座ってたとこ、風下だろ?」
「うん、そうだね」
「お前たちから汗ばんだ若い男のぃぃにおいがするんだ」
おい。なんか一部小声だったけど、いいにおいって言ったかムスタ。
「んん? どういうこと?」
「汗臭いってことだよ!」
マールが聞き直すと、ムスタが直前の発言をごまかすような大声を出した。
「お前ら、外面はそれなりに悪くないのにデリカシーがないんだよ。そういうのに気を使わないと女にはモテないぞ?」
「ええー。いつものおっちゃん、男だけのときはそんなこと言わないじゃないか」
不満そうなマールの背後にガウが座り、彼にそっと耳打ちする。マールは黙り込んで少し考えると、俺に小声でささやいた。
「ねえアニキ。ガウが、おっちゃんからメスのにおいがするって言ってる。どういうことだろ?」
危ないところだった。
飲んでいた水が鼻に逆流しかけた。
ガウの嗅覚は正確だ。クマから今の姿に変化した後も、においの内容を外したことはない。食べ物や動物、魔獣のにおいはもちろん、人間のにおいもだ。
さっきのムスタの発言内容といい、ところどころ見せるあいつに似合わない乙女な反応といい、今のムスタが性転換してるのは確定か。
「おいおいマールよ。大っぴらにそういうことを言うもんじゃないぞ」
俺がどう答えるか迷っていたら、横からジオールがマールへ話しかけた。助かる。
「どういうことかわかるの? ジオールのあんちゃん」
「予想だが、ムスタが新しい女と付き合いはじめたんじゃないかの。それで、においとかデリカシーとかに過敏になっておるのではないか?」
「えー? 新しい女って誰とさ」
「知らんが、この前に開拓村へ来た開拓民とか兵士とかがおるだろ」
いや、多分違う。
違うけど、黙っておこう。性転換のことを言っても、きっとどうにもならない。
それから俺たちはそれぞれ自分の荷物から食料を取り出し、簡単な昼食をとった。
昼食といっても少人数での強行軍の最中だ。調理が不要でそのまま食べられる携行用の堅焼きビスケットにローストナッツ、少しの干し肉を口に入れて腹をごまかす。
夕食なら火を起こして湯を沸かしスープでも作るんだが、今はこれだけで我慢だ。
手早く食事を終えた俺は、横にいるマールのほうを見た。
ガウの膝の上に座ったマールは、自分の膝の上に乗るクァオのキツネしっぽの毛づくろいをしている。
「なあマール、聞きたいことがあるんだけど」
「ん? なんだいアニキ」
「キュウも、お前の使い魔たちも、紫の光のせいで人間みたいになっただろ?」
「そうだね」
「そのことでお前の使い魔たちが感じたこととか、思ってることを教えてほしいんだ。俺はまだキュウとしっかり話すことができないから、キュウの気持ちを知る参考にしたい」




