第6章 DCへ:二〇一五年八月
「吉山和子に会いに行く? アメリカへ?」
瞳の声があまりに素っ頓狂だったため、隣の席で談笑中の家族が揃ってこちらを振り向いたくらいだった。――本当にこいつはいつも何だってこんなに大袈裟に驚くんだ? 周囲を意識しての演技のつもりか? 真人は少し腹を立てつつも、一方で無理もないかなとも思った。
夏休み中の学校の部室でロケ合宿明けの編集会議を終えた帰り、真人は瞳をファミレスに誘って合宿最終日にあの鷺沼という男から聞いた妙な話を持ち掛けたばかりだった。しかし、自分でもまだ半信半疑の話を瞳が素直に信じるはずもなかった。真人は、口に当てかけたコーヒーカップをテーブル上のソーサーに戻す間に何と説得しようかと頭を高速回転させた。
「うーん、何と言ったらいいかな。正確には『吉山和子の映像を見に行く』と言うべきかな」
真人の説明にならない言い換えに対し、瞳はあきれたという顔で頭を振ってまくしたてた。
「そんなに好きなの? 三十年前に消えたアイドルのことが? 大体何で吉山和子の映像がアメリカに、しかもアメリカ軍にあるわけ? 真人ね、それ、鷺沼さんに騙されてんのよ!」
瞳が言い終えるのを待つと、真人はグラスの水を一口飲み、努めて冷静に説明を始めた。
「そうかもしれない。何もかも不思議な話だからね。それで、まず鷺沼さんに騙されていたという話から始めると、全く瞳の言う通りで、肝心なことをまず騙されていたことを話さなきゃいけない。実は彼は楠木フィルム時代から活躍している鷺沼健二というプロの映画カメラマンで、『時をこえる少女』も担当していたそうだ」
「鷺沼……健二?」と瞳は少し驚いた顔を見せた。
「少なくとも、楠木フィルムのクレジットではよく見かける名前だよ」
真人の言葉を聞くと、瞳はさっきの勢いを少し弱めたように身体を後ろに引き、目をパチパチさせて真人の顔を見詰めた。それならちょっとは信じていい話と思い始めたのだろうか。真人はここぞとばかり力を入れてもう一度説明を繰り返した。当時鷺沼が「時をこえる少女」のリハーサル撮影のために吉山和子とLAに行き、ハリウッドの映像関係者も参加して大量の映像を撮影したこと、その映像関係者にはアメリカ軍の映像技術者も参加していたこと、その映像記録はアメリカ軍のアーカイブに保蔵され、デジタル化されていること、そしてデジタル化された映像はいまやCGのようにモニター上自在に演技させることができるらしいこと、等々。
「……それでその鷺沼さんが『時をこえる少女』を自主製作していた我々に敬意を表して、吉山和子の秘蔵映像見学ツアーに招待してくれたってわけなんだよ。旅費も持ってくれるんだぜ。騙されたとしても損にならないじゃん。ただでアメリカ旅行行けるんだから」
「そんないい話あるのかしら」瞳は眉間に皺を寄せて、まだ疑い深そうな目で真人を睨んだ。
「八月末頃はどうだと言われているんだけど。何人かで来てもいいからって」
「ふーむ」瞳はそう言うと目の前のジュースグラスの足元を右手でいじりながら黙り込んだ。
昼下がりのファミレスの店内には窓から真夏の陽光の反射があらゆる角度から差し込み、空気までキラキラしているようだった。外から聞こえてくる微かな街の喧騒を背景に、店内は家族連れや若者連れの話し声がさざめき合っていた。
「この前四国で合宿してたばかりじゃん。次はアメリカだなんてお母さん何て言うかな……」
瞳が「行ってもいいけど……」とでも言いたげにポツリと呟いた。放任主義の家庭で奔放に育てられた瞳も流石に少し親に心配を掛けるのではないかと懸念しているようだった。
「学校のクラブの行事だって言ったら? 半分は嘘じゃないし」と真人は持ち掛けた。
「『クラブの行事』でワシントンねぇ。信じるかなぁ。映画の街でも演劇の街でもないのに……」
瞳はそう言うと、右手の拳を唇に当てて首を傾げながら真人を睨んだ。しかし、真人はその口調に微妙なニュアンスの変化を感じた。話を聞いた当初は突拍子のなさに拒絶反応をみせていた彼女だったが、どうやら心情的にはNOではないらしい。むしろ、ワシントンにどうしても行かなければならない理由さえ作ってくれれば行ってもいいという感じだった。
「どこかのプロダクションが学生相手の映画製作研修を企画して僕ら映画部を招待したって話にするのは? 鷺沼さん個人をプロダクションってことにすれば、全くの嘘って訳でもない」
真人は鷺沼の招待を強引に解釈して瞳に持ち掛けた。瞳はそれを聞くと苦笑いを浮かべて再び真人の顔を上目遣いに見遣って呟いた。「フン、まあ、そう言えなくもないかもね」
瞳は暫く真人を睨んでいたが、突然両手をテーブルにドンと付くと諦めるように言った。
「分かったわ。あなたの勝ち。吉山和子がそんなに好きなのね。但し、そのプロダクションの招待状とやらを適当にデッチ上げておいてよ。私、お母さんにそれで説明しておくから」
真人は一押しが効いた手応えを感じながら答えた。「任せとけ。翔太も連れていくつもりだけど、あいつに書類仕事はさせるから」
瞳は決断をすると少し気持ちがサバサバしたのか、目の前のぬるくなったジュースを一口飲み、テーブルに置いていた自分のスマホを取り上げていじりながら呟いた。
「でも、本当かしら、アメリカ軍が吉山和子の映像を保管してたなんて……。ねえ、ひょっとして吉山和子の銃撃事件もアメリカ軍と何か関係あるんじゃない?」
コーヒーに手を伸ばした真人が鼻で笑うと、瞳は顔を真人の方に寄せ、まるで名探偵が秘密を解き明かすところを演技するかのように表情を輝かせながら言った。
「きっと撮影中に知ってはならないことを知ってしまって、それで消されたんじゃない?」
真人はテーブルの上の自分のスマホを取って検索サイトを開いた。
「『時をこえる少女』の撮影でどうやったらアメリカ軍の秘密を知ってしまうことになるのかは分からないけど、まあ、そういう説を考えること自体は面白いかもしれないね」
真人はそう言って検索サイトに「吉山和子」「銃撃」と打ち込み、検索ボタンを押した。Wikipediaの「吉山和子銃撃事件」がトップに現れ、更にそれをクリックする。ページの頭にどこかの里山の竹林のような写真が映り、それをスクロールダウンすると説明文が現れた。真人はそれを瞳に「見ろよ」と言って示し、飛ばすように読み上げ始めた。
「吉山和子銃撃事件:一九八三年三月三十日、当時中学生だった女優の吉山和子と俳優の塚町一夫(当時高校生)が広島県尾道市で映画の撮影中に銃撃を受け、吉山和子が重傷を負い、塚町一夫が死亡した事件である。
概要:吉山和子と塚町一夫はこの日、映画「時をこえる少女」の撮影のため尾道市内でロケ中であった。午後十一時過ぎ、撮影中の二人に対し道端の竹林の中から何者かが発砲、二人は近くの尾道中央病院に搬送されたが、塚町一夫は病院に到着後直ぐに死亡が宣告された。一方、吉山和子は大量出血により一時命も危ぶまれたが、緊急手術により一命を取りとめた。この事件により、「時をこえる少女」の撮影は中止となり、吉山和子は芸能界を事実上引退した。
手掛かり:当時現場は混乱しており、犯人に結び付く有力な目撃情報は得られていない。遺留品としては二人に命中した銃弾があるが、その口径からは当時米軍の制式拳銃だったコルト・ガバメントが使われた可能性が高いと考えられている。
犯人の人物像:ジョン・レノン暗殺事件のような熱狂的ファンの犯行という説もある。しかし、至近距離から二発で一人に致命傷を負わせ、一人に重傷を負わせたあと冷静に現場から立ち去った犯行からすると、一般のファンの仕業とは考えにくく、銃の扱いに精通したプロの殺し屋による犯行だった可能性が高い。ただ、当時映画撮影において暴力団とのトラブルといった話は特になかった。広島県警は捜査本部を設置して警官述べ一万人を動員して捜査したが、犯人は逮捕されないまま迷宮入りし、一九九八年未解決事件として公訴時効を迎えている」
真人が読み上げるのを聞いている間、瞳はスマホ画面上の小さな文字を目で追いながら苦虫を噛み潰したような顔をしていた。真人が読み終えても、暫く同じ顔をしたまま真人の顔を見詰めていたが、やがて首を竦めて「本当に訳分かんない事件なんだ」と呟いた。
「ま、そういうことになるね。ただ、使われた銃がアメリカ軍のものだったらしいけど、アメリカ軍の犯行という説は見たことないな」
「えー、でも何か怖い。大丈夫かな。アメリカ行って消されたりしない? 私たち」
「そうは言っても三十年も経ってるからね。今更関係ないだろ」
突然瞳の携帯電話の着信音が店内に響いた。瞳は頭を切り替えるように画面に目を落として発信者を確認すると、真人に目配せして席を立った。真人は、席を離れてトイレの方に向かう瞳の「あ、お母さん?」という声を背中に聞きながらコーヒーの残りを飲み干した。
「うん、うん、ちょっと私もお母さんに相談があるの」瞳の声が遠ざかって行く。真人は自分のスマホのカレンダーを開くと、来たるワシントン旅行について考え始めた。