第20章 明日への散歩
和子は軽く汗をかきながら集落の道を歩いていた。午前中の陽射しはまだ優しかったが、島全体が春めいた陽気に包まれ、日陰に入る時に感じる潮風の涼しさが心地良かった。
和子がこの島に逗留を始めてからもう六日目になっていた。和子はこの間、カメラを片手に島のあちこちを独り気ままに歩いて過ごしていた。ある時は海岸通りを、ある時は港を、ある時はみかん畑の広がる山道を、和子はあてどもなく歩き、路傍に咲く名もない美しい花や、青い空を背景に舞うトンビや、遠くに霞む島影などで気に入った光景があればレンズを向けてシャッターを切った。この島のどこかで毎日鷺沼たちの撮影が行われていることは知っていたが、見掛けることはほとんどなく、和子も意識しなかった。
和子が集中していたのは、この風景の中に自分が溶け込むことだった。ここでは、和子が見る物聞く物感じる物全てが新鮮でいて同時にどこか懐かしかった。それは、日本の離島の普通の山であり、普通の海であり、普通の民家であり、普通の生活だった。しかし、そこに自分の身を置いた時、和子は譬えようもないような安らぎに包まれるのを感じるのだった。和子が三十三年住み続けたニューヨークにはない、落ち着いていて穏やかな真実がそこにはあった。
和子が歩いているのは、伊予小富士と呼ばれる、興居島の南端にある端正な円錐形をした山に通じる道である。今朝起床して窓から砂浜の方角を眺めていると、その先にいつも見えている山塊が何故か気になり、和子は菊子にあの山は何かと訊いてみた。菊子の説明は、地元の者らしく、大した山ではないと素気なかったが、頂上に神社があることと俳人の正岡子規も一句詠んだ山であることが和子の興味を誘い、今日はそこに登ってみようと思い立ったのである。
泊港の近くに登山道の道標があり、それにしたがって民家の間を抜けるとやがて細い階段道になった。それを一歩一歩踏みしめながら登り切ると、やがてみかん畑に出た。この間、すれ違った人は誰もいない。今まで歩いて来た方角を振り向くと、泊港の桟橋とその先に海を挟んで対岸にある高浜港が見えた。その何気ない光景にも「まあ」と思わず言葉が突いて出て来たところで、和子はレンズを向け、シャッターを切った。
再び山の方を向くと、みかん畑の間を縫って山頂の方に道が続いているのが見えた。右手の方のみかん畑の中で何か作業をしている農家の男が見えたが、これが登山道の登り口に入ってから初めて見掛けた人間だった。薄手の黄色いワンピースにつばのある帽子とサンダル姿の和子は、この風景のなかで異質ではあったが、男はほとんど気付きもせず手元の作業に没頭している。和子はその横をゆっくり抜けて前に進んだ。左右のみかん畑にはみかんの樹の他にびわの樹も植えられているようだった。ここから山頂をみるともう山というよりは緑の丘という感じだった。周りのみかんの樹が時折潮風で騒めくと、まるで緑色の海の中を進んでいるように思われ、和子はそのたびに立ち止まって辺りの樹々の動きを感じ取った。
――どうしてこんなに落ち着くのだろう? まるで母なる原始の海に抱かれているみたい。和子は心の中で呟いた。アメリカでは想像したこともない平穏だった。――これはこの島の持つ固有の魅力なんだろうか? あるいは三十三年ぶりの日本がもたらした心の平和なんだろうか? 鷺沼からの誘いが切っ掛けだったとはいえ、久しぶりの故国での逗留を東京のような大都会ではなく、こういう離島を選んで本当に良かったと和子は思った。そして、日本の原風景がもたらす心の平穏を自分は知っていたのだろうかと自問せずにはいられなかった。
――自分はあの時、日本を逃げ出してアメリカに渡った……。あの時、日本に居続けるという選択肢は自分には無かった。好奇の目に晒されるのが耐えられなかったとか、犯人が不明な以上再び危害を加えられる恐れがあったとか、そういう理由ももちろんあった。しかし、最大の理由は、大好きな塚町との思い出が詰まった場所にそれ以上居ることができなかったのだ。米国籍を持っていたことや、父親がアメリカで働いていたといった幸運な要件も揃っていたのは事実だが、当時の自分にとって日本を去りアメリカへ逃げるのは極自然なことだった。
もちろん、以来日本との関係を完全に断ち切ったかというとそうではなかった。家では日本語を使っていたし、NY市警を退職後は父親の事業を手伝い、日本との貿易の仕事にも従事した。しかし、精神的には日本から独立していると感じていたし、心の平穏に日本が必要だと思ったこともなかった。――なのに、興居島の山道を歩く自分が感じているこの安らかな気持ちは何なのだろう? アメリカの学校で必死で英語のキャッチアップをしていた時……バレリーの家の地下室で射撃練習に夢中になっていた時……NY市警に就職して警官の仕事に慣れようと懸命に頑張っていた時……NYの父親の店で従業員を使いながら切り盛りしていた時……いずれにせよ将来心からの平安を得るのが日本の田舎だったなんて思いもよらなかったことだ。
みかん畑の道はやがてコンクリートブロックの壁に突き当たり、それを左に曲がると草が伸び放題の未舗装の坂道となった。道の左右は緑の藪だったが、太陽の光を遮り清涼な感じがすると共に、包み込んでくれるような安心感をもたらしてくれていた。サンダルではやや歩きにくいが、和子は構わず足を踏み入れた。足元で何かが落ち葉の下でガサゴソと音を立てて左の方に動いて行った。蛇かトカゲの小動物が滅多に来ない人間に驚いて逃げて行ったようだった。足元の悪い道を暫く折り返しながら登ると、竹藪の隙間からよく晴れた海の景色が見える所に差し掛かった。方角は良く分からなかったが、和子は自然とカメラを向け、遠くの島影に向けて一枚シャッターを切った。カメラを顔の前から降ろすと、先ほどのショットの構図の手前に砂浜があり、四月だというのに二十人くらいの人間が集まっているのが見えた。それが映画の撮影隊であることは直ぐに分かり、和子は思わず苦笑した。
――そう、この映画の話がなければ、自分は今でもニューヨークで日常生活を送っていたはずで、こんな心の平穏を感じることもなかっただろう。数十年ぶりに鷺沼から突然手紙をもらい、最初は驚きや怒りさえ覚えたが、自分でも驚くほど自然に彼の話に乗じて日本に行ってみようと気が変わったのは、やはり心が日本を欲していたのかもしれない、と和子は思った。
和子は暫くそこに立ち尽くしたまま、砂浜での人の動きを眺めていた。どんなシーンを撮ろうとしているのかは分からない。和子は三十三年前に捨ててしまったはずの記憶を掘り起こして、「時をこえる少女」に海辺のシーンなんてあったかしらと考えてみたりもした。
それにしてもこの映画撮影は妙な話だった。無論、LAでのリハーサル撮影のことは和子も覚えていた。――でも、まさかあの時の映像を自分ですら知らないところでアメリカ軍が保存していて、それが三十三年ぶりにCG技術で映画に転換されるとは……。そして、全く今の自分とは関係ないのに、自分はそこで主演することになる。本来塚町君と演じるはずだったあの映画の中で……。それは心に引っ掛かった棘のようなものでもあった。必死で消し去ろうと自分で自分を納得させた塚町への想いや彼との約束を再燃させかねないものだったからだ。
かつて十五歳の和子にとって塚町は全てだった。「時をこえる少女」はその塚町と共演するという、和子にとっては本当に特別な映画だったのだ。それが、突然の銃撃によって塚町を奪われ、自分も全てをリセットするために日本を去った。映画を完成させるという塚町との約束も反故にして――。思えば、和子が日本に対して未練があったとすれば、その塚町との約束だっただろう。和子は日本を去る直前、塚町のお墓参りに行ったことがある。そして墓前で「時をこえる少女」を完成できないまま日本を去ることを詫びたのだった。それ以来、塚町への想いは断ち切って来たつもりだった。死んでしまった塚町はもう二度と戻って来ないのだ。
あの映画撮影のメンバー達は、自分のことを気遣ってはくれているが、おそらく自分の激しい葛藤は理解できないだろう。当時、自分の塚町への想いを察していた鷺沼でさえ現在どこまで和子の気持ちを分かってくれているかは怪しかった。映画撮影に頭から拒絶反応があるわけではないのだが、突然降ってわいた話に封印したはずの塚町への想いが重なって自分でもどう対処していいのか分からないというのが正直な気持ちだった。
和子は足元に視線を戻すと、山頂に向けて歩みを再開した。竹藪が続き、ところどころ先ほどのような眺望が得られるスポットはあるものの、大体は視界が妨げられている。ただ、その分木陰の空気はひんやりとしていて少し混乱しそうになった心にはいい清涼剤となった。足元はますます悪く草ぼうぼうで、和子は注意しながら一歩一歩足を進めた。
塚町一夫と一緒にここを歩けることができたらなぁとつい和子が思った時、不意に思いがけず何故か真人の顔が頭を過った。学校の映画部部長をやっている高校生で、和子にも必ずしもよく分からない経緯で鷺沼にこの映画プロジェクトに引きずり込まれたようだが、表情のひたむきさがどこか塚町と似ているところがあった。そして、昔の自分の映像を切っ掛けとしたとはいえ、こっ恥ずかしい話ではあるが、もう五十歳に手が届きそうになる自分に憧れのようなものを持っている少年なのだった。真人と会った直後、二人で海岸を歩いている時、和子は少女の時分のような異性との微妙な間合いにときめく感覚を覚え、我ながら驚いたものだった。あの少年が、昔の自分だけではなく、今の自分にも強い感情を持っているらしいことがひしひしと感じられたのだ。もちろん、和子はそんなことに動じない程度の分別は持っていた。しかし、自分がそれを感じることができることにちょっとした新鮮さを覚えたのも事実だった。
頭上の樹冠が開け、頂上が見えてきた。周りは木で囲まれ、展望は良くなかったが、菊子から聞いていた通り、鳥居がありその向こうに山頂神社があった。事前に想像していたような壮麗な社殿などはなく、簡単なプレハブのような造りの神社だったが、和子は二礼二拍してから手を合わせてお祈りをした。日本の神社でお参りするのもそれこそ三十三年ぶりだった。
――全てが成るがままに流れるのだわ。そんな言葉が自然と心の中に浮かんだ。最後に深く一礼すると、和子は気持ちがサーっと晴れ渡り、身体が自由になったように感じられた。それは清々しい浮遊感とも言うべきもので、更に高みに上がって周囲の海や島々が遠くまで見えるかのような錯覚を覚えた。しかし、実際の頂上の展望は悪く、島の周囲を見渡すには下るしかなさそうだった。和子は自然に微笑みが顔に浮かぶのを感じながら元来た道に戻った。途中、先ほど撮影隊が見えた場所からもう一度見晴らすと、砂浜は既に無人となっていた。
――では、どうすべきだろう? 海の先に浮かぶ遠い島影を見詰めて立ち尽くしながら和子は自問した。日本の山と海に囲まれて過ごすこの平穏な日々は何物にも代え難かった。しかし、ここで鷺沼の実家に逗留している以上、いずれ映画撮影の帰趨について自分が判断を迫られる時が来るのは明白だった。塚町に似たあの竹内真人という高校生のひたむきな顔が再び頭を過った。誰かに相談すべきだった。そしてそれが誰であるか、和子には分かっていた。
ちょうど正午になったのか、サイレンが島に響き渡った。和子はもう一度目の前に広がる瀬戸内の島風景を瞼に焼き付けると、足元を確認し、下山の途に着いた。




