飲んで吸うだけだった日常
稚拙な文章ではありますが、よろしくお願い致します。
東京のとあるビルの十階。二年前から務めている会社で、俺は残業をしていた。
時刻は十九時をまわり、窓の外は夜の闇とビルの光で、幻想的だが見慣れた景色が広がっている。十月の後半になり、少しずつ肌寒い季節になってきた。
ようやく最後の仕事が終わり、退勤を押す。残業仲間に挨拶をしてから、外に出る為のエレベーターを待っていると声をかけられた。
「東郷くん、お疲れ様。そんなに急いで帰らなくてもいいじゃない」
声の主は上司の佐々木玲那さんだった。切れ長な目に眼鏡、艶やかな黒髪を肩まで伸ばした、仕事のできるキャリアウーマンだ。仕事ができて、容姿もいいという天から二物与えられた人である。年齢は知らない。
入社した時には教育係としてついてもらったので、大変お世話になった人でもあり、頭が上がらない。
「お疲れ様です。疲れたので早く帰りたかったんですよ」
「まぁ今週は大変だったな。明日が休みだと思うと、帰りたくなるね」
ここでエレベーターがきたので二人で乗り、後輩らしくボタンの前を陣取って一階を押す。
「そうだ、この後は予定ある?一杯付き合ってくれない?」
「誘いはありがたいんですけど、給料日前でお金が無いです」
「ははは!また戸羽あたりに誘われて行って負けたの?」
「そうなんですよ……。戸羽先輩にパチンコに連れてかれましてね」
「まぁ、ドンマイだね」
佐々木さんが慰めるように背中を叩き、開いたドアを出る。溜息をついて、後に続いて行く。ビルの外に出ると、落ちた気温が、より悲しさ感じさせる。
「金が無いんだったらウチで飲む?」
驚いて隣を歩く佐々木さんを見ると、此方にニコリと笑いかけていた。ドキリと心臓が鳴るが、そういえば前に一回飲んだことがある事を思い出す。
悩む俺に対して、急かすように彼女は問う。
「で、どうする?付き合ってくれる?それとも辞めとく?」
「えーと、ではお言葉に甘えまして、お願いします」
圧に負けて勢いで言ってしまう。一回行ったことがあるとはいえ、やはり緊張する。勢いと緊張で、語彙が訳分からなくなってしまった。
「ははは!なに緊張してるの!前にも来たことあるでしょ!」
クスクスと口を抑えて笑う姿に、恥ずかしさも相まって赤くなっていくのがわかる。そんな俺の姿を見て佐々木さんが笑うというループが、家の近くのコンビニに着くまで続いてしまった。
「あーおもしろかった。ふふふ、東郷くんはかわいいねぇ」
「やめてくださいよ。さっさと買い物済ませますよ」
恥ずかしさを不機嫌な振りをして誤魔化してみるが、通用していない気がする。佐々木さんは、お見通しですよといった感じの笑みを浮かべている。そのやたらと高いテンションに、お酒を飲んで出来上がっているのかと疑ってしまう。
そんな俺を後目に、佐々木さんは上機嫌にコンビニに入っていく。
「あれ、なにこれ。こんなの売ってたっけ」
コンビニに入ってすぐ、なにかを見つけたようだった。
「これは、シガーというか葉巻ですね。初めて見ました」
「私も初めて見たかも」
彼女の瞳に興味の色が映る。俺も佐々木さんも喫煙者だった。
そもそも、人付き合いが得意ではない俺が、佐々木さんと仲良くなれた理由がタバコだった。喫煙所でよく話しているうちに仲良くなれた。会社の交友関係も大体タバコ繋がりである。
「一本でも売ってるんだ。買ってみる?」
「そうですね、吸ってみたいです」
「味がいっぱいあるけど、このビギナー向けのにしてみようか」
「わからないんで、それにしましょう」
葉巻に期待感を持ちながら、酒やつまみを買って帰路につく。吸い方を調べつつ歩いているとあっという間にマンションに着いた。エントランスでドアを開ける為の番号を入力して、最上階の彼女の家に案内された。
シンプルだが女性らしさを感じるリビングにはいる。
「お邪魔します」
「いらっしゃい。私は着替えてくるからソファに座って待ってて。ちょっと寒いかもしれないけど、ベランダで吸いながら飲もう」
そう言って部屋に入って行くが、先に準備を始める。
ベランダには、椅子が二つとテーブルがあり、その上に灰皿があった。ひとまず、酒と温めが必要ないものを並べていると佐々木さんが戻ってきた。
「先に準備してくれてありがとうね」
「いえいえ、お邪魔しているので」
「じゃあ、こっちは温めとくよ。タバコでも吸って待ってて」
惣菜をもって部屋に戻る彼女を見届けた後、椅子に座ってタバコに火をつける。ベランダは壁ではなく格子状になっていて、高層マンション程高い訳ではないが、それでもいい景色だった。
メンソールの爽やかな煙を吸いながら、ボーッと景色を眺める。そういえば、佐々木さんの家にいるんだなと思っていると、あっという間に短くなってしまったので灰皿で消す。そのタイミングで、温め終えた佐々木さんが戻ってきた。
「お待たせー。さ、早く飲もう」
それぞれ、缶ビールを手に取りタブを開ける。プシュッといい音がなり、久しぶりの生ビールに涎が出てくる。
「はい!じゃあ、乾杯!」
「いただきます」
缶同士を軽く当てると、ごくごくと勢いよく飲んでいく。つい半分程飲んでしまい、彼女の方を見ると同じタイミングだったようで、どちらともなく笑ってしまう。そんな和やかな雰囲気で始まった。
唐揚げや焼き鳥などのガッツリしたものや、だし巻き玉子、揚げ出し豆腐などをツマミにビール、チューハイを空けていく。
食事に満足しつつ三つ目の缶を飲み終えた頃、そういえば葉巻があったなと思いだした。
「そろそろ、葉巻吸いませんか?」
「ん?そうだった!忘れてたよ」
袋から葉巻を取り出してみる。十センチほどの長さで、吸う方に小さく穴が空いている。初心者向けなので、切らなくてもいいタイプらしい。
予め調べていた通り、ライターをとりだして吸口の反対を炙って行く。佐々木さんも見様見真似で、火をつけている。
「もういいかな?」
「よさそうですね。葉巻は肺に入れずに、口の中で香りを楽しんで吐くらしいです」
「じゃあ、吸ってみようか」
とりあえず、軽く吸ってみる。タバコ独特の香りと甘さが舌に感じる。少し楽しんだ後に吐く。
「おー。こんな感じなんだ」
「甘いですね。なんか歯に甘いのが着いてます」
「本当だ。なんか砂糖みたいな甘みだね。うん、私は結構好きかな」
「うーん、俺はもう少し控えめがいいかもですね」
「男の人には甘すぎるかもね」
「そうですね。でも、これはこれでですかね」
二回、三回と吸う事にリラックスした気分になっていく。
肌寒かった外も、酔った事により心地よく感じた。
宵闇に街灯、人の営み、三日月とかすかに見える星。
無言で味わうように葉巻を吸う。
二人の間に緩やかな時間が流れる。
静寂を切り裂くように彼女は口を開く。
「ねぇ、私、来週誕生日なんだよね」
「あ、おめでとうございます」
「私、二十九歳になるんだ」
「そうなんですか」
唐突な展開に、正解の反応が分からず無難な返事をしてしまった。
「そろそろ結婚しないのかー、なんて両親に言われるようになってね」
「はぁ」
反応が鈍い俺に、挑発をするように艶やかな笑みを浮かべる。
思わず頬が赤くなってしまうが、酔っているからバレないかなどという的はずれな事を考えてしまう。
「さて、ヘタレの東郷くん。ここまで言えばさすがに分かる?」
「えっと、その、はい」
「女の子は好きでもない人を家に呼ばないんだよ?」
身を乗り出し、三日月のように口角を上げ、囁くように甘い言葉を紡ぐ。
それはタバコよりも頭がクラクラするほどの威力であり、恐ろしい中毒性があった。
「で、どうする?付き合ってくれる?それとも辞めとく?」
俺は数時間前にされた質問の時と同様、肯定を返した。