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流れ者


石動国の西側、隣国との境には雄大な山脈が横たわっている。

第五州と第六州とを跨いで連なるそれは、豊富で良質な水の恵みを二つの州にもたらす。


その恵みにより、山に近く傾斜の多い五州では林業と酪農が。

盆地にある六州では、農業と酒造が主な生活基盤となっている。

それらの生産物は質も良く、割と高値で他州と取引きされるため。

弱小の一・二を争うこの二つの州も、何とか自力を保っていた。


国が興る前から親交の深かった二つの州は、現在も良好な関係を保っている。

六州・織家と五州・(ナミ)家の長同士も仲が良く、お互いの邸を州境の近くに構える程。


そんな二つの州の境を、六州へ向かって歩く二人が居た。

季節は、そろそろ稲の刈り取りが始まろうかと言う頃。

すっかり高くなった青空の下、見えて来た景色に一人が立ち止まる。

見渡す限りの金色、緩やかな風に揺れる稲穂の群れを眺め。


「ほぉ…… 絶景だねぇ」


眩しげに目を細め、感嘆の吐息と共に呟いた。




呟いたのは、二十代半ばかと思われる女。

平均よりは高そうな身長、長めの赤茶の髪を無造作に結えている。

日に焼けた小麦の肌と、意志の強さを表す様にキラキラ光る黒曜石の瞳。

そんな主の呟きに、連れの男も立ち止まる。


「そ…… で、すね、見事、なも、の、です」


言葉がやたらに途切れるのは、男の息が上がっているから。


「だらしないねぇ、そんなんじゃ年寄り扱いされても文句を言えまい?」


「えぇ、間違いなくあたしは年寄りですから、もう少し労って貰えませんかねぇ?」


男の歳は五十を越えたくらい、白い物が混じり始めた頭髪に。

顔には人の善さげな笑い皺が、幾筋も刻まれている。

そんな男が何とか息を整え返した言葉は、主の鼻先で笑われて終わる。

ぐったりと項垂れ今にも座り込みそうな男に、流石に同情したのか女が提案を持ちかけた。


「仕方ないねぇ、あたしだけで先に織家に顔を出して来るから(ゼン)さんはここで待ってな」


「しかし……」


「邸は近い筈だ、戻るまでそう遅くはならんだろう」


「……はい、行ってらっしゃいませ」


言うや否や、さっさと歩きだした主を仕方なしに見送り。

善司(ゼンジ)と言う名の男は、道端の木に歩み寄り背を預けると座り込んだ。

腰に下げていた水筒を取り上げ、中の水で乾いた喉を潤す。

一息ついて、改めて景色に目をやり何とも複雑な苦笑を浮かべる男。


「確かに見事、これなら酒も期待できそうだ」


既に姿の見えぬ酒好きの主を思い、男は深い溜め息をつく。


「酒でも何でも良いから、釣られて落ち着いて頂けると助かるのだが……」




その頃、織家の邸では一騒ぎ起きていた。


「やはり町の医者を呼んだ方が!!」


「医者のじいさんなら、この夏にくたばっただろうが」


「く、薬を変えてみようか?」


「医者が居ねぇのに、下手な薬を飲ませられるかよ」


慌てふためき、右往左往する夏月と睦春の言葉に。

冷静に返しながら、床に横たわる冬音を窺う秋津。

おろおろする二人を無視して、そっと子供の額に唇を押し当てれば。

伝わる熱の高さに、秋津は顔を顰めた。


普段は元気過ぎるほど元気なこの子供は、季節の変わり目などの急激な天候の変化に弱く。

些細な切っ掛けですぐ熱を出す事は、ここ数年の共暮らしで心得ていた。


例にもれず、急な冷え込みを見せた昨日の朝に熱を出したのだが。

微熱程度なもので、外で遊ぶとごねるほど元気であった。

それに油断した為、稲刈り準備に忙しい事もあり。

今日も早朝から、女手を含めて邸の者は皆出払ってしまっていた。


残っているのは子供の世話役、と言うより遊び相手の三人のみ。

間の悪い事に、長も今年の米の値を決めるため数日前から他州へ出掛けていた。


そんな中、急に子供の熱が跳ね上がったのだ。

呼吸は急き、高い熱にも関わらず顔から血の気が失せている。

更に寒気もあるのか、小さな身体は小刻みに震えていた。

あまりに急な変化に慌てる二人を宥めつつ、思案していた秋津が決断する。

医者に見せるしかないのだが、行って連れて来る時間も惜しい。


「医者に連れて行くぞ」


子供を毛布にくるみ抱上げた秋津の言葉に、右往左往していた二人が目を丸くしてピタリと止まる。


「と、隣町に……」

「阿呆、それなら五州の医者の方が近いだろう」


上擦った声で言いかける睦春の言葉を一刀両断すると、秋津は素早く部屋を抜け出し玄関へと向かった。


「夏は先に行って、医者を捕まえとけ!」


「っ、分かった!!」


夏月は大きく頷くと、勢い良く玄関の引戸を開けようとしたのだが。

その前に、ガラリと勝手に開いた事に驚いてその場に凍りつく。


「部屋へ戻りな」


続いて聞こえた声に、残る二人も呆気にとられ硬直する。


「部屋に戻れ、病人を無闇に動かすんじゃない」


戸を開け放った張本人は、落ち着いた様子で繰り返し指示を出しながら。

ツカツカと秋津の元へ歩み寄り、抱えられている子供を覗き込む。

そこに至って、漸く秋津が声を絞り出した。


「な…… 何だ、あんたは……っ」


問われた方は不敵な笑みを浮かべて顔を上げ、問うた者の目を真っ直ぐ捕えて言い放つ。


「あたしは、あんたらお望みの医者さ」




放たれた言葉の意外さに、またしても固まる三人。

言うべき事も思いつかず、突如現れた医者だと言う女を見詰めるばかり。


「ここの長は居るかい? 五州の長が文を書いてくれたんだが……」


女は固まる三人を見回しながら、手紙を取り出して見せる。

そこで我に返った夏月が、上擦りながらも何とか言葉を紡いだ。


「え? あ、父上は留守でして…… 五州の長が文を?」


「あんたが息子か、なら代わりに読みな」


「いっ!? あだだだだだっ!!」


己の胸元に叩きつける様に渡された手紙を、反射的に受け取った夏月であるが。

続いて左耳に千切れるかと思うほどの激痛が走り、情けない叫びを上げた。


「おら、さっさと部屋へ案内しな」


情け容赦ない力で夏月の耳を引っ張り、ドカドカと邸に上がり込む女。

そのまま前方に投げ出すように、引っ張る相手を解放すると。

まだ固まっている睦春に、視線を向けた。


「そこの垂れ目、悪いが途中で待たせている連れを迎えに行ってくれないかえ?

善司と言う小者のじいさんだ」


「たれ……」

「さっさと行け!! とろくさいのは好かん!」


「……っ、はいっ」


女の一喝で身体の機能を取り戻した睦春は、弾かれた様に駆け出し玄関から飛び出す。

それに一瞥も与えず、女は廊下を進み始めていた。

あまりの事に無言だった秋津も漸く言葉を取り戻し、足早に進みながら女に問いかける。


「てめぇ、本当に医者か?」


「あぁ、医者さ」

「流れの医者…… ですか……」


答える女の声に、律義に手紙を読んでいた夏月の声が重なる。


「流れだぁあ!?」


驚きに秋津の声が裏返った、それにカラカラと笑いながら女が説明する。


「先月、五州に流れて来たんだが、ここの医者が亡くなったと長に聞いてね。

身体の弱い子供が居るから、顔を出して見てくれと頼まれたのさ」


「それでわざわざ……」


目を丸くする夏月に、女は悪戯気な視線を投げると要らぬ一言を付け加える。


「こんなド田舎だ、次の医者の当ても無かったんだろう?」


「……」


言い方は気に入らないが、事実田舎なので返す言葉がなく夏月と秋津は黙り込んだ。




流れとは、どの州にも帝都にも戸籍が無い者を指す。

異国の者や訳ありで州を抜けた者が大半で、あまり良い印象を持つ者はいない。


戸籍が無ければ、最低限ほども人と扱われる事がない。

犯罪を犯せば裁判を受ける権利はなく、罪の大小に関わらず極刑となり。

被害者となっても、訴える権利もなく国に守られる事もない。


流れた先で仕事を得るのは割と簡単だが、最低賃金の保証はなく。

極端な話し、雇い主は死なぬ程度の食事を与えれば賃金無しでも罰せられない。

酷い扱いを受けると分かっていても、流れになる者は必ず現れ人の世の難しさを感じさせる。


しかし、流れの医者となれば話しは真逆となる。

何の権利も保障も無いのは同じだが、必要とする町や村が多いのだ。

帝都や大きな州には医者が余るほど居る、それに比べ力の弱い州などは一つの町に医者一人にも困る始末。

流れでも、医者が来てくれればと願う場所は多い。


医者の方にも流れる事に利点はある、悪条件下で五年も流れの医者を勤めれば。

悪条件であるが故に名医として名が上がり、有力な州や町からお呼びが掛かる様になるからだ。

だが名誉欲のみで流れになる医者で、五年もつ者はまず居ない。

人を救いたいとの信念と医師としての腕が無ければ、流れた先で医者と認められないからだ。




そんな過酷な流れの医者を、まだ若い女がやっているとはとても信じられぬ。

部屋に戻り子供を床に寝かせながら、秋津は不信感も露わに問いかけた。


「世間知らずのなり立てか? それとも見かけ以上の年寄りか?」


問われた方は、気を悪くするでもなく不敵な笑みを崩さない。


「無礼な若造だねぇ、あたしはこれでも三年流れてる、歳は二十三だよ」


「に……っ、俺の一つ上……」


夏月の気の抜けた言葉に、女はまたカラカラと笑う。


「二十二にしちゃ老け顔だねぇ」


軽口を叩きながらも、子供を診察する手を緩めぬ女に。

内心では感心するが、秋津の口から出るのは可愛げの無い言葉。


「てめぇは童顔だな」


「おや、褒めてるのかい?」


「褒められてると思うとは、年増の自覚があるんだな」


「本当に無礼な若造だ」


そこで女は表情を改めると、側に座す男二人に向き直る。

暫し二人を見比べた後、落ち着いていると判断したのか秋津を見据えて問いかけた。


「この子の歳は幾つだい?」


「八つだ」


「それにしちゃあチビだねぇ……」


「若造だのチビだの失礼な奴だな、俺には秋津そいつには冬音ってぇ名がある!」


不機嫌な秋津の言葉も意に介さず、女は持っていた荷物から何かを取り出した。

どうやらそれは、油紙にくるまれた三つの小さな包み。


「こいつを湯に溶いて夕刻までに全部飲ませな、湯飲み一杯分に一包みだ」


「投げて寄越すなっ」


慌てて包みを受け取り、怒鳴る秋津。


「このチビちゃん、飯は食ったのかい?」


苦情をものともせず、今度は夏月に問いかける女。

おろおろと二人を見比べていた夏月は、いきなり問われて背筋を伸ばした。


「朝…… 粥を少し」


「成る程…… 今はまず熱を下げるのが先だな、飯はその後だ」


「この薬、効くんだろうな?」


仏頂面でさも疑わしげな秋津の言葉を、女は鼻先で笑って跳ね返す。


「どっちが失礼だい?

熱が跳ね上がったのは肺に炎症を起こしてるせいさ、そうなると熱ざましでは効かん。

渡したのは炎症を鎮める薬だから、確り飲ませな」




「……効かなかったら叩き出す」

「秋……っ」


負け惜しみの様な秋津の声と、それを咎める夏月の声。

女は両方を笑い飛ばし、チラリと横たわる子供を見た後。

渋い顔で二人に向き直る。


「この子は随分と脆い身体をしている、体格も八つとは思えん。

食も細いとみたがどうだ?」


ずばりと言い当てられ、二人は目を丸くした。


「その通りですが、普段は元気な子供なのです」


何とか言葉を紡いだ夏月を真剣な眼差しで見据え、女が告げた言葉に今度は絶句する。


「こういう子供は手が掛かる、実の子であっても苦労に泣く程な。

聞けば帝より与えられた皇女とか、無理に養う事もあるまい?

病弱を理由に帝都に返せ」


「……っ!」


驚きに見開かれた二人の目は、みるみる怒りに細まって行く。

平然とする女を睨みつけ、秋津が唸るように言葉を吐き出した。


「こいつは物じゃねぇ、泣くほど苦労しようと自分の家族を見捨てる奴は屑だろう!」


同じく睨みながら大きく頷く夏月。

怒りに震える二人を、無表情でじっと見詰めていた女は。

不意に破顔した。


「良く言った! じゃあ家を用意して貰おうかねぇ」


「……は?」


先程の無表情から一転、豪快に笑う女の言葉が理解できず。

二人は間の抜けた声を上げた。


「手が掛かると言ったろう?

それはこの子がここに居る限り続くんだ、医者が居なくてどうする」


「それは…… そうですが」


上手く回らぬ頭、あんぐりと口を開け呆けた二人はろくに返事も出来ぬ。

そんな二人に、カラカラと笑う女は止めの言葉を投げつけた。


「あたしの名は光流(ミツル)だよろしくな、あぁそうだ診察の払いは良い酒を頼む」




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