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殿はお怒り

 


「頼む。この通りじゃ!」



 目の前で土下座する藩主を困惑の眼差しで見下ろす。幾度となく「御立ち下さい」と言っているが、一向に聞き入れてもらえず、仕方なく男は呆然と見下ろしているのだった。

 男の名前は神田又二郎。年のころは30になったばかりで、男の盛りを迎えている。しかし、嫁を娶る縁も器量もないため、現在も一人身である。



「そなたの言いたいこともわかる! だが、そなたより腕の良いものがいないのも事実! 食材を視る目、生かし方、流通を仕切る胆力、申し分ない!!」



 一際大きな声が天守閣に響き渡る。どうやら今日は本気中の本気のようだ。



 神田又二郎はもともと高瀬家の次男坊で、俗に言う部屋住みであった。しかし、現在の藩主の目に留まり、神田家に養子に出されることとなった。22の春のことである。

 又二郎の実家である高瀬家の当主、高瀬新之助は上町奉行の与力で禄高は80石程度。養子となった神田家は、代々馬廻り組を勤める家で禄高は120石。家督を継げぬ次男坊が大出世したのである。

 藩主の盟友である神田家当主、神田利和は、又二郎が養子に来た時にさっさと家督を譲って隠居してしまった。つまり、いきなり当主として馬廻り組に勤めることとなったのである。



「どうか頼む! 老い先短い老人の願い、聞き届けてはくれぬか!?」



 未だ頭を畳に擦り付けながら懇願する藩主を恨めしそうに見つめ、ふと、自身に悪戯心が芽生えてくるのを感じる。



(ふむ・・・・・・)



 腕を組みながら思案する。立ったまま腕を組む家臣と土下座する藩主。家老の方々に見られれば即座に斬り捨てられかねない状況だが、現在天守閣には人はおらず、誰に見咎められることもない。



(どうやら今日は「お受けできませぬ」では通じんようだ。ここは少々意地の悪い言い方をしてみるか)



 どう見ても長生きしそうな藩主を、口の端だけで暖かく笑い、訥々と語りだす。



「しかし・・・・・・養子とはいえ某も神田家の端くれ。刀を置けと申されるなら、義父上(ちちうえ)の許可が必要にござります」



 ちらりと様子を伺い、反応がないことを確かめてから二の句を紡ぐ。



「それに・・・・・・農民になれと言われましても・・・・・・」



 少しもったいぶってみた。藩主の反応はなし。



「現在の禄も貰えず、一から学んでいては暮らしがたちませぬ。それに、某は刀と名字を捨てるのに未練がございます」



 顔を上げず、言葉すら発しない藩主に少し気圧されながらも、又二郎は自分の主張を最後まで言い切った。



「名字帯刀を許し、尚且つ農民となった神田家に200石を与えていただけるのですか? いくら殿でもそのような暴挙は通りますまい。そもそも、御家老衆が許しませんでしょう」



 当時馬廻り組に入った又二郎は、周りのやっかみや嫌がらせの中、神田家当主として見事に務めを全うしてみせた。


 その中で、又二郎の名を城内に広め、確固たる地位を築いた事件がいくつかある。その一つに、城内きっての暴れ馬を視線だけで制し、その場で跪かせた話は、数年たった今でも話題に上るほど人々の心に残っていた。


 又二郎は多才だった。藩主の言うように、食材と調理に精通し、尚且つ流通も難なくこなす。生産者である農民からの信頼もあり、もはや領内では知らぬものはいないといっても過言ではない。


 こんな事件もあった。その年はまれにみる不作の年で、藩内の人々は例外なく飢えた。事態を重く見た執政は、家中の藩士の米を3割借り上げる政策を打ち出し、さらに、一時的に年貢を重くする旨を領内に張り出した。



 藩の危機を(うた)ってはいるが、体のよい締め上げである。



 当然各方面から不満が噴出し、堂々とではないが、下級藩士達の口からも執政批判が行われるのが日常茶飯事となった。しかし武士はまだいい。農民達の不満は武士の比ではなかった。



 一方的に上げられた年貢。さらに、検分役の人間は当時の筆頭家老の犬であった。あれよこれよといちゃもんをつけられた挙句、半分の評価も貰えない者達が続出し、農民達は虫の息まで締め上げられた。


 藩士の中には農民を憂い、執政批判擦れ擦れの奏上を行う藩士もいたが、筆頭家老の犬はけんもほろろに突っぱねた。それどころか、奏上に来た藩士を「謀反の疑い有り」と言い出し、牢に繋ぎ拷問までした。



 この話を聞いた農民達は愕然とし、自分達の未来は飼い殺しであると理解したのであった。



 その年の暮れ、時刻が丑の刻(午前一時)に差し掛かる頃、城下外れの廃村に蠢く無数の人影。


 厚い雲が月光を遮り、漆黒の闇と化した廃村に集まる農民達。提灯も持たず覚束ない足取りで集まる人々の表情は一様に暗い。片手に鍬などの農具を携え、無言のまま歩を進める影は異様の一言であった。



 頭目らしき男が一段高い廃屋から廃村を見渡す。おそらくまだ若いのであろう、幼さの残る眼差しでじっと視線を注いでいる。蠢く影は時と共に増え、その数は200に届きそうな勢いであった。



 農民一揆



 暗い表情ながら覚悟を決めた瞳をぎらつかせ、男達は頭目に視線を集める。頭目の男が勢いよく右手を上げようとしたその時。



「待て待て待て!!」



 静寂を破る足音と共に静止の声がかかる。その声に一様にぎょっとし、一斉に声のするほうに向き直る。軽快な足音を奏でながら、二人の武士が提灯片手に走ってくる。暗闇に目が慣れている農民達は、頬かむりをした初老の男に目を見張り、一様に道を空けた。中には地面に跪く者も出だし、廃村内は一転騒然となった。



「早まるでない!! この集まりの頭は誰じゃ!?」



 よく通る声が廃村中に響き渡る。首を千切れんばかりに振りながら喚く(・・)。



「出てまいれ!! 心配は無用!! 決して悪いようにはせん!!」



 喚き散らす藩主(・・)に困惑しながらも、自然と農民達の視線が上がる。



「そこにおったか!!!」



 護衛と思しき武士を置き去りにし、頭目の男目掛けて一直線に走っていく。護衛の男は追わなかった。ため息をつきながら自国の殿をその場で見守る。



「よいか!! 今から言うことをよく覚えるのじゃ!!」



 息も切らさず走り抜けてきた藩主に気圧されながら、青い顔で頷く。呆然と立ち尽くす頭目の男に構わず、矢継ぎ早に言葉を叩きつける。



「この集会はわしが集めた!! わしが集めたのじゃ!! わかったの!?」



「は?」と間抜けな顔をする頭目には目もくれず、颯爽と来た道を引き返してゆく。はっと我に返ったときには、すでに藩主は護衛のいる所まで引き返していた。



 恐ろしいほどの健脚である。



「お、お待ちを!!」



 慌てて飛び出した頭目の男であったが、連なる提灯がこちらに向かっているのに気づき、愕然とその場に崩れ落ちた。



 揺れる炎の明かりは破滅色に染まり、哀れな農民達は連なる炎に瞳を戦慄(わなな)かせた。



 失敗したのだ。



 一揆を起こす前に。



 これから自分達は無意味に殺されるのだろう・・・・・・。提灯の光が大きくなってゆく。しかし、集まった農民達は皆動けなかった。あるものは漆黒の夜空を仰ぎ、あるものは声もなくその場に泣き崩れた。


 廃村が絶望に包まれる中、入口付近に仁王立つ藩主とその護衛は、農民達とは対照的に眦を吊り上げていった。



 人知れず鯉口を切り、一歩前に出ようとした護衛を手振りで下がらせる。



「平助」



 それでも強引に前に出ようとする護衛を嗜め、自身が悠然と前に踏み込む。護衛の男――平助は不満そうにその場にとどまる。左手で鞘を掴み、右手はだらりと垂れているも、その纏う空気からは微塵も油断は感じ取れない。


 先頭の提灯が揺らめきながら近づいてくる。互いの顔が視認出来るまで近づいたとき、先頭の武士が無造作に提灯を上げてひっくり返った(・・・・・・・)



「殿!!」



 自国の最高権力者が怒りに燃え滾った表情で目の前に立っていた。何故か農民を背中に庇うようにしながら。


 男の叫び声に狼狽が伝播してゆく。


「なに? 殿だと!?」


「殿!? 何故殿がここにいるのだ!?」


「おい! 本当に殿なのか!?」



 口々に声を上げる者たちに、怒号のような問いかけが降ってくる。



「誰の差し金じゃ!!!! 指揮官、前に出よ!!!!」



 国中に轟いたのではないかという怒声に後方の行軍もぴたりと止まる。一瞬の静寂の後、ざわめきが巻き起こる。



「殿の声じゃ!」


「間違いない! どうゆうことじゃ!」


「牧野殿! 殿がお呼びでござる!」


 戸惑いながらも頭を下げ始める藩士を制し、吊り上げた眦を前方に注ぐ。


 程なくして、体を小刻みに震わせながら歩み出る1人の男。この男が筆頭家老の犬――牧野卓也である。小さい体をさらに縮めながら先頭に歩み出る。蒼白になった顔を上げることなくたたずむ姿は、まるで叱られるのを待つ子供のようであった。



「牧野」



 そう呼ばれた男は跳ね上がるように全身を震わす。本当に心臓が飛び出すのではないかとゆうぐらいえずき(・・・)ながら答える。



「・・・・・・はい」



 蚊虫が鳴くように、搾り出すように、言葉を一言だけ発した。



「・・・・・・何の真似じゃ? お主が集めたこの者たちに何をさせるつもりじゃ?」



 静かに響き渡る藩主の声。普段大きな声を聞きなれている家臣たちは、その底冷えする声色に比喩抜きで震えていた。


 誰も声を発せない。その空気が後続の部隊に伝播したのか、静かに視線を交わらせる者たちも出てくる。


 下を向いたままぴくりとも動かない牧野を鼻で笑い、話にならんとばかりに視線を切る。



「そこの者」



 静かに呼ばれたものが飛び上がる。慌てて膝を付く家臣を強引に立たせ、牧野を指差しながら尋ねる。



「こやつになんと命令された?」



 ちらりと瞳を牧野に向けるも、反応が皆無だった為正直に話すことにした。



「普請組、藤堂佐吉にござります。今宵は牧野殿の命により、不穏な農民集会を取り締まるべく参上した次第にござります」



「ほう・・・・・・。牧野の命と?」



「はい。なんでも上の決定とお聞きしております・・・・・・が」



「上の決定・・・・・・のう」



 鋭く突き刺さる視線に脂汗を浮かべながら、牧野は声を絞り出す。



「恐れながら申し上げます」



 意を決したように顔を上げ、袖で額を拭う。



「ほう? 申してみよ。自身は命令されただけ、などとは申すなよ」


 問いかけではなく断定する口調に二の句が詰まる。まさにそう弁解しようと思っていたところ、見事にそれを言い当てられた。蒼白というよりも真っ白に近い顔色で立ち尽くす牧野。藩主を境に二分された農民と武士、そのどちらにも動揺が広がる。



「どういうことだ? 一揆ではないのか?」


「殿を見る限り違うようじゃの」


「ではこの集まりはなんじゃ?」


「というより、命令したのは誰だ?」


「某は上の決定とだけ聞いておるが・・・・・・」


 武士側が口々に意見を述べる。


「おい。俺たちはどうなるんだ?」


「知らん。こうなれば我々に出る幕はない」


「その通りじゃな。殿にお任せしよう」


「わしは最初から反対だったんだ! 殿がいてはっきりしたわ!」


「おやじ! 今更それを言うか!」



 農民側でも同じことが起こる。しかし、こちらには武士側の余裕はなく、藁にもすがるようなか細い声が漏れ聞こえてくる。



「斬りましょうか?」



 静かなる質問。至近の喧騒がぴたりと止み、同時に牧野の首がばね仕掛けのように跳ね上がる。先ほどまで静かに見ていた平助が、藩主の前に踏み出す。懇願の眼差しで藩主に縋るも黙殺される。



 平助が一歩踏み込んだ瞬間、牧野の膝が折れた。



「恐れながら申し上げます!」



 絹の羽織を地面に付け、額を擦り付けながら口上を述べる。



「今夜この者達を集めたのは、領内の安寧と管理、ひいては――――」



「御託はよい。誰が命令したのか名だけ申せ」



 どこまでも冷たい藩主の声色に、この期に及んでまだ腹を決めかねていた牧野も観念する。震える唇に名を乗せようとした。しかし・・・・・・。



 藩主は甘くなかった。




「もうよい!! 斬れ」



「はあ!!」



 返事代わりの気合を放ち、一刀の元に牧野の首を刎ねる。闇の中、血しぶきを撒き散らせながら転がる首。その首を停止する前に掴み上げ、農民側に高々と掲げる。



「今宵そなたらを集めた(・・・)のは他でもない!! わしの真意を皆に見せるためじゃ!!」



 水を打ったように静まる辺りを藩主の声が駆け巡る。あまりに凄惨な光景に、一揆を企てていた農民達は一様に固まる。


 彼らは知らなかった。人を殺すということを。一揆ですら理解していなかったのかもしれない。



 自分たちは首を絞められた鶏だったのだ。苦しくて少し暴れてしまったのだ。それが自分たち農民の真の姿だった。卵を産まず暴れた鶏はそのまま嬲り殺される運命だった。



 しかし、そうはならなかった。



 締め上げる腕を白刃が切り裂き、その者の首を刎ねた。明日、明後日、明々後日、卵を産むであろう我々を助けてくれた。



 藩政に弓を引き、藩主(じしん)にまで刃を向けようとした農民を助けてくれたのだ。



 誰ともなく膝をついてゆく農民達。どうゆうことか理解できない武士達。そこに、遠くより蹄の音が近づいてくる。暗闇の中巧みに手綱を捌き、廃村目掛け一気に駆けてくる黒い影。



「邪魔だ!! どけ!!」



 連なる提灯が左右に揺れる。武士を掻き分けるようにして一頭の馬が藩主の前に躍り出る。



「遅いぞ!!」



 馬から飛び降り、その場で立ったまま一礼する。



 神田又二郎である。



「面目ありません。少々手間取りもうした」



 顔に苦い笑顔を浮かべ、次に渋い顔で藩主の手元を見やる。



「ところで、その首とこの仏さんは何ですか?」



 交互に指差し尋ねる。



「拙者が斬りました」



「死者を指差すな! 罰当たりが」



 問いかけには平助が答え、藩主は行動を嗜めた。



「失礼いたしました」



 結われた髷を鷲掴みにしている藩主をちらりと流し見て農民達に向き直る。



「皆のもの!! この足で村外れの高上寺に参れ!! 他藩より食い物を調達してきたぞ!!」



 静まり返った廃村が再びざわめきに包まれる。闇の中目を見張る農民達。その中から一人の男が歩み出る。頭目の男――清田(せいた)である。



「よろしいでしょうか?」



 緊迫の面持ちではあるが、はっきりとした口調で問う。振り返った6つの瞳が清田を射抜く。平助と又二郎が前に出ようとする。



「よい。申してみよ」



 一言で下がらせ、清田に向き直る。先ほどとは違う血に濡れた藩主に畏敬の眼差しを注ぎながら、それでも恐れずに頭目としての責務を果たす。



「それはお咎めなし・・・・・・ということですか?」



「お咎め?」



 細められた目に内心冷や汗をかきながら、藩主の視線をしっかりと受け止める。



「殿が先ほど言われたように、私が頭です。このような事態になったのも、そもそもは私が同士を募ったせいです」



「何が言いたいのじゃ?」



 変わらず細められた眼を変わらず受け止める。控えた二人から感嘆の吐息が漏れるも、清田の耳には届かない。清田は命がけだった。



「他の者は関係ない! 責を負うのは私だけにしていただきたい!」



「貴様!!」



 突如響いた声に一斉に振り返る。そこには、白刃を握る男――藤堂佐吉が立っていた。



「黙って聞いておれば言いたいことを!! 殿に願いなど出来る身分か!! この痴れ者が!!」



「こっちの台詞だ!! お武家様(・・・・)がそんなに偉いのか!? 我々農民がどれほどの想いで田を耕していると思う!?」



 清田ではなく、藤堂佐吉を止めようとした平助だったが、藩主ではなく又二郎に止められる。しかし・・・・・・と視線で問うが、又二郎は静かに首を横に振る。隣の藩主を見るよう促し、自身は腕を組んだ。



「どれほど良質な米を作ろうとも認められず、それどころか・・・・・・この不作の年に年貢を重くするだと? 寝言は寝てから言え阿呆が!!」



 武士の顔色がみるみる変わっていく中、藩主の口元は対照的に嬉しそうに歪んでいた。




「農民の身分でそこまで申すとは。・・・・・・斬られても文句は言えぬな?」



 怒りのあまり小刻みに揺れながら吐き捨てる。穏やかな物言いが恐怖心を掻き立てる。純粋な殺気を纏った佐吉は、言い終わると同時に下段から白刃を斬り上げた。波紋が提灯の光を弾き清田に迫る。しかし、佐吉の刀が清田に触れることはなかった。



「!?」



 甲高い音を響かせながら叩き落される白刃。渾身の逆袈裟斬り。諸手で握った柄を絞り、粗末な着物ごとアバラを叩き斬るはずであった。



(馬鹿な!?)



 返ってきた硬質な手応えに自身の必殺が防がれたことを悟る。信じられないことに防いだ相手の柄には右手しかなかった。


 自身の必殺を防がれた動揺か、はたまた剣客としての性か、防ぎ手を確認せず斬りかかる。相手は右腕に向かい伸びる白刃を一歩も動かず防ぎ、そのまま無音で斬り返してくる。緩やかな太刀筋であったが、それが致命の一撃であると佐吉は悟った。とっさに上体を捻り紙一重でかわす。見開かれた瞳で相手を凝視すると同時に、雷鳴のような叫びが佐吉に振りかかってきた。



「狼藉者が!!」



 言葉と共に振り下ろされた刀を受け止め、佐吉と乱入者は鎬を削る。血に濡れた刃が佐吉の眼前で小刻みに揺れる。先ほど牧野の首を撥ねた平助が斬りかかってきたのだ。


 刀越しに熾烈な気を叩き込む平助に困惑しながらも――決して怯まず――力任せに押し返した。弾かれた刀と共にもんどり打ったのを見逃さず素早く足を送る。しかし平助も負けてはいない。地に着きそうな上体を強引に筋力で戻し、反動そのままに上段から振り下ろす。



「はあ!!!!」


「はっ!」



 大きく甲高い気合は平助、鋭く重い気合は佐吉。


 平助の上段が先か佐吉の中段が先か、武士、農民共々固唾を飲んで見守る。割って入る隙などなく、ただただ畏敬の眼差しを注ぎ成り行きを見守るのみ。



 両者ともそれ程の腕であった。



 どちらか――はたまた両者――が死ぬであろう。皆がそう悟ったとき、両者の間に一陣の風が割り込んだ。



 生死の狭間と化した間合いに躊躇なく踏み込んだその者(・・・)は、右足を軸に独楽のように回転し、一閃の軌跡を残し両者の打ち込みを大きく反らせた。つんのめり地面を突き刺す平助の刀、あまりの衝撃に膝をつき刀ごと体を揺らす佐吉。血の気を失う農民達と、安堵の声を漏らす武士達。



「平助、まだまだ修行が足りんの」



 見下ろす者に視線を上げ、悔しそうに顔を歪める。微笑を残しながら片手で握られた刀を優雅に納め、鍔鳴りを響かせながら振り返る。その様子を死者の顔色で眺めていた佐吉は、自身が斬りかかった相手の顔にそろりと視線を移す。



「そなたも中々使うの。藤堂と言ったか?」




 微笑の残る視線を受け止めきれず、ぼとりと刀を地に落とす。






 視線の先には、この上なく上機嫌な藩主が、満面の笑みで佐吉を見下ろしていた。




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