龍神の導きの儘に
夜の闇を、赤い閃光が貫いた。
「……ついに来たか」
城の最奥、金銀の宝飾で飾り立てられた祭壇に、真紅の勾玉が祀られている。
その勾玉を前にして、楊栄は思わず唸った。祭壇に据えられた二つの御灯の狭間で、勾玉は光を放っている。普段は血塊の如く濁っているそれが、今は透き通って美しく煌めき、祭壇の間を仄赤く染め上げているのである。
瓏国の都は、物々しい空気に包まれていた。戦時でもないのに城は兵で溢れ、彼らはこの真夜中に、慌ただしく城中を走り回っている。
理由は先刻、彼らの頭上を飛翔していった赤光にあった。楊栄は代々国に伝わる宝剣に手を置き、黙して神決のときを待つ。するとついに、鎧を鳴らして殿廊より駆け込んでくる者があった。
「陛下。龍呼石の光は郊外へと向かったようです」
祭壇の間のあちこちから、祭官たちのため息が聞こえた。官服の袖を揺らし、衣擦れの音を立てながら、神事を司る文臣たちは胸を撫で下ろしているようだ。
楊栄は背中でその気配を感じ取った。何しろこの城には、齢十になったばかりの幼姫がいる。彼らが彼女を取られることを恐れていたのは、楊栄も知っていた。そして己もまた、光の向かった先が城の中ではないと知って少なからず安堵している――身勝手な話だ。国父という立場にありながら、自らの娘を国の礎とすることを拒み、ひとりの親として歓ぶなどと。
「……馬を曳け。龍光を追う」
「はっ」
ゆえに殊更感情を押し殺した声で、楊栄は命じた。光の行方を知らせに来た兵がすぐさま身を翻し、祭壇の間を飛び出していくのが分かる。
間を置かず、背後に控えていた祭官たちが、細波のような動きで楊栄の傍に集まった。彼らは古より続く儀式に則り、立ち尽くす楊栄の体へ清めの水を振りかけると、やがて祭壇に祀られた勾玉を三方ごと、左右から捧げ持つ。
「我ら、龍神の民。其の血によりて繁栄を謳い、其の実によりて太平を紡ぎ、遥けし我らが父祖の地を、常に守り奉らん」
祝詞と共に、勾玉が年嵩の祭官長へ差し出された。緋い衣によく映える、真白い髭を生やした老臣は心得顔で、折敷から勾玉を掬い取る。
左手に巻かれた金の紐をゆっくりほどき、端を勾玉の穴へ落として、祭官長は即席の首飾りを作り上げた。それを恭しく楊栄の首へ回し、さらなる祈りの言葉を口にする。
金糸で糾われた縒紐が、うなじのあたりで結ばれた。楊栄の胸元では勾玉が未だ淡く輝き、弥が上にも、瓏王たる者の責務の重さを諭されている気分になる。
「龍神の導きの儘に」
そんな楊栄の心中を知ってか知らずか、一列に並んだ祭官たちが揃って拱手し、一礼した。覚悟を決めた楊栄も頷き、辞儀をする。
だが楊栄が頭を垂れたのは、臣下たる祭官たちに――ではなかった。彼らの背後、壁際に高く聳える龍神の祭壇に、一国の長として畏怖と敬意を表したのだ。
「では行こう」
楊栄は祭殿をあとにした。控えの間にいた従者を引き連れ、正門を出ると、既に支度を終えた近衛軍が胸を張って整列している。
曳かれてきた愛馬の手綱を受け取り、楊栄は馬上の人となった。行き先は胸元の龍呼石が示してくれる。場合によっては、少し長い旅になるかもしれない。
「出発」
門前に並んだ兵たちを見渡して、楊栄は叫んだ。
応、と勇ましく、天に冲する唱和が返る。
楊栄は祈りながら馬腹を蹴った。
どうか我らの道行きに、龍神の加護があらんことを。