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幼い子供の順応力には、目を見張るものがある。

春先にやって来た五歳の子供は、初冬までのこの短い時間であっという間に表情を変えた。


何ものにも執着せず欲を持たなかった子供は、感情の起伏が少ないためか。

にこやかでありながら、何処か無表情を感じさせていた。

それが拘りを知り始めると、驚くほど豊かな表情を見せる様になる。


そうなる事を望んだ少年にとって、それは喜ばしい事の筈なのだが。

物事は良い面だけでは済まぬもの。

子供が喜怒哀楽を見せるようになって付いてきた副産物に、少年は悩まされる事になる。

例えば、今現在の状況のように……




「おチビ、デコ」


言葉と共に僅かに前屈みとなった少年に、床に座っていた子供は伸び上がるように膝立ちとなる。

しかしそれでも届かぬ小さな身体を、少年は己の膝上に抱上げ額を合わせた。

抱上げられた不安定さに、少年の胸元へ寄せられた小さな手が軽く服を掴む。


「もうお熱ないよ?」


「無いかどうかは俺が判断する」


熱は無いと言う声が掠れている事に、少年は苦笑を浮かべつつ白い額に唇を押し当てた。


「……だいぶ下がったな」


少年が安堵のこもった吐息混じりに呟きをこぼせば、まだ僅かに熱で潤んだ琥珀色の瞳をキラリと輝かせる子供。


「秋さん、じゃあお外にいっていい?」


「駄目に決まってるだろうが! 大体、今何時だと思ってる」


二つの月の輝きが降り注ぐ夜半過ぎである、普通でも子供が外で遊ぶ時間では無い。


「明日なら出てもいい?」


「駄目だ! 完全に熱が下がって、ちゃんと形がある飯が全部食えるようになってからな」


「……まだお粥?」


「まだ喉が腫れてるだろ? 飯の水を引くのは早過ぎる」


「……」


少年の膝から下ろされ床に寝かしつけられながら、子供は頬を膨らませて思案する。


「でもね秋さん、早くお外にいかないと雪が居なくなっちゃうよ?」


真面目に言い募る子供らしい屁理屈に、少年は布団を掛けてやりながら思わず吹き出した。


「消えるか馬鹿、初雪が降ったばかりだぞこれから積もる一方だ」


「……ほんとう?」


「本当だから早く寝ろ、ぶり返したら何時まで経っても外に出れねぇぞ」


「……おやすみなさい」


「お休み」


漸く大人しく、子供の大きな瞳が瞼に隠されたのを確認し。

少年は深い溜め息をついた。


初雪が降ったのは、四日前の早朝であった。

目覚めた途端に目にした、真っ白な雪が舞い落ちる様に。

当然の事ながら、子供は大はしゃぎ。


例年に比べれば幾分早い初雪に、周りの者達は直ぐに溶けてしまうだろうと思っていた。

しかし予想に反し、このまま根雪になりそうな勢いで降り続き。

昼過ぎには庭にうっすらと雪が積もる程、おかげで子供は全く落ち着かず。

飽く事なく雪と戯れていた。


当初は宥めたり叱ったり、何とか子供を落ち着かせようとしていたお目付け役の三人だったが。

気づけば、子供と一緒に雪遊びに興じている始末。

夕方になり呆れた長が止めに来た事で、漸く我に返りばつの悪さを感じたもの。


一日はしゃぎ過ぎた子供は、その日の夜に熱を出してしまった。

それから部屋で禁足を強いられること四日。

喉の腫れやら高熱にまいり、子供が大人しかったのは今日の朝まで。

昼頃には、遊びに行きたいとごね出した。


決して辛いと口にしない子供、しかし身体の辛さに泣きそうになりながら堪える姿は。

見ている方が切なくなる。

元気になるのは喜ばしいが、それに連れて他愛のない駄々増えて行き。

それはそれで、見ている者の悩みの種となる。


特に今回は、早過ぎる雪の降り具合に後回しにしていた冬支度に追われる事となり。

夏月と睦春も手伝いに、泊まり掛けで出掛けてしまい。

必然的に看病をするのは秋津のみ、子供の駄々に一人苦労する事になった。


来たばかりの頃、執着する事の無かった子供は。

止められる度に興味の対象をコロコロと変え、一時も目が話せぬほど落ち着きが無かった。


今、拘りを覚えた子供は。

止められる事を嫌がり、我を貫こうと駄々をこねる様になった。


――変わらない。


と、少年は頭を抱える。

意味合いは変わっても、己の興味の赴くまま暴走する子供。

叱っても宥めても、言う事を聞かず手のかかるところは全く変わらない。

面倒だと思いながらも、世話を焼き続けている己に。

少年は苦笑するほかなかった。




翌朝。


「秋さん、ごはんちゃんと食べたよ?」


「粥半膳、梅干を一かじり程度が食った内に入るか」


「でもね、お熱もさがってるよ?」


「まだ微熱がある、大人しくしてろ」


「……つまらない」


「フラフラしてまた熱が上がる方が、よっぽどつまらねぇぞ」


「雪ふってるのにぃ……」


頬を膨らませてぶつぶつと呟く子供に、少年はぐったりと項垂れる。

断続的に降り続く雪、目覚めてそれを目にした子供は遊びに行きたくて仕方がない。

気持ちも分からぬではないが、まだ無茶と言うもの。


部屋に籠りっぱなしで五日目、流石につまらないと言われれば可哀想になってくる。

だからと言って、邸の中ならまだしも。

喉の腫れがなかなか引かず微熱を持つ子供を、雪の降る外へなど出してやる事はできない。


寝てばかりは嫌だとむずがる強敵を、何とか布団に押し込めながら。

少年は仏頂面で思案する。

要するに冬音の興味は雪なのだ、それが見れれば別に外へ出なくとも納得するやも知れぬ。


「おチビ、ちょっと出て来るから大人しく寝てろよ? うろちょろしてたら尻叩きだからな」


睨みながらの少年の言葉に、子供はさっと青ざめ頭から布団を被ってしまう。

そんな子供の様子に笑いながら部屋を出た少年は、思いのほか早くに戻って来た。


「ちゃんと寝てたよ」


顔を見るなり神妙な面持ちで呟く子供に、少年は思わず吹き出す。


「良い子にしてたご褒美だ」


床に近づき座り込んだ少年の手にはお盆があった、それに乗せられた物を見て。

子供の目が丸くなり、キラキラと輝く。


「雪?」


「もう少し、これで我慢しろ」


枕辺に置かれた盆の上には、少々歪な雪だるま。

子供は小さな手をおずおずと伸ばし、雪だるまに触れてはその冷たさに歓声を上げる。

どうやら納得したらしい。


「秋さん、ありがとう!」


「……はいはい」


暫し雪だるまとにらめっこしていた子供は、腹が膨れているせいかふらりと舟を漕ぎだした。

それでも眺めるのを止めない子供に、布団を掛け直してやりながら。

少年が呆れた声を出す。


「ほら寝ちまえ、治れば幾らでも雪がみれるぞ」


「……居なくならない?」


「この分なら、春まで消えねぇだろう」


苦笑混じりの少年の言葉に、ほっとしたような笑みを浮かべ。

子供は小さな寝息をたて始める。


――疲れる。


漸く大人しくなった子供を見下ろし、少年は深い溜め息を吐き出した。

何故、己がここまで面倒を見なければならぬのか。

お目付け役と定められたのだから仕方ない、と思う反面。

そうでは無くとも気が気ではなく、あれこれ世話を焼きそうな己の心情に気づき。

少年の顔は渋くなる。


何しろ、嫌でも子供の暴走が目に入るのだから気になるのが人情。

そんな事を思いつつ、連日の看病疲れがあるのか。

少年も眠気に襲われ、その場にゴロリと横になった。




そして夕方近く。

すっかり外の色が茜に染まった頃、ぐっすり寝てしまったらしい少年は。

野太い怒鳴り声で目を覚ました。


「秋津! こりゃどういうこった!!」


「……なっ」


慌てて見を起こせば、目の前に長の怒り顔。

事態を把握できずに横を見やれば、顔を真っ赤にして泣きじゃくる子供。


「……じいさん、あんたが近づくから泣いてんじゃねぇか」


「違うわボケ!? 俺が見に来た時にはもう泣いてたぞ!!」


「……何でだ?」


「俺が聞いてんだよ! お前何しやがったっ」


「何もしてねぇぞ!!」


身に覚えの無い少年は、長に負けじと怒鳴り返し座り直したところで。

床に座った子供の小さな手が、己の袖をぎゅっと握っている事に気づいた。


「どうした? 怖い夢でも見たのか?」


ポロポロと涙をこぼし、声を詰まらせてしゃくり上げる子供。

ただ事ではない泣き様に、少年は眉を顰めて覗き込む。

濡れた頬を撫でてみれば、驚くほど熱くなっている。

滅多に泣かぬ子供にここまで泣かれると、対応に悩むもの。

理由も分からず、おろおろする長が情けない声を上げた。


「また熱が上がって辛いんだろうか?」


「確かに熱いが、こりゃあ泣いてるせいじゃねぇか?」


自信無さ気に少年が答える。

発熱の為なのか泣いている為なのか、見ている方にはさっぱり分からない。


「おい、どうした?」


「……っ」


理由を知ろうと問いかけてみるが、しゃくり上げる子供は声が詰まって出て来ない。


「てめぇ本当に何しやがった?」


「だから、俺のせいにするな!」


狼狽える長が、是が非でも己のせいにしようとするのに怒鳴りつけ。

少年は子供を落ち着かせようと、膝上に抱上げ背を擦ってやる。

撫でる手に、身体の熱さと激しい鼓動が伝わり。

益々、少年の顔が渋くなる。

そこで漸く、子供から小さな声がもれた。


「い…… なったの」


「ん?」


もれた声の細さに聞き取れず、少年と長は顔を見合わせた。


「……居なくなったの」


何が?

そんな同じ事を思いつつ、見ている二人は辛抱強く次の言葉を待つ。


「雪……」


ぐずりながら告げる子供の言葉を判じかね、二人は揃って首を傾げたが。


「あっ!!」


思い当たった少年が声を上げ、慌てて枕辺に視線を向けた。

そこには、溢れそうな程に水をたたえたお盆が一つ。


「つまり、雪だるまが居なくなったと泣いてた訳か?」


苦い声で確認を試みる少年の胸元で、顔を埋めたまま子供がコクリと頷いた。


「雪だるま?」


意味が分からぬ長が、説明しろとばかりに睨みを効かせる。

仕方なしに少年が朝の出来事を話せば、やはりお前のせいだと言われ返す言葉がない。


「詰めが甘ぇな、秋津よ」


暖かい部屋の中、雪だるまが溶ける事も想定しておくべきだった。




理由が分かり余裕を取り戻した長は、笑いを堪えながらのそりと立ち上がり部屋を出る。

残された少年は、いまだ泣き続ける子供に視線を落とした。


「冬、雪だるまは暑さが苦手だから外に帰ったみたいだ」


「……お外?」


何となく溶けたと言うのが憚られ、苦しい言い訳を紡ぐ少年。


「お前がちゃんと治って外に出れる様になれば、幾らでも会えるさ」


「ほんとう?」


「本当だから泣くな、それじゃ何時まで経っても治らんぞ」


子供は暫し、潤んだ大きな瞳で少年を見上げていたが。

やがて納得したのか、大きく頷き鼻を啜った。

ほっとした少年は、涙でぬれた頬を柔らかく唇で拭ってやると。

再び子供を床に寝かしつける。

そこへ重い足音と共に長が戻って来た。


「ほら冬、また来てくれたぞ」


満面の笑みをたたえ長が差し出した物を見て、子供の目が驚きで丸くなる。


「うさぎ?」


「おう! 雪うさぎだ、お前が寝付くまでは居てくれるそうだ」


ごつい両手に収まった、繊細で可愛らしい雪うさぎ。

たちまち機嫌の直った子供は、喜びの歓声を上げる。

その様子に、長の目尻は下がりっぱなし。

そんな厳つい横顔を睨みながら、少年が苦々しげに呟く。


「何でごつくて大雑把なじいさんが、こんな繊細なもんを作れるんだ?」


低く流れた負け惜しみの様な少年の声に、返される言葉は無かった。




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