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時をこえる少女  作者: 釋臣翔流
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第9章 銃:一九八四年四月一日

 交差点を左に曲がるとバレリーの家はすぐに見付かった。両側に豪邸が並ぶ通りの一角の、ひときわ青い芝生に囲まれた家がそれであった。車は静かにその前に止まり、和子は助手席から降りた。爽やかな四月の昼下がりの風が駆け抜け、街路樹の葉を揺らす騒めきだけが静かに響いていた。和子は運転席の方に回ると、ハンドルを握る父親に窓越しに呼び掛けた。

「夕方五時頃に迎えに来て」

 父親はニッコリとした優しい笑顔を和子に投げて頷くと、左手を上げて車を発進させた。和子は走り去る車を暫く見詰めていたが、やがて家の方に向き直り、白いコンクリートの緩いスロープとなったポーチを歩き出した。辺りは父親の車が走り去る遠い音以外は元通りの静けさに包まれている。玄関の前に立つと、和子はその脇にあるチャイムを鳴らした。

「Coming!」バレリーの黄色い声が聞こえ、程なくドアが開いた。「待ってたわ! どうぞ」

 ジーンズ姿のバレリーが出てきて、和子を中に招き入れた。広い玄関の正面に二階へ続く階段があり、右側のアーチ形の入り口の向こうにはキッチンとリビングが続いている。その入り口を抜けてキッチンに入ると、カウンターの奥にバレリーに少し似た金髪のぽっちゃりとした女性がにこやかに立っていた。バレリーの母親のケリーだった。バレリーはケリーと和子にお互いの紹介を始めた。

「ワコ、こちらがママのケリー。ママ、こちらが日本から来たワコ・ヨシヤマよ」

 ケリーはキッチンカウンターから出てきた。黄色いセーターに青いジーンズが似合っている。和子が日本の習慣でつい頭を下げそうになるところをケリーは両手を広げハグしてきた。

「ケリーからいつもあなたのことは聞いているわ。大統領と挨拶したっていうじゃない!」

 ケリーは、和子の両腕を掴んだまま体を放すと、破顔してそう言った。おそらくバレリーが今週の出来事として母親にレーガン大統領の学校訪問のこと、そして自分の友達が大統領謁見の栄誉に与ったことを自慢げに話していたに違いなかった。

「ええ」と口ごもる和子の全身を眺めながらケリーは「素敵なスカートね」と和子の着ていた赤いチェックのスカートを褒めた。日本でも着ていたどうということもないスカートだったが、パンツ派のケリー、バレリー親子にとっては東洋のおしゃれと見えたのかもしれない。

「今飲み物を用意するから。コーラがいいかしら、あるいはコーヒーか紅茶がいいかしら」

 ケリーはキッチンカウンターに戻りながら優しい声で飲み物の好みを和子に尋ねた。和子が「じゃ、コーラで」と答えると、バレリーも「ママ、私もコーラ」と言い、そして和子の手を取って「お家を案内するわ」と玄関の方に誘った。

「ゆっくりね。でも、家のツアーが終わったらレーガン大統領の話、ゆっくり聞かせてね」

 ケリーはキッチンカウンターの奥からニッコリ笑って二人を送り出した。


 和子とバレリーが家の中や庭を一通り見てリビングに戻ると、ケリーはキッチンで果物を切っており、キッチンカウンターにはコーラ入りのグラスが二つ置いてあった。

「もう終わったの? コーラをソファーの方に持って行って」

 ケリーが手元を動かしながらそう言うと、バレリーはキッチンカウンターのハイチェアに腰を掛けながら「いい、ここで。ここの方が話しやすいし」と言って、グラスの一つを手に取って口に当てた。和子も薦められるままにケリーの隣のハイチェアに座った。

「素敵な家ですね」和子はケリーにそう声を掛けた。

「有り難う。庭も見た?」

「ええ、お花がきれいでした」

「ラベンダーがちょうど咲いているでしょ」

「ええ」と和子は短い相槌を打ちながら、ケリーがラベンダーの花について話すのも無理はないと思った。先ほどバレリーが案内してくれた庭は、プールの周りに和子も感嘆するほど様々な花が植えられていて、ガーデニングに並々ならぬ労力を割いているだろうことが容易に推察された。そして、その中でも紫色のラベンダーの花が咲き誇るひときわ目立つ一画があり、バレリーもそれを自慢していたからだ。その時和子が一瞬固い表情をしたのをバレリーは見逃さず少し不審に思ったようだったが、和子はラベンダーの香りが苦手だからと言い訳した。ラベンダーは「時をこえる少女」の中で未来からきた少年が収集する花で、物語のキーとなるアイテムだ。あの映画を思い出させる、和子にとっては言葉も聞きたくない存在だった。

「ワコはラベンダーの香りが好きじゃないのよ」バレリーが横から口を出した。

「あら、そう?」庭の花の自慢をしようとしていたらしいケリーはちょっと肩透かしを食らったようだったが、思い直して「そうそう、ワコ。大統領のお話を聞かせて」と話題を変えた。

「ママはずっとその話楽しみにしていたのよ」とバレリーが付け加えた。

 民主党支持の一家だというこの家にとって、共和党保守のレーガン大統領に謁見した和子の話が今週末一番の話題らしかった。和子はまだ英語で思うように表現できない自分にもどかしさを感じながらも、大統領との遣り取りについて説明した。但し、学校でバレリーに説明した時と同様、”I got shot, too”(私も銃撃を受けた)の”too”のところは省いた。

 キッチンに立ったまま和子の英語の説明を聞いていたケリーは、和子の話が終わると、視線を手元に落としながら「ふーん、大統領そんなことを言ったの?」と呟いた。バレリーは既に何回も和子からこの話を聞いていたからか黙っていたが、少し間を置いて母親に訊いた。

「ママ、レーガン大統領の暗殺未遂って、いつのことだったかしら」

 突然訊かれたケリーは斜め上を睨んで考えながら答える。

「あれは、あなたがジュニア・ハイスクールの時だから三年前じゃないかしら」

「三年前? 二年前ではなくて?」

 それを聞いて、和子もあのニュースを日本で聞いたのは中学一年生が終わった春休みだったと思い出した。となると、やはり二年前ではない、三年前である。

「大統領、正確には何て言ったの?」

 バレリーが妙に拘るように突然訊いてきた。和子は、大統領と対峙していた時に心の中に写し取った彼の言葉を再び思い出したが、大統領の「私も銃撃を受けた」という発言は「他に誰が銃撃を受けたのか」という疑問につながりかねず、話すのが憚られた。とはいえ、バレリーは、大統領謁見時に隣で和子と大統領の遣り取りを聞いていたジョシュワともよく話す仲だ。

「耳で聞いた通りに書くとね、こんな風に言ったの」

 あからさまな誤魔化しはできないと思った和子は、カウンターにあるメモ用紙とペンを借りて咄嗟に”I got shot two, no, three years ago. But look at me. I survived and got even stronger. So trust in yourself and break a leg”と書き付けた。”too”を”two”に書き換えても一応意味は通らなくはない。「二年、いや三年前」と言い直したというわけだ。

 メモ用紙を渡されたバレリーと母親は、交互にそれを読むと顔を見合わせた。最初に話の口を切ったのはバレリーだった。

「そういうことね。ジョシュワに訊いたら大統領がワコに’I got shot, too’って言ってたっていうから、なんで’too’なのかなって、他に誰が撃たれたのかなって思ってたの」

 やはりバレリーはジョシュワに裏を取っていて薄々変に思っていたらしい。しかし、バレリーは和子の書き付けた文章に取り敢えず納得したようだった。

「大統領はつい二年前と言った後、三年前と言い直したのね。だってもう三年前だものね」

 バレリーは合点が入った顔で独り言を呟いた。和子は不審に思われなかったことに取り敢えずホッとしたが、心の中では再び疑念が湧き上がってきた。――本当は大統領は確かに”I got shot, too”と言ったのだ。”two”ではなく”too”と。しかも、前後でそんな話をした人はおらず、私にだけそんな話をした。つまり、私が銃撃を受けたことを何故か知っていた――。

 そう考え始めると、先日のあの大掛かりな行事自体が、何か仕組まれたもののようにさえ思われてきた。和子の顔を見遣りながら大統領に耳打ちしたSP、その耳打ちを受けて一瞬だけちらりとこちらを見た大統領……。――あれは何だったのかしら? 大統領が何故か銃撃事件のことを知っていて私にそれを告げに来たのだろうか……? 一方で、合衆国大統領がそんなことをするためだけにわざわざ和子の高校にやってくる道理があろうはずもなかった。

 気付くと、考え事をしていた和子をよそに、バレリーが母親と銃規制を巡って議論をしていた。といっても、銃規制強化を主張しているらしい親戚の誰かへの批判のようである。

「流れ弾を受けたブレディ報道官はお気の毒よ。でも、銃自体が悪いわけじゃないのにね」

「そう、車と同じね。車で交通事故起こしても、車自体の売買を止めるわけにはいかないわ」

 和子が二人の会話に付いていこうとしているのに漸くケリーが気付き、話を振ってきた。

「ワコ、日本じゃ、銃規制(gun control)はあるのかしら?」

「Gun control?」

「そう、銃を携行したりはできるの?」

 ケリーの無邪気な質問に苦笑しながら和子は答えた。

「日本では、警官を除いて銃携行はおろか所有するのも禁止されています」

「家で護身用として持っておくのもダメなの?」とバレリーが訊いた。

「ダメよ。所持しているだけで逮捕されると思うわ。エイプリール・フールじゃなくて」

 和子の真剣な答えにバレリーは申し訳なさそうな顔をしつつおどけて言った。

「気を悪くして欲しくないけど、私、日本に生れなくて良かったわ。銃所持禁止だなんて」

 和子はふと思った。――この母娘、銃規制強化反対ってことは……?

「バレリーのうちには銃があるの?」和子は訊いてみた。

「あるわ。見る?」バレリーは得意げな顔をして当然のように答えた。そして、「ママ、いいでしょ?」と母親のケリーに同意を求めて振り返った。

「いいけど、実弾は絶対入れないでよ」

 ケリーはそう言ってキッチンカウンターの引き出しから鍵を取り出し、バレリーに渡した。

「待っててね」バレリーはそう言うと、キッチン横のドアから奥の廊下の方へ消えて行った。

「主人が銃が好きでね。家族でしょっちゅう射撃に出掛けてるのよ」

 ケリーはそう言いながら飲み物を片付け始めた。 

 ――射撃好きの高校生……これがアメリカの普通なの……? 和子は心の中で呟いた。

 バレリーが足音を立てて戻って来た。手に黒いそれを抱えて――。

「これよ。弾は入ってないから心配しなくていいわ」

 バレリーは銃口の方を握ると、キッチンのカウンターに向かって座る和子にそっとそれを差し出した。それは全長二十センチ程度のセミオートピストルだった。和子が想像していたようなピカピカの表面ではなく、むしろ細かい紙やすりをかけたような鈍い黒色に包まれており、グリップ部分は別の材質を使っているのか茶色い粗目だった。和子は頭の中が真っ白になるのを感じながらもおずおずと右手を差し出してそのグリップを握った。ずしりとした重質感が和子の右手に掛かる。バレリーのリードに任せ、和子は引き金に人差指を掛けた。

「私の一番好きなピストル。コルト社のガバメント」笑いながらバレリーが言った。

 ――コルト……ガバメント! ……これが――。 

 それは弾丸のように和子の記憶に跳ね返った。自分を撃ったと推定されている、忘れようにも忘れられない名前。和子にとって、まさかこの平和な日曜日の昼下がりに、友達の家で突然本物のそれと対面するとは思いも寄らないことであった。和子は何も考えられず、手にした銃のずしりとした重さだけをリアルに感じながら見詰めていた。そもそも、和子にとって本物の銃を握ることさえ初めてだった。確かに、日本にいた時はTVドラマの出演でモデルガンの機関銃を抱えたことはあったし、演技として発砲したこともある。それに比べると目の前の拳銃はずっと小さく軽いくらいだった。だが、こちらは本物の凄味ある光を放っており、実際に人を殺傷する能力を誇示していた。――あの時、これと同じ型のものが塚町君と私を――。

「撃ってみる?」バレリーが、手にした銃に茫然と見入っていた和子に訊いた。

「撃つ? 私が?」実際に撃つことなど予想していなかったので、和子は思わず訊き返した。

「バレリー!」漸くケリーが厳しい表情をして諌めた。「パパのいる時でなきゃダメよ」

 そのままだとバレリーは実弾を持ち出して来て、地下室ででも射撃大会を始めかねない勢いだった。バレリーは少し首をすくめると笑って、「今度ね」と言った。

 和子は何も言えず、再び右手のコルト・ガバメントに視線を落とした。塚町の人生を一瞬にして粉砕し、自分の人生も一変させたのと同じその小さい造形物に視線が吸い付けられる。――これが銃……コルト・ガバメント……これを私が撃つ……。和子の心の中で何かが動き始めた。それは未来に向けた胎動かもしれなかった。和子があまりにも長い間銃を見詰めているので、流石に変に思ったらしいバレリーが声を掛けようとした時、漸く和子は顔を上げた。訝しげな表情のバレリーに向かって、和子はゆっくりと口を開いた。

「バレリー、今度私に射撃を教えてくれないかしら?」

 和子は今や微笑んでいた。不思議な高揚感を感じて。そして、その手に確りと銃を携えて。

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