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↑上記作品のシナリオ集です。
すでに完結しているので、是非プレイをお願いします。感想いただけたら嬉しいです。
2/2は近いうちにアップします。
八月半ば。
夏、真っ盛りである。
華の大学生ともなれば、男女連れ立って
海に出かけ、山に出かけ、川に出かけ…
一夏のあばんちゅーるに勤しむ、そんな季節。
他ならぬ私もその大学生に違いないわけだが、
こうして閉め切られた、辛気臭い安アパートの一室に
缶詰になっている。
目の前には眩いばかりに
光り輝く白紙の原稿。
書かねば出られぬとわかってはいるのだが、
暑さと推敲で茹だった頭脳で
文章など思い浮かぶはずもなく、
かれこれ何時間も、私はこいつと
にらめっこしていた。
恨みがましく、はめ殺しにされた窓から外を見る。
今日も今日とて、空いた片手に浮き輪を引っさげた
アベックが仲睦まじく腕を組み、
往来を行き来している。
気分が害されることこの上なし。
大体不純異性交友など、言語道断である。
私は破廉恥極まりない連中に、卑猥なヤジの一つ
でもふっかけようかと何度か挑戦したものの、
しっかり固定された窓は全く開く気配がなく、
ため息まじりに諦める他なかった。
この四畳半、玄関以外からは脱出不可能である。
その唯一の脱出経路も、
外から黴だらけのソファで塞いであるため、
機能することなく沈黙している。
諸君もお気付きかもしれないが、この安アパートは
ただの安アパートではない。
八月の殺人的猛暑の中、窓を開けることも許されず、
空調はもちろんのこと、扇風機の一つさえ備えられていない部屋が、おいそれと21世紀の現代にあってなるものか。
さて、タネを明かせばこの四畳半は、
私の所属する文学サークル『語り乞食』に代々受け継がれてきた、鬼の缶詰部屋であった。
今回会誌の発行に際し、私だけが原稿を未提出であるということで、半ば拉致され、こうしてこの缶詰部屋に放り込まれたという次第だ。
缶詰にするというのは文字どおりで、私はこの部屋でローストビーフ化して久しい。
日の出を拝んだ回数から、おそらく
閉じ込められて一週間は経っているはずだ。
スマートフォン類は取り上げられ、
壁掛け時計もカレンダーも外されたこの部屋で
私は順調に人間としての尊厳を忘れた。
ときたま差し入れ係が腐りかけの弁当を
いそいそと運び入れてくる以外は、話し相手もおらず、
あるのは傷だらけの家具類と、先輩諸氏が置いて行ったガラクタ類のみである。
人間の尊厳を忘れた私は、先輩の残したガラクタの中から、片目だけ墨の入った赤ダルマを発掘し「フルシチョフ」と名付けて、我が最良の友とした。
丸いし赤いし、ぴったりの名前である。
何より物を言わないのが気に入った。
私の周りの連中ときたら、
屁理屈をトリモチのようにこねくり回し、
人を煙に巻き、弱り弱った人心を
爬虫類のように舌で搦めとることを生き甲斐としている奴らばかりであった。
その点、フルシチョフは物も言わなければ
屁理屈や詭弁を弄することない
清廉な性格の持ち主であった。
真一文字に結ばれた口元は、愛嬌もあり、旧ソ連の本人も草葉の陰から満足げに微笑んでいるに違いない。
ダルマながら可愛い奴である。
私はフルシチョフを撫で回す時間を、
この熱射地獄の中での、唯一の癒しの時間とした。
そんな方法で無聊を慰めている一方で、
時間は容赦なく過ぎ去り、白紙の原稿は一向に埋まる気配もなかった。
私は夏休みの間にこの部屋を出られるのだろうか……
いやいや、それどころか私は
このままローストビーフ街道をひた走り、
悪趣味な健啖家が数多く所属する
『語り乞食』の闇鍋パーティーに
具材として参加する羽目になるかもしれない。
そんな心配が真実味を帯び、
フルシチョフを胸に抱きながら
震え上がっていたときのことである。
むさ苦しい四畳半に、半袖短パンの女神がやってきた。
「お疲れさん。元気してたー?」
スーパーのビニール袋片手に、どすどすと無作法に
敷居をまたいできたのは、他ならぬ『語り乞食』の部長、その人であった。
「乞食上等」と書き殴られた半袖Tシャツは
胸のあたりで大きく膨らみ、腰のあたりでストンと
くびれている。
この悩殺ボディにヤラレてしまった男性部員は
星の数ほど知っているが、想いが届いたという噂は皆無であった。
全員見事に玉砕し、夏の夜空を飾る流れ星となったのだろう。
ちなみに私もその星の一つである。
そんな悪魔的美貌を備えた彼女は
胸元も含め、全体的に色白で豊満な美女であり、
小野姓であることもあいまって、皆から「小町部長」と呼ばれて親しまれ…もとい、畏怖されていた。
「小町部長。これは軟禁です。犯罪ですよ。私は断固抗議する。訴訟も辞さない」
畳に寝転がり、フルシチョフを弄びながら私がいっても、小町部長はくすくすと一笑にふすのみであった
「別にいいけど、警察呼んでも状況的に、君がわたしを連れ込んだように見えそうだよね」
「そんなことはない。日本の警察は優秀だ。きっと私の証言を信用するはずです」
私が反駁すると、小町部長は豊満な胸元を強調するように、腕組みし、「うーん」とわざとらしく唸った。
「じゃあ、これならどう?」
やがて彼女は腕組みを解くと、
自ら来ていたTシャツを引き裂き始めた。
私は目を丸くしてフルシチョフを
抱きしめることしかできなかったが、
小町部長はそんな私をを尻目に、
臆することなく、そのアバンギャルドなファッションを完成させたのだった。
「警察が来たら、『この人に乱暴されてっ!』って言うわ」
およよ、と嘘くさい泣き真似をしながら、
小町部長は両腕で自分を搔き抱いてみせた。
「また無茶をする…」
呆れ声を発しながら、
私の視線は一点に注がれていた。
たわわな乳を隠すように押し当てられた指。
その指の隙間からは、ピンク色の
レース生地の下着がコンニチワしていたのである。
コンニチワされたからにはコンニチワし返さねば
男がすたるとばかりに私が首を伸ばすと、
返ってきたのは、小町部長の鉄拳制裁であった。
※※※
「何よ、全然進んでないじゃない」
鼻血を出して倒れている私のTシャツを
追い剥ぎのごとく奪い取ってから、
小町部長は追い討ちをかけるようにそう言った。
見上げると、彼女は私のTシャツに着替えながら、
ちゃぶ台の上の原稿に、目を落としているところだった。
殴られたせいで視界がぼやけているのが
なんとも無念ではあるが、仕方あるまい。
ぼんやりとし見えたピンク色だけを
脳裏に焼き付けておくことにする。
「こんな環境で進むわけがない」
私は目の裏に、小町部長の下着姿を再生するという
助平根性を爆発させながら、
口先だけは憮然を取り繕ってそう呟いた。
「あら、そう?文豪が温泉に逗留しているみたいでステキでしょ?」
「蒸し風呂には違いないが、そんな言葉遊びは無用です。私に書かせたいなら、クーラー完備の部屋を用意することだ」
「不貞腐れちゃて。こんな環境でもなきゃ、意地でも書かないくせに」
小町部長は、鈴を転がすような、くすぐったい声でコロコロ笑った。
「私はこんな場所で、夏休みを無に帰すつもりはありません。海で水着美女を侍らせ、山ガールと戯れ、川では彼女と釣りをする予定だったのです」
「大丈夫よ、安心なさい。君は逆立ちしてもそんな青春は送らないから」
それに、と彼女は付け足した。
「君、彼女いないじゃない」
キツいボディブローを食らった私は、
いよいよ立ち上がる気をなくし、
畳の上を転がるだけの妖怪と化すことに決めた。
その間も小町部長は、私がわずかながらに書き進めた分を検分し、軽く校正しているようだった。
「無駄ですよ。私はスランプなんだ。言葉も物語もでてこない」
「そうみたいね。この間までの生き生きとした文章が、今じゃ見る影もないもの」
酷評は覚悟していたが、いよいよ私は落ち込んだ。
第三者の目から見てもそうだとすれば、
私にはもう小説を書く力がないのかもしれない。
神童も成人すれば、ただの人になると聞く。
小説を書くのが好きな変人というだけの私が
成人すれば、残るのは偏屈な腐れ大学生だ。
「今の君は、ただの偏屈な腐れ大学生よ」
私の内心を盗み見たように、
小町部長は痛烈な言葉を浴びせかけてくる。
愛の鞭なのかもしれないが、
私には無用である。飴だけが欲しい。
「書くのを怖がってるのね。今までの君らしくもない。いいじゃない、誰がどう言ったって」
「完成させることに意味があるのよ。世に出すことに意味があるの。オリンピックと同じ」
「私はアスリートではありません」
「君にそんな根性がないのは、わたしが一番よく知ってる。今のはたとえ話」
「わたしに告白してきた時の君は、厚顔無恥の極みだった。あの時を思い出しなさい」
褒めてるのか貶してるのか、
酷い言われようである。
「その思い出は漬物にして、軒下にしまいました」
「捨ててないだけましね。もう一度取り出してみれば、美味しく仕上がってるわよ、きっと」
そんな軽口の応酬の最中、小町部長は腕時計を見るとため息をついた。
「もう行かなきゃ。また様子見にくるから。これ、差し入れね」
彼女が差し出したのは、特売のシールが貼られた弁当と、
昭和の香りを感じる、無骨な黒電話であった。
「これは?」
「母方の祖母の家に帰省したらね、蔵で見つけたの。いらないらしいから、この部屋用にもらってきた。中で行き倒れられても困るし」
「そんな心配をするなら、このはめ殺しを外すべきだ」
「そんなことしたら君、逃げるじゃない。これは最低限のホットラインよ。緊急の時は呼んでね」
そう言い残すと、小町部長は原稿の裏に、携帯番号らしい数字の羅列を走り書きして、去っていった。
「嵐のような人だ…」
図らずも彼女の番号を手にした私は、
純粋に喜びきれずに、そう呟くことしかできなかった。
小町部長の期待に応えて見るか、と奮起した私は
ちゃぶ台に向かい、筆をとる…までの努力はみせた。
あくまで、筆をとるまで、である。
その後は書きたいことも、書くべきことも見つからず、
彫像のごとく固まるのみであった。
小町部長は発破をかけにきてくれたのだろうが、
それは徒労に終わったらしい。
私の飴細工のごとき発奮は、
夏の日差しに負けて、ドロドロと
溶けていくばかりであった。
昼間にはフルシチョフと共に、彫像の真似事を。
黄昏時には、食事の準備をし、
夜には小町部長に想いを馳せる。
そんな生活が、その夏休みの間の私の主なサイクルとなった。
それ以外にしたことといえば、例の黒電話に電話線を繋げたくらいである。
もちろん、私なんぞに用のあるものなどおらず、
私自身も実家と小町部長以外の番号を知らないので、
その黒電話はせっかく埃だらけの
蔵から用立てられたのにも関わらず、
再び埃を被ることとなった。
小町部長に電話をかける度胸もないので、
このホットラインは、触れられることなく
すぐにガラクタの中の一つに紛れていったのだった。
※※※
異変に気付いたのは、それからしばらくしてのことだった。
いつものごとく、私はその日ちゃぶ台に向かい
フルシチョフを相手に睨めっこをしていた。
今日こそは原稿の完成を、と息巻いていた私だが
これまたいつも通りすぐに飽き、
こうして暇つぶしに精を出していたのだ。
小人閑居して不善を為す、とはいうが
私の場合は不善を為すだけの余裕も手段もなく
ダルマ相手に睨めっこ、などという
不毛の極みを実践していたわけだが、
さすがに長く続くはずもない。
「つまらんな。お前もだろう」
フルシチョフは黙りこくって
口を真一文字に結び、
顔を赤らめるなどして同意してくれた。
「こういうときに、私がしている遊びを教えてやろう」
私はフルシチョフを窓際に置いてやると、
一緒に表通りを見つめた。
「こうして夏場になると、色ボケのアベックがよく通るんだ。私はよく奴らにアテレコをして遊んでいる。楽しいぞ。お前もやるか?」
フルシチョフは沈黙を返答に代えた。
「よしよし。今に見ていろ。酷いアテレコをしてやる」
私たちは腕まくりして、共にアベックが通過するのを待った。
……待った。
……………待った。
待ったのだが、一向に誰も通らない。
ネズミ一匹さえ、通りを横切る気配がない。
いよいよおかしい、と思い始めた私は
フルシチョフと顔を見合わせた。
彼も目を白黒させている。(というより、元々片目しか入ってないわけだが)
「フルシチョフよ。私は少し前から、気になっていることがある」
私は視線を夏空にあげ、言葉を続ける。「何故、夜が来ないのだ?」
時計もカレンダーもない非文明圏に閉じ込められ、まず最初に発達したのが体内時計だった。
朝昼晩と、日に三回きっちり腹が減り、
夜もふける頃には眠くなる。
この四畳半のガラクタジャングルで、
私の中の生存本能が目覚めたのだろう。
おかげで、私は軟禁生活が始まってこの方、
健康そのもので過ごすことができていた。
今回、異変に気づくことができたのも、
そのおかげである。
私のライフラインたる差し入れが
パタリと途絶えてから幾星霜。
腹の虫も耐えかねて、
ずいぶん前からぎゅるりぎゅるりと
抗議の叫びをあげていた。
そして私の体感では2日は夜が来ていない。
眠気を押して起きているが、
本来ならこの時間は深夜をとうに
過ぎているはずだった。
我が国で白夜が観測された、などという話は
私は寡聞にして知らない。
私の体内時計が正しければ、
今のこの状況は明らかに
自然の摂理に反していることになる。
「外の様子を確認せねば」
このままこの四畳半で餓死、
などというのは全く笑えない。
私はガラクタの中からおんぶ紐を見つけだすと、
背中にフルシチョフを巻きつけた。
外に出ることを決意したはいいが、
一つ問題がある。
玄関のドアである。
外の忌々しいソファをどかさねばならないが、
体当たりでもして、ずらすしかない。
近隣住民には申し訳ないが、
仕方あるまい。
私は2時間ドラマの刑事もかくや、
というほどの堂に入った体当たりをドアにかました。
何度目かの衝撃で、ドアは派手な音を立てて開いた。
慣性に弄ばれた私は、外の鉄柵に激突してしまった。
いたた、と肩を撫でながら立ち上がる。
それにしても、嫌に静かだった。
空を見上げても鳥の一羽も羽ばたいていない。
あれだけ派手に暴れたのに、
こちらを咎めに来る住民や大家もいない。
妙だった。
夏空を彩る豊かな入道雲も、
一切動くことなく、その場にとどまっている。
まるで時間が寒天のように固まり、
その中で私だけがふわふわと
泳いでいるような感覚に落ちいった。
他の場所も確かめなかればなるまい。
私はフルシチョフと共に、街を散策することに決めた。
「時計が止まっている…」
表通りを歩いても、一人ともすれ違わなかった。
それも不気味ではあるが、私をそれ以上に
震撼させたのは街中、ありとあらゆる時計が
すべて同じ時刻でぴたりと止まっているという事実だった。
「SF世界にでも迷い込んだのか、私は」
私の独白に答えるものはおらず、
その呟きは蝉がパタリと鳴き止んだ
夏空に吸い込まれていった。
続く