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現実にはこんな妹、なかなかいません

「という訳で、明後日から期末テストが始まる。くれぐれも赤点なんて取るなよー。貴重なオレの休みが減るからなー。ほい、分かったら解散」



もしかしたら初めての登場かもしれない。担任の小早川(男)がものすごく気だるげにそう言い、HRを締めくくった。



いつ見てもやる気のない担任だな。まあ、ハゲの石角のウン倍マシだし、話も簡潔だから生徒としては助かる訳だが。



「ふ、ふふ。期末テスト……私には一夜漬け、いや一朝漬けで充分ですよ!」



「そうね。そのセリフは小テストで2ケタ取るようになってから言いなさいね」



「ふっ。2日後に期末テストとは……実に面白い」



「期末テストのバカやろぉぉっっ!!」



相も変わらず、クラスメートたちが騒ぎだす。大半が今年度になって初めましての奴らだが、もう見慣れたな。なんだかんだ1年の3分の1も過ぎてるもんな。



「やぁ、雅文くん。ご機嫌麗しゅう?」



「……お前が来るまで悪くはなかったよ、啓」



UUK(ウィンクがウザい啓)がまたもウザさ全開でやって来る。



「明後日、期末テストらしいよ。大丈夫かい、雅文くん?」



「ああ。一週間ほど前から紫紅美と勉強してたからな。今回は平気そうだ」



「……ほうほう」



「なんだそのやらしい笑み」



どうして日本の警察はコイツを取り締まらないんだろう。本当に謎だ。



「クラスのみんな、聞いたかーい!?なんだかんだコイツ、美穂ちゃんと愛を深めあってますぜー!」



「ばっ、ちょ、おまっ!」



マジで?なーんだ、硬派気取っといて結局かよ。爆ぜろリア充ー!やら、明らかに祝福ではない声があがる。



そんな声に対し、紫紅美が応戦する。



「み、みんな違うぞ!雅文くんは私の家で一緒に勉強していただけでーー!」



美穂ちゃんの家?ならやっぱり愛を深めあってるじゃん。良かったね、美穂ちゃん!と今度は女子から明らかな祝福の声。



「み、みんな何か勘違いしてるのだー!だから違うって言ってるのだー!」



顔を真っ赤にして否定の声をあげる紫紅美。その喧騒に紛れて、寒菜が俺に近づき、肩をつついて何やら書かれた紙を見せる。おめでとう……って、



「違う。お前まで雰囲気に流されるな」



「……」



今度は少し残念そうな顔をして、そっか……残念と書いた紙を見せる。



「……とりあえず、アレだな」



「……?」



「この無用な騒動を起こしたバカには後で制裁を加えるとしよう」



「……」



首をフルフルする寒菜。安心してくれ、お前の前ではやらないよ。見てない所でやる。






「うー。酷い目に遭ったのだぁ……!」



「しかも誤解解けてないからな、結局」



「踏んだり蹴ったりなのだー!奴はいつか、必ず、抹殺してやるー!」



「高らかに叫ぶんじゃない。往来の場で」



そういうのは心の内に留めておくもんだ。



結局、クラスメート達の誤解が解けないまま、俺たちは帰宅の途に着いていた。



最初のうちは慣れなかったが、今は随分とこの状況に慣れた自分がいる。人間の環境対応力ってのは素晴らしいね。



「むぅ……。そういえば、今日はどこで勉強をしようか?あいにく、私の家は今日は無理なのだ……」



「学校の図書館も混んでるだろうし、市立図書館も改装してるしな……。俺の家とかどうだ?」



「?」



一瞬、完全にキョトンとして変な顔になる紫紅美。なんだ、そんなに変な事を言った覚えはないが。



「……マサフミクン」



「落ち着け。機械みたいな喋り方なってんぞ」



「すー、はー、すー、はー……。雅文くん、もう一度、言ってもらえるか?」



「え、ああ。俺の家で勉強でもーー」



「無理なのだーーーーッッ!!」



顔を急激に赤く染め、全身で否定する紫紅美。……そんなにイヤか?泣くぞ。



「ま、雅文くんの家なんて無理なのだー!緊張するし、ドキドキするし……き、きっと、雅文くんの部屋の匂いを全身で味わってしまうのだー!」



「そういう理由か。ってか紫紅美、声抑えろ。思考やら感情やらが周囲に駄々漏れだ」



「はっ……!」



我に返り、周囲を見回す。人がいないのを確認すると、胸をそっと撫で下ろす。……なんか、可愛いな。



「仮に無理だとして、どこで勉強するよ?」



「………………」



「どこもないだろ?緊張なんかしなくたっていいって。ただのオンボロアパートの一室なんだから」



「い、いやでも、しかしだな……」



尚も食い下がる紫紅美。



「よしわかった。じゃあこうしよう。俺の家には行くが、部屋ではなく居間で勉強。これなら俺の部屋どうこうを気にしなくていいだろ?」



「い、居間か……。ならばいい、のか?いやだが、雅文くんの家には変わりない訳で。いやでも……!」



ぶつぶつと自問自答を繰り返す紫紅美。数分経った頃、決意は固まったらしく、



「ふっ、ふつつかものではございますが、何卒、よろしくお願いします!」



「嫁にでも行くのか、お前は」



頭を下げて言う紫紅美にツッコミを入れた後、俺の家に向かって歩き出した。








という訳で着いた我が家ならぬオンボロアパート。とは言っても壁にヒビが入ってるとかっていうわけではなく、雰囲気的に古い印象があるだけだ。



「なかなか古風な趣のアパートだな。ご家族で住んでいらっしゃるのか?」



「いんや。俺と妹の二人暮らし。両親は……」



目を伏せる。



「!そ、そうか。すまない、立ち入った事を聞いて」



「両親は外国で、イチャイチャと暮らしてる」



「……」



ポカンと口を開ける紫紅美。ふむ、ナイスリアクション。



「……!か、からかったなー!」



「バレたか」



「真剣に申し訳ないと思ったのにー!」



地団駄を踏む紫紅美。うん、そこまで悔しがってくれるのなら、からかった甲斐があるというものだ。



「悪い悪い。ほら、着いてきてくれ」



「うー……いつか仕返ししてやるのだー」



「程ほどで頼む」



「倍返しなのだー!」



「それは怖いなっと」



ガチャガチャと鍵を開ける。203号室。何の変哲もないこの部屋こそ、俺の住む場所だ。



「ほい、どうぞ」



「は、初めましてなのだ。少々長居をすると思うが、よろしくなのだ」



「部屋相手に改める必要はない」



玄関から伸びる廊下を突っ切り、一つの広めな部屋に出る。



「ここがリビングだ。多少散らかってるが、まあゆっくりしてくれ」



「…………」



チラッチラッと部屋のあちこちに視線を飛ばす紫紅美。やっぱり紫紅美も初めて入る人の家、しかも好きな人の家に上がると、色々見たくなるもんか。……一人で考えてて、なんか恥ずかしいな、俺。



「……雅文くんの」



「ん?」



「雅文くんの妹さんは、その……ああいうのを好んで着るのか?」



「すまない」



バッと、紫紅美の気まずそうな視線の先にあった妹の下着を取り、妹の部屋に放り込む。あのバカ……ッ!片付けてから出掛けろとあれほど。



「よし、気を取り直して勉強にかかろう。まず飲み物だな。紫紅美、何がいい?あいにく、高価なものは用意できんが」



「い、いや。お構い無く」



「つっても喉渇くだろ。麦茶で良かったら淹れてくるよ」



半ば無理やり話題を変えて、スムーズに麦茶を汲みに行く。やっぱ夏といったら麦茶だよな。



淹れて戻ってくると、紫紅美がリビングに置いている水槽を見ていた。



「わー……ネオンテトラなのだ」



「知ってるのか?割りとマイナーな魚だと思っていたが」



テーブルに麦茶を置きつつ尋ねる。



「お茶、ありがとうなのだ雅文くん。……この魚、以前に飼っていた事があってな。10匹ほど」



「10匹もか。まあコイツら、そんなに高くないからなあ。買いやすいっちゃ買いやすいか」



「一週間で全滅してしまったときにはさすがに悔いたのだ」



「……お悔やみ申し上げる」



コイツら、割りと繊細だからなあ……得てして、生き物ってそんなもんだが。



「と。早く勉強を始めねば何のために来たのか分からなくなってしまうな。早速始めようか」



「そうだな」



話題を打ち切り、黙々と勉強を始める俺たち。時折互いに教えたり教わったり……まあ、俺の方が教わる回数は明らかに多かったが。それ以外は、部屋に来たときに点けたクーラーと扇風機の音が響くのみ。下手をすると、図書館よりも静かかもしれない。そうして勉強をする事2時間。



「ただいまー」



鍵の開く音とともに、妹の声が響いてきた。



「っ!」



素早く居ずまいを正す紫紅美。いやお前、元々正座だったんだから大丈夫だよ。緊張しすぎだ。



「兄さん、頼まれてた野菜買ってきた……よ……」



ドサッと野菜が入っているであろう買い物袋を落とす妹。どうした。



「兄さん……。今日、赤飯炊いてないんだけど」



「何の話だ」



震える声でキテレツな事を言う妹に冷静に対処する。



「だ、だって兄さん……その人、彼女さんでしょ?」



「ちゃうわ」



訂正。冷静でもなんでもなかったわ、俺。妹よ、ぶっ飛びすぎだ。思考が。



「えっ、でも……え?」



どうして友人という可能性を考えないのだろう。混乱する妹を放置し、紫紅美に援助を求める。



「紫紅美。お前からも説明ーー」



「いやいや。雅文くんとはまだ……でもいずれはそうなりたいと思っている関係でして。というのも……」



「お前もか」



面倒くさい混乱二人組に、根気強く丁寧に対処した。






「なーんだ、友達か。びっくりしたよ、もー。兄さんに彼女なんて出切るわけないって常日頃思ってたからさ」



「泣くぞ」



「冗談だよ、冗談。えっと、美穂さんだっけ。初めまして。兄さんがいつもお世話になってます、妹の麗です」



「は、初めまして!紫紅美 美穂です。よろしく!」



「美穂さんの噂は兼ねて聞いていましたが、本当におキレイですね」



「い、いやっ。私なんか、そんな……!」



「優しそうだし、プロポーションもいいし、ウブだし。……羨ましい」



「ま、雅文くん!こんな時、どうすればいいのだ!?」



「とりあえず喜んどけ。今日早かったな、麗」



「まあね。そんなに混んでなかったから」



「ちゃんと買い物してきてくれて、兄ちゃん嬉しいぞ」



「えへへ……」



妹の髪を優しく撫でる。素直に撫でられているが、あと何年くらいこうできるのかね。



「……雅文くんは、その……妹さんと仲が良いのだな」



「まあ、悪くはないと思うぞ。ごく一般的な部類だ」



紫紅美が歯切れ悪く言うのに対して、そう簡単に言葉を返すと、



「…………ふーん」



妹が何かに気づいた、と言わん顔になり、唐突にこう言った。



「美穂さん。良かったら食べていきません?腕を奮いますから。兄さんが」



「俺かよ」



「兄さん。私を台所に立たせるんです?」



「俺が悪かった」



妹は台所に立ち入ってはいけない存在だった。自覚がある分、まだ救いだが。



「い、いやそんな。ご迷惑だろうし……」



「いえいえ。私、美穂さんともっとお話したいんです。いいよね、兄さん?」



「俺は構わんぞ。紫紅美さえ良ければな」



「で、ではお邪魔させて頂くのだ」



「おーう。ま、夕飯の準備しますかね。時間もいい頃合いだし」



「兄さん。今日のメニューは何です?」



「残ってる具材と、今日頼んだ野菜から考えるに……肉じゃがかなぁ」



「に、人参は入れてしまう派か、雅文くんは!?」



「んー、今日はいいかな……紫紅美。お前まさか、人参苦手だったり?」



「……黙秘権を使うのだ」



「……ぷっ!」

「……ふふっ!」



「な、なんで二人揃って吹き出すのだー!?」



「しっ、紫紅美。他に苦手なもんは?」



「……ネギと、あと玉ねぎはこれでもかってくらいにみじん切りにしてほしいのだ」



「……っ!!」

「……っ!!」



「な、なんで今度は笑いを堪えてるのだー!?仕方がないだろう、苦手なんだから!」



「み、美穂さんって……意外と子供っぽいところ、あるんですね」



「子供っぽくないのだー!!」



ムキーッと地団駄を踏む紫紅美。……普段が普段だけにすっごい可愛らしいな。妹も、同様のことを思ったようで。



「兄さん。あの人、愛でてもいいです?」



「程ほどにな」



「!?ま、雅文くん!い、妹さんの目が怖いのだ!」



「大丈夫ー……何も怖いことありませんよー……じゅるり」



「怖いのだ!妹さんの目が野獣のようなのだ!」



「大丈夫だって。俺、メシ作っとくから」



「雅文くん!放置して行かないでほしいのだ!ちょっ……雅文くーん!カムバーック!!」



まあ、脅かしてはいるが、啓とは違って麗は、常識も良識もあるし、大丈夫大丈夫。リビングから聞こえてくる救助要請を他所に、台所で夕飯作成に取りかかった。





「ようやく二人きりになれましたね……じゅるり」



「雅文くん!全っ然大丈夫じゃないのだ!妹さん、お、落ち着いてほしいのだー!!」



「……さて。兄さんも向こう行きましたし。少しお話しましょうか」



「……え。えと……?」



「ああ。さっきまでのは演技ですよ。兄さんにはちょっと席を外して欲しかったので」



「え、演技だったのか。そっか、良かったのだ……」



「……兄さんが近くに居なかったらなあ」



「本当に演技だったのか!?底はかとなく不安なのだが!」



「まあまあ。それよりも美穂さん。……兄さんのこと、どう思ってます?」



「……。…………。好き、なのだ」



「やはりそうでしたか。やっぱり女の勘って当たりますね。兄さん、ああ見えて大分鈍感なので、かなり積極的にいかないと、攻略は厳しいですよ?」



「う、うむ。それは分かってるのだ。……告白してもなびかないとはハードルが高いのだ」



「……は?告白?」



「一度、告白してるのだ。雅文くんに。けれど、お互いの事を知ってからじゃないと……と。雅文くん、若者なのにしっかりしてるのだ」



「…………」



「妹さんもしっかりしてるし。ご両親が外出なさる機会が多いと、自然と自立心が育つのだろうな。……妹さん?」



「……すみません、美穂さん。ちょっと、席を外しますね?」



「う、うむ?」



その後、妹が台所に来るなり、俺に説教、主に女心に関してを始めた。暑い中料理作ってるんだから勘弁してくれ……。



妹の説教は30分ほどで終わった。が、果てしなく長く感じた。



「ほーい、できたぞー」



食卓代わりのテーブルに料理を並べる。といっても、肉じゃがに野菜炒め、ご飯、味噌汁と平凡なものだが。



「おお……!家庭の味、という感じなのだ……!」



「古き良き定番、というやつですね」



「美味いかどうかは知らんがな」



いただきます、とみんなで声を揃えて言った後、それぞれ箸を食物に伸ばし口に運ぶ。



「……。!?美味しいのだ、雅文くん!」



数秒咀嚼した後に目を輝かせる紫紅美。



「喜んでもらえて何よりだが、オーバーリアクションすぎやしないか?」



「いや、本っ当に美味しいのだ!こんなに美味しいもの初めてなのだ!」



余程気に入ったのか、もぐもぐとご飯やおかずを口に頬張る紫紅美。まるでリスだな。



「はぁ、はぁ……。美穂さん可愛い。……兄さん、あの人撫でてもいいでしょうか!?」



「危険な目をしてるからダメだ」



コイツの無類の可愛いもの好きはどうにかならないものか。



「ーーふうっ、ご馳走さまでした!美味しかったのだ、雅文くん!」



雑談を交えながらもぐもぐと食べ進めていた紫紅美は、俺や麗が食べ終わる頃に食べ終わった。



「おう。お粗末様でしたっと。そろそろ帰るか、紫紅美?」



時間を見ると、8時を差そうとしてた。女の子なんだし、ここらがいい時間だろう。



「そんなっ!もう美穂さんを帰すんですか!泊まっていきましょうよ、ねっ!?」



「いやいや。着替え等も持ってきてないし。今日はこの辺でお暇させていただくのだ」



「着替えなら貸しますから!……ちょっと小さいかもしれないですけどっ。お風呂でキャッキャウフフして、夜中は布団でお楽しみしましょうよ!」



「雅文くん。私は妹さんが何を言ってるのか分からないのだ……」



「大丈夫、俺もだ。麗、ワガママ言うな」



「うー……。また来てくれますか?」



「……う、うむ。また来るのだ」



紫紅美、一瞬悩んだな……。



「じゃ麗、留守番しててくれ。紫紅美送ってくるから」



「い、いやいいのだ!一人で帰るのだ!」



「さすがに夜遅くに女一人で帰らせる訳にはいかねぇよ。ほら、行くぞ」



「……ありがとうなのだ」



「おう。麗はちゃっちゃと風呂入っとけよー」



「分かってまーす。美穂さん、またです」



「う、うむ。またなのだ」



部屋から出て、暗い外に出る。まあ、街灯がきちんと整備されてるから幾分かマシだが。



「妹さん、なかなかキャラが濃かったのだ……!」



少し身震いする紫紅美。若干、身の危険を感じたか?



「妹は結構な可愛いもの好きだからな。ジャンル問わず。今、女子高通ってるんだが、それも可愛い人多いからって言ってたし」



「私、可愛くないだろうに……」



「いや、普通に可愛いだろ」



…………と、紫紅美がフリーズする。数秒してフリーズから立ち直ると、



「ははは。またまた。雅文くんは社交辞令が上手なのだから。全くもう」



イヤイヤイヤと否定する紫紅美。……コイツは何を言ってるのだろうか。



「いや、社交辞令じゃないぞ。確かにこうやって喋る前はそうは思わなかった。むしろクールビューティーって感じだったが、話すようになって可愛らしさがよく見えるようになってだな……!」



あれ、俺、なんでこんなムキになってんだ?



「雅文くん。……あの、ものすごく恥ずかしいのだ。よく分からないけど恥ずかしいのだ。だから、その辺に……!」



顔に手を当てて頭を振る紫紅美。……ああ、今ようやく落ち着けた。



「……分かった。あの、今、冷静になれた。……ありがとう、紫紅美。目を覚まさせてくれて」



あのまま話し続けてたらきっと、俺も顔を手で覆う事態になっていたに違いない。



「…………」

「…………」



無言になり、紫紅美の家への道を歩く俺たち。心なしか、歩く速度が速くなってる気がする。



「……私は、幸せなのだ」



家に近づいた頃、落ち着いたからか紫紅美が再び話し始めた。



「特に不自由なく育ち、学校も通え、好きな人も出来て、その好きな人に可愛いって言ってもらえる。……普通に見えるかもしれないが、こんな幸せ、おいそれと味わえるものではない。ありがとう、雅文くん」



そう言う紫紅美の表情は、一点の曇りもない純粋な、幸せな笑顔。



どっちつかずな対応を取り続けている俺に、このままでいいのかと自責の念が込み上げてくる。



「……紫紅美。あのさ」



口を開いて言葉を紡ごうとする俺の唇に、何かが触れる。その正体は、紫紅美の人差し指。紫紅美がそのまま、言葉を発する。



「言わなくていい。……今、無理に答えを出す必要はないぞ、雅文くん」



少し小悪魔っぽく、イタズラに笑う紫紅美。……読まれてたか。



「悩むのは大事だ。だが、悩むことから逃げるように早急に答えを出すのは良くない。……よく悩んで、答えを出してくれ。私はいつまでも待つから」



「……ありがとう、紫紅美。少し気が軽くなった」



「それは良かったのだ」



ニコッと笑って、俺の唇から指を離す紫紅美。



「よし。雅文くんの自責の念も晴れたことだし、家にも着いたので帰ろう」



「おう。紫紅美、また明日な」



背中を向けた状態で紫紅美は手を振った。いつもと変わった挨拶がなんとなく気にはなるも、妹も待ってるしと家路を辿った。









その夜、紫紅美の部屋にて。



「ま、雅文くんのくちびる、柔らか……!あぁ~~!私は、私は何を考えているのだぁ~~ッッ!!」

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