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魔族である彼の感知機能が、人間のそれと一線を画しているのは言うまでもない。体内で精製した魔素を周囲に放ち、その圏内に存在するあらゆる物質を“視る”ことができるのだ。
姿形、温度、大きさ、質感、重量、果てには匂いまで。
あらゆる情報を魔素に反射させ、自分のところまで還元する。膨大過ぎる情報量を捌ききるキャパシティがあってこその荒業である。
可視範囲は使用者の総魔力量にもよるが、一般的な魔族で直径約50~100mなのに対し、彼の場合は直径約5㎞。平均の約50倍と驚異的な数値だ。
最早視界に頼るということがないので、彼に対する不意打ち等の戦法は無意味に等しい。にも関わらず何者かにここまで侵入を許したのは、単に彼の怠惰に起因する。必要がないと言う尤もな理由で、彼はこの百余年間、一度も魔力感知を発動していなかったのだ。
しかし、そんな魔族にあるまじき無防備な状態で、二万八千坪ある城内(東京ドームの約二倍相当である)の侵入者に気付くという、十二分に常識はずれな彼の勘が、狼藉者にそれ以上の無体を許さなかった。
経過はどうあれ興味を持ってしまった以上、彼には微塵の容赦もない。例えどのような手段を用いてでも炙り出し、自分と同じ土俵にあげさせる。
そして演じよう。最高の死闘を。
────見つけた。
そう頭が思考するのと、身体が行動するのに、コンマほどのタイムラグも必要なかった。
彼は動いたのだ。五百年ぶりに出逢った獲物に向かって、恐らく何の躊躇もなく。地上の九割以上の生物が反応すら許されないであろう、悪魔のような速度をもって。
「!」
その凶悪なまでの破壊力を持った手刀は、獲物のほっそりとした首もとを、あっさりと穿った。
凄まじい轟音。
その衝撃波は獲物がこそこそと潜んでいた柱を真っ二つに折り、背後の壁に抉ったような巨大な爪痕を残す。激しい揺れと共に、ぱらぱらと砂塵が舞った。
長い年月放置されていたとはいえ、上質な魔鉱石で造られた城。その硬度は現存するあらゆる鉱石のそれとは比較出来ないほどであったが、魔王の前には石ころと大差無い。主柱の一本である柱は、あっさりと崩れ落ちた。
「貴様…」
確かに彼の先制攻撃は極った。正確無比に、急所へと振り落とされたのだ。しかし、まるで意味をなさなかった──その衝撃波ごと、白い首もとをするりとすり抜けたのだから。
瞬間。闘いこそ全てだった彼の胸中に、今までにない感情が巻き起こる。
(一体なんなんのだ、この生き物は──生き物?否、そもそも生きているのか)躱されたわけでも、防御されたわけでもない。なのに何故、こいつはまだ平然とそこに立っている?
「何者だ、貴様」
「……」
「答えろ」
美しい少女の姿をした獲物。いや、彼にとってそれは既に獲物という概念をとうに越えていた。陶磁器のような肌を蒼白にさせ、崩れ落ちた柱と自分を交互に見つめる少女を、彼はどこか感慨深く見下ろす。
(……ふむ。輝かんばりの貌といい、人魚の類いだろうか?)
幻惑の類いを生業とする深海の魔女。古より恐れられるかの霊長なら、百歩譲って今の状況にも頷けるというもの。
ところで、何やら口をパクパクとさせながら自分を見上げているが、酸素でも足りないのか…?と首をかしげる魔王。
「…、まあ何でもいいか。抜くがいい女。いつまでも手加減できるほど、我は器用でないのだ」
「……!…!?」
結局、彼が帰結するのはいつもそこである。彼女の正体、目的、侵入経路、揃いも揃って等しく無意味。自分を楽しませてくれるならそれで構わない。
気の遠くなるような年月、理不尽にも廃退的生活を強いられてきた彼。その褒美がわざわざ向こうからやって来たのだ。我慢など出来ようはずもなく、する必要も感じない。
自分の中に沸いた不可思議な感情も、あっさり消化し切った上で、彼は再び臨戦態勢をとる。
「──ま、待って」
鈴を転がしたような声が、魔城の濁った空気を震わせた。
「…なんだ、喋れるではないか。だが」
「え、ちょ」
「“炎の雷鳴”」
「ま…──う、わ!」
ゴロゴロゴロッ!!屋内に激しい雷鳴が轟いた瞬間、ぴょんっと飛び退く少女。
その細い足が先程まで立っていた地面は、光の速さで齎された雷を受けて砕かれ、その窪みに真っ赤な融解炉を作っていた。
「“大地の雄叫び(ジ・アース)”」
「っひ、」
「“灼熱の蒼き氷点下”」
「ちょ、やめっ」
「フ、ハハハ……“空舞旋風風鬼”!」
「ぎゃああ!」
ピッ
『<大地の雄叫び>──中位魔法。攻撃力B+。魔城の特上質の魔鉱石でコーティングされた巨躯を持つ、死をも恐れぬ巨大ゴーレムの群れ』
ピッ
『<灼熱の蒼き氷点下>──上位魔法。攻撃力B~A-。水を司る上位精霊セイレーンを無詠唱召喚し、冷凍波、絶対氷結、清らかなる氷王女の祝福という、下位魔法→中位魔法→上位魔法の三段階攻撃を行う』
…ピッ
『<空舞旋風風鬼>──準上位魔法。攻撃力A。超小型ハリケーンを発生させ、自在に操る。直撃すれば四肢を簡単に消し飛ばす。対個人に優れるが、大型ハリケーンに切り替えれば対パーティにも適応可能。汎用性が高い』
少女の頭の中で絶え間なく響く電子音。
そして次々と浮かんでくる文字の羅列に、速読で目を通しながら、彼女は自分の身に何が起こっているかをようやく理解した。
要するに軽く天災レベルの攻撃の数々が、少女の身に降り注いだのだ。
「ちょ、っとめ!これ止めてくれ!!」
「ふはは、はーっははははは!何を逃げ回っている!我を破壊せねば、攻撃は永遠に続くのみよ!!」
「話し合おう!話せば分かるから!」
半分涙目になりながら、少女は叫ぶ。しかし。風鬼の追跡に全神経を集中させつつ、ゴーレムの凶悪な一撃を回避し、セイレーンの齎した氷点下の世界に順応しながら訴えかけられても、彼には何の意味もなさない。
それどころか魔王の蒼白色だった肌に、仄かな赤みを差させるという、なんとも最悪な始末となった。
「戦場において言葉など無粋であると知れ…!“光と闇の悪夢的中和点”!!!」
ビーッビーッ
『<光と闇の悪夢的中和点>──最大魔法。攻撃力S+。超弩級厄災レベル。核融合を行い、擬似太陽と呼ぶべきエネルギー核を産み出す』
(たたたたた太陽!!?デタラメだろ!つーか最大魔法ってなんだよ初めて聞いたわ!!)
『──尚、この攻撃の佻しを見た場合、即退避をお勧めする。貴方を覆う<神々からの祝福>による防御力と、<光と闇の悪夢的中和点>による攻撃力。この二つがぶつかれば、核爆発に匹敵する超高度エネルギーの大暴発、加えて超濃度の魔素がばら撒かれ、辺りは灰塵と帰す事が予想される。
その場合の魔王の生存率99.9999%に対し、貴方の生存率は0.0978%──』
(うおおおおい!それ、死 亡 確 定!!)
『──故に、退避をお勧めする』
(退避!退却!退散!もう二度と来ない!!)
「“世界を巡る旅扉”!!」
「──!」
辺りがカッと眩いばかりの光に包まれる。突如として出現したのは、禍々しいこの場に全くそぐわない、繊細な天使の彫刻で飾られた真っ白な扉。その正体を見抜いた魔王が即破壊に動く。
しかし、この戦闘に置いて初となる、少女の攻撃展開の方が一足早かった。
「水槍!」
「!?」
何のことはない。下賎な人間の魔法使い見習いが、最初に練習するような下位魔法だ。
攻撃魔法の基礎も基礎。通常ならばそれは魔王である彼に対し、攻撃どころか足止めと呼ぶにも烏滸がましい──が、しかし。
「なんだ……その大きさは」
魔王たる彼を呆れさせるほどの、でかさ。
水で象られた槍は雲を貫き、天空にそびえ立ち、今にも魔王城を上空から狙い射たんとしている。
余りにも非常識な光景に、彼の神経の昂りは筆舌に尽くしがたい。もはやその興奮は、冷めやらぬところまで来ていた。
「ふ……っ、ふはははははは!はーっはっはっはっはっは!!化け物め!!!!」
天を貫き、魔界を揺るがし、人間界まで響き渡るまでの轟音。悪名高い魔王城を一撃で崩してみせたこの一闘は、のちに、末代まで語られる魔界伝説となる。
(やっべ……力加減ミスった)
しかし、その犯人が年端もいかぬ少女であることは、魔王を除いてまだ誰も知らぬ話であった。