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07 悩める王太子殿下

 エリーザが王宮に連れられてから三日目。彼女のもとに、ティファナ=リュデリッツ嬢から舞踏会の招待状が届いた。しかし、未だに本物の王太子妃アメリアは見つかっていない。


「弱りましたね……いつもの放浪だと思って、てっきり四、五日で見つかるものと思っていたのですが」


 宰相ロキスタが青い顔をしている。王太子オーラブも腕を組んでいる。


「ああ……仕方あるまい、このままエリーザにアメリアのフリをしてもらわねば。なにしろ王太子妃は今はここにいることになっているのだから……。ダンスも特訓しておいて正解だったな。これからも時間があればやるか」


 オーラブはため息をついた。

 あの純粋で飾り気のない娘は、どこをさ迷っているのだろう。心から愛しているわけではない。だが、愛していないといえば嘘になる。こんなにも心配をかけてまで、いつもいつもふらりと出ていく。そんなに辛いのか。

 女は皆、正妃に憧れるものだと思っていた。だから、たとえ愛のない結婚でも、彼女は満足しているものと思っていた。何でも好きなものを持ち、振舞い、食べ、飾る権力をもつ。それを妬む者も数知れずいるはずだが、それよりも一人で闇をさ迷う方がましだと言うのか。そんなにこの宮廷は汚い場所なのか……!?




「ええええっ!私が、お、王太子妃殿下の代わりに、舞踏会にっ……!無理です!」


 夜、オーラブの部屋から繋がる隠し部屋にエリーザ、ネリッサ、オーラブ、ロキスタ、ヘッセンの五人が集まった。

 ロキスタに是非とも舞踏会に出るよう薦められ、エリーザは盛大に首を横に振った。ヘッセンが優しく諭す。


「ですが、たいした理由もなく欠席なさっては怪しまれますよ。幸いにもあなた様は声もお姿も似ています。今でも私は疑ってしまうほどですし……」


「いやああっ!無理です無理です!トラウマが!舞踏会っていうだけで、じんましんが出そうになるんです!」


「出そうになるだけだろ……?出ないんだろ?」


 冷静につっこむオーラブに、そういう問題じゃないんです、とエリーザは涙目で喚いた。


「まあ、相手はあのティファナ嬢ですからね。でも、必ず誰かと行動すれば大丈夫ですよ。ヘッセンを常に護衛につけ、私か王太子殿下の傍にいれば何もないと思いますが……」


 特にオーラブとアメリアは夫婦なのだから、始終一緒にいても怪しまれはしない。そうロキスタが諭すと、エリーザは少し大人しくなった。


「分かりました……。アメリア様のためですもの、なんとかしてみせます」


 おびえ気味に彼女は言った。オーラブは眉を寄せて彼女を見た。そして、エリーザ以外は退出するよう命じた。

 なぜです、とヘッセンが問う。するとロキスタは彼の頭をぱちんと叩き、この鈍が、と悪態をついた。ネリッサもヘッセンの足を踏みつける。オーラブが静かに言った。


「私が正室と夜を共にすることに、異論があるのか?」


 失礼しました、とヘッセンは直ちに謝り、ロキスタとネリッサと共に退出した。

 ぱたんと扉が閉まり、廊下で三人は顔を見合わせた。ヘッセンはまだ俯いている。それも、心なしか顔は赤い。


「まさか、オーラブ様……顔が同じ方だからって、エリーザ様を……!?」


 青い顔でネリッサがロキスタを見た。まさか、とロキスタが答える。


「いくらあのアホ王太子でも、その程度の分別くらいはお持ちでしょう。そんな盛りのついた犬のようなことはなさらないと信じてますよ」


 そりゃそうですわよね、とネリッサが笑い、つられて後の二人も笑った。しかし、だんだんと乾いた笑い声は消えていった。再び静寂の中、三人が顔を見合わせる。


「……はは、まさか……ね……」


 三人は暫く扉の前に立ち尽くしていた。





「私が正室と夜を共にすることに、異論があるのか?」


 ……たしかに王太子殿下はそうおっしゃった。間違いなく。そして、人払いをなさった。だから、今はこの狭い隠し部屋に王太子殿下と二人きり。……ナゼ!?


「あ、あの、殿下!?何を……!?」


 軽くパニックに陥るエリーザをなだめ、オーラブは彼女を抱き抱えた。きゃっと小さな悲鳴が聞こえる。その反応を見ると、なんだか急に意地悪をしてみたくなった。


「ほら、ちゃんと掴まってないと手が滑って落ちるぞ?」


 手の力を軽く抜くと、仔犬のように瞳をうるませ、彼女はオーラブの首にしがみついた。

 彼は幼い子どもを見るように彼女を微笑みながら見て、隠し部屋を出、自室へ入った。まっすぐベッドの方に歩いていく。そして、ベッドの横まで来ると、彼女をゆっくりと下ろした。

 柔らかい純白のベッドだ。生地も最高級。ふわふわして、寝心地の良さそうな。少し甘い香りがする。香水かしら、とエリーザは疑問に思った。そして次の瞬間、それを否定した。これは、王太子殿下の移り香……?


「で、殿下!何をなさいます!」


 はっとしてエリーザが声をあげる。

 待て待て、これはおかしい!いくらなんでも私はアメリア妃の代わり!夜に殿下とご一緒しようなんて、そんなの愛妾と変わらないっ!仮にも貴族として、それだけはプライドが許さない!そりゃあたしかにお綺麗な顔でいらっしゃるし、夢見たことがないと言えば嘘になるけど……。

 だが以外にもオーラブはエリーザを寝かせると、自分はソファに腰かけた。そして、きょとんとするエリーザに言った。


「なんだ……俺がそんな盛りのついた犬に見えたか?」


 やや挑戦的な口調。いいえ、とエリーザはきっぱりと否定した。すると彼はいつの間にか再びベッドの横に来ていた。エリーザにのしかかるようにし、左腕で体重を支えている。そして、空いている右手でエリーザの顎に触れた。長い睫毛が見える。少しだけ目を細め、彼女を見つめている。


「それとも……期待してたのか?」


 かあっと顔が熱くなる。エリーザは思わず頬に触れた。オーラブはふふっと笑うと、またソファに座り直した。


「では、なぜ私をここへ残されたのです」


 極めて冷静を装い、エリーザが尋ねた。彼女は身を起こし、ベッドに腰かけるようにしている。

 オーラブはちらりと彼女を見て、静かに言った。


「二人きりで話がしたかったんだ。いろいろ聞きたいことがあってな」


 まだ宵の口。きっと、これから質問攻めだ。そう思うと、嬉しいような悲しいようななんとも言えない気持ちになってしまい、エリーザは小さく息を吐いた。


「まず……アメリアが見つからなかった場合、正妃のフリを延長してもらえると言ったな。それは、現時点で承諾とみて良いか」


 承諾もなにも、勝手に決めたくせに……私はほんの三日って言われてたから、この偽りを飲んだのに。

 だがエリーザは何も余計なことを言わず、ええ、とだけ頷いた。


「では、次だ。あなたの両親と連絡をとることだが、ロキが手配することになった。手紙を届けることができる。手紙を書いたらいつでも俺に渡してくれ。返事については期待しないように」


 そんなに頻繁にも出来ないがな、と彼は付け加えた。


「ロキスタ様が手配なさるのでしょう?直接ロキスタ様にお渡ししてはだめなのですか?」


 その方が手間も省ける。そう思った時、オーラブの背後に黒いモヤが見えた気がした。あの、とエリーザが焦って声をかけた時、彼はいつもより低い声で呟いた。


「そんなに俺は頼りないか……?」


「え?」


「そんなにロキの方がいいか……?」


 ダンスの練習に向かう途中で聞いたのと同じ声だ。エリーザは焦った。すると、オーラブは立ち上がって、ゆっくりと彼女の方に来た。


「『俺達』は夫婦なんだぞ。妻に他の男が近寄るのを見て、安心などしていられるか」


 オーラブはエリーザの隣に座り、彼女の手をとった。大きな手に包みまれる。

 エリーザはふと思い出した。自分は今、王太子妃アメリアの身代わりであることを。そしてオーラブがプロヴィンド伯爵から支援を受けるために側室を持たないことを。


「そうですよね。失礼しました。アメリア様のことを考えねばならないですよね。……殿下に従いますわ」


 彼女は俯いた。オーラブも手をとったまま、下を向いてしまった。気まずい沈黙に耐え、オーラブがまた質問をする。


「なぜ……ここまでしてくれる?」


 エリーザがぱっちりとした翡翠の瞳でオーラブを見上げた。そして、いけませんか、と尋ねた。王太子は彼女の質問の意図を汲みかね、え、とだけ呟いた。すると彼女は同じ言葉を繰り返した。


「いけませんか。私はあさましくも、こうしてあなた様の傍にいられることが少なからず嬉しいのです。あなた様とアメリア様のお役に立てれば満足なのです。そのためなら、多少のことはなんでも出来ます」


 驚いた様子でオーラブは彼女を見つめた。そして、ぽんと頭に手を置いた。


「優しいんだな」


 今度はエリーザがオーラブを驚いた様子で見た。


「どこが、ですか。……アメリア様がいらっしゃらないのに……私は……」


 彼女の肩を乱暴に抱き寄せ、オーラブは言った。


「いや……優しい人だよ」


 静かな音と僅かな体の震えとともに、彼女は涙を落とした。涙が夜着に吸い込まれる。そして、こんな私に優しくしないでください、と彼女は呟いた。

 政治の要点、軍事の詳細。彼は幼い頃から人一倍ものを学び、身に付けてきたはずだった。それなのに、目の前の少女を慰める術を、言葉を知らない。何も役に立たない―――彼は肩を抱いたまま、静かに寄り添うことしか出来なかった。


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