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script少女のべるちゃんというノベルゲーアプリで制作したゲームのシナリオ集になります。

ゲーム本編はブラウザでもできますので、ぜひ!

https://www.novelchan.wgt.jp/22256/


よろしければのべるちゃん他作品もプレイいただけると嬉しいです。

クソタレ大学生を侮るべからず。


空調施設一つないガラクタジャングルで長い時を過ごした私には、


人が消え、時間の概念が消滅した世界に慣れることなどわけなかった。


むしろ娯楽が多い分、こちらの方が楽しい。


太陽の沈まぬ男、などと自称してみればこの世界の主になったようで

気分も悪くない。


私以外誰も存在しない世界で、

私は大いに青春を謳歌した。


スーパーマーケットの肉売り場に陣取り、ガスコンロを持参して鍋パーティーを開いたり、


近くの海辺に繰り出し、

フルシチョフと共に海水浴を楽しんだりした。


「できることなら水着美女と戯れたいところだ」


氷掻き立てのブルーハワイを口に運びながら、

私は向かいの席の赤ダルマにそう言った。


フルシチョフは私の軽口を受け、

癪に触ったのか、への字型の口を

さらに曲げて抗議しているように見えた。


「ダルマ風情で人間に刃向かうな。貴様はそうしてふくれっ面をしているしか能がないのか」


「……」


「悪かった。言いすぎた」


どうやらこの赤ダルマは、

沈黙を武器にすれば最強であるらしい。


私は不本意ながら、ダルマ相手に頭を下げることとなった。


※※※


それにしても自分だけの世界というのはいいものだ。


無人の映画館に忍び込んで、

好きな映画をかけることもできる。


私のような貧乏人では、生涯泊まることができないような一流ホテルにだってスカンピンで宿泊できる。


どこで屁をしようが、用を足そうが、

文句をいうものなど皆無なのだ。


そうして気づいた頃には、街中ありとあらゆる住居、店は私のねぐらと化していた。


特に私のお気に入りは駅前の本屋であった。


ビンボー学生たる私には手も足も出ない

文学全集や、浩瀚な図鑑まで。


時には卑猥な雑誌に手を伸ばすついでに

鼻を伸ばしてみたりなどする。


まこと、四畳半の牢獄に

閉じ込められていた囚人の身にしてみれば、

この書物の海はまさに自由そのものであった。


新刊を立ち読みしても咎めるものもなし。


というわけで、その日も

私は本屋のフローリングに横になり、

心ゆくまで読書を楽しんでいた。


流行りの漫画本に目を通してからは、

卑猥な雑誌の袋とじを、上から覗き込むことに熱中した。


私から言わせてもらえば、

袋とじを開けるなど、無粋極まりない。


神が下界を鳥瞰するがごとく、

いや、あるいはかの光源氏が

若き紫の上を垣間見るがごとく、


わずかな隙間から見える

グラビアページこそをかしけれ。


さて、そうして一人雑誌を手に

文字通りの上を下への大騒ぎをかましていれば、当然汗もかいてくる。


そろそろ飽き始めていた私は、フルシチョフを連れて近くのスーパー銭湯に繰り出すことにした。


※※※


遠慮することもないのに、律儀にも男湯に浸かるのが奥ゆかしい文学青年然としていて、我ながら泣けてくる。


「許せ。まだ私には女湯に上り込む勇気はない」


フルシチョフは先ほどの私の発言が

まだ腹に据えかねるようで、

私の背中にどっしりと構えたまま無言を保った。


無人の世界に至っても、浮世のしがらみとは無縁でいられない、というのは皮肉な話だ。


かつて思春期時代に望んで

憚りなかったこの無人世界だが、

たっぶりとそのぬるま湯に浸かるうち、


私の中である感情が沸々と煮たってきた。


「寂しい。寂しくて死にそうだ」


私の独白は誰にも届かず、

温泉の床に反響し、やがて掻き消えた。


…ずっとこのままでいることもできまい。


元来、私は昼間の燦々と照る太陽よりも月夜の静謐な空気に、風情を感じる人間である。


月と夜が恋しくてたまらなかった。


それ以上に私の頭から離れなかったのは、あの白紙原稿である。


今頃、私のいなくなった元の世界では

小町部長をはじめとした、編集メンバーが

血眼になって私の所在を探していることだろう。


私は唐突に、小町先輩に叱られたくて仕方なくなった。


それは断じて、私に特殊な性癖があるからではない。


極めて不本意ながら、私は

あの混沌とした『語り乞食』を、小町部長を、心から慕っているのだった。


恋慕そのものと言っていいその感情は、私の中に巣食っていた怠惰をほじくり返し、恋の炎で滅却した。


※※※


私は決意を新たに、元の世界に戻ることに腹を決めた。


ドライヤーをかけながら、その胸中を

フルシチョフに告げると、奴も満足気に赤ら顔をさらに赤くしたように見えた。


そうは言っても、元の世界に戻る方法など

私には皆目見当もつかない。


大ヒットSF映画よろしく、学校のプールに飛び込めば

向こう側が元の世界だったりしないものか。


もしくは雷に打たれ、1.21ジゴワットの電流を

一身に浴びるとか。


私はそんな思考実験を繰り返しながら、

スーパー銭湯で失敬したコーヒー牛乳片手に

近所を逍遥していた。


「むっ」


しばらく歩いていると、

私の中に閃くものがあった。


ピカリと光ったその光源を、

見失わないように手繰り寄せると、

そこにはゴツゴツした黒光りの

アレが見えた気がした。


それは部長が差し入れてくれた、黒電話であった。


思い立ったが吉日。

私はすぐに缶詰部屋に引き返すと、

こけつまろびつ、四畳半に駆け込んだ。


フルシチョフを背負ったまま、私はガラクタの山の中から、黒電話を見つけ出した。


黒電話はずいぶん年季が入っていて、

埃だらけなこともあり、まともに動作するか怪しい。


しかし、異世界や異次元に繋がる黒電話というのは

古今東西の創作物で、かなり使い古された手のはずだ。


むしろこれは期待を持っていいのではないか。


私はやけに重たい受話器を手にし、

おそるおそるダイヤルを回した。


相手は、もちろん小町部長である。


最後の一つを回し終えて、私は固唾を飲んだ。


ジリジリジリ…


ゆっくりとダイヤルが元の場所に収まり…


ツー、ツー、ツー、ツー……


無慈悲にも、受話器から流れたのはそんな音であった。


「だーっ、そーだよなァ!」


失望に打たれた私は、畳の上に大の字になろうと

そのまま後ろに倒れこんだ。


…のだが、すっかりフルシチョフを

背負っていたことを忘れ、

奴を軸にして見事に一回転して頭を打った。


「意趣返しとは、ダルマ風情が見上げた根性」


誰にも見られていないというにも関わらず、私は照れ隠しにそう呟いた。


ちょうど、その時だった。


ジリリリリリ‼︎


「なぬっ!」


ウンともスンとも抜かさなかった黒電話が、その存在を主張するように、けたたましく鳴り響いたのだ。


私は亀の子のように、仰向けになりながら、両腕をワキワキさせた。


というのも、白皙の美青年たる私は

腹筋など皆無に等しく、そのまま起き上がることができなかったからだ。


そんな惨めな姿のまま、

必死で方向転換し、私はやっとのことで受話器に手を伸ばしたのだった。


『やあ。赤ダルマ君は元気かな』


開口一番、電話の向こうの相手はそういった。

不敵な男の声であった。


なぜだか耳にするだけで、総毛立つような

おぞましい声質の男だった。


「貴様は何者だ。私をどうするつもりだ」


『君は最初からずいぶん喧嘩腰だな。改めたまえ。私は君の救世主なのだから』


『……ウィ〜〜〜〜ック!!』


それから男はもはや見事というくらいの

ド派手なしゃっくりを受話器越しに

私にお見舞いしてくれた。


「アル中の救世主などいてたまるか。世界中の宗教者が泣くわ」


『一杯やってるのは確かだが、私はアル中ではない。まぁ落ちつきたまえ』


私が奴に食ってかかろうとしたその時、受話器の

向こう側で聞き慣れた声が耳朶を打った。


"ちょっと!何入れてるの!そんなのだめよっ!"


"やめてっ! 出してよ、いやっ!"


それは聞き紛うはずもない、

麗しの小町部長の声であった。


「そこにいるのは小町部長だな⁈ い、入れるとか出すとか何事だ!恥を知れ!」


私は救世主を名乗る不審者を糾弾すべく、

怒髪天を衝く大音声で、そう叫んだ。


『確かに小町部長はここいるが、君の想像しているような破廉恥な事態にはなっていないし、安全の保証はこの私がしよう』


奴は至って冷静沈着だった。

私も、背中のゴツゴツとした痛みで、つかの間

冷静さを取り戻した。


『君も私も時間がないはずだ。手短に話そう』


「私は時間があまり余っているくらいだ」


『私が苛立たしいのはわかるが、軽口は控えろ。この電話もいつ切れるかわからない。君は元の世界に帰りたいんだろう?』


「ああ」


私はぶっきらぼうに答えた。


『唯一の解決策は、ちゃぶ台の上にある』


「は?」


『小説だ。小説を書きあげろ。今の君が置かれている状況を小説にするのさ……ってアッツ!』


男は、受話器の向こうでハフハフ言いながら、そう告げた。


「そんなことで元の世界に戻れるわけあるか」


『いやいや、よく考えてみろ。何故君は時の止まった世界に一人、こうして寂しく留まっているんだ。誰が、何のために? それを考えれば、答えがわかるはずだ』


「ええい、回りくどい言い回しはやめろ。答えをいえ」


『残念だが、私が言えるのはここまでさ。私も答えは自分で見つけた。君もそうなる』


「一体何の話を……」


私が追及しようと声を荒げた瞬間、

ぶつっと糸が切れたような音が鳴り響いた。


「……切れた」


黒電話は、それきり沈黙を保ち

二度と鳴ることはなかった。


※※※


机に向かうと逃げ出したくなる。


これは元々の私の性分だから、

否定しようもない。


睡魔が意識の境を縫い、

頭の奥深くに根付くあらゆる

やる気・根気・勇気をかっさらっていく。


私も受験生時代、それで大いに苦労したクチだ。


いや、勉強はまだいい。


他人と競争することで、モチベーションを

保つことができるからだ。


だが小説は勝手が違う。

それは徹頭徹尾、己との戦いである。


己自身が敵であり、同時に唯一無二の親友でもある。


叱咤激励するのは自分自身。

最初の読者として辛辣な意見を奉ずるのも、

また他ならぬ私自身なのだ。


白紙の原稿は、さながら最前線の戦場である。

私は、私という同志とともに、私という敵に挑む。


武器はなまくらなこの頭脳と、

今まで曲がりなりにも物書きの端くれとして

努力してきた日々の記憶。


私は兵士が背嚢を背負うがごとく、

フルシチョフをおんぶ紐で吊るしたまま

正座でちゃぶ台に向き合っている。


「私が睡魔に負けたときは、大喝を頼む」


背後の相棒に、私はそう告げた。

頼もしい重みだった。


切腹前の武士は、こんな気持ちだっただろうか。

私はやおら鉛筆を握りしめると

一気呵成にマスを埋めていく。


考えるな…


感じろ……!


「違う、私の書きたいものは!」


最初こそ順調な航海であったが、

私の右腕は書き進めるごとに、

そのスピードを落としていく。


ただあったことを時系列順に

並べていくのがこんなに難しいとは…。


言い回しの一つを選ぶのさえ、困難を極める始末だ。

長らくスランプだったためか、助詞や人称までもが

おかしくなってきている。


さながら船体に穴の空いた船だった。


骨子の部分がいかれれば、いかに光るものがあろうと、船は目的地にたどり着くことはない。


私が船頭を務めるこの小説は、

もはや航海を続けることすら、

非現実的になっている。


細部の穴が目立った結果、

物語全体の整合性を失い、私は完全に

光明を失っていた。


座礁を覚悟で突き進むこともできる。

だが、その末にたどり着くのは十中八九バミューダトライアングルのごとき迷宮であろう。


「……くそ、ここまでなのか」


小町部長、私はあなたに再会して

二度目の告白で、空の星になることもできない。


願わくは、もう一度あなたの声を聞きたかった…。


小説を、酷評してもらいたかっ、、、た……


※※※


「今の君は、ただの偏屈な腐れ大学生よ」


知っておりますとも。大いに結構。


「書くのを怖がってるのね。今までの君らしくもない。いいじゃない、誰がどう言ったって」


どうでもよくはない。

私にだって矜持がある。よく見られたい。

特にあなたには。


「完成させることに意味があるのよ。世に出すことに意味があるの。オリンピックと同じ」


私はアスリートでは……


そう言葉を反芻したところで、

私は前にもこんな会話をどこかでしたな、と気づく。


そう、忘れるはずもない。

これは小町部長と最後に交わした会話だ。


そして彼女は確か、こう言ったはずだ。


「わたしに告白してきた時の君は、厚顔無恥の極みだった。あの時を思い出しなさい」


その甘じょっぱい思い出は

丁寧にぬか漬けして軒下に埋めました。


もう思い出すなんて、今の私には…


「捨ててないだけましね。もう一度取り出してみれば、美味しく仕上がってるわよ、きっと」


あの時の思い出……


私は、自らが記憶の底に

澱として溜め込んだ失恋の思い出に

びくびくしながら手を突っ込んだ。


「……ああ、そうでした」


二度と恋などするものか、と帰り際に

小石を蹴ったことを私は思い出した。


「そうだった。ずっと忘れていた」


だけれど、同時にこう思いもしたのだ。


この気持ち。

好きだ、という気持ちを

完全に忘れ去ることはできないだろうな、と。


その瞬間、私の胸に言いようもない感情が去来した。


甘さ3、酸っぱさ2、苦さ1、青臭さ1の絶妙な風味に、私はもんどりを打って悶え苦しんだ。


「ぐわっ!」


気づくと、私はまた亀の子の姿勢になって、

薄汚い四畳半の中で、一人手足をばたつかせていた。


背中には、フルシチョフの輪郭をはっきり感じた。


「よくやってくれた……私は眠りかけていたんだな」


起き上がると、ちゃぶ台の上には

大量の消しかすと、丸められた原稿用紙が散在していた。


「全く。ひどいものだ、我ながら」


そう独りごちながらも、私の胸はすっと

透く思いで溢れていた。


「好きとは、気取ることではなかったのだな」


技巧を凝らしたり、思わせぶりな態度を取ったり。


自分の器量を盛ったり、気の無いそぶりをしたり。


小説も、恋愛も、そんな手先の物事より

ずっと大切なものがあったのだ。


「私は好きだったのだ。それでよかったんだ」


私は小説を愛してやまない。

小町部長を慕ってやまない。


隠すことなどない。恥じることもない。

想い果たせなければ、大いに落ち込めばよい。


そして立ち上がればよいのだ。

ちょうど今の私のように。


良いものなどできなくていい。

不格好でも、想いをぶつけられれば。

今は、これでよい。


肩の力が抜けた私は、一度大きく背伸びすると、

再びちゃぶ台の前に陣取った。


「もう一度、最初からだ。飾らず、素直に」


私は丸められた原稿用紙をざっと、受け流すとゆっくりと一文字ずつ、想いを乗せて行った。


素朴な文体に変えたからか、

先ほどあれだけ難しかった箇所も

私は難なく書き進めていった……。


※※※


………。


……。


…。


ひぐらしの鳴き声が聞こえる……。


窓の外からくぐもって、だけれどしっかりと。


見上げると、いつも薄汚い部屋の天井が、

風雅にも夕陽の橙に染められていた。


手の中には、フルシチョフの感触。

奴は相変わらず、片目だけ墨が入れられたまま不機嫌そうに口を結んでいた。


「小説は……!」


はっと気づいて私が起き上がると、そこには……


浴衣姿の、小町部長が座っていた。

手にはシワだらけの原稿用紙を握り、

右手に赤ペンを持っている。


いつもの彼女であった。


「ぶ、部長……部長、ですよね」


「ん、あぁ、起きたのね。今校正してるから待って」


「小町部長〜!」


私は感涙にむせびながら、彼女の胸元にダイブした。

この確かな感触。間違いない、本物である。


「私は戻ってきたぞーっ!」


もちろん、殴られた。


※※※


聞いてみれば、小町部長が様子見に来たときには

すでに私は四畳半の畳の上に、大の字で

眠りこけていたらしい。


心配していたのは、無人世界の住人と化していた間、


私が失踪者扱いにでもされてやしないか

という点であったのだが…どうやら杞憂のようだ。


私が不在の間も、こちらの世界は

しっかりと回っていたらしい


「悪くないわね。プロットはありがちなかんじだけど、その分読みやすいわ。異世界もの…って呼んでいいかわからないけれど、こういうの初めてなんじゃない?」


小町部長は私の頬を打った右手を

さすりながら、一連の私の小説をそう評した。


「ほぅふぇすへ(そうですね)。へこふりはひた(手こずりました)」


一方の私も、腫れ上がった頬を庇いながら、

そう返答する。


「なんか、生々しい生活感があっていいわよ。その……フルシチョフ君?も可愛らしいし」


概ね、好評のようで私もホッとした。


しかし少々ドキッとしたのは、

「生々しい」と評されたことだ。


あの時の止まった、真昼の世界。

いざ戻ってみれば、あれは現実だったのか

正直私にも判断がつかない。


ただ、こうして小町部長は

実際に小説の原稿を手にしているわけで、


それはつまり。

フルシチョフと過ごした、あの世界は

確かに存在し、小説を書き上げる間

私はあの世界の住人になっていたということになる。


もちろん、暑さにやられて

私が白昼夢を見てしまったという可能性も

捨て切れはしないのだが…。


「でも、いくつか問題があるわねこれ」


私が思考をまとめていると、

小町部長はおもむろに原稿のページをめくりつつ、

そう小さく呟いた。


「と、ひふほ(いうと)?」


「まず黒電話の主よ。あの男が何者なのか、これには示されてないわ。読者がストレス感じちゃうわよ」


「第二に、無人世界の真相よね。黒電話の主が謎かけをしたのに対し、主人公であるあなたはまだ答えを示せていない」


「あと、最後にこれ。君の悪い癖、タイトルがないじゃない、全く」


タイトル、と私は彼女の言葉を反芻した。

そういえば内容ばかりで、私は考えてもみなかった。


「まぁ、会誌なら適当につけちゃってもいいけどね。内容も中途半端だけど、これならある程度面白いし、査読班も納得……」


「書きますよ、最後まで」


珍しく私が殊勝な態度を取ったからか、

部長は目を丸くした。


「あら、そう…?」


「はい」


「まぁタイトルはともかく、黒電話の主とか無人世界の真相とか、ちゃんと最後に伏線回収できるの?」


「ええ、大体検討はついてるんです」


私は力強く、そう返答する。


小町部長は最初は怪訝な表情をしたが、

やがて私の面構えを真似るように、口角を上げた。


「いいわね。目がギラギラしてる」


彼女は膝の上で原稿を揃えると、

ちゃぶ台の上に丁寧にそれを置いた。


すっくと立ち上がり、浴衣の皺を伸ばしてみせる。


「そういえば、どうして浴衣なんです?」


「ん? ああ、これ。決まってるじゃない」


彼女はそして、私にとびっきりの笑顔をみせた。


「夏祭り、行くわよ!」


※※※


どうやら小町部長は、夏休みの間中

缶詰になっていた私を気の毒に思い、


気晴らしに、と夏祭りに

誘ってくれようとしていたらしい。


生来の陰気さ故、私は人ごみが苦手なのだが

これは決して悪い気がしなかった。


というより、内心小躍りした。


「君、次はあれ。たこ焼き!」


たとえATM代りだとしても、私は嬉しい。

感涙で視界がぼやけるほどだ。


しかし、小町部長にもこんな

天真爛漫な一面があるのだな、と思うとほっこりする。


おんぶ紐で連れて来たフルシチョフも

背中で我が事のように喜んでくれている。

例え無言でも、私にはそれがわかった。


「あれ、なんだ盆踊りやってるよ! 私行ってくる!」


「あの、小町部長、たこ焼きは……行っちゃったよ」


踊る阿呆に、踊らぬ阿呆。

同じ阿呆なら踊らにゃ損損。


そんなフレーズが私の脳裏をよぎった。


これは名文句であることには違いないが、一つ取りこぼしている阿呆がある。


それは元々踊り方を知らない阿呆は

どうすればいいか、という点だ。


私は生まれて一度も羽目を外したことなどなく、自身の領分をしっかり守って生きてきた男だ。


できないと認識したら二度と手は出さない。君子危うきに近寄らず、だ。


だが、本当にそれでいいのか。


そんなこと関係ないだろう、と背中の重みが言っている。


「ほら、君も早く早く!」


小町部長はなんでも卒なくこなす人だ。今だってほら、周りの男たちが見惚れるくらい 優艶と踊っている。


私は、彼女の隣に立てる器だろうか。


もう迷わないと決意したはずなのに、

私はまだこうして立ちすくんでいる。


あと一歩、あと一歩が必要だ。


「フルシチョフよ。取り引きをしよう」


「小町部長が私の告白に答えてくれたら、お前のもう片方の目に墨を入れてやる」


フルシチョフはもちろん、沈黙を返答にかえた。


それで十分だった。


私はタイミングを見計らい、小町部長の近くに

見よう見まねで踊りながら歩み寄った。


不埒な金髪男が近くで

舌打ちしたような気もするが、

もはやそれはどうでもよい。


「楽しいね〜! ほら、笑って笑って! 背中のダルマくんより仏頂面だよ君!」


部長は艶姿を見事に振り乱しながら、

盆踊りでここまで色気を振りまくことができるのか…

と周囲が驚愕するほど、見事に踊っている。


私はその背後から、声を張り上げて言った。


「小町部長!」


部長は、いきなり叫んだ私を不思議そうに振り返る。


「まだ部長が好きですっ! 付き合ってください!」


ままよ、と私は内心呟きながら、叫んだ。


「……」


部長は踊るのをやめ、私に相対した。


「二回目、告白して来たのは君だけだね。わたし、一度目は絶対断ることにしてるんだよ」


「そう、なのですか」


その情報は早く欲しかった。


私はあまりに恐ろしくて

彼女の顔から目を逸らしそうになったが、拳を握りしめて、そのまま持ちこたえた。


小町部長は力みに力んだ私の表情を見て、くすりとおかしそうに笑っている。


「友達からなら」


やがて彼女は右手を差し出して、そう返答したのだった。


※※※


さて、この物語も終焉に近づきつつあるが、

諸君に至っては、憤然と不満を抱えている方が

いらっしゃるかもしれない。


残された謎について、まだ何ら解答を示してないではないか、と。


安心してほしい。


解答はここで示そうと思う。


黒電話の主を突き止め、あの無人世界の真相を理解した

私が一向に行動を起こさなかったのは、


つまるところ、タイミングを計っていたからに他ならない。


だから小町部長が、

夏祭りの後になっても 帰る気配を見せず、


意味ありげな笑みを浮かべながら

「もう一回缶詰部屋に寄りたい」と言い出した時には

私はもしや、と思った。


そして、その予感は的中した。


我々が部屋に戻り、夏祭りの戦利品を

見せ合いっこをしていたときのことである。

(ちなみにこれは断じて不純異性交友ではない。男女二人きり密室でいたからといって、私にふしだらな下心があったと疑ぐるのはお門違いである)


やにわに外が騒がしいな、と思った、

その直後。


ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえ、

古びた四畳半の城を、以下のような激しい口上が

ド派手にユラユラと揺らしたのである。


「ええい控えい控えい!」


「こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の鍋奉行、中村副部長である!」


ガスコンロ片手に、ぞろぞろと大名行列を引き連れて

きたのは、わが『語り乞食』副部長、

中村先輩その人であった。


私があっけにとられて(いる演技をして)いるその横で、


小町部長は愉快そうに腹を抱えながら

ゲラゲラ笑っていた。


「書き上げたらしいな」


中村副部長が目尻に涙をためながら、そう言った。

筋骨隆々な彼が、そんな表情をすると

暑苦しさで室温が上がったような気さえする。


「まあ、まだ手直しがありますけどね。多少は」


「それでもよい。よくやった。よくやったぞ!」


中村副部長が引き連れてきた親衛隊が、

これまた暑苦しく、後ろでウンウンと頷いている。


感動もひとしおではあるが、これ以上

彼のペースに合わせていると話が進まない。


私はガスコンロと鍋に視線をやり、

不思議そうな表情を作ってみせた。


「これは我が『語り乞食』に語り継がれし伝統でな。缶詰部屋に閉じ込めた部員が見事、その原稿を仕上げた際にする"祝いの闇鍋"なのだ」


呪いの間違いではなかろうか。

漢字がよく似ているし。


そんな皮肉を一つこぼす間も無く、

親衛隊が粛々と鍋の準備を始めた。


「今夜は飲め!手直しは明日でいいさ」


中村副部長はそういうと、缶ビールのプルタブを開けながら、畳の上にどっかりと座る。


私も近くにあったチューハイを手に取り、

一口舐めるように啜った。


私は酒に弱いのだ……。


「具材は食べられるの持ってきたんでしょうね?」


小町部長が、笑いすぎで出た涙を拭いつつ、

中村副部長に問うた。


「当たり前だ!栄養満点のやつをな!ガハハ!」


「ほんとでしょうね……いつもゲテモノばっかりなんだからあなたは……」


二人の会話と、食器の立てるガチャガチャという音がアルコールの入った頭のせいで、だんだん遠く聞こえてくる。


……あの時、黒電話の主の背後では

小町部長の声が聞こえた。


そして、声の主は程よく酩酊していた。


これだけですでに答えがわかるようなものだが、

他にも黒電話の主の正体を突き止める材料がある。


フルシチョフ。我が愛しの赤ダルマである。


今は右目に小さめの瞳を

油性マジックで入れてやったばかりで

憤然と私を睨みつけている。


私がこの赤ダルマを大切に扱っていることを知っている男など、世界に一人しかいない。


すなわち、私自身である。


あの黒電話の主とは、他ならぬ私自身なのだ。


考えてみれば、これほど単純な真相もあるまい。


あの無人世界とは、締め切りに追われた私が鬱屈した精神で作り出した並行世界なのだ。


時間を止め、執筆の猶予を捻出しようとは我ながらあまりに浅薄な思考である。


呆れて物も言えない。

これでは自作自演ではないか。


「……ウィ〜〜ック!」


そろそろ私自身、いい感じに出来上がってきた。

ガスコンロの鍋も煮立ってきている。


頃合いだろうか。

黒電話は、部屋の隅においやられて寂しそうに佇んでいる。


「なぁ、ちなみに新作のタイトルはどうするつもりなんだ?」


中村副部長が、私の肩に手を回しながら聞いてくる。


「テキトーれすよ、テキトォ」


「そうかぁ、テキトーかぁ」


豪放磊落な副部長は、私の発言にも

目くじら立てることなく、相変わらず豪快に笑っている。


「世界の中心で愛でも叫んじゃおうかなぁ」


「それはまずいよ君、盗作だァ」


「盗作っすかァ、あっはっは」


少々呂律の回らなくなってきた舌を

懸命に動かして、私は黒電話に手をかけた。


「ちょっと電話かけなきゃいけないんで、一旦失敬しますよ」


「そうかね。手短にな」


「はい、すぐ終わりますゥ」


さて、と。


これ以上酔いがまわるとまずい。

あの時の私はそれなりに、聞き取れる範囲の酔い方をしていたはずだ。


自分の家に自分の家から電話をかける、などという小学生並みの愚行は、これで最後にしたい。


「え、何イナゴ⁈ イナゴ持ってきたわけ⁈ 昆虫だけはなしって言ったじゃない、わたし!」


「食わず嫌いはいけない。後輩に示しがつかないぞ小野」


ダイヤルをしている最中、

私の背後ではまた小町部長と副部長が

押し問答を繰り広げていた。


今夜は夜遅くなりそうだなぁ、と

私は漫然と思った。


受話器が、取り上げられる。

緊張した息遣いが、向こうから聞こえた。


さて、まずあちら側の私の緊張を解かねばならない。


ガチャリ。


私は刹那、思いついたセリフをそのまま受話器にふきこんでいた。



「やあ。赤ダルマ君は元気かな?」


(了)

森見登美彦先生に影響を受けた作品です。

舞台を共有した次回作の構想もあるので、いずれ書けたらなぁと思っています。

読んでいただきありがとうございました。

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