表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

無心


「ぎぃやあぁぁああぁ!?」


「……っ」


複数の男女によるけたたましい絶叫に、少年の苦痛の呻きはかき消された。

春先の麗らかな午後、織家の庭にある立派な枝ぶりの柿木。

その周りで、蜂の巣をつついた様な騒ぎが起きていた。


「いけない、頭をぶつけたかしら?」


「医者、医者を呼べーー!!」


「部屋に運んだ方が……」


「いや、動かすのは不味くないか?」


等々、騒ぐ大人達。

それを聞きながら、木の側で大の字に寝そべった少年は渋い声で呟いてみる。


「……俺は良いのかよ」


やはりこの呟きも、誰かに届く事は無かった。

皇女がやって来て三日。

たったそれだけの間で、この様な騒ぎは日常茶飯事となっていた。


初日はやはり疲れていたのか直ぐ休んでしまい、静かだった子供。

翌日の朝早く、供をして来た者達が帰り。

そこからが目まぐるしい騒ぎの始まり。


蝶が飛んでいると見れば追いかけ、蟻の行列を見ればどこまでも着いて行き。

花の香りに気づけば、元を探しに飛び出して行く子供。


見るもの聞くものの全てが珍しい様で、好奇心のまま飛び回り。

ちょっと目を離せば姿が見えなくなるため、同じ年頃の子供と遊ばせるのは無理と。

二日目の昼には皆が悟ったほど。


仕事があるため四六時中、見ている訳にもいかぬ大人達に代わり。

秋津、夏月、睦春の三人が、皇女のお目付け役を仰せつかったのは昨日の夜。

そして今日も、朝からはしゃぐ子供を宥めたり叱ったり。


しかし一向に落ち着かない子供はほんの少しの隙をついて、とうとう柿木によじ登る始末。

逸早く、秋津がそれに気づいたが時既に遅しで。

駆けつけた時にはもう、少年が見上げる高さまで登っていた。


――それ以上登るな!!


と、叫ぶ間もあればこそ。

足を滑らせたのか小さな身体がグラリと傾ぎ、真っ逆さまに落ちて来る。


「あぶ……っ!!」


ドスン!!


という音を聞きつけ、集まって来た大人達が目にしたのは。

仰向けに倒れた少年と、その腹の上で気を失っている子供。


そして始まる大騒ぎ。

子供を受け止めはしたが、体勢を崩し背中と腰を強かに地面に打ち付けた秋津。

大人達が右往左往する振動で、鈍い痛みが身体中を駆け巡る。

制止する声も出せず、顔を顰めて耐える少年の腹の上で。

小さな身体が身動ぎした。


「……っ、気がついたか?」


子供はポカンとした顔を上げ、ゆるりと周りを見回した後。

少年の渋面を見下ろし、視線を止める。


「……秋さん、地面で寝てたら怒られるよ?」


「誰のせいだ!!」


見当違いの子供の言葉に、怒鳴り返しながら身を起こす秋津。

不機嫌ながらも腹の上の子供が転がり落ちぬよう、支えてやる事は忘れない。


「チビは無事だから落ち着け!!」


更に、狼狽える大人達を叱りつけその場を解散させると。

子供を抱えて立ち上がる。


「痛いところはねぇか?」


歩き出しながら問いかければ、小首を傾げた子供が眉を顰めた。


「ここ痛い」


小さな手が押さえたのは、額の右横辺り。

少年が子供を片腕に抱き直し、空いた手で触れてみれば。

そこは少し熱を持ち、腫れている様だ。


「落ちる時にぶつけたな、瘤になるぞ」


精々怖い顔を作り睨みを効かせる少年、子供は居心地悪そうに俯いてしまう。


「木に登ったら危ないと、行ってあったよな?」


「……ごめんなさい」


「今度やったら尻叩きだ」


少年の言葉に勢い良く顔を上げると、子供は力一杯首を左右に振る。


「もうしないよ?」


よほど嫌なのか。

青くなる子供の必死さに、少年は堪えきれず吹き出した。




「それでこの様か、情けねぇな」

「いっ……っ」


昼の木登り騒ぎの話しを聞き終え、豪快に笑い出した長は。

わざわざ、強かに打ち付けた秋津の背を叩いてやる。

何も無くとも倒されそうな力で叩かれ、背中に痣を作った少年は。

飛び出しそうになった苦痛の悲鳴を、何とか寸でで噛み殺す。


夜も更けて、漸くやんちゃな子供が静かになった時間。

お目付け役の三人と長が、一日の騒ぎを肴に茶飲み話をしていた。


「でも秋は速かったですよ」


「俺達は驚き過ぎて、動けなかったからな」


笑い飛ばす睦春と夏月。

それはそれで情けないだろう、と言う感想は飲み込み。

秋津は別の事を口にした。


「皇女ってぇのは皆あぁなのか? 落ち着きがねぇにも程があるだろう」


「帝都は無駄に整備されてるからな、こんなド田舎じゃあ珍しい物ばかりなんだろうよ」


「……自分で言うか?」


しれっと自虐的な事を言う長に、少年の表情は呆れに変わる。


「まぁ、無邪気で良いじゃないですか」


ニコニコ顔で呑気な事を言う睦春、それにやはり笑顔で頷く夏月。

あれが無邪気で済むのか?

秋津は二人の能天気さに、頭を抱えたくなった。

一向に機嫌の直らない少年に向けて、長が意味あり気な視線を投げる。


「秋津よ、何が気に入らねぇんだ?」


腹の探り合いではまだまだ長に及ばぬ少年は、目を見開く事で図星を露呈する。


「……別に」


ぽつりと呟き黙り込んでしまう秋津、その様子に長は喉奥で笑った。




それから暫し談笑した後、そろそろ休むかとその場は解散となる。

自室へ向かうため一人暗い廊下を進む少年は、何とはなしに長の問いかけを思い出していた。


『何が気に入らねぇんだ?』


別に隠している訳ではない、ただ胸中に沈む違和感を表す言葉を見つけられなかったのだ。

つい溜め息をこぼした時、髪を揺らす風に気づいて立ち止まる。

ここは庭に面した廊下だが、雨戸は全て閉められた筈。

風が通る筈がない。

改めて前方に目を凝らせば、月明かりが射し込む場所を見つけた。


そして見つけた小さな影。

正体に気づいた少年は、うんざりとした様子で項垂れる。

叱りつけ、床に縛りつけてやる。

そう心に誓った少年は、実行に移すべく歩き出す。


淡い月明かりに照らされた、空を見上げる子供の横顔が見えた時。

唐突に理解した。

己の内で燻ぶる違和感の正体を。


泣いていないのだ、この冬音と言う子供は。

本当に珍しく思うのか、大きな瞳を煌めかせ空を眺める姿。

何故、泣かない?

膨れ上がった疑問の重さで、また少年の足が止まった。


己が両親を亡くしたのは、三つの時だった。

その年に起こった災害で、多くの者が命を落としたのだ。

既に、片親となっていた睦春の父親も……


その時を思い返せば、今なお鮮明に思い出す。

底なしの喪失感。

心臓を抉る様な痛み、頭が割れんばかりの息苦しさ。

のし掛かる孤独に抗おうと、声も限りに泣き叫んだ記憶。


幼ければ幼い程、その喪失感と孤独感は耐え難いものであり。

押し寄せる絶望と悲しみに、抗う術もない。

それは死別とは限らず、(ナニガシ)かの理由で肉親と引き離されても同じ筈。

だがこの子供は、泣く事もむずがる事もしない。


まだ三日。

引き離された実感が無いのか、すぐに帰れると思っているのか。

平然とした子供に訝しさが募る。

少年は緩く頭を振ると、寝かしつける為また歩き出す。

それに気づかず廊下に座り続ける子供を、背後から勢いよく抱上げた。


「ひゃ……っ」

「こら! 何時まで起きてる気だ?」


驚きながら己を抱上げた者を振り仰ぐ子供、丸く見開かれた大きな瞳に。

少年の怒り顔が映る。


「秋さん…… ちゃんと寝てたよ?」


「寝てたら、こんな所に居ないだろうが」


「おきたから来たの」


「……」


つまり、夜中に目が覚めてしまったので外を見に来たという事か。

数瞬、微妙に判じかねる子供の言葉を吟味し。

理解した少年は、溜め息と共に部屋へ向かって歩き出した。


「とにかくチョロチョロするな、そして寝ろ」


子供を布団に押し込め睨みを効かせる少年、しかしあまり効果が無いらしく。

不満げな返事が返される。


「眠くないよ?」


少年は何度目かの溜め息を吐き出し、仕方なしに提案を持ちかけた。


「じゃあ、眠くなるまで話しでもするか?」


「うん!」


嬉しそうに頷く子供に、少年は苦笑を浮かべる。


「お前、母親に会いたくならねぇのか?」


「はは……って、見たことないよ?」


あっさりとした返答ながら、少年は内容の重さに息を飲む。

母親と、引き離されて育ってきたのか……


「お前の世話をしていた奴は居るだろう、仲良かった奴とか会いたい奴は?」


続く問いかけに、子供は困った様に首を捻る。


「いっぱいいたよ、でもすぐに変わるからわかんない」


「……」


今度こそ、少年は絶句した。

この子供は、寂しがる事や恋しがる事をしないのでは無く。

そんな感情があること自体、知らないのだ。

しかも城の者達によって、故意にそう育てられた節がある。


「……なんで、そんなに直ぐ変わるんだ?」


「顔や名前をおぼえちゃダメって、んー…… あとあと困るから?」




皇女は帝都に留まらない。

こうして州に与えられるにしろ嫁ぐにしろ、必ず他所へ行く事になる。

だから恋しがる事の無いように、誰かに懐く事をさせなかった訳か。


それはある意味、優しさなのかも知れぬ。

人や物に執着しなければ、他所へ移されても馴染みやすく思える。

しかし大切な人や物を持つ身からすれば、とても不幸せに見える。

不幸せと分からぬ事が、何よりも不幸せ……


「秋…… さん?」


仏頂面で黙り込んだ少年を、不思議そうに呼ぶ子供の声は流石に眠気を孕んでいた。


「眠くなったか? 良いから寝ちまえ」


ぎこちない笑みを向け、子供の髪を撫でてやれば。

大きな琥珀色の瞳は、重たげな瞼に隠された。


穏やかな寝息をたて始めた子供を見下ろし、少年は己の心の動きに驚いていた。

教えてやりたい。

そう思ったのだ、柄にもなく。

大切な物を持つ幸せを、親しい者をつくる喜びを。


だが一方で、それは不幸にする事かも知れぬとも思う。

何故なら、皇女は必ずここを出て行くから。

与えられた皇女は六州の子と位置づけられ、決して六州の者に嫁ぐ事は許されない。

それが政治に絡む、絶対の決め事。

必ず出て行くと分かっていて、大切な人や物をつくらせるのは酷な事かも知れぬ。


「それでも……」


藍色に闇に沈む部屋の中、少年の苦い呟きが細い吐息と共に流れて消えた。




.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ