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時をこえる少女  作者: 釋臣翔流
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第8章 電撃の恋:二〇一五年八月

「ペンタゴンの中は制服の軍人も多いから、制服姿だと溶け込みやすいかもしれませんね」

 フォローするようでいながら、そう言う蒲田の目は黒縁眼鏡の奥でニヤついていた。学校の制服姿の瞳は憮然とした表情を浮かべながら、減速する電車の中で足を踏ん張っていた。

「そうそう、アメリカ軍の新しい制服って思われるかも」翔太もからかいの手を入れる。

「仕方ないじゃない!」瞳は頬を膨らませて言い返した。「ガイドブックにはペンタゴンでは華美な服は避けろって書いてあったの! フォーマルな服なんて制服しかないじゃない!」

 真人と瞳、翔太の松ノ木高校映画部の三人と、鷺沼、そして鷺沼が連れてきた「信頼できるデジタル映像の魔術師」である映像技術者の蒲田の五人は、ワシントンのブルーラインの地下鉄に乗ってペンタゴンに向かうところだった。真人や翔太は普段着なのだが、瞳は何を勘違いしたのか、松ノ木高校のブレザーの制服姿で現れ、途中の電車の中でそれを真人や翔太に執拗にからかわれていた。鷺沼もニヤニヤしながら瞳の反応を見ていたが、電車が止まると真面目な表情に変わり、「ここだ」と言った。一行が電車を降りると、そこはただでさえ薄暗いワシントンの地下鉄のなかでもひときわ薄暗い駅だった。

「ここがペンタゴン?」制服姿の瞳が「異次元に迷い込んだ女子高生」といった風情で呟く。

「駅の名前もペンタゴンというそうだ。この上に本当のペンタゴンがあるんだろう」

 鷺沼はそう言うと、エスカレーターの方に進んだ。一行が一階上のプラットフォームに移動すると改札があり、その奥の方に地上に通ずる階段が見える。五人は、ペンタゴンに向かう職員と思しき人々の流れに従って改札を通り、出口階段の方に歩いて行った。一旦通勤者の群れを遣り過ごしてから出口階段を上ると、地下鉄構内が暗かった分外は明るく感じられた。ただ、地下鉄出口を広く覆う天蓋があり、直射日光は当たらなかった。

「階段を上り切ったところにあるセキュリティーゲート」が待ち合わせの場所で、出口の左手にすぐにそれと分かるゲートがあった。先ほどの人の群れはもうどこかに消えてしまっていて、周囲は閑散としている。一行が辺りを見回していると、ゲートのガードマンの隣にいた、きりっとした紺の制服に身を包んだ年配の白人の軍人が近付いてきた。

「ケンジ?」軍人はこちらを窺うようにして鷺沼の名前を口にした。銀縁の眼鏡の奥には知的で柔和な瞳が光っている。鷺沼は不意に声を掛けられて一瞬不審気な表情を見せたが、やがて目の前の人物が心の中の昔の記憶と一致したのか、破顔して大きく手を広げた。

「ハイ、クリス!」「ケンジ!」

 軍人と鷺沼はそう叫んでお互いに歩み寄ると、真人や瞳が驚くくらい大袈裟な欧米式の大きなハグをして英語で何か大声で話し始めた。

「何て言ってんの? 瞳さん」英語がからきしダメな翔太が、瞳をさん付けで呼んで尋ねた。瞳は英語の勉強には熱心で、アメリカの映画を観る時は常に英語のみで観て耳を鍛えている。

「『ロサンゼルスで会って以来だね』とか『何してた?』とか、そんなこと言っている」

 瞳は少し得意そうに真人と翔太に解説してみせた。クリスと呼ばれた軍人と鷺沼は漸く身を離したが、尚も旧交を確かめ合うようにお互い両手で固い握手をしている。クリスの三メートルほど後ろには違う種類の制服を着た警備の軍人が立っていて、親し気に話し合うクリスと鷺沼に事務的な顔を向けていた。その軍人の更に後ろには柵の通路が続き、左手のプレハブのような建物に繋がっていた。真人とクリスは漸く邂逅儀式を終えると真人ら四人に向き直った。

「こちらが、例のWAKOのファン達?」

 クリスは簡単なゆっくりとした英語で鷺沼に尋ねた。真人は、クリスが英語で発音した「WAKO」というのが一瞬何を意味するのか分からなかったが、瞳はそれが吉山和子のことであることが直ぐに分かったようで、自分から握手の手を差し伸べ英語で自己紹介した。

「初めまして。海野瞳といいます。鷺沼さんのご紹介で吉山和子の映像を確認しに来ました」

 クリスは瞳の制服姿が珍しいのか、興味深そうに眺めたあと握手に応えたが、やがて微笑んで「どうも。私はクリス・ラスクです。ようこそペンタゴンへ」ときれいな日本語で応じた。

「何だ、日本語できるんですね」

 逆に瞳がクリスの日本語に驚き、英語を使うんだと意気込んでいた勢いを少し削がれたようだった。真人や翔太はやや安心して、それぞれ日本語の挨拶をする。

「日本語上手くなったじゃないか。あの時はまだまだだったのにな」

 クリスと高校生三人との挨拶を見て、鷺沼が日本語でクリスに話し掛けた。

「私はWAKOの音声プログラムも開発していました。日本語できないと務まりませんから」

 クリスはやはり日本語で応じる。鷺沼は最後に蒲田をクリスに紹介した。

「こちらは蒲田進君。僕とは二十年来の友人だ。日本で映像関連の技術者をしていて、デジタル映像のプロ中のプロだ。CG分野では、日本で彼の右に出る者はそうそういない」

 蒲田は四十歳程度の太目の小男で、クリスの前に立つとまるで子供のように見えた。クリスは、鷺沼の紹介を聞くとニッコリして手を差し出し、蒲田と挨拶と握手を交わした。

「この蒲田君は、何より口が堅いのがいい。少なくとも今回の話にピッタリだろ?」

 鷺沼が念を押すようにクリスにそう言うと、クリスは意味ありげに頷いた。

「ペンタゴンはどちらなんですか?」自己紹介が終わると、物怖じしない瞳が英語でクリスに尋ねた。地下鉄の入り口からセキュリティーゲートが続く所まで天蓋があって見通しが悪く、「世界最大のオフィスビル」と言われているペンタゴンの威容はここからは窺えなかった。

「ではご案内します。実は映写室の予定時刻が変わったので急がなくてはならないのです」

 クリスは微笑みながらそう言うと、警備の軍人に会釈をして真人たちをゲートの通路に案内した。左手のプレハブの建物まで歩き、そこのドアを開けて一行を招き入れる。

「ここはセキュリティチェックです。空港と同じチェックと思って下さい」

 中は狭い空間に金属探知機が三つほど並び、空港同様のIDチェックと保安検査が行われていた。訪問者の列の先には簡単な受付があり、彫の深い軍服姿の職員がグループ毎に訪問アポイントメントの事前登録有無とIDチェックを行っている。真人らの順番が来てパスポートを出すと、職員は手元のリストと照合をし、クリスと二言、三言言葉を交わしたあと、「OK」とだけ言ってパスポートを五人に返却し、次のX線検査に進むよう手で合図した。

 検査後、一行は奥のドアから一旦そのプレハブを出た。右手には空の見える大きな空間が広がる一方、左側はペンタゴンの建物のようだったが、間近過ぎてそれがどれだけ巨大なのか見当が付かなかった。少し先まで歩くと入り口があり、一行はクリスを先頭にして中に入った。

「ここでもう一度入館登録をしてもらいます」とクリスは言った。左の方に進むと右手に売店のようなものがあり、その奥に薄暗い広いホールがあった。向かって左手の壁側に大きな受付があって、普段着からスーツ姿、軍服姿までまちまちの格好の男女が順番を待っており、真人たちも列に並んだ。ホールに並んだソファーには、見るからに観光客のような一群が楽しそうにしている。真人たちが不思議そうに彼らを見詰めていると、クリスが気付いて解説した。

「ペンタゴンは一般向け見学ツアーを行っています。彼らはツアーの参加者です」

「へぇー、ペンタゴンって本当に一般向けツアーやってるんだね。911で飛行機が突っ込んだっていうのにね」瞳が感心するように声を上げた。

 真人たちの順番が来ると、ここでもクリスが事前にちゃんと手配していてくれたのか、パスポートをチェックして受付は終了し、撮影禁止などの注意書きと共に入館証が手渡された。

「瞳だけどっかの職員みたいだな」

 入館証を首から下げながら、翔太がまた瞳の制服姿をからかい、瞳が頬を膨らませた。

「瞳さん、でしたっけ? いいんですよ、制服姿だと丁度ペンタゴンでは似合いますよ」

 クリスは翔太らの日本語の遣り取りを完全に理解できるのか、そう言って笑った。

 一行は、クリスの案内で愈々ペンタゴンの中に入って行く。まず、元来た方向に戻り、入って来た入り口の所も過ぎて進むと、左手に明るい巨大なゲートホールが現れた。二十台程度の機械のゲートが青い光を放って並んでおり、人が出入りするたびに無機的な音を立ててバーを開閉していた。左右の白い壁にはモザイクでできた巨大な星条旗が飾られている。

「凄い……!」目の前の光景に呑まれたのか、瞳が声を上げた。クリスは一番左の訪問客用のゲートに五人を案内して中に誘導する。ホールの左右に上りと下りのエスカレーターのセットがそれぞれあり、真ん中にホール全体を監視している警備スタッフの常駐するボックスが設置されていた。五人は左のエスカレーターに乗って上りつつ周囲を興味深そうに見回し、それをクリスが見守りながら附いてくる。エスカレーターを降りると、その先には巨大な廊下が正面奥に続き、左右には薬局やらスーパーやら花屋やらが並んでいた。

「ショッピングセンターみたい」とまた瞳が驚きの声を上げる。

「ペンタゴンには二万人以上のスタッフが働いています。小さな都市みたいなものですからスーパーマーケットも必要なのです」とクリスが解説した。

「生活居住区」的エリアを抜けると廊下が左右に分かれ、クリスの先導で右の方に曲がっていく。愈々本格的なペンタゴンの中だ。廊下を様々な制服を着た軍人が足早に行きかう。

「撮影禁止でなければ、こういう光景も撮っておきたいのにね」と瞳が冗談めかして言った。

 ペンタゴンは五角形かつ五層構造になっており、クリスが早足で案内するのについていくうちにたちまちどこにいるかが分からなくなった。エリアの区切りにあるエスカレーターを二階分上った先に十メートルごとに分厚いドアのある人気のない廊下に出た。いままで先を歩いていたクリスが立ち止まり、振り返って口を開いた。

「先ほど言った通り、本当はまず色々とお話ししてからご案内しようと思っていたのですが、今日は映写室の予約が変わってしまったので、まずは映写室で映像を見ていただきます」

 クリスはそう言って再び廊下を歩き始め、並んでいるドアのうちとある一つの前に止まって真人たちを振り返った。「ここです」

 クリスはそう言うとドアを開け、真人たちを招き入れた。真人たちが中に入ると、そこはレコーディングスタジオのような外窓のない空間で、正面に大きなガラス窓が埋め込まれており、その向こうは奥行きの知れない暗い部屋になっていた。ガラス窓の手前には音響か映像処理の操作盤がびっしりと並べられており、その前に部下らしき一人の若い軍人が立っていた。

「ここが君の言ってた三次元映写室かい?」鷺沼が一通り部屋の中を眺め回してから尋ねた。

「その通りです。普通のモニターで見てもらってもいいのですが、この部屋だと特殊なホログラフィーで立体映像にすることができるのです」

 クリスはそう言うと、日本人五人に部屋の中央に並んでいるパイプ椅子に座るよう勧めた。五人とも、部屋全体の何とも言えない異様な雰囲気にやや緊張しながら腰を下ろす。

「あのガラスの向こうに映像が出てくるんですか?」瞳がおずおずと英語でクリスに訊いた。

「そうです。今お見せしますので、ちょっとお待ち下さい」

 クリスは日本語で応え、若い軍人に振り返って何か手で合図をした。軍人が操作盤の前に座り、手前のキーボードを叩き始めると、クリスは真人らに向き直り、おもむろに口を開いた。

「ようこそ、ペンタゴンへ。これから、我々が保管していた吉山和子さん――我々はWAKOと呼んでいますが――の映像をお見せします。どうしてWAKOの映像がペンタゴンにあるのかについての経緯は色々とあるのですが、この部屋の予約時間が限られていますので、全部をお話しする時間がありません。せっかくデジタル映像専門家の蒲田さんもいらしていますので、今は技術的な説明に限定して、まず実際の映像を見てもらいます。このアプリケーションの原型は一九八〇年代に開発され、その後に改良を重ねられたものです。人間を対象とした映像合成機能を持ち、数十種類の角度から撮影された映像と対象の人体測定データを基に、その人物のいかなる演技も映像合成することができます。また、人工知能のディープ・ラーニング機能によって動作をパターン学習していくので、いちいちプログラミングしなくても自然な動きに近付いて行くようになっています。WAKOはその初期のテスト・ケースということになります。……いわゆるモデリングは既に終わっていると考えて頂いて構いません。キャラクター、即ちWAKOを動かす原理は、WAKOに骨があるとしてその骨を動かすリギングがあり、骨を動かすことによって筋肉と皮膚を持ったWAKOが動くというスキニングがあります。あとは空間の中でのレイアウトとライティングを勘案してレンダリングを行います――」

 クリスの説明には一般に馴染のないカタカナ語が散りばめられていた。鷺沼は腕を組み宙を睨んで耳を傾け、翔太や瞳はポカンと聞いている。真人は、説明はともかく、早くその映像を見たいという思いでうずうずしていた。その中で蒲田だけは、デジタル映像技術者ということもあってか熱心に頷いていた。クリスが言葉を切ったタイミングで質問したのも蒲田だった。

「要はピクサーの映画などにもよくあるCGアニメと同じ原理ってことですね?」

「その通りです」とクリスは答えた。「私たちは三十年以上前からハリウッドと交流してきており、全く同じ原理と考えて頂いて構いません」

 鷺沼が腕組みして深く頷く横で、蒲田が眼鏡のずれを直しながら再びクリスに尋ねた。

「あるいは『アベンンジャーズ』のように、実写映画という建付けでのCG映画に近いと?」

「そうです」とクリスは落ち着いて答える。「ただ、我々のはサイバー戦争への応用も視野に入れている技術ですので、本物の実写映像に似せることに関しては一切妥協をしていません」

「すると通常のリギングやスキニングより……手間はかかると?」蒲田が考え考え質問する。

「まあ、若干はそうですね。歩く、走る、立つ、座る等の基本動作については、本物の撮影時にデータを収集してリギングの基本パターンを作ります。複雑な動作についても、同じ骨格や体型の女性にセンサーを付けてパターンを記憶すれば、それとほぼ同じ動きをさせることができます。WAKOはLAで、ケンジが作ろうとしていた映画での演技は一通りカメラの前でしたはずですから、当時の基本パターンを読み込めばその通りの演技ができます。あとはどういうアングルにするかの設定や髪の毛などの処理に気を付ければいいということになります」

「なるほど。服装の設定はどうするのですか?」蒲田がまた別の質問をした。

「のちほどお見せしますが、百種類程度の服のレパートリーがあります」とクリスは答えた。

「声についてはどういう仕組なの?」今度は鷺沼が尋ねる。

 クリスは待っていたかのように滔々と説明を始めた、「音声合成についてもボーカロイドのような技術を我々は早くから独自に開発していました。既に日本人の『平均声』のデータは収集済で、言わせたい文章を言ってくれれば彼女の声でその通り言わせることができます」

「映像で口元の動きとは合わすんだろうが、機械がしゃべるような感じにならないのかい?」

「その点についても我々は自然さを追求しています。日本語は単音節言語ですが、音節ごとに発音したのでは不自然ですよね。我々のアプリでは単語や節ごとにパターンを組んでいますから、よほど複雑な文章でない限り自然に発音できます。また、感情状態別にモードを割り当て、そのモードの下ではこう口を動かして発音する、というのもプログラミングしています」

 クリスが話し終えると一行は沈黙した。ここでは吉山和子の肉体や声のデータが完全に保存されていて、自在に演技もさせることができるらしい。もはや、それを見るしかなかった。

「では、そろそろ見て頂きましょうか」場の雰囲気を察したようにクリスがそう口を開き、部下の軍人に指示を出した。クリスは暫く軍人の操作を見守っていたが、ふと思い出したように一番近くに座る真人に向かって尋ねた。「因みに、あなたが吉山和子のファンの方ですね?」

急に話を振られた真人は戸惑った。「え? いや、ファンというか、まあ、そうですね」

「お名前をもう一度頂いていいですか?」

「あ、真人、竹内真人です」

「マサトさん? スペルは?」

「M-A-S-A-T-O……」真人が綴りを答えると、クリスはそれを復唱して操作中の軍人に伝えた。三十秒ほど何やら操作をすると、若い軍人はクリスに向かい”It's ready”と言った。

「準備完了です。これがWAKOです」

 クリスは一行を振り返り、ガラス窓の方を指し示した。真人たちが真剣に見詰める中、真っ暗だったガラスの向こうの部屋の中央が、手前から照明を当てたかのように仄かに明るくなった。やがてその光は拡大し、人間の頬のような画像となって焦点を結んだ。それは徐々に広がり、はっきりと下を向いた少女の顔の左半分となった。その光景が音もなく十五秒ほど続いた後、その少女はごくゆっくりと顔を起こしながら正面を向き、伏せていた目を大きく見開いて無表情のままこちらを射竦めた。

「吉山和子……!」

 鷺沼が微かな声を絞り出した。そこには、吉山和子が、十五歳当時のままの吉山和子の顔が、あまりにリアルな形で暗闇の中に浮かんでいた。丸い顔に決して大きくはないが物憂気な瞳が印象的な目が並び、引き締まった口が意志の強さを示していた。真人は、どこかで見たことがある、と咄嗟に思った。――そう、あの部室で見付けたポスターの少女そっくり……。

 光量は最初髪型がやっと判別する程度だったが、無表情な口元に僅かにはにかむような笑みが浮かぶと、照明は徐々に広がり、膝を抱いて部屋の床の中央に座る少女の姿を照らし出した。やがて少女は俯き加減にゆっくり立ち上がり、白いフレアのワンピース姿の屹立像を一行の前に現した。ウェーブのかかる髪が左右の肩に広がり、今や全身に透明感溢れる気品を漂わせてこちらに視線を向けている。真人は固唾を呑んで眼前に展開する少女の映像に見入った。

 ――透明! 当時の雑誌にあった、吉山和子を評した言葉が真人の頭の中で響き渡る。

「これ、映像?」正面を向いたまま瞳が乾いた声で隣にいた蒲田に訊いた。

「そうらしいですね……」映像の専門家である蒲田にとってもこれほど鮮明なホログラフィーは珍しいのか、黒縁眼鏡の奥の視線が少女に吸い付けられている。

 クリスは、正面の少女像に見入ったまま身動きもしない日本人たちを暫く興味深そうに眺めていたが、やがて操作していた軍人におもむろに手で合図を送った。

 正面のガラスの中の少女が、おずおずといった風情でこちらに向かって歩き始める。二、三歩足を進めると、何か思い詰めたような顔をして立ち止まり、そしてゆっくりと口を開いた。

「こんにちは、マサト君。あなたが来るのを待っていたの」

 真人は電撃を受けたかのような衝撃を覚えた。少女の甘い掠れるような声が自分の名を口にしてそう言うのがどこの音源からか部屋中に響いたのだ! ――これは本物の吉山和子か? 彼女がこのガラスの部屋の中にいて、そして自分に話し掛けてきたのだろうか? この自分に? 何で自分の名前を知っているのか……? 真人はまじまじと言葉を発した正面の少女像を、いや吉山和子を見詰めた。ガラスを挟んだとしても距離にして五メートル程だろうか、まるで顔の皮膚の毛一本一本まで判別が付くのではないかと思えるほどのリアルさだった。

「は、はい……」真人は呑まれそうになりながら思わず返事をした。その瞬間、さっきクリスが自分の名前とスペルを訊いたことを思い出した。――そうだ、クリスが気を利かせて自分の名前を呼び掛けるようなプログラミングをしたに違いない! そう頭の中で理解しながらも、真人は目の前の生きているかのような少女の立体映像から目を離すことができなかった。少女もこちらを凝視したまま静止している。まるで見詰め合っているかのように――。

 ――吉山和子、吉山和子、吉山和子……。真人の頭の中でその名前が何回も響く。当時映画界の風雲児だった楠木夏樹に見出され、スターダムを駆け上がりながら、謎の銃撃事件で引退を余儀なくされた悲劇のアイドル女優。映画部で「時をこえる少女」の製作を開始して以来、真人にとって、それは気になっていた存在であり、動画サイトに残る映像などでどんな少女だったのか理解したつもりになっていた。しかし、目の前のホログラフィーのリアリティは、真人の想定を遥かに超えていた。それは実在の人間そのものであった。

 その日、竹内真人は吉山和子に恋をした。

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