第15話 白竜のダイラ
竜騎士ダイラ。確か年齢は六十歳に近いぐらいのはずだ。その髪は真っ白で、顔には年相応のシワが刻まれている。
しかし、眼光の鋭さとムダのない身体の動きには未だ現役の戦士の迫力があった。
開拓地の竜騎士のトップという肩書がなくても、彼女を軽く見る者はいないだろう。
今さらながら緊張してくるが、俺が応対しないわけにもいかない。
「毒水晶という名称は兵士に伏せています。毒と聞くと兵士たちが動揺するかもしれないので」
「そうかい。なら、他人の耳を気にせず話せる場所はあるかい?」
俺が言うと、ダイラは周囲を見回した。
「なんなら、この草原でもいいよ。ちょうど兵士たちも離れてるしね。ここは開拓地だ、設備もそろってないだろ? ぜいたくを言うつもりはないよ」
「兵舎内にある会議室がいいでしょう。ご案内します」
「そこだと兵士たちが近づくんじゃないかい?」
「簡易的な防衛の魔法がかけられています。扉を閉めれば外から話を聞かれることはないでしょう」
「わかった。そこにしようか」
ダイラは納得したようにうなずいた。
俺は三人の竜騎士を連れて兵舎へと向かう。
途中で食事の準備をしている兵士たちとすれ違い、今がもうすぐ昼食の時間なことを思い出した。
「食事はどうしますか? 先に食べられるのであれば、今から用意しますが」
エンテと兜の竜騎士は食事のほうを見ていたが、ダイラは首を横に振った。
「話を先にしたい。終わったらいただくよ」
他の二人も、黙ってダイラに従う。
少しは頭と心の整理をする時間が欲しかったけど、仕方ない。
そのまま会議室に入ると、ダイラたち三人が部屋の中を見回した。
「へえ、立派なもんだ」
「防音に透視妨害、防毒までされてるのかい。ずいぶんしっかりしてるね」
エンテが感心したようにつぶやき、ダイラが魔法の詳細まで指摘してくる。兜の竜騎士は黙ってダイラの後ろについていた。
「魔法の得意な正騎士たちが、合同で組み上げた防衛魔法です」
「なるほどね。これなら文句はないよ」
会議室にかけられているのは、術、陰、聖の三騎士が中心になって作りこんだ防衛の魔法。
と言っても俺は魔法をかけるところに立ち会ったから知っているだけで、その詳しい仕組みまではわからない。
もし事前知識がなにもなくこの部屋へ入ったとしたら、部屋に魔法がかけられていることを感じられるかどうかも怪しい。
それを一目で見抜くあたり、ダイラは魔法にも深い知識があるのだろうか。
「では、改めまして」
俺は深呼吸してからダイラへ向き直り、右手を胸に当てて頭を下げる。
「開拓騎士団の一員としてこの地域の調査を担当しております、竜騎士のロンと申します。遠いところまでお越しいただき、ありがとうございます」
エンテのせいでする暇がなかったが、本来なら到着時にするべき挨拶だ。
「こりゃどうも。そういえば、名乗りもしてなかったね。今さらだが、あたしはダイラ。古株の竜騎士さね。最近は掛け持ちで、開拓本部の仕事もやってる」
「ダイラ様に直接お越しいただけたのに、大したもてなしもできず申し訳ありません」
「あたしが勝手に来たんだ、気にしなさんな。最前線ってのはこんなもんさね」
ダイラは礼節にはこだわらないようで、軽く笑って許してくれた。
「開拓本部の上級幹部が、掛け持ち扱いですかい」
「うるさいよエンテ。あたしは竜騎士が本分さ」
エンテの突っ込みにダイラが応えた。
そのやりとりは親し気で、二人はそれなりに付き合いが長そうに見える。
「後ろの娘はノエル。開拓本部ではあたしの付き人みたいなことをやってる。机仕事が中心で竜騎士としちゃ新人だが、飛べることは飛べるよ。今回は、伝令用に連れてきた」
ノエルと呼ばれた小柄な新人は、兜を脱いで頭を下げた。まとめられた青緑の髪が小さく揺れる。
その顔は整っているが無表情で、何を考えているかが今ひとつ読み取れない。
「エンテの紹介はいらないね。お互いよく知ってるだろ?」
ダイラは席に座り、頬杖をついて俺を見上げる。
「さあ、まずは毒水晶についてだ。いつ、なにがあって、なぜ毒水晶と判断したのか。最初から話しておくれ」
俺は昨日まで作っていた資料を取り出し、ダイラたち三人の座る机の上に置いた。
「一昨日の夜明け前に、空から紫色の光が人に向かって降ってきたのを夜番の兵士や騎士が目撃しました。それ以降、光を受けた兵士や騎士全員の身体に何らかの不調が確認されています。毒水晶と判断したのは、ドワーフの岩騎士ジオールの意見からです」
当時の様子や、全兵士の不調の状況、ジオールから聞いた毒水晶の情報を説明する。
資料はまだ未完成の部分もあるけど、そこは口頭で補足した。
途中で何人かの兵士たちに来てもらい、紫の光と手や足の不調状態を実際に見てもらう。
「で、ロン。お前の場合、紫の光を背中に受けたと。それで自分は大丈夫だったけど、その竜がその姿になっていた?」
「そうです」
説明がひと段落したところで、エンテが資料を持ちながら横目で俺とキュウを見た。
「俺もそれなりに長く竜騎士やってるが、竜が人間になったなんて話は聞いたことがない。ダイラ様、なにかご存じですか?」
「そうだねえ。心当たりがないわけじゃないが、その前に一度、お前さんの背中を見せてもらえるかい」
「わかりました。失礼かと思いますが、ご容赦ください」
俺は立ち上がって鎧と肌着を脱ぎ、自分の背中をダイラたちに見せた。
「なるほど。似てるね」
近づいたダイラが、俺の背中を見てつぶやく。
「あたしが知ってるのは、旧大陸の戦場での話だ。もう三十年以上は昔になるかねえ。ここと同じように紫の光が空から降ってきて、そのせいで敵味方問わず大損害を受けたことがあった。もっとも、その頃は毒水晶の存在自体が知られていなくてね。負けそうだった敵側が苦し紛れにやった、無差別の呪術だと思われていたんだが」
そこまで言って、ダイラが俺の背中を指さした。
「そこに、紫の光を背中に受けた竜騎士がいたんだ」
俺と、同じか。
竜騎士というところまで。
「その人は今どうしているんですか?」
「もう死んでいる。というか、その戦場で戦ってたそいつが死んだから、あたしが竜騎士の補充要員としてそこに行ったのさ。そいつの死体を見せてもらったが、背中にあった濃い紫色の光は今のお前さんのとよく似ていると思うよ」
ダイラは当時を思い出すように目を細め、俺たちではないどこか遠くを見ていた。
「そいつは典型的な竜狂いでね。飛竜と一緒に空を飛んでいられるなら、それだけでいいというヤツだった」
「では、その人の竜は?」
「行方知れずだ。少なくとも、あの戦場で飛竜の死体は見つかっていない。ただ、今にして思えば、おそらく一緒に死んでいるんだろうね」
ため息をついたダイラが、首を横に振る。
「その竜騎士の死因は、空からの転落死だった。とはいえ、そいつも竜狂いと呼ばれるぐらい飛竜に慣れた竜騎士だ。簡単に落ちるようなヤツじゃない。だけど、飛行中に飛竜が人間に変わって、そのまま二人とも地面に落ちて死んだとしたら死因の説明がつくんだよ」
俺の前に立っていたキュウが、身体をびくりと震わせる。
「もともとそこは戦場だ。転落地点の近くには他の死体もたくさん転がっていたし、紫の光のせいで混乱していた。飛竜だった人間の死体が混ざっても区別はつかない。竜の死体が見つからなかったのは、そういうことだったんだろうね」
「それは、そうかもしれません」
「ロン。あんたはまだ運が良かった。空ではなく地面にいるときに紫の光を受けていたから、あんたも竜も生きている。その命、大事にしなよ」
「はい、肝に銘じまぬわっ!」
突然、キュウが俺に飛びついてきた。
キュウの両腕が俺の首に、両足が俺の腰に回され、背中側でがっちり固定される。
「ちょっとキュウ、話の途中だよ」
「キュウゥゥ……」
「おいおい、どうしたんだ」
キュウは俺の首筋に顔をうずめて動かない。
声は立てないが、泣き出してしまったようだ。
「大丈夫だよキュウ。俺たちは生きてる。安心してくれ」
俺はその場に座ると、キュウを軽く抱きしめ、落ち着くようにその小さな背中をなでた。
三人の視線は感じるが、仕方ない。キュウを優先だ。
「あれは、抱きつき首絞め……」
今までずっと黙っていた女竜騎士ノエルが、聞いたことのない単語をつぶやいた。
はじめての発言がそれでいいのか新人。
「いや、悪かった。その子にとっては刺激の強い話だったみたいだね」
俺たちの様子を見て、ダイラが苦笑して頭をかいた。
「あたしはその竜騎士のことがあってから、暇を見ては原因を探していてね。その途中で毒水晶というものの存在を知ったんだ。この開拓地に起きた状況と、あたしが調べた過去の毒水晶の被害には一致する部分が多い。だから、あたしはこの状況の原因が毒水晶だっていう意見に賛成するよ」
「よかった。ありがとうございます」
ダイラが振り返って、後ろの竜騎士二人を見る。
「エンテ、ノエル。そういうわけだ。信じがたい部分もあるだろうが、あたしはこの件を毒水晶が原因と判断し、解決のために動く。あんたたちにも、引き続き協力してもらうよ」
「わかりやした」
「はい」
二人とも、首を縦に振ってくれた。