次期最年少家老ご乱心 一回目
「皆のもの!! もうよいぞ!! 寺に参って帰れ!!」
農民達を振り返り虚空を指差す藩主。その先には領内で一番の歴史を誇る寺『高上寺』がある。自身達に向けられている言葉だと理解しているが、全く足が動かない。日ごろの栄養不足と一揆の企て、さらに、上意討ちと高次元の斬り合いを見せられ、農民達の体は鉛のように重くなってしまっていた。
その様子に藩主はため息と共に清田に視線を向ける。膝をつく佐吉のほぼ真横にいた清田は立ったまま腰をぬかしていた。刀を地面に突き刺し頭を垂れる平助、その様に視線を縫いつけられたように瞬きもしない。隣で現在は違う意味で震えている佐吉が居るが、どうやら存在にも気づいていないようだ。
「これはいかん。又二郎!」
促された又二郎は、やれやれといった顔で清田の傍による。息をするのを忘れているようだ。
「おい、おい! ・・・・・・おい!!」
最後に肩を叩かれて、ようやく清田が正気に戻る。はっとなりその場に崩れ落ち、佐吉と二人仲良く震え上がる。
「殿、これは無理でございましょうな」
似て非なる姿で放心する身分の違う二人。斬りかかった者と斬りかかられた者が並んで震えていた。
「仕方ないの・・・・・・。又二郎、お前が連れて行け」
「はい。皆のもの!! 我が先導する!! 暖かい飯を食えるぞ!! 嫁の乳も山ほど出るようになる!! 付いて参れ!!」
廃村の隅まで届くこの言葉に、呆けていた農民のほとんどが覚醒した。
「そういえばそんなこと言っておったな」
「俺はもう子の命は諦めていたんだ・・・・・・。こんな・・・・・・ことが」
独り者がのん気に言い放ち、子を持つ親が重い吐息と共に涙を流す。それを見た少なくない男達が同じく泣いた。
「皆のもの!! これは殿の直々の命令で集めた物じゃ!! それだけではない!! 殿は自身の腹を切る思いで――」
「おいおいおい!!!! 馬鹿者! それは言わんでよい! さっさと先導せんか!」
慌てて遮り、手振りで寺のほうへ促す。又二郎は少し不満そうな顔をしたが、逆らわず馬のほうに歩み寄る。歓喜の涙を流す農民達とは別に、集まった大半の武士は顔色を失っていた。
「神田殿! お、お待ち下さいませ!」
一人の名も知らぬ藩士が前に出る。身なりから恐らく上級の武士であろう。その男が恐れながらも・・・・・・と詰まらせる。
「かまわん。申してみよ」
馬の鞍に手をかけていた又二郎は、体ごと向き直り続きを促す。
「はっ! 普請組、青山喜平と申します! 神田殿、我々はこの後どうすれば? 牧野様に率いられてここまで来たのですが・・・・・・」
「そういえば忘れておったわ」
即座に答えたのは後ろに居た藩主であった。しかし、上級武士ながら禄高55石。藩主と言葉を交わす権限などない。弾かれたように振り返り、平伏しながらも、言葉を発することなくその場にひれ伏し続ける。
「追って沙汰は告げるとして」
一度言葉を切り、武士達に声を張り上げる。
「皆のもの!! 今宵は帰れ!! 各々思うところはあるじゃろうが、それはまた後日じゃ!! しかし!!」
一度言葉を切り、鋭く目を細める。
「農民を締め上げるような政策は好かん!! この中に不服があるものは後日城に登れ!! わしが直々に聞いてやろう!!」
大半が呆けたような顔を晒す中、数人の武士が視線を落とした。そこに追い討ちがかけられる。
「何をしておる?」
小さな呟きのような声を又二郎は漏らす。比較的前面に立っていた武士が怪訝な顔で又二郎を見る。後方の武士には声が届いておらず、じっと藩主を眺めたままだ。
「殿の御言葉であるぞ!!!!」
慌てて平伏し始める藩士を藩主が制す。
「よい!! この中の者は大半何も知らぬ。又二郎よ、武士に厳しすぎるのは感心せんぞ」
最初は皆に言い、最後は又二郎にだけ聞こえるように言う。
「しかし・・・・・・」
食い下がる臣下を頷きで制し、早く連れて行けと顎をしゃくる。任せておけということだ。
「出すぎたことを」
そう言い残し踵を返す。
「皆ももうよいぞ!! この場で解散じゃ!!」
武士達に言い放った後、頭を掻きながら視線を落とす。
「それはそうと、そなた・・・・・・何をしておるのじゃ?」
藩主の視線の先に1人の男が胡坐をかいている。背筋を伸ばし、開かれた襟から浅黒い腹が露出している。帯から外した脇差をすらりと抜き、自前の手ぬぐいを鍔の上―刃の根元―に巻きつけている。
「平助殿、先ほどの無礼お赦しください。始末は拙者自身でつけますゆえ」
胡坐のまま両手を前に着き頭を下げる。
平助はただの料理人だが、藩主専属の料理人で帯刀を許されたただ1人の男。高崎中条流という聞き慣れない流派であるが、免許持ちであり腕も確かだ。殿の護衛兼料理人として常に近くに控えている。
身分で言えば、藤堂家100石の足元にも及ばない。藩内では平助の処遇に意を唱えるものも少なくなかったが、藤堂佐吉は1人の剣士として平助を尊敬していた。
入口より後方の方にいた武士達は、半数が散会した後だったが、入口付近にはまだ人が残っている。
「そういえば忘れておった」
「そうじゃ! 藤堂の子倅め! 殿に狼藉を働きおって!」
「腹を切るつもりか? 当然じゃ!」
「いや、切腹ですらぬるい。打ち首にすべきじゃ!」
口々に罵りの声が上がる。
「切るにしても、こんなところで切ることはあるまい」
「皆様、少々手厳しいのでは?」
「さよう。近くで見ておったが、あれは反射に近かった」
「けが人もおらんし、この場で手打ちと言うのはのう」
罵りの中から擁護の声も上がる。
「実際殿にはかすりもせんかったのじゃ。そこまですることもないじゃろう」
「何を言う!? あれは殿や平助殿だったから無傷だったのじゃ。そなたなら初太刀で終わっておったわ」
「なんだと!? もう一度言ってみろ!」
わいのわいのと盛り上がる外野を、藩主の声が一喝する。
「黙れ」
冷や水を浴びたように静まる村内。藩主は佐吉から目を離さず一言で斬り捨てる。
「藤堂佐吉・・・・・・と申したか?」
「はっ! 此度の無礼、申し開きの言葉もありませぬ! この場で腹を切ります! 介錯も必要ありません!」
一度も顔を上げず、地面に向かい話す。
「沙汰は追って話すと言ったはずじゃ。勝手は許さん」
刀に手をかけようとしていた佐吉は、宙に手を伸ばしたまま固まる。
「・・・・・・」
反論など論外の厳格な声色に、自身の意思では腹すら切らせてもらえないのだと理解する。
「平助、この者を連れて行け。・・・・・・妙な真似はさせるなよ」
「御意」
右手を出したまま固まる佐吉を強引に立たせ、引きずるようにして連れて行く。その様子を遠目に見ながら、眦を吊り上げる。
「どうやら絞め上げが必要なのは武士のほうらしいな」
呟くように放たれた一言に、残っていた藩士は一様に何も言えない。心外だという顔、しまったという顔、こんな様では仕方ないと項垂れる顔。様々な表情を顔に浮かべ、寺方面に歩み始める血に濡れた藩主を見送るのであった。