生徒会長との下校
「――君のことが、好きだ。絶対に幸せにする。付き合ってくれ」
夕陽が教室を紅に染める。
そんな放課後の教室で、俺は告白された。
男っぽい口調のその女子は、成績優秀、スタイル抜群、容姿端麗と3拍子揃った生徒会長で――
校外では冷血無比と名高い暴走族のリーダーだった。
これは、至って普通の、酸っぱさが抜けて甘いだけの青春ラブコメディのプロローグ。
オレの名前は、鳴神 雅文。割と立派な名前を貰ってる普通の高校生だ。
性格は温厚(他人からは口が悪いと言われた事がある)で、拳と拳を突き合わせた喧嘩なんて一度もした事がない(口喧嘩は数え切れないほどにしている)。
そんな至って凡人の俺の隣の席にいるのが、紫紅美 美穂。
黒い長髪をたなびかせ、切れ長な目。そんな姿はまさしく、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花を体現しており、すれ違う人々は皆一様に振り返る。まさしく別世界の美人。
何も知らない人が見れば一目惚れし、気の早い奴は告白しようとするだろう。
だが、彼女のことを知る人は、告白なんて考えない。何故なら……、
「姉御!迎えに来やした!」
「うむ、ご苦労里美。ではみんな、またな」
毎回、放課後に現れるスケバンのような女子と共に、彼女は教室を後にする。彼女はいわゆる、暴走族の総長だ。
人望が厚く、喧嘩になれば敵なし。他校の不良どもは畏敬の念を込め、彼女を「悪姫」と呼ぶ。そんな彼女を万が一敵に回したら、相応の報復を覚悟しないといけない。
告白に関しても同様で、彼女に告白し、万が一にでも彼女と付き合う事に成功したとしても、彼女を慕う暴走族メンバー、並びに学校で密かに結成されているファンクラブの面々が黙ってはいまい。
そんな経緯もあってか、彼女に恋人がいるとかいう話は聞かないし、彼女に告白したという猛者も聞いたことがない。
「はぁ~、いいな~氷姫。今日もクールだぜぇ……」
今、目の前にいる男を除けば。
こいつの名前は桐生 啓。周りからこいつと俺が親友なんて思われているが、とんでもない。俺は知り合い程度に留めているつもりだ。
「あぁいう時って、何考えてんだろな……やっぱオレのことかな。はぁ、美穂ちゃんのことといい、オレは罪作りな男だな。なぁ、雅文」
「ああ、勘違いの激しさという意味なら罪は深いな。今すぐ自首しろ。無期懲役で済むうちに」
「ふぅ……。雅文、僻むなよ」
「呆れてんだよ」
こいつは自意識過剰なバカである。今年に入り、紫紅美に少なくとも3回も告白している。彼女は絶対に自分に気がある、そうぬかして。結果、しつこいと紫紅美に制裁された。が、諦めないこいつのその時の言動に、俺は全力で引いた。
「ふっ、俺らの業界ではむしろご褒美です。もっとやって下さい!」
「わかった。遠慮なく殺らせてもらう」
「ちょっ、落ち着け紫紅美!」
あの時、俺が止めなかったら、こいつは半殺し以上の目に遭っていたに違いない。
こいつぐらいだろう。紫紅美のことを一切気にせずに告白した無謀なバカは。
そんなこいつは、次なるターゲットを定めていた。窓際に座る、長い白髪をたなびかせた、眠たげな目をした美少女に。錦田 寒菜。無口かつ無表情で、感情をあまり表に出さない様子からついたあだ名は氷姫。俺自身もあまり話したことはなく、休み時間はもっぱら読者をしている。クラスメートも、どこか壁を感じているのか、彼女に話しかける者はいない。
そんな空気すら壊して、コイツだけは熱心に錦田に話しかけている。色んな意味で、クラスの雰囲気を壊す奴である。
「さってと、今日も氷姫ちゃんと愛を語らってくるかな。雅文、嫉妬すんなよ」
「安心しろ。全力で距離を置いておくから」
一時限目が始まるまでの貴重な時間を無駄に費やすとはな……。見ろ、錦田完全にシカトしてんじゃねぇか。俺には真似できんな。
「さて……寝るか」
昨日、遅くまでネトゲやってたから眠い……。俺は意識を手放した。
(――雅文くん、雅文くん)
んだよ、眠いんだよ。もう少し寝かせてくれ……。
(――雅文くん、起きろ!先生が……!)
先公なんて関係ねぇ!俺は寝たい時に寝る!
ガンッ!!という音が脳内に響くと同時に、頭に鈍い衝撃が走る。
あまりの痛みに、頭をさすりながら目を覚まして、俯けていた顔をあげる。
「鳴神……授業中に眠るとはいい度胸だなぁ」
ハゲの石角(数学担当)が握り拳をわなわなと震わせ、目の前に仁王立ちしていた。
コイツ……俺を殴りやがったな。
「んだよ……俺の寝る邪魔すんな、ツルッパゲ!」
クラスメート数人が吹き出す。ツボに入ったようだ。
「……もう一発喰らいたいようだな」
ハゲの石角が、握り拳を振りかざしたその時、
「石角先生。授業を進めてください。彼は私が注意するので」
紫紅美がハゲをじっと見て、早口でまくし立てた。思わず硬直するような、氷の視線で。
「……分かった。頼むぞ」
さすがのハゲも怯んだのか、紫紅美に俺を任せて、黒板へと戻って行った。
「助かる、紫紅美……。もう一発貰ってたら絶対青アザなってたわ」
「ま、まったく。きちんと授業を受けないか。先生に対しても、あの態度はなかろう」
「寝起き悪ぃんだ。とりあえず、ありがとよ。ちゃんと起きるわ」
「う、うむ。分かればよいのだ」
少し頬を赤らめ、前を向く紫紅美。
この様子、啓ならほぼ間違いなく、照れてるから顔が赤いとかぬかすんだろうな。俺はナルシストじゃないから、その手の勘違いはしないが。大方、寒いんだろ。まだ春先とはいえ、冷えるからなー。
冴えてきた頭で黒板を見る。
……やべ、進みすぎて何がなんだか分からん。
とりあえず書き写すか。
「おー、雅文。お前、盛大に怒られてたなぁ」
休み時間に入り、KUK(かなりウザい啓)が話しかけてきた。
「俺は悪くない。眠くなるような授業する先公が悪い」
「お前、始める前から寝てたじゃんかよ。そんなんで、明日の小テスト大丈夫なのか?」
「小テスト?……あー、そんなんあったな。まあ、どうにか」
「今日やったのが大量に来るらしいぜ~?そんなんで大丈夫なのか~?」
啓の一言一言が、俺の堪忍袋の緒を切ろうと攻撃を加えてくる。
俺は、それらを理性という壁で防ぎ、啓に正直に答える。
「正直に言ってヤバいな。まあ、小テストだし、どうにか」
「ま、雅文くん」
唐突に、紫紅美が俺の名を読んだ。
「なんだ、紫紅美?」
「ま、雅文くんが良ければなのだが、その……わ、私が教えようか?分かる範囲で良ければ、なのだが」
「あー、申し出はありがたいけど、いいわ。たかが小テストだし、そんなに身構える必要は」
「小テストを甘く見てはいけないぞ、雅文くん!塵も積もれば山となる。小テストも積もれば、期末テストに相応するものとなり得るんだぞ!」
いつも冷静な紫紅美が、やけに熱く説得してくる。
まさか……そんなに成績に響くのか、この小テストは!
「分かった、紫紅美。お前の申し出、ありがたく受け取らせてもらう」
成績悪くて追試は勘弁だ。平穏な夏休みを守らなければ!
「よ、良かった……。では、放課後に行おう」
「おう、助かる。いやホント、マジで」
「気にしないでくれ。……その方が私も助かる」
「?なんか言ったか、紫紅美?」
「い、いや何も言ってないぞ!?」
今日の紫紅美は情緒不安定だな。多感な時期でもあるし、仕方ない事かもな。
こうして、放課後に紫紅美に勉強を教えてもらう事に。
「……完全に蚊帳の外だな、オレ。ま、いっか。氷姫ちゃんと語らってくるとしよう。氷姫っちゃ~ん!」
「これで、今日のホームルームは終了。はい、解散」
超絶やる気のない担任の声を合図に、クラスメート達が会話を交わしながら、教室の外へと向かう。
「今日、残る奴いるかー?いないなら鍵閉めるぞー」
「先生。その、私が残ります」
「ん、紫紅美が残るとは珍しいな。集会はいいのか?」
「きょ、今日はその……鳴神くんに、勉強を教える約束があるので」
チラチラと俺を見る。すまん、今日はよろしく頼む。
「なるほど。集会じゃなく密会か」
「み、妙な言い方は」
「分かってる、分かってる。おーい、お前ら。馬に蹴られたくなかったら早く出ろー」
「先生!?聞いてましたか!?そして皆も、何故素直にそそくさと出ようとしてるんだ!?」
『馬に蹴られたくないんで』
「素直か!いや、違うぞ皆。君達が考えているような事では、絶対にないんだからな!」
『うんうん。分かってる、分かってる』
「本当に分かっているのか!?ならその、生暖かい視線はやめろぉー!!」
紫紅美、叫んでばかりで大変だな。なんてお気楽に考えていると、肩をトンと叩かれた。
「いやー、うん。雅文。君にも春が訪れたようで、親友のオレは実に嬉しいよ」
KNK(かなりナルシストな啓)だった。
「春?何言ってんだ。季節はずっと春だろが」
「恋……的な意味で、さ。てっきり美穂ちゃんは、僕を好いてくれていると思っていたんだが、違ったようだ。百戦錬磨の僕が間違えるなんて、これも春の妖精の仕業かな」
「百戦錬磨?ああ、失恋的な意味でか。ちなみに啓、勘違いしてるようだから言わせてもらうが、紫紅美は俺に勉強を教えてくれるだけだからな?」
「うんうん。分かってる、分かってる。頑張りたまへよ」
……超絶に殴りたい衝動に駆られた。さすがKSK(かなりシバきたくなる啓)。ウザさがそんじょそこらの奴らとは違う。
そのまま啓は、憎たらしい笑顔を振りまきながら去り、クラスメートや担任も教室を去った。
残されたのは、俺と紫紅美のみ。……なんだ、この何とも言えない気まずさは。
「……紫紅美」
「はっ!な、何だ!?」
気まずさを破って声をかけると、弾かれるように紫紅美が声をあげる。いや、驚きすぎだろ。
「とりあえず、なんだ……勉強、よろしく頼む」
「あ、ああ。そうだったな。うむ、任せてくりぇたまえ!」
視線を宙のあちこちにさまよわせ、紫紅美は盛大に噛みながら答えた。……大丈夫か?
「違うぞ、雅文くん。ここは解の公式を用いてだな」
勉強前に感じた不安は、どうやら的外れだったらしい。
特に障害なく、紫紅美が的確に教えていく。
さすが学年一位保持者。2年に上がったばかりにも関わらず、早くも数学で躓いていた俺の理解不能だった部分を懇切丁寧かつ分かりやすく教えてくれる。
ハゲの石角より教えるの上手いんじゃないか?
「凄いな、紫紅美。同学年でこんなに分かりやすく教えられる奴がいるなんて、思わなかったぞ」
「それは誇大評価というものだろう。……まぁ、後輩たちにも時折教えているからな。必然と上達はしているかもしれないが」
「後輩って、紫紅美が率いてる、あの……」
「ああ。暴れられればいいと本人達は思っているようだが、社会に出るとそうはいかないと、粘り強く説得していてな。今は、週に2~3回は教えている」
「……意外と、常識人なのな。紫紅美って」
「良く言われるよ。生徒会長になってから、更に付け加わったような気がする」
「生徒会長、か……。俺には逆立ちしても縁のない話だな」
シャーペンを放り出し、手を頭の後ろで組みながら、何もない宙を見上げる。
ちょっと集中力切れたな。休憩、休憩。
「そうか?雅文くんにもオファーが来そうなものだが」
「あいにく、一度もなかったな。ま、人より秀でてる素質が一つもないから、仕方ないけどな」
生徒会長と言えば、生徒の模範。
俺には、生徒の模範になる所なんて一つもない自信があるからな。自嘲気味に軽く笑う。とは言え、自分ではあまり気にしてないが。生徒会長なんて大半の生徒が縁はないだろうし。
すると、紫紅美が肩を震わせ始めた。そして、キッと俺を強く見て、声を張り上げた。
「そんな事ない!!雅文くんには立派に素質がある!私なんかよりも深く人を想う、人を大切にする優しい心が!先生方は、表面上だけを見て、それに気づいてないだけだ!」
「し、紫紅美……?」
やけに感情的に、俺の自嘲を否定する紫紅美。
その紫紅美の様子に驚きを隠せずにいると、紫紅美は顔を少しだけ俯かせ、声量を落としながら、震えるような声で語り始めた。
「……覚えているだろうか。半年前、コンビニで絡まれていた、中学生の少年を……」
「コンビニ……あ」
そういえば、そんな事が。
酔っ払いに絡まれて、迷惑そうにしてた男子がいて……。
「……今にも殴りかからんとする酔っ払いに恐怖した、その少年は、通り過ぎる人々に助けを求めた。だが、誰も助けようとしない。見て見ないフリをしていた。……そんな時、君が現れたんだ。その様子を、偶然私は見かけた。君によって、酔っ払いから解放され、安堵した少年の表情を。それに対して、大したことじゃないと言い、去って行く君の、優しい笑顔を」
俯かせていた顔を、紫紅美は上にあげ、俺をまっすぐ見つめる。優しげな微笑を浮かべて。
「……以前から、君には興味を持っていた。君の父君は、私が今、率いている族の初代総長でな。街で会う度に、君の事を話してくれたものだ」
「……は?親父が総長!?」
「初耳か。まあ、あまり自分の過去を語らない人のようだからな。……最初、君には興味を持っていただけだった。君の父君は凄い人だが、君とは別人。君は争いを好まない、平和的な人物のようだったからな。……ただあの時、君の溢れんばかりの優しさ、そして笑顔を見た時から、私の頭も、そして心も、君の事しか考えられなくなっていた」
一度、言葉を切る紫紅美。変化していく状況についていくのが必死な俺に、紫紅美は大きく息を吸い、
「雅文くん……君のことが、好きだ。絶対に幸せにする。だから……私と、付き合ってくれ」
純真な、真っ直ぐな言葉で、俺に告白した。
「は、え……は?」
変化していく状況について行けてない俺は、突然の告白に、間の抜けた困惑の声を漏らした。
紫紅美は、そんな俺の反応をある程度予測していたんだろう。少し悲しげに笑って、先ほどとは違う少し弱々しい声で言葉を続ける。
「……なんて、突然言われても困るだけだな。すまない、唐突に」
「あ、いや、なんていうか、その……悪い。なんか、上手く返事が返せない……」
ヘタレ感満載の返事を出す俺。我ながら、情けない。
告白されるなんて予想は全然してなかったし、生まれて初めての経験で、急だった事も手伝い、頭が働かない。
こう心の内で弁明してる時点で、ヘタレに拍車をかけている気もするが。
……紫紅美のことは、嫌いじゃない。初めこそ、少し偏見で見ていた時期もあったが、同じクラスになり、互いに隣同士になって、紫紅美も他の奴と何ら変わらない、普通の女子と分かった。
けど、好きか、と問われると答えに困る。人としては好きな部類だが、異性としてかと問われると、よく分からないというのが正直な答えだ。
こんな優柔不断な状態で、どちらかの答えを安易に示すのは、紫紅美に対して失礼だ。
恋愛がどういうような状態で起こるのかは分からない。だが、互いに好き、という感情を持った上で付き合うべきだ。
「……いいんだ。伝えておきたかっただけなんだ。驚かせてしまって、すまないな。さあ、勉強の続きをしようか」
長い沈黙を破るように、気丈に振る舞う紫紅美。
だが告白されて、こんな曖昧な答えでいい訳がない。
現に紫紅美は、悲しい表情を浮かべている。
はい、かいいえ、なんて答えは今は出せない。なら、せめて。
再び机に向き直ろうとする紫紅美の両肩を掴み、俺に向かい合わせる。
「まっ、雅文くん!?」
驚いた瞳が、俺を真っ直ぐ見つめる。
俺も真っ直ぐ紫紅美の瞳を見つめ、今出せる答えを、正直に語る。
「紫紅美。返事は、今すぐには返せない。それは、お前のことを、詳しく知らないから。お前の色んな事を知って、お前がどんな時に笑って、怒って、泣くのか。それらを知って、お前にも、俺のことを沢山知ってもらって……。返事は、それからにしたい」
「……それって」
「有り体に言うと……お友達からってやつかな」
良い表現が見つからないが、一番近い表現は、きっとこれだろう。
少し照れくさくなりながら伝えると、紫紅美はみるみるうちに、目に涙を溜め始めた。
「……ふぇぇ」
「ちょっ。泣くことないだろ、紫紅美」
「だ、だって、雅文くん……。私、無理だと……!私、可愛くないし、返事返せないって言われたから、絶対無理だと……!ふぇぇ」
「返せないって言ったのは悪かった。パニクってたんだ。あと、紫紅美。お前、普通に美人で可愛いんだから、そんな心配は無用だ」
「返せないのが、互いの今後を考えての事だったんだと知って……!自分の感情に身を任せて行動してしまった私が、愚かに思えて……!雅文くんが、友達からと言ってくれたのが、嬉しくて……!」
「分かった。分かったから、泣きやめ!これ、絶対誤解されっから!見回りに来た先公あたりに勘違いされっ――」
「おい、誰かいる――」
教室の扉が開かれた。そこに立つのはハゲの石角。
ハゲは、教室で泣きじゃくる紫紅美と俺を見た後、
「……邪魔した」
静かに扉を閉めた。
あぁもう、なるようになりやがれ。