手紙
「おめでとうございます! 睦春様」
「あるがとう!!」
まるで己の事の様に喜ぶ冬音の言葉に、常から下がり気味の目尻を更に下げ満面の笑みで応える睦春。
その様子に、笑いを堪える様に秋津が問いかける。
「こんなに早く、戻らなくても良かったんだぞ?」
「そうはいかないさ! 冬が寝込みがちだと言うのに、のんびりしてたら嫁に殺される」
「……それは惚気か?」
春先の柔らかい陽射しが照らす部屋の中、そこに暫し暖かな笑い声が踊っていた。
帝都に上がり、そろそろ三年目になろうかという頃。
故郷である第六州から、思いがけず嬉しい報せが届いた。
それは睦春の妻である光流の、初産が近いと言うもの。
結婚後、一年足らずで睦春が帝都に行く事となったが。
貴重な医者である光流は、六州に残った。
全く会えぬのも気の毒と、睦春を連絡役として定期的に六州へ帰らせていたのだが。
その甲斐あってか、子宝に恵まれた様だ。
十日ほど前に、六州から戻ったばかりの睦春に。
出産間近と報せが入り、とんぼ返りした訳だが。
無事に男児出産を見届けた後、また慌ただしく帝都に戻って来たのが今日の事。
「私、そんなに寝込んでおりません」
苦笑を浮かべた冬音の言葉に、すかさず秋津が反論する。
「今ベッドから出られん奴が何を言う」
「出られないのでは無くて、出して貰えない間違いです」
不満顔で呟く冬音、男二人からは押し殺す様な笑いがもれた。
「あ!! 光から文を預かって来たんだ、良かったら返事を書いてやってくれ」
思い出した様に、懐から取り出した手紙を冬音に渡すと。
睦春は城へ行くからと、部屋を出てしまう。
言葉をかける間もなく見送った二人は、顔を見合わせ軽く吹き出した。
「慌ただしいですね、お仕事ですか?」
「いや、夏に子供自慢をしに行ったのだろう」
「なるほど」
そう言って笑う想い人。
久し振りに見る心からの楽しげな笑顔に、男の目がゆるりと細まる。
その視線が、想い人の華奢な手に収まる手紙へと落ちた。
「あのヤブ医者、何を知らせるつもりやら……」
男の呟きに、想い人も手紙を開こうと視線を向ける。
「お子様の事でしょうか?」
「いや、違うと思うぞ」
何やら予想がついているのか、くぐもった笑いで肩を揺らす男に。
想い人は訝しげに小首を傾げた。
確認事項
一、食の嫌いを必ず三つは減らす事。
一、一日三食きちんと一人前食えるようになる事。
一、熱が出たらちゃんと言う事。
一、薬をこっそり捨てず確実に飲む事。
一、直ぐにかかりつけ医を見つける事。
お前も帝都に行くと決まった時、あたしと約束した事を覚えているだろうな?
ちゃんと出来ているか確認したい。
次に睦春が六州へ戻る時、必ず返事を持たせろ。
以上。
追記
誤魔化しは許さんからな、正しく返答するように。
「これは……」
と、呟いたきりしかめっ面で黙り込む想い人。
同じく手紙を覗き込んでいた男は、堪らず吹き出した。
「あのヤブめ、執念深い事だ」
「……」
ギュッと眉根を寄せる想い人、男は意地の悪い問いかけを試みる。
「嫌いは無くしたか?」
「一つは……」
「飯は全部食えてるか?」
「半分ちょっと……」
問いを重ねる毎に、段々と白い面が俯いて行く。
「熱が出ても黙り、医者も決まらず、薬も怪しいな」
そこで想い人は顔を上げ、苦笑を浮かべる男を一睨み。
「薬はちゃんと飲んでます!」
「本当か?」
なおも人の悪い笑みを見せる男に、想い人は拗ねた口調で言い募る。
「それは秋津様が、一番ご存知でしょうに」
「そうだな、俺が飲ませているから誤魔化しようが無い」
僅かに頬を染め視線を落とした想い人に、目元を緩めた男が言葉を続ける。
「次に春が六州へ行くのは来月だ、それまでにせめて嫌いは減らす事だ」
「うっ…… はい……」
「良い子だ」
ベッドで身を起こしていた想い人。
むくれてしまったのを宥める様に、男は優しく細い肩を抱き寄せる。
素直に身を委ねてくる想い人の髪に、唇を落としつつ。
男は触れる肩や背の細さに顔を顰める。
帝都へ上ってから、冬音でさえも外交と言う仕事をこなしてきた。
気の張ることが多かった為か、ここ最近体調を崩すことが増えた様に思う。
気のせいと思えそうな僅かな変化。
しかしこうしてその身に触れれば、確実に細まっていると知れ。
男の胸中で不安の影が燻ぶる。
「六州は大丈夫でしょうか……」
己の胸元にもたれ掛かったまま、想い人がもらした小さな囁きが。
うっかりと、不安に引き摺られそうだった男を引き戻した。
「五州の外れで小競り合いはあった様だが、春が見て来た限り大した事は無かったそうだ」
「五州で?」
驚いて顔を上げた想い人、男は安心させる様に微笑みかける。
「大丈夫だ五、六州で騒ぎたがる流れは居ない。
一、二州も嫌がらせで私兵を動かすほど馬鹿ではないだろう」
「……そうですね」
ほっとした様に想い人は笑みを浮かべ、それに男は目を細め柔らかな髪を撫でてやる。
時期帝を巡る駆け引きの副産物なのか、各地で徒党を組んだ流れ達による破壊活動が起きていた。
要するに、第一州の皇子を支持しろとの圧力である。
しかし第五・第六州は、昔から流れの待遇が良い方で。
幾ら金を積まれても、そこで騒ぎたがる流れが少ないのが救い。
弱小の二つの州は人も少なく、流れは良い労働力な為。
他州よりも待遇が良かったのだ。
流れ達は独自の繋がりを持っており、例え他所にいる流れであっても。
良くしてくれる州へ狼藉を働く者を許さない、加担しなかった者まで追い出される事になっては困るからだ。
流れの繋がりからも弾かれてしまえば、この国で生きて行く事は不可能になる。
そうなれば、異国へ渡るしか無くなる。
もっとも、異国へ渡る方がましなのだが。
この国に居たいという、某かの強い思いがあるからこそ流れとなるのだ。
最後の繋がりを断つ恐れのある事を、進んで仕出かす者は少ない。
「冬、六州へ帰りたいか?」
不意の問いかけに、腕に収まる想い人が僅かに身動いだ。
ゆるりと顔を上げ、男の目を真っ直ぐ見上げると。
桜色の小さな唇が、はっきりと言葉を紡ぐ。
「はい」
これに男は眉根を寄せた。
やはり、連れて来るべきでは無かった……
少しずつ、少しずつ。
弱って行く様に見える想い人、六州に残せばこの様な事にはならなかったかも知れぬ。
そんな思いで、男の顔に苦痛の色が浮かぶ。
しかし見下ろす想い人の目元が緩み、再び口を開いた。
「秋津様とご一緒に、帰りたいです」
見せられた艶やかな微笑みに、男は息を飲む。
込み上げる愛しさで、目眩さえ感じた。
「そうだな…… もう少しで終わる、そうしたら皆で帰ろう」
「はい」
男は微笑む想い人の白い頬に、柔らかく唇を押し当てた。
時期帝は第五州の皇子と、ほぼ決まった。
余程の事がない限り、それは揺るがないだろう。
帝位に就くまで後半年ほど、それから一年は新たな政策の検討の為に。
各州の代表は帝都に拘束される。
それが終われば帰れるのだ。
懐かしい、六州へ。
「……共に帰ろう」
もう一度、囁いた低い声音に。
想い人は男の胸元で小さく、しかしはっきりと頷いて見せた。
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