03 宮廷の令嬢
朝、侍女のネリッサの声に、エリーザはふらふらしながら起きた。睡眠不足だ。眠い。椅子に座っていると、そのまま寝れる自信がある。朝日の淡い光すら目に痛い。
着替え終った時、扉がノックされ、王太子オーラブが入ってきた。宰相のロキスタも同伴している。二人とも昨晩のようなラフな格好ではなく(もっともこれもエリーザから見れば十分に堅い格好だったが)、上着も羽織り、ネクタイを締めている。均整のとれた顔立ちであるぶん、いかにも貴族といった雰囲気が漂う。さすが上流といったところか。なんだか見えもしないきらきらしたものが見えるような……。
「おはようございます、王太子殿下……と、ロキ、スタ……」
名前を呼ぶ時、思わず口ごもった。うーんとロキスタが唸る。
「違いますね、もっと腹の底から『ロキスタ!』って感じで。はいもう一回」
「ロキスタ」
なんか違う、とオーラブが言った。しかしこれは失礼にならないだろうか。なんといってもエリーザは下級貴族なわけで、相手は超がつく上級貴族だ。
「だめだめ、もっと偉そうに!まるでゴキブリでも呼ぶかのごとく!」
「ロキスタ!!」
エリーザが名前を呼んだ瞬間、彼はまるで感動にうち震えるがごとく頬を紅潮させた。
「す、素晴らしい!こんなにも同じ……!今度から私を呼ぶ時はそうなさってください!」
朝から被虐趣味全開の天才宰相を横目に、オーラブは朝食の準備をさせた。まだお召し上がりになっていなかったのですか、とエリーザが尋ねると、彼は頷いた。
「ああ、構わないだろう。なんせ『私達』は夫婦なんだから。それに、少しまだ昨日の説明では足りなかったところもあるのでな」
その横では、今までのやり取りを知らぬふうで、ネリッサがテーブルセッティングをしていた。
白い絹のクロス。上品な食器。どれもシンプルだが、それがかえって気品を漂わせる。
「まず……これから謁見する国王陛下、私の父上だ。名前くらいは知っているはずだ、ヨゼフ三世という。もうだいぶ病気が進行していてあまり目は見えていらっしゃらない。母上もあまり気にしないでいい。お若い頃から近眼でいらっしゃるのでな。だから、挨拶は代わりに私が申し上げる。あなたはただ隣にいてくだされば結構。それから、ご令嬢どもに嫌がらせをされるかもしれないが、気にしないこと。必ずネリッサかヘッセンか、奴の部下のローアンと行動すること」
ローアンとは、野原で真っ先にエリーザを見付けた男のことだそうだ。そしてヘッセンはオーラブの側近であるという。
そこまで一気に喋ると、オーラブは紅茶を流し込んだ。それからエリーザに向かって、何か質問は、と尋ねた。
「たくさんあります。でもまず、お願いがございます。私の家族がきっと心配していることでしょう。どうか、一度帰らせてください。何しろ相当過保護な両親なのです」
「それは出来ない」
否定したのはロキスタだった。なぜです、とエリーザが問う。
「ほんの暫くの辛抱です。もしそこからあなたがアメリア様の身代わりになっていることがばれれば、投獄だけでは済まないでしょう。もちろん、あと二日経ってもアメリア様がお帰りにならなければ―――つまりあなたがまだここにいなければならなくなったら―――なんとかお伝えしましょう、お手紙でも伝言でも。それまでは辛抱です。けれど、騒ぎにはなりません。こちらから既に手紙を出しておきましたから」
よろしいですね、とロキスタが言う。有無を言わせない態度には、頷くしかなかった。それでは、とエリーザが再び口を開く。
「なぜ、アメリア様はこんな……失礼ですが、王太子妃殿下ともあろう方が質素な身なりでいらっしゃるのですか?」
自分のドレスの袖を見ながらエリーザは言った。サイズもアメリアとは変わらないようで、難なく着ることができた。そのドレスはとても質素で、およそ王太子妃のものとは思えない。もちろん材質は最高級、宝石だって使ってある。エリーザの普段着が召し使いの服に見えるほどだ。けれど、よく絵画やダンスパーティーで見かけるようなごてごてした衣装ではなかった。化粧もうっすらで、エリーザにとってはありがたかった。
「それは……」
オーラブが一瞬詰まった。しかし、目を閉じると話し出した。
「それは、これからあなたが身をもって体験することになると思う。昨晩も話したが、アメリアは中級貴族出身だ。それも、政略結婚。ご令嬢の恨みを相当買っている。しかも私はプロヴィンド伯爵から支援を受け続けるために側室を持っていない。だから、余計に妬まれるのだ。だから彼女は出来るだけ持ち物を控えめにし、少しでも非難を少なくしたんだ。私はアメリアを心から愛しているといえば嘘になるが、そういう控えめなところは好きだ」
もはやそうですか、としか返事が出来なかった。エリーザは目眩がした。そんなところに踏み込んでしまったなんて……だから上流は嫌なのに……。
「だが気にするな。必ず守る」
その言葉を聞き、ダークグレーの瞳を見ていると、なんだか全て大丈夫に思えた。不思議な方だ。
明光の間と呼ばれる部屋が謁見に使われる。オーラブはエリーザの手を引いて、国王と王后の前に立った。
国王は優しそうな人で、茶髪に白髪が混じっている。だが目がとても悪いらしく、よく顔をして見ようと目を何度もしばたたかせていた。王后もやはり大人しそうな人で、目を細めてエリーザを見た。彼らの隣には宰相のロキスタが控えている。
「……そういうわけですので、今日はもう下がらせていただきます」
オーラブは淡々と述べ、その場を一刻も早く離れようとした。国王はアメリアが無事であったことを喜び、彼女を叱りはしなかった。
すると、王后が口を開いた。優しい声だ。
「無事でよかったわ、アメリア。……あなたもお辛いでしょうね、私にも分かるわ。ね、よろしかったら今日の午後、一緒にお茶でもしません?お話しましょう。あなたのくれたゼラニウムが咲き始めたのよ」
冷や汗をかきながら、エリーザは微笑んで一礼した。オーラブが代わりに答える。
「せっかくのお誘いですが、母上。まだ風邪が治りきっておりませんので、もう暫くは……。今も体調があまりよくないのを押しているのです」
そう、残念だわ、と王后が答える。オーラブはロキスタに目配せし、早々にそこを去った。
この後オーラブには政務がある。ネリッサに彼女を任せ、昼にまた訪ねると言い残して去っていった。
彼女が部屋に戻る途中、廊下の向こうから、派手に着飾った令嬢の一団が歩いてくるのが見えた。思わず身構える。ネリッサの顔を伺うと、彼女も強ばった顔をしていた。
……そんなにまずい方々なんですか、あれは……。
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