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第4話

 つまり、ラプンツェラとエドワール王子は、互いに腹違いの兄妹とは知らずに愛しあっていたわけですが、結局エドワール王子は何も真実をお知りにならないまま、二十九歳という若さでお亡くなりになりました。おそらく原因は過労がたたってのことではないかと思われますが、王子はラプンツェラと愛欲に耽っているその最中に心臓発作を起こされたのでした。

 このことは王家にとって大変な醜聞スキャンダルでしたから、侍医から報告を受けたリュミエールは、ブライエンバッハ王にさえ嘘をつきました。エドワール王子は裏の森の塔で星の動きを観測なさっている時に、心臓発作を起こされて亡くなったのだと――王も王妃も非常に嘆かれましたが、この時セシリアさまのお腹にはエドワール王子との間に宿った子がありましたから、この子がどうか男の子でありますようにと、周囲の人間はみなセシリアさまにすべての期待をかけました。けれども初めてのお産である上に、まわりからあまりにも期待をかけられたことがプレッシャーとなったためでしょうか、セシリアさまが早産で子をお産みになった時――その子は息をしておりませんでした。セシリアさまの乳母も老侍医も言葉もありませんでしたが、その時ある名案が、侍医の頭に浮かんだのです。

 実はラプンツェラもまた、この半月ほど前にエドワール王子の子を出産していたのです。そこでこの老侍医はセシリアさまの死んだ赤ん坊とラプンツェラが生んだ男の子をすり替えることを思いついたのでした。もちろんそのようなことは、彼ひとりの独断で決められるようなことではありませんから、この侍医は枢機卿のリュミエールにまずは相談しにいきました。

 すると彼はすぐに、そうする以外に道はなかろうと老侍医に言い、「よくよく考えてみれば、これほど正統な王位継承者もいないのだから」

 と、立派な顎鬚をしごきながら、神に感謝さえしていたのです。何故なら、これでもし王権がブライエンバッハ王の弟の手に渡るということにでもなれば――彼が失脚せざるをえないのは、当時の政治的情勢から見て、まず疑いようのないことだったからです。

 ラプンツェラは突然なんの説明もなく自分の子供を奪われて、その時以降少しノイローゼ気味になってしまいました。彼女の子をセシリアさまの子としたことは、彼女自身と彼女の乳母、そして老侍医と枢機卿リュミエールしか知らないことでしたので、当然ながら周囲の人間は――広い意味ではエスカルド王国の全国民を含めて――この世継ぎとなる男の子の誕生を非常に喜びました。

 しかしながら、いくら国家のためとはいえ、セシリアさまとしては心中、複雑なものがあったに違いありません。何しろエドワール王子は初めて娼館でラプンツェラと出会ったその日から、セシリアさまにはもうなんの関心も抱いておられませんでしたし、彼女自身にもそのことがよくわかっていたからです。それでも結婚五年目にしてようやく子を授かった時、自分がどんなに嬉しかったか――セシリアさまは揺り籠の中に眠る丸々と太った元気な男の赤ちゃんを見るたびに、自分でもどうすることもできないどす黒い嫉妬の念にかられました。

 セシリアさまは子供の養育はすべて乳母まかせにすると、自分は一月に百着もドレスを新調したり、王宮御用達の商人から宝石を買い漁ったりしては国のお金を散財するようになっていきましたが、それを止めることはもはや誰にもできないことでした。

 一方、ラプンツェラはエドワール王子を失った悲しみに加えて、子供まで奪われてしまい、すっかり生きる希望をなくしてしまいました。時々、塔のバルコニーから身を投げて死んでしまえたらどんなにいいかとさえ思う日々でした。けれどもエドワール王子が雇った手話の先生が――『希望はある、君の心の中に』と言った時から、ラプンツェラは少しずつ彼の話す言葉に生き甲斐を見出していくようになります。それまでラプンツェラはお勉強なんて大嫌いだったのですが、愛する存在をふたりも失い、ぽっかりと空いた心の穴に突如として次から次へと言葉が湧きでるようになってきたのです。

 そしてその数か月後には、ラプンツェラは普通の人が話すのと同じように手で話をすることができるようになりましたし、さらにはまだ文法などは不完全でしたが、紙の上に短い文章を書いて表すこともできるようになりました。

「これは、奇跡だ」

 以前聾唖学校で教えていたこともあるリシャール先生は、ラプンツェラの上達ぶりにすっかり舌を巻いてしまいました。ある意味で彼女は彼がこれまで教えたことのあるどんな生徒よりも優秀だったといってよいかもしれません。そしてふたりの間には仄かに、教師と生徒を越えた愛が芽生えはじめていたのですが――塔を警護している番兵ふたりには、そのことが非常に面白くありませんでした。彼らはバルコニーから時々、リシャール先生の愉快な笑い声や、彼が楽しそうにラプンツェラのことを教えている話声を聞いて、先生に嫉妬を覚えていたのです。

 ふたりはある時リシャール先生が森の道を戻っていくその後ろ姿をつけると、示し合わせて彼のことを槍で刺し殺してしまいました。そしていつかの密偵の時と同じく、彼の死体を湖に捨てたのです。

 何しろ、ラプンツェラが森にある石の塔で暮らしているということは、国家機密にも等しいことでしたから、リュミエールといえどもこのふたりを罪に問えなかったのです。むしろそのくらいこの番兵ふたりがラプンツェラのことを護衛する意識に燃えているのなら――警護兵を新たに増やすよりも王女の身は安全に守られるに違いありませんでした。そうなのです。いまや、ラプンツェラはエスカルド王国の王女にして、今は亡きエドワール王子の妃であるだけでなく、さらにゆくゆくは王母ともなられる方でした。

 枢機卿リュミエールはただの一度だけ、この数奇な運命の、気の毒な口の聞けぬ娘に会いにいったことがありますが、その時彼がラプンツェラから受けた印象は次のようなものでした。

<波打つ金の髪に、深く澄んだ青い瞳、大理石のように肌目の細かい肌……確かに彼女は美しかった。これまでエドワール王子をはじめ、多くの男たちが魅了されただけの値打ちはあると思った。だがしかし、器量はいいが少々おつむのほうは足りないらしく、わたしが石の塔で会った時、彼女は何やら訳のわからぬ言葉をハミングするばかりだった。「ブウーン。ブブブ、ブウーン」……どのような美しさも、あのように知力が低いのでは無意味ではないかと、わたしにはそのように思われる>

 実をいうと、その時ラプンツェラは生まれて一月にもならない赤ん坊を奪われたばかりの時でしたので、少し神経のほうが参ってしまい、非常な鬱状態にあったのでした。老侍医のルジェールもまた、毎日のようにラプンツェラを見舞っては、少しでも彼女が元気になるようにと気を遣いました。つまり、塔にやってくるまでの道の途中で花を摘んできてはラプンツェラの部屋に飾ったり、高価な絵本を持ってきては彼女の目が絵を楽しむようにしたのでした。

 リシャール先生亡きあと、ラプンツェラの元にはもう誰も言葉を教えにくる先生はありませんでしたが、侍医のルジェールはある時、彼女が「ブウーン。ブブブ、ブウーン」と、手を羽根のように広げて飛ぶ真似をするのを見て、枢機卿リュミエールとは違い、非常な興味を覚えました。何故ならラプンツェラは部屋に一匹いた蝿を見て、その飛ぶ真似をしていたのですから……。

(もしやこの娘は、耳は聞こえぬが蝿の羽音の振動を理解しているのだろうか?)

 その頃にはラプンツェラは、リシャール先生の熱心な指導のお陰で、石板や紙に書いた文字を理解できるようになっていましたから、ルジェール医師とも言葉を交わすことができるようになっていました。

『ラプンツェラ、君が今口にしているのはなんのことなんだい?』

 石板に石筆でルジェール先生がそう訊ねますと、ラプンツェラは布でその文字を消し、すぐに答えを書きこみました。

『ハエよ、せんせえ。このまえせんせえくれたほん、ラプンツェラ、よんだ』

 ラプンツェラはルジェール先生がくれた絵本をぱらぱらめくると、そこに描かれた一匹のハエの姿を指さしました。本の表紙には「昆虫の本」とタイトルが書かれています。

『なるほど』

 そう石板に書いてラプンツェラに見せると、ルジェール医師はしばしの間考えこみました。ラプンツェラがほんの短い間に手話をマスターし、文字まで理解して文章を綴れるようになったことを考えると――もしかしたら、彼女はもともとは非常に頭のよい女性なのではないかという気がしてきたのです。何しろ元は王家の血筋を引いている方ですし、彼女の夭折した双子の妹のカミーユ王女は才媛として誉れ高い方でした。もしラプンツェラが幼少の頃より聾唖学校へ通うなりして正式な訓練を受けていれば、今以上にもっと色々なことに興味を持って積極的に取り組んでいたのではないか……ルジェール医師はそう考えると、この今は亡きエドワール王子の愛人であり、また彼の腹違いの妹、本来なら王女として何不自由なく暮らせる保証のあったラプンツェラのことを、あらためて不憫に感じました。

 そこでルジェール先生は枢機卿のリュミエールに、ラプンツェラに今度は女の先生をつけてはどうかと打診しました。ところがこの枢機卿、実は大の女嫌いでしたので「女は口が軽くて信用できない」と、そのように繰り返すばかりでまるで話になりませんでした。

「ルジェール先生、よく考えてみてくれたまえ。事は国家の重大事なのだよ。彼女がどこの誰で、本当は何者なのか――そのことがもし知れ渡ったら、ラプンツェラには死んでもらわなくてはならなくなる。確かに石の塔に閉じこめられっぱなしで、不自由なことだろう。それはよくわかる。だがそれでも、死ぬよりは遥かによいではないか。よしんば彼女の正体が女教師の口からどこかに洩れようものなら、先生はいかがなさるおつもりか?その時にはあなた自身の手で、仮にも一国の王女であり、王母ともなろう方に直接手を下す覚悟があるとでもいうのなら、わたしも了承してもよいが」

 流石にそこまで言われてしまっては、ルジェール先生もラプンツェラに女性の教師をつけるのを断念せざるをえませんでした。ただそのかわり、時間の許すかぎりラプンツェラに自分が勉強を教える許可を枢機卿からとりつけると、先生は城下町の古書店で彼女のための教材を買い漁ったのでした。

 こうして、リシャール先生の教師としての仕事をルジェール医師が引き継ぎ、ラプンツェラは真綿が水を吸収するように次から次へと知識を身に着けてゆきました。一日中、塔の外に出ることが許されぬ身の彼女としては、他に何かすることがあるわけでもありませんでしたし、何よりラプンツェラは先生がくださった豪華な本の内容を早く理解したくてたまらなかったのでした。

ところで、ラプンツェラの塔の護衛をしている番兵Aと番兵Bですが、彼らはルジェール医師がいかに長く塔の五階で時間を過ごそうと、まったく嫉妬などしませんでした。何故ならルジェール医師は七十過ぎの少し耳の遠い老いぼれた爺いであり、リシャール先生のようにハンサムでもなければ優越感に満ちた顔で「フフン」と鼻で笑ったりすることもなかったからです。

 それでも、ルジェール先生は七十過ぎの老いた身とはいえ――ラプンツェラに会っている間は自分が二十も三十も若返ったような気がしていましたし、時々彼女が診察のために胸元を開くのを見ては、次第にラプンツェラに抑えがたいある欲求を覚えるようになっていきました。年甲斐もなく恥かしいとは自分でも本当にそう思いましたし、妻の顔や息子や娘の顔、また幼い孫の顔などを思い浮かべようともするのですが、結局彼はラプンツェラに対して邪で淫らな思いを抱いた時に――脳溢血で倒れて亡くなったのでした。

 誰もルジェール先生がラプンツェラの豊かな胸に興奮したあまり倒れたなどとは知りませんでしたし、みな先生が亡くなったのは高齢のためであると信じて疑いもしませんでした。枢機卿リュミエールはルジェール医師が倒れたあと、ラプンツェラの元には誰もいかせませんでしたし、彼女はリシャール先生とルジェール先生から受けた教えをひとりでおさらいしては、今度は独学で色々なことを勉強する他はなかったのでした。



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