誰にでも、苦手な事やこだわり、気にしてる事がある
「ふぁ~あっと……眠いな」
寝ぼけ眼をこすりながら、いつものごとく登校する。平穏な日常。この後暑くならなければ、今日は気持ち良く寝れそうだな。
「ま~さ~ふ~み~っ!!くらえっ!」
背後から何やら声がしたので、体を右にずらす。すると左側からむなしくも空気を蹴る足が伸びてきた。
「なによけてんだよっ!!」
「犯行予告されたから」
「予告は実行されるもんだろがっ!推理小説とか見てみろ!大体実行されてっから!」
「悪いな、俺は未然に防ぐ派なんだ。現実主義なんでね。それよりどうした、そんなに猛り狂って」
「昨日の悪行、忘れたとは言わせんぞ!」
「忘れた」
「言うんじゃねぇよっ!オレのセリフ返せっ!」
「なんだっけ?何かした、俺?」
完全に記憶がないので尋ねると、IKK(怒り狂ってる啓)が地団駄を踏みながら叫んだ。
「オ・レ・を!家の前に殴って放置しただろが!」
「…………ああ。アレか」
「本気で忘れてたのか、お前!?」
「俺にとってはどうでも良かったんで」
「オレにとっては一大事だったんだけどな!」
「そんな事よりさ、啓」
「そんな事、だと……?お前、そこに直ーー!」
「最近、暑いよな。夏だからだが」
久々に啓を煽ろうと、非常にどうでもいい話をする。きっと更に拍車をかけてキーキーと怒鳴ることだと思ったんだが……、
「……ほう」
不気味な程に気持ち悪く、啓は笑みを浮かべた。
「なるほどなるほど。ふっ、硬派を気取っちゃいるが、雅文くんも男なんだねえ」
「な、何がだ」
「夏と言えば海!海と言えば水着!つまり、美穂ちゃん達の水着姿を、是非この目で拝みたい!そういう願望の表れが、今日は暑いな、という事だったんだろう、雅文くんよ!」
「全身全霊で言おう。違うと。あとお前、ここ校舎前なんだから、そんな変態的な会話を俺の近くですんな」
「分かる。分かるぞ雅文くん。彼女のプロポーションは実に抜群だからな。その目に焼き付けたいという願望は、男として非常によく理解できる!寒菜ちゃんも、普段は制服に覆われているが、着やせするタイプだと、オレは見ていてなーー」
啓の変態的談義を聞く義理も理由もないので、変態啓から離れて教室へ向かう。
「ーーおっ、雅文くん。おはよう!」
珍しく向かう途中の廊下で、紫紅美にバッタリ出会った。
「おー、おはよう」
紫紅美のプロポーションか……。確かに出る所は出て、引き締まってる所はしっかりしてるが……って、俺は何を考えている!?
「っ!?ま、雅文くん!どうしたのだ、突然!」
「き、気にしないでくれ。ちょっと煩悩と戦っただけだ……」
「?」
廊下の壁に頭を打ち付ける奇行をした俺を、紫紅美は暫く不思議そうな顔で見ていたーー
夏は確実に、俺たちに影響を及ぼしていた。
さっき俺が変な事を考えたのも夏のせい。教室が蒸し暑いのも夏のせい。クーラーがまだつけられないのも夏のせい。啓が変態なのも夏のせ……いや、違うな。通常通りだな。
午後になり、一気に気温が上がった。時期的な問題でまだクーラーをつけられず、窓からの風はもはや熱風。こんな地獄のような教室で行われる本日最後の授業が、ハゲの石角。
「ったく……頭ピカピカして寝づれぇんだよ!アンタの頭は発行物体か!太陽の光受信しやがって!少しはこっちの身にもなりやがっっ!!」
「お前も俺の身にならんか。俺はハゲじゃない、スキンヘッドだ。さあ、授業に戻るぞ。問の27からーー」
授業中の睡眠を注意されたので文句を言ったら、PTAやら世間体やらを気にしない拳が、俺の脳天に振り下ろされた。……PTAにチクってやろうか、こんちくしょう。
「雅文くん。真面目に受けねばダメだぞ?」
「……暑い上に寝るの邪魔されてイライラしてんだ。紫紅美、よくそんな平然とした顔で受けれるな」
「勉強は好きだからな。好きなものには真剣に取り組めるものだ」
唯一、正気を保って授業を受けてる奴は言う事が違うな。
サウナと化したと言っても過言ではない教室内は、クラスメートの大半が虚ろな目をしながら必死に板書している。
「…………」
いや、もう一人生き残りがいたか。寒菜も黙々と授業を受けてる。この二人は化け物か。
十数分地獄のような時間が流れた後に、終了のチャイムが鳴った。
「よし、今日はここまで。暑くなってきているから、家でもこまめに水分補給するんだぞ」
「……ならとっとと終われやハゲ」
「雅文くんっ」
密かに毒づいていると、紫紅美に咎められた。まあ、仕方ないが。
それからHRも終わり、下校の時間に。クラスメートたちが気ままに教室を後にしていく。
「雅文くんは本当に寝起きが悪いのだな」
ため息まじりに紫紅美が言う。
「まあな。あと、暑さにも弱い。この二つのダブルパンチだと、普段思ってても言わない事を言っちまうんだよ」
「むぅ、しかしあの話し方はダメだぞ。前にも言ったかもしれないが、先生方には誠実な対応をしなければ」
「紫紅美は、暑いの平気なのな」
延々と忠告されそうな予感がしたので、話題を転換する。
「平気という訳ではないが……授業を受ける分にはまだなんとか大丈夫だな」
「俺は授業受けるのも困難だ。この暑さ、なんとかならんもんかね」
「そんな君たちに朗報だよっ!」
ムーンウォークっぽい動きでバカ(啓)が現れた。
「なんだ、バカ。暑くてお前の相手をするのもイヤなくらいだから、用件があるならとっとと済ませろバカ」
「バカ、バカの連呼。……やめたまへよ、雅文くん。みじめになるだけだぞ」
「で、朗報ってなんだよハゲ」
「ハゲに変えればいいってものでもないからね!?」
コホンと咳払いをした後、啓のウザい一人芝居が始まった。
「日に日に強くなる、偉大なる太陽の恵み。人は古来より、その光を全身に浴びてきた。だが、現代人は、全身で光を浴びるという行為を忘れてはいまいか。テレビ、ゲーム、携帯!文明の発達によって生まれた利器の便利さや、日々の忙しさにかまけて、偉大な恩恵をーー!」
「とっとと本題入りやがれ」
いい加減ウザい啓の一人語りを強制終了させると、啓はかぶりを振って、人がまばらな教室で、何も臆することなくこう言ってのけた。
「水着だよ、水着!美穂ちゃん達の!」
『…………』
僅かに残っていたクラスメートたち、そして俺、紫紅美が引いた。
その異様な様子に気づいた啓はあれ、と言葉を発した後、ふむと考え込み、やがて手をポンと叩いて言った。
「間違った。海行こうぜ、海!」
『どんな間違いだぁ!!』
クラスメート達の総ツッコミと共に、紫紅美が啓をシバきに入る。悲鳴に入り交じって、ありがとうございます!とか聞こえてくる。……ああ、気持ち悪い。
「紫紅美、ストップ。このバカ、喜び始めてる」
「はぁっ、はぁっ……くっ。この気味悪さ、どこで晴らせばいいんだっ!」
「僕で晴らしてくれて、構わないんだよっ?」
「うがぁぁぁ!!」
「啓、ウィンクで挑発すんな!今のお前のウィンクは、人一人殺せる!」
対象は啓、お前だがな!
「美しいって、罪だね」
怒りのままに暴れだしそうだった紫紅美をどうにかこうにか静ませて、啓に改めて尋ねる。
「朗報って、要は海に行こうっていう誘い文句って事でいいのか?」
「まあね。暑さでみんなイライラしてるみたいだし、どうかなって」
コイツは、紫紅美の怒りの原因が自分にあることを理解してるんだろうか。
「とりあえず、一つだけ言うことは、お前とは行かん」
「酷いや、雅文っ!美穂ちゃんや寒菜ちゃんの水着姿を独占するつもりなのかいっ!?」
「単にお前を連れていきたくないだけだ。飢えた獣の前に、餌を用意するつもりはない」
「獣が餓死しちゃうじゃないか!」
「それが自然の理だ。つーか今さらだが、行く前提で話してたが、そもそも紫紅美達が行くかどうか分からんだろ」
「大丈夫さ。その為の雅文なんだから」
「人をダシに使うな」
「言っておくが、雅文くんから誘われたなら行くが、貴様からの誘いなら乗らんぞ」
紫紅美が横から絶対零度の視線で啓に告げる。
「手厳しいや。じゃ、雅文くん。誘うがいいよ」
「待て。なんだこの流れは」
気づけば俺が、紫紅美達を誘う流れになってるんだが。
「暑いんだろ?美穂ちゃん達の水着姿を見たいだろ?誘っちゃえよ、YOU!」
「見たいのはお前だろ。お前とは行かないからな、啓」
「酷いや雅文っ!美少女達の肢体を見せてくれないなんて!」
「黙れ変態。つーか話がループしかけてる」
確かに暑いは暑い。海に行けば涼めるだろう。だが、涼むなら自宅で充分だし、紫紅美が行きたいかどうかも分からなーー
「…………!」
キラキラした目で俺を見つめる紫紅美。めっちゃ誘ってほしそう。
「…………!」
寒菜、お前もかっ!ちょっと視線をずらしたら、寒菜もそんな願望を込めた眼差しで見ていた。
「…………!」
同じような眼差しを送るバカ(啓)は無視する。
「……あー。紫紅美、寒菜。よかったら、なんだが……海、行かないか?」
「行くっ!!」
食いぎみに紫紅美が答える。寒菜も強く首を縦に振っている。
「なら僕もーー」
「行かせねえよ?」
どっかの芸人みたいなリアクションをしたが、コイツは行かせない。女にとっても海にとっても、コイツは招かれざる客なのだから。
という訳で、3日後。
「きれいな海なのだー!!」
電車を乗り継ぎ、少し離れた街にある海水浴場に来た。ここ、南ノ砂海水浴場は、更衣室やパラソルなどの施設や備品が充実しており、近場にはわりかしリーズナブルなホテルもある。ま、俺たちは日帰りだからそこは関係ないんだが。
到着するなり、目を輝かせて叫ぶは紫紅美。寒菜も無言で目を輝かせている。
「で、お前も来るのな」
「当然っすよ!姉御の平穏な休日は、ウチらの手で守るっす!」
どっから情報を嗅ぎ付けてきたのか、赤髪ツインテも一緒だった。まあ、一番騒ぎを起こしそうな奴がいないのは救いだな。のんびり楽しめそうだ。
「はてさて、皆は中に水着を着てきているのか否か……これはなかなかの思案事項ですな、雅文くん?」
………………。
「さて。このバカを完全に埋めようか。頭の天辺まで」
「待て待て待って!雅文くぅん!!」
皆で(寒菜は参加していないが)手分けして啓を首の下辺りまで埋めると、啓が必死の形相で叫んだ。
「なんだよ変態。こちとら時間が限られてるんだ。遺言なら短めに、どーぞ」
「まだ死にたくないっす!助けてーー!!」
「姉御。ここまでやっといてなんっすけど、コイツ誰っすか?」
「地球上最も有害な生物だ。駆除してもらって構わない」
「姉御が言うなら了解っす!」
「待って!あの、やましい事しませんから!きちんと海を楽しみますから!皆さんをいやらしい目で見たりしませんからぁーー!!」
それが、啓の最期の言葉だった。まあ、嘘だが。すぐに掘り返してやった。一度恐ろしい目に遭ったら、コイツも反省するだろう。
「……雅文。オレ、意外とコレもありかもしれない」
より一層変態が悪化した。そのまま埋めておけばよかった。
「じゃ、着替えるとするか。着替えたらここに集合で」
そう言って女性陣と別れ、男子更衣室へと向かい着替えた。格好はシンプルに海パンだ。
「女性陣の水着姿は楽しみですな~。あのツインテの子は絶望的だけど」
「アイツにそれは言うなよ。セクハラ疑惑で脳震盪レベルのパンチ食らうからな」
「……ほう」
「おい何を、良いこと聞きました、みたいな顔してんだ啓」
「ところで、雅文はあの子と仲良いのかい?」
「聞けよ。ってか仲って……悪いんじゃね?結構目の敵にされてるし」
「……そうかそうか」
「な、なんだよ。その薄気味悪い笑み」
「いやあ、面白そうな事になりそうだなと思ってげぶっ!!」
隣を並んで歩いていた啓の頭が視界から外れた。入れ替わりで視界に入るは、白くスラッと伸びた足。
「誰の水着姿が絶望的っすか!も一回地面に埋められたいんすか!?」
噂をすればなんとやら。ツインテの仕業だった。
「どんだけ間の空いたツッコミだよ」
「何の話っすか?」
「いや、なんでも」
いやが上でもコイツの水着姿が目に入る。……ホント、憐れなほど薄っぺらなーー
「視界に不愉快なものを感じたっす。殴っていいっすか?いいっすよね?」
「やめろ。公衆の面前で、夏の思い出をトラウマに塗り替えるような事をするんじゃない」
能面のように無表情で淡々と言うツインテに、精一杯の弁明をする。弁明になってるかどうかは知らないが。
「たく。少しは褒められないんすかね」
奇跡的に無罪放免になったらしく、ツインテが俺の首から手を離し、ため息をついて言う。
「褒める?なんで?」
「一緒に来た女友達には、似合ってるとか可愛いって言うのがセオリーっすよ」
「だって、似合ってる以前に胸がーー」
ミシッという破滅の音が脳内にこだました。あ、俺、終わったと薄れゆく意識の中思っていると、
「やめんか、玲奈!」
救世主(紫紅美)が降臨なさった。ツインテの手が俺の頭から離れる。
「だ、だって姉御!コイツ、ウチの体型をバカにしたんすよ!!」
涙ながらに紫紅美に訴えかけるツインテ。……そんなに気にしてたのか。
「それは確かに雅文くんが悪い。が、やり過ぎだ」
「……申し訳ないっす」
「雅文くんも、人には気にしてる事があるのだから、それを察しなければダメだぞ」
「今、それを身に染みて理解した」
極力、実行するようにしよう。
「ところで紫紅美。すげぇ似合ってんな、それ」
「ぅえっ?」
唐突に誉めたからか、狼狽える紫紅美。やっと実践する気になったっすか、とかツインテが言ってるが、ツインテの言葉を受けたからではなく、素直に出た言葉である。
黒のビキニで、紫紅美の雰囲気によく合う。紫紅美の噂になるほどのスタイルの良さも遺憾なく発揮されている。
「そ、そうか?ならばよかったのだ。うむ。……ダイエットして本当に良かった」
ダイエットしたのか。必要なかった気もするが、言わないでおこう。人には気にしてる事があるのだから。
「……良かったね、美穂。……にしても羨ましい」
「本当っす……」
二人が二人して、紫紅美のとある一点を見てる。寒菜は見る限り、そんなに羨ましがらなくてもいいサイズ……ってバカか、俺は!何を考えている、最近本当に変だぞ俺!?
暑いからか、啓とツルんでるせいか、両方か……。いずれにしても、啓と距離を置くようにしよう。変態のレッテルを貼られる前に。
ちなみに寒菜の格好はというと……何故かスク水。いや、何故?
「寒菜。お前、なんでスク水?」
「……スク水?」
「スクール水着の略だ。お前が着てるのスクール水着だろ?」
「……私、あんまり海に行かないから……水着持ってなくて。……啓にお勧めって言われた」
「貴様がすべての元凶か、この変態!!」
ツインテに蹴られたきり動かなくなっていた啓を、さらにシバきにかかる紫紅美。やめろ、褒美を与えるな。
「……変?」
「変っつーか、アレだな。アイツの趣味全開で……まあ、いいんじゃないか?」
「……啓、こーいうのが好きなんだね。……もしかして、体操服とかも?」
「寒菜。アイツの趣味に合わせるな。もう戻れなくなるぞ」
普段、あまりやる気のない俺だが、久々にマジな顔をして真剣に忠告する。
「……啓の趣味、変、なの?」
「ああ」
「……私も変わってるから……変と変で……一緒」
嬉しそうに笑う寒菜。……ああ、俺にはもうどうしようもないな。いつか機会を見つけて、紫紅美に軌道修正してもらおう。
紫紅美が啓をスクラップ寸前の所まで追いやった所で、ツインテがピシャリと言う。
「はい!騒ぐのは海でやるっすよ!海に来たんすから、揉め事も断罪も説得も、海の中でやるっす!」
「ツインテ。お前、海でハシャギたいだけだろ」
「黙るっす、そこ。ほら姉御、行きやしょう!」
「わっ、ちょっ、待つのだー!!」
「……とりあえず寒菜。俺らも行くか」
「うんっ……!」
屍寸前の啓は放置し、蒼く輝く生命の源へと向かった。
「っひょー!冷たいっすー!」
透明度の高い海の中、思い切り海を堪能している様子のツインテ。お前、姉御の護衛とやらはどうした。
「この冷たさはクセになるのだ~」
一方、足先だけ海に浸かった状態で、冷たさに歓声をあげる紫紅美。
どうせなら、海にスッポリ入ってから言えばいいのに……まあ人それぞれだが。
「……わっ、本当に冷たい……!」
恐る恐る足先を海に浸け、すぐに引っ込める寒菜。……なんだ、この愛くるしい反応は。
「ほらっ、何やってるっすか二人とも!こういう時は全身を水に浸けて慣らすっすよ!」
「のわっ、や、やめるのだー!」
「きゃっ」
ザバザバとこっちに来るなり、紫紅美と寒菜を文字通り海に沈めるツインテ。……楽しそうだな、お前ら。
「つ、冷たいのだ~……!雅文くんも来るのだー!」
「……楽しい、よー……」
「姉御たちの誘いっすよ。まさか、断らないっすよね……?」
「脅すな。行くよ。……周囲の視線が痛いが」
紫紅美も寒菜も、誰もが認めるであろう美少女だ。で、ついでだがツインテも美人の類いに入ると思う。……とどのつまり、男どもの嫉妬の視線が痛い。が、まあ誘われてるので向かう。……思ったより冷たいな。
「……。……。……」
「なんで足浸けたり戻したりしてるっすか。アンタはさっきの寒菜さんっすか」
「ツインテ。お前、寒菜のこと知ってるのか。ってか喋れるのか」
「ウチは姉御たちと付き合い長いっすからね。喋れるっすよ。……て、話逸らさないでほしいっす」
「なんで海って青いんだろうな。空が青いからって言うやつもいるが、空が青い理由はって尋ねると黙るし。答えなんて、人類がどれだけ生存しててもわからな」
言葉の途中で、ツインテに思いっきり手を引っ張られた。
「ぶわっふ!つ、冷てぇ!」
「男ならとっとと覚悟決めて入るっすよ。冷たいのなんて当たり前っすよ」
ツインテに冷めた目で見られる。が、こちらとしても言い分はあるわけで。
「てめぇ……ツインテぇ!急にこんなことやられたら心臓がビックリすんだろが!」
「死にはしないっすよ」
「……あー、心臓冷たいわぁ。絶対寿命5年は減ったわあ」
「どんだけヤワな寿命っすか!そんなんで減ってたら、アンタ数年後には死ぬっすよ!」
ギャーギャーと喚く俺たち。しばらくしてお互いにふと我に返った。
「……海にまで来て、何してんだろう。俺たち」
「アンタのせいっすよ」
「お前のせいだ。っつーか時間がもったいない。遊ぶなら遊ぼう」
言い逃げっすか、とかツインテが尚も騒ぐが、もうキリがないので放置する。
「……雅文くん。玲奈と仲が良いのだな」
「今の何を見てそう思った」
若干、不貞腐れたように言う紫紅美にツッコむ。ってか、何故膨れる。
「くすっ。……雅文、玲奈。美穂は……二人が羨ましいみたい」
「「はぁ?どこが(っすか)?む」」
「……そういう所。……美穂。美穂も混ざっちゃえばいい……」
「わっ、お、押すなー!」
ぐいぐいと紫紅美を俺の方に押し付ける寒菜。……めっちゃ周りの視線が痛い。
いや、こんな事気にしてたら紫紅美と仲良くなんてなれないなと思い直す。啓の発案もあったとはいえ、目的は紫紅美のことを知る事なのだから。
「……よしっ、紫紅美!いっちょ泳ぐか!」
「急にどうしたっすか」
「思い直しただけだ。気にするな。とりあえず遊泳可能な……あの辺りまで競争しよう」
海水浴場とかで浮いてるヤツを指差す。足は海底には届かないだろうが、この距離なら溺れないだろう場所。だが、紫紅美から返事がないので振り返ると、
「…………」
口を開いたまま固まっていた。どうした、お前?
「あー。アンタ、知らないんすね」
「何が?」
「……美穂、泳げない……」
「マジか」
紫紅美を確認の意味を込めて見ると、コクンと頷いた。
「なんか、紫紅美って完璧なイメージがあったんだが、ちょいちょい普通の人っぽい所あるよな」
「わ、私だって人間なのだ。苦手なことくらいあるのだ……」
「ぷっ」
「な、何故笑うのだー!?」
「アンタ、姉御バカにしてるんすか!?」
「い、いや違う。なんつーか……そりゃそうだよな、と思って」
当たり前なはずなのに。この世に完全無欠な人間なんていやしないって。なのに、紫紅美だけ別枠で考えてしまっていた自分が、酷く滑稽で。
「……よし!じゃあ練習するか!」
「え゛……」
「そうっすね。姉御の苦手なものは克服しとくに越したことはないっすし」
「え」
「……泳げるようになったら……一緒にシュノーケリングしたい」
「れ、レベルが高すぎないか!?」
「そんくらい高い志を持つようにっていう寒菜からのお達しだ。スキューバダイビングもできるといいな」
「な、なんで次から次へと追加されていくのだー!?泳ぐのだって不安定なのにー!」
「今日で泳げるようにしてやるよ。まず1分間、顔を水に浸けるところからだな」
「ひっ!こ、殺されるのだー!!」
誤解を生みそうな紫紅美の悲鳴もどきは、しばらくの間海水浴場に響き渡った。
「ひ、酷い目に遭ったのだ……!」
「大袈裟だっつーの」
しばしの遊泳タイムを終え、ツインテ女子の腹の虫が鳴った所で昼食タイムに。
遊泳タイムは紫紅美にとっては辛かったらしく、うー、と涙目で睨まれる。全然怖くないが。
「……姉御、こんな睨みもあるんすね。……ちょっといいかもしれないっす」
隣のツインテはむしろ喜んでるし。ツインテ。お前、M属性もあるのか?
「……啓は?」
キョロキョロと啓を探す寒菜。多分、このメンバーで唯一だな。啓を気にかけてるのは。
「まだ砂に埋まってるか、でなきゃナンパだろーな」
「……雅文はナンパ……しないの?」
「俺を年中女探ししてるバカと一緒にするな。最低限の節度は守る。だいたい、それよりも先に紫紅美のことだしな」
「……?ナンパって、女の人と……友達になることじゃないの……?啓、そう言ってた……」
「もうアイツの言うことは信用するな」
万が一、地球が破滅するよりもありえない話だが、寒菜が啓と付き合うようになったら、この純真無垢さはどんどん汚れていくんだろうなあ……。
「寒菜。お前はこのままでいいからな?」
「?うん……」
「……雅文くん。頼みがあるのだ」
「なんだ?」
他のメンバーや俺が海から離れつつあるにも関わらず、一人海の中にいる紫紅美。どした?
「た、立てないのだ……。だから、その……抱っこしてほしいのだ……」
「ツインテに頼んでくれ、じゃ俺、昼食買いに」
「私の事を知っていくのだろう!ならまずは体重をーー!」
「体重まで把握しとく気はねぇよ!」
「そんな事言わずに頼むのだぁ……」
ウルウルと泣き出しそうな目で見る紫紅美。……あー、もう!
「分かったよ。ほらよっ!」
「わっ、きゅ、急にやらないでほしいのだぁーー!」
紫紅美の心の準備なんて知るかっ。こちとら結構恥ずかしいんだ。
抱っこはさすがに恥ずかしいので、紫紅美の膝の裏と背中に手を回して抱える、いわゆるお姫様抱っこの体制に。……あれ、おかしいな。余計に恥ずかしい気がする。
「ま、雅文くんにくっつ……はわわわ」
「何も言うな紫紅美。頼むから」
意識しないように必死にしてるのに、意識するじゃないか。上から見える紫紅美の身体とか支える手から感じる柔らかさとかっ。
落ち着くんだ、俺。俺は砂俺は砂。俺は砂の一部であり、砂は俺の一部……。意味不明な思考へとトリップしたお陰か、何事もなくツインテ達の所に辿り着いた。
「……とりあえず、姉御襲ったりしなかったんで合格っす」
着くなり感心したように言うツインテ。……が、待て。
「俺が紫紅美を襲う可能性があったのか?」
「80~90%くらいっすかね」
「高ぇな!?」
「ちなみに、チラッとでもその素振りを見せてたら、張り込んでるウチのNo.2がアンタを海のもずくにしてたっす」
No.2が張り込んでるのか。ってか、
「怖ぇな。俺は海産物になるのか」
「……?」
「いや、もずくって言ってたから」
「~~!!て、訂正するっす!海のもず、もず……も、く、ずになる所っす!」
「荒業使ったな。噛みたくないがために」
「……本当にもずくにするっすよ」
「俺が悪かった」
ツインテの目が細くなったので降参した。勝てない戦はするもんじゃない。
「ま、襲う襲わないは冗談っすよ。No.2は張り込んでるっすけど」
「冗談かい。ってかNo.2はマジなのかよ。……誰だ?」
「言わないっす。仲間を売るようなマネはしないっす」
「別に尋問してる訳じゃないだろうに」
トントンと腰辺りを叩かれる。寒菜だった。
「どうした?」
「美穂、降ろさないと……やかんみたいに沸騰しそう……」
「え?……あ」
寒菜の言う通り、紫紅美は完全に茹で蛸と化していた。
「ほらよ。焼きそばと他多数だ」
「……ありがとー」
「よくやったっす」
「何で上から目線なんだよこんちくしょう。俺一人に昼飯の買い出し全部任せやがって」
「ウチはパラソル立てたっすよ」
「パラソル立てたごときで全て許されると思うな」
「……私、何もしてない」
「寒菜はいいんだよ」
「寒菜さんはいいんすよ……ん?」
ツインテと言葉が被った。そしてメンチを切られる。何故だ。
「すまぬのだ二人とも……。足に力が入らなくて」
「じゃあ、仕方ねえよ」
「それは仕方ないっすよ……死ぬっすか?」
「ワザとじゃねぇよ!」
恐ろしい形相で睨まれたが、ワザとやってる訳ではない!
「……随分と仲が良いのだな」
「いやいやいや」
「いえいえいえ、とんでも。……」
「ぐぁっ……!」
こ、このぺったんツインテ……!脇腹という急所に情け容赦のないツネリ攻撃を加えやがった。
「やっぱり仲が良いのだ……羨ましい」
買ってきたジュースを、ストローでコポコポと息を送り込みながら、妬ましげに見る紫紅美。そんな品のないことをするんじゃありません。
「……美穂も仲良くなればいい。……ほらほら」
「わっ、ちょっ、押さないでくれ寒菜ー!」
寒菜のサポート(?)で紫紅美が俺にめっちゃ接近してきた。腕を動かしたら当たりそうな距離まで。……なんつーか、俺もだいぶ緊張するな、これ。思い返しても女子と、しかもこんな綺麗な女子とここまで接近したことないぞ。しかもお互いに水着だし。
「……緊張するのだー」
ギュッと縮こまって一言そう言う紫紅美。緊張するなら離れればいいと思うのは俺だけか。
「見せつけてくれるっすねー。ウチらは焼きそば食いますか、寒菜さん」
「……そうしよー」
「あっ、待てツインテ!その焼きそばは俺のーー!」
「うひゃうっ!!?」
ツインテが取ろうとしてる俺用の焼きそばを奪い返そうと手を伸ばすと、紫紅美の腕と接触し、紫紅美が甲高い悲鳴をあげた。
「反応しすぎだ、紫紅美!誤解されんだろが!」
「す、すまないのだー。……誤解って、なんのことだ、雅文くん?」
「そ、それは……あー、ツインテ!てめ、食ってんじゃねぇよ俺の焼きそば!」
「焼きそばごときで小さい男っすねぇ。……あ、結構いけるっすね、コレ」
「てめぇ!!俺が編み出した絶妙のトッピング、ソースとマヨネーズの配分を抜群なものにした至高の焼きそばをそんなパクパク食ってんじゃねぇよっ!!」
「へふひょうのほっぴんぐ……って、何すかそれ?」
「食いながら聞くんじゃねぇ!返せ、俺の焼きそ……待て、食いきるなぁ!!」
「雅文くん、誤解とはなんなのだ~?」
「……とっても賑やか。楽しい」
結局、あのアホツインテは俺の訴えを全て退け、俺流至高の焼きそばを完食しやがった。
「……よし。忘れ物はないか、みんな?」
「……俺の焼きそば」
「わ、悪かったっすって。アンタがまさか、そんなに焼きそばに入り込んでるとは知らなかったんすよ」
「……焼きそば」
「あぁ、もう!女々しいっすね!また作ればいいじゃないっすか!」
「同じ焼きそばには二度と出会えないんだぞ、こんちくしょう!」
「玲奈。素直に謝れ。今回は全面的にお前が悪い」
「……すみませんっす」
「雅文くん。玲奈もこうして謝ってる事だし、許してあげてくれないか?」
「……。分かったよ、許す」
「うむ。さすが雅文くんなのだ。にしても、雅文くんがそんなに焼きそば好きとは知らなかったな」
「……私もー」
「焼きそばは男の命だ。今や簡単に作れるカップ焼きそばが広く定着してしまっているが、麺からとまではいかなくても、調味料や焼き加減、トッピングに拘るべきだと、俺は常々思っている」
「すごく熱いのだ……!」
「雅文は……家で料理するの……?」
「ああ。妹と二人暮らしだからな。自然と炊事洗濯はできるようになってんな」
「しゅ、主夫の鑑なのだー……!」
「ウチには到底真似できそうにないっす」
「ツインテは……まあ、できそうにないよな」
「シバいていいっすか?」
「ありのままを言っただけだろ!?それともできるっていうのか?」
「……カップ麺なら」
「…………」
「姉御。あの鼻で笑ってるような表情ムカつくんで、やっていいっすか?」
「……。一発なら」
「なんですどぉぉ……っ!!」
キレイなワンパンを腹にもらった。くっ、紫紅美がいるから大丈夫と高をくくってたのに……!まさか紫紅美が敵に回るとはっ!
「今のは雅文くんが全面的に悪い。以後、気をつけるように」
「……うーす」
下手にツインテで遊ばないようにしよう。俺はこの時、そう決めた。
「まだ遊び足りない気もするが、今日はもう帰ろう」
「そうっすね。もう日が暮れ始めてるっすし」
「明日学校かー。気分ノらないわー」
「気分が乗らなくてもきちんと来るのだぞ、雅文くん」
「……うーす」
「……ねぇ、みんな。……啓は?」
「放っておいていい。あんな奴は」
「雅文くんの言う通りなのだ。居ても邪魔なのだ」
「姉御がそう言うんなら、きっとそうっすね!」
「……さすがに可哀想。……私、ちょっと探して」
「おぉっと。そんな必要はないよ、寒菜ちゃん。僕、ここに馳せ参じたりってね」
「「ちっ」」
「二人揃ってのユニゾン舌打ちとは。随分距離が縮まったんじゃないかい、お二人とも?」
「いいから帰るぞ。ほら、荷物持て」
「私たちと一緒に帰るのなら、雑用をしてもらうのだ」
「構わないよ。この重荷が、恋の試練に立ち向かう僕を強くする。と、信じているからね」
「……啓。私、手伝う」
「ノンノンノン。寒菜ちゃん。これは僕が背負うべき宿命だ。誰かに、しかもか弱いレディーに持たせる訳にはいかないよ」
「……分かった」
寒菜も折れてくれたところで、俺たちは電車に乗り込んだ。
「……よほど楽しかったんだろうな。雅文も女の子もみんな寝てる。やれやれ、まだまだ子供だな。みんな」
意識の奥で、カシャッというシャッター音が聞こえた気がした。