第2話
ラプンツェラが娼館『インマゼールの館』で働くことになって、一番最初にしなくてはならなかったのは、肖像画のモデルになるということでした。インマゼールの館の一階廊下にはイレーヌやラシーヌ、また他に十数名いる高級娼婦たちの、あたかも貴婦人であるかのような大きな肖像画がかかっています。娼館へ遊びにきた男たちはみな、この肖像画を見てその夜誰と戯れたいかを決めるのでした。
城下町の三文画家シャハムは、化粧をして髪を結い、きらびやかな絹のドレスに身を包んだラプンツェラを見ると、いつも以上に創作意欲に燃えて、彼女の肖像画にとりかかりました。ところが彼は美の女神の顕現に酔い痴れるあまり、いつまでたってもその肖像画を完成させようとしなかったので――業を煮やしたマルテは、彼女の目にはほとんど完成したように見えるラプンツェラの肖像画をイーゼルからとり上げ、シャハムに金を払うと彼をさっさと店の外へ追いだしたのでした。
マルテはラプンツェラの絵を一階の応接間の奥の小部屋に飾り、客の中でも特別に裕福な男だけにそれを見せるつもりでした。他の娼館では実際の娼婦が肖像画よりも不細工だったりするのはよくあることでしたが、ここ、『インマゼールの館』は違います。マルテは日頃から娼婦たちの面倒をよく見ていて、彼女たちの栄養状態や精神状態などを小まめにチェックしていました。そして客が決してがっかりして帰ることがないように、自分の娘ともいえる娼婦たちに色々なアドヴァイスをしたり、様々な美容法を施してあげたりしていました。
娼婦たちはみなマルテのことを「ママ」と呼んでいますが、確かに彼女は娼婦たちのお母さんともいえる存在だったと思います。ラプンツェラもまた娼婦たちの口の動きを読みとって、そのうちにマルテのことを「ママ」と呼ぶようにさえなりました。最初にあんまりいやらしいことをされたのでラプンツェラはびっくりしたのですが、それでも養父の時とは違い、ラプンツェラはすぐに彼女たちのことを強く信頼するようになったのでした。そしてマルテや他の娼婦たちもラプンツェラのことを愛していました。ラプンツェラは料理の仕度や掃除、洗濯、裁縫など、誰にやれと言われたのでもないのに自ら進んでなんでもやりましたし、そんなせいもあってか、誰もラプンツェラが飛び抜けて美しいからといって、醜い嫉妬心を起こす者はいませんでした。そのかわり、ラプンツェラの美しい雪のように白い肌に手を伸ばしては、彼女の肉体を愛撫しようとする娼婦は何人かいたのですが。
マルテはラプンツェラが娼婦のみなに好かれ、小間使いのように家事仕事をこなしてくれるのを見るにつけ、この娘のことは店に出さずにおこうかとも思ったのですが、エドワール王子がお忍びでやってきた時に――やはりこっそり応接間の奥の部屋に王子さまをお通しし、美しいラプンツェラの肖像画を見せてしまいました。当然のことながらエドワール王子は一目でラプンツェラのことが気に入ってしまい、是非今宵自分の戯れの相手になって欲しいと、興奮してマルテに頼みこみました。
「まあ、エドワールさま。お気に召していただけて嬉しゅうございますわ。ラプンツェラは二階のアイリスの間におりますので、どうか一晩ごゆるりとお楽しみになってくださいませ」
マルテは扇子の内側でほくそ笑みながら、先に立ってエドワール王子のことを二階のアイリスの間へと案内し、少しの間ドアの外で王子に待っていてもらいました。そして伯爵令嬢のようにきらびやかに着飾ったラプンツェラに、相手はさる高貴な御身分のお方なのだから、失礼のないようにと耳元に囁いてキスをひとつしました。もちろん、ラプンツェラは耳が聞こえませんから、マルテが何を言ったのか、その意味はさっぱり理解できません。でも時々、ママがローズの間やヒヤシンスの間、スミレの間などに男の人を通している姿を見ておりましたので――自分もその男の人を相手に何かをしなくてはいけないのだとは漠然と感じていました。
マルテはラプンツェラの耳が聞こえないことはエドワール王子にとっくに説明ずみでしたし、彼女は彼に「大人しい、いい子ですから、どうか優しくしてあげてくださいまし」と、アイリスの間に入っていこうとする王子に、最後にそっと耳打ちしただけでした。
「わかっているとも」
エドワール王子の目にはもはや、娼館の女主人マルテのことなどまるで目に入ってなどおりません。ただ欲望のままにラプンツェラのことを我がものとし、美しいドレスの下の肉体に耽溺したいということしか頭にありませんでした。もちろん、王子はそんなぎらついた欲望を人前で見せるほど慎みのない方ではありませんでしたし、彼は宮廷で婦人と接する時と同じく、<高級>娼婦のラプンツェラに優しく話しかけました。彼女の耳が聞こえないということはもちろんわかっているのですが、それでもやはり部屋に入った時には「初めまして」と挨拶し、それからラプンツェラの手をとりその上に接吻いたしました。
ラプンツェラは部屋に入ってきた男性が若く、そしてとても魅力的な方であることに驚き、すっかりまごついてしまいました。いつも他の娼婦たちの部屋に入っていくのは大抵――中年くらいの身なりのいい方ばかりだったからでした。もちろん時々お若い方もいらっしゃいましたが、今自分の目の前にいる男性のようにハンサムな人を見たのはこれが初めてだと、ラプンツェラはそう思いました。
「ラプンツェラちゃん。君の手はほっそりとしていて、まるで白いバラの花のようだね」
そう言うと王子はラプンツェラの手の指の一本一本にいやらしく口接けしてゆきました。右の五本の指が終わると次は左の指、そしてその間にも彼の手は巧みに動いて、ラプンツェラのドレスの背中のボタンを外しています。王子さまは明らかにこの手の行為にお慣れになっていらっしゃるらしく、指にキスをしただけで恥かしそうに顔を赤らめ、震えてさえいるラプンツェラのことをとても愛らしくお感じになっていらっしゃるようでした。
「君はまるで、小鳥のように愛らしいんだね、ラプンツェラちゃん。指にキスをしただけでこんなに震えてしまうだなんて……」
レース飾りやリボン飾りをふんだんにあしらい、裾にフリルのある薄緑色の絹のドレスを丁寧に脱がせると、王子はラプンツェラの足から繻子の靴も脱がせ、今度は足の指の一本一本に口接けてゆきました。そして天蓋つきのふかふかしたベッドの上でラプンツェラの下着を一枚一枚脱がせると、彼の妃であるセシリアさまには決してなさったことのない――破廉恥な行為の数々をラプンツェラを相手になさったのでした。
そうなのです。この時、エドワールさまは二十七歳で、すでにセイラムネイト王国から娶った妃、セシリアさまがいらっしゃったのです。けれどもいつもベッドの脇に従者が控えていて、ふたりの性生活を監視しているせいか、エドワールさまとセシリアさまの夜のご生活のほうはあまりしっくりいっていませんでした。おふたりの間にはまだ子供が誕生しておりませんでしたので、従者めは何月何日に夫婦が性の交わりをし、それが何時間、あるいは何分続いたかという記録をとっているのでありました。このことはエスカルド王国の伝統のようなもので、王の妃が決して他の男と浮気をせず、間違いなく王さまの子を身ごもったということを証明するためにずっと続いている、悪しき慣習のようなものだったのです。
それはそうと、エドワール王子はラプンツェラの肉体を自分の欲しいままに弄ぶと、すっかり彼女が気に入ってしまい、手放したくなくなってしまいました。そこで、すうすうという可愛らしい寝息を洩らしているラプンツェラの額にキスをひとつすると、下着やシャツ、ベストやズボン、ラシャのジャケットに着替え、マルテがちょうど帳簿をつけている部屋へと彼は入っていきました。
「マルテ、実はおまえに折り入って大切な話がある。わたしのたっての願いと思い、どうか断らないでほしい」
「わたくしにできることなら、なんなりと」
マルテは鼈甲縁の眼鏡を外すと、エドワール王子に椅子を勧めました。けれども王子は「いや、このままで」と言い、なんとも落ち着かなげにビロードの絨毯の上を歩きまわっています。
「わたしは――すっかりあの娘のことが気に入ってしまった。そこで彼女の身を買いとって、自分だけのものにしたく思う。そのようなことは可能であろうか?」
「エドワールさま。それは結構なお考えでございますが、あの娘はお高うございますよ。いえ、お金の問題ではないと言っても過言ではありません。ラプンツェラは実際、お金以上に価値のある娘なのです。ラプンツェラは娼婦のみなに好かれておりますし、何より彼女たちの精神的な支えにさえなっているんです……正直なところを申しまして、わたくしもできることならあの娘を手放したくありません。ですが、エドワールさまがどうしてもとおっしゃるのであれば……ラプンツェラにとってもそのほうが幸せかと思いますので、親が娘の幸せを願うのと同じ気持ちから、あなたさまにお売りしたく考えますけれど」
「ふむ、よろしい」
エドワール王子はこれまで結構な金額をマルテに支払っておりましたので、彼女のことを内心(大したやり手婆だ)と思っていたのですが、今の言葉を聞いてマルテのことを少し見直しました。そこでジャケットの内ポケットから小切手帖をとりだすと、そこに好きな金額を書くように言ったのでした。マルテはなんのためらいもなく持っていた羽根ペンでそこにさらさらと金額を書きこみ、「いかが?」というように王子のことを見返しました。
「百万クラウンか。まあ、いいだろう。あの娘には実際、そのくらいの値打ちがある。ただ、商談が成立したのはいいが、わたしにも彼女を迎えるためにそれなりの準備というものがあるのでな。それまでは決してラプンツェラに他の客をとらせないでほしい。言うまでもないことだとは思うが」
「もちろんでございますとも、エドワールさま」
やり手婆マルテ・インマゼールはにっこりと微笑み、五十を過ぎてもいまだ容色衰えぬ美しい顔を、エドワール王子に向けたのでした。
<<続く……。