彼と彼女の戦いの始まり
そして、再び俺は扉の前に立った。
「……よし。行くぞ」
覚悟を決め、扉のノブを掴む。
ちらと足元を見ると、昼飯がいまだに残ったままになっている。
ゆっくりとそのままドアを開けた。
「……千佳?」
囁くような声で暗い部屋に向かって訊ねる。
しかし、返事はない。
「……千佳? いないのか?」
俺はそのまま部屋に入った。
すると、次の瞬間、背後の扉がいきなりしまった。
「え? うわっ!?」
俺はそのまま何者かに押し倒される。
盛大に床に体をたたきつけられ、その痛みに目の端にうっすらと涙が浮かんだ。
「いてて……な、何?」
暗い中で目をこらすと、俺の前には人影があった。
それがすぐに千佳だということはわかった。
「あ……千佳」
「……放っておいてって言ったでしょ」
そういうと千佳は倒れた俺の体にそのまままたがってきた。
「え、あ……な、何?」
あまりのことに俺はどうすることもできず、そのまま自身の体の上に乗る千佳を見る。
暗闇の中でうっすらと浮かぶ彼女の姿は、少し恐ろしく思えた。
「ねぇ、怖い?」
「え?」
「……私、怖いよね?」
そう訊ねながら千佳は俺の方に顔を近づけてくる。
怖い……なんて答えればいいのか。
ふと脳裏に康人の言葉が浮かんだ。
「あ……そんなに怖くないよ? 別にさ」
すると、千佳は俺のことを目を見開いて見てきた。
思わずその視線を見て俺は目をそらすこともできなくなってしまった。
「嘘」
「……え?」
「……怖くないわけないでしょ。正直に言って」
そう言われて、やはり康人の言うことはあんまり頼りにならないなと俺は今一度思った。
こうなったら俺自身でどうにかするしかないわけだ。
「えっと……いや、まぁ、昨日も言ったけど……怖い」
千佳は俺のその言葉を聞いて動きをとめた。そして、ただその黒い瞳で俺を凝視している。
「……そう」
そういって立ち上がる千佳。
いきなりの行動に拍子抜けしてしまい、俺はそのまま扉を開ける千佳の姿を茫然と見ている。
そこで、ようやく、千佳がそのまま部屋を出て行こうとしていることに気付いた。
「ちょ……待ってよ」
俺が声をかけると千佳は立ち止まる。
そして、ゆっくりとこちらに振り返った。
振り返った千佳の目には、涙が浮かんでいた。
「……何? もういいでしょ。私、帰る」
「帰るって……魔女の元に帰るのか? お前、魔女から逃れるためにこの家に逃げてきたんじゃないのか?」
俺がそういうとキョトンとした顔で千佳は俺を見る。
そして、しばらくするとぷっと、小さく吹き出した。
「魔女って……何それ?」
「え? だ、だって……」
「あはは……わかっているわよ。あの人は魔女なんかじゃないわ。私はあの人によって作られたお人形……でも、そんなの嘘だって思ってた」
悔しそうにしながら、千佳は俺のことを見る。
「……なのに! 本当だった! どんなに私が夢と空想の世界から逃げても! 夢と空想の世界の方が私のことを追ってきたのよ!」
「え? じゃあ、別にその……中二病的な感じだったのは……」
「あはは……ああでもしなきゃ、やっていられないわよ。私はただのイタイ子で、魔法だって吸血鬼だって存在しないって、ずっと心の底では思っていた……なのに……」
そこまで言って涙がこらえきれなかったのか、千佳の目から一粒の涙がこぼれた。
「……もうダメ。私はもう私自身がもっとも恐れていた世界にとらわれてしまった。私自身がその世界の住人だってことが証明されてしまったから……アナタがそんな風に平気なのは、いまだにそのことを自覚できていないからよね」
「え、あ……それは……」
「いいのよ。でも、ごめんなさい。私じゃ、アナタを守れない……あの人やイルマがきっとなんとかしてくれるわ。こんな風な無責任でごめんなさい……」
千佳はそのまま背中を向けて部屋の外に出てしまった。
俺はその姿を見ている。
いいのか? これで?
俺は確かに普通の人間だ。今でもそう思っている。
そして、千佳も俺と同じだった。
中二病なんかじゃない。普通の女の子だったのだ。
だから、こんなことは間違っていると思う。
どうして、普通の人間が、魔法や怪物の世界に押しつぶされなきゃいけないんだ?
俺はこの時、明確に怒りがわいてくるのを感じた。
「千佳。待てよ」
俺が名前を呼ぶと、千佳は立ち止まる。
「なぁ、可笑しいと思わないか。俺達は見た目には普通の高校生だ。それなのに、魔法だ化け物だ……いい加減にしてほしい、って俺は思うよ」
少しずつ千佳に近づいて行きながら俺は先を続ける。
「でも……一番納得いかないのはそんな世界に普通の俺達が脅かされることだ。俺達は、普通なんだ。誰がどう言おうと。だったら、お前はそれでいいのか? このままじゃ、ずっと俺達は魔法や化け物の世界に脅かされたままだ」
「……じゃあ、私にどうしろって言うのよ」
千佳は悲しそうにしながら俺を見る。しかし、俺はあくまで千佳を見たままで先を続ける。
「これはもう、決着をつけるしかない。俺たちと不思議な世界の決着を」
「はぁ? 簡単に言わないでよ! 戦うっていったって……戦うのは私じゃない! アナタは見ているだけ……それに、あんなの私、もう……」
「ああ。そうだ。戦うのはお前だ。だけど、俺だってこのおかしな話に決着をつけたい」
千佳は目を丸くして俺を見る。
「それって……」
「ああ。当り前だろう。こんな滅茶苦茶なファンタジーみたいな話、俺は無縁だと思っていたんだ。この夏休みだって彼女もできずに、親友とくだらないことやって終わりだと思ってた。なのに、こんなとんでもない異世界だなんだの話に巻き込まれて、正直迷惑だ。だったら、これはもうこんな話と俺自身の決着をつけるしかないって思うんだ」
俺は一気にまくしたてた。心の中で思っていることをぶちまけたのだ。
千佳と同じように。
「だから、俺は戦う。戦いたいが、残念なことに、何もできない。だから、お前にも戦ってほしいんだ。千佳。俺と戦えるのは、俺と同じ境遇で俺と同じ気持ちだったお前だけだ」
俺がそういうと千佳はまた目の端から涙をこぼした。
そして、嬉しそうに笑った。
「……フッ。ようやくそう言ってくれたな。慎治」
「え? あ、あれ? その口調……」
「……安心しろ。ふざけた異世界なんぞと戦うには、こんなふざけたテンションでないと戦えない……そうでしょ?」
そうやってほほ笑む土岐宮千佳を見て、俺はようやく彼女のことを少し理解できた気がした。
こうして、俺と千佳の、「普通の生活」を取り戻すための異世界と魔法に対する長い戦いが始まったのだった。




