96. 錯綜する
「……これはもう、終わりでしょうかね」
舗道の片隅に設営された、騎士たちのキャンプ。そのテント内で、クレアリアは小さく独りごちた。
歓喜に沸く民衆たちの声が、ごうごうと響いてくる。
予想通り流護があっさりと決闘を制し、人質は全員解放の流れ。賊が素直に人質を手放すかどうかは疑わしいが、そこはアルディア王のことだ。何か策を考えているはず。
つい今ほど、決闘に負けた男が向かいにあるテントへ運び込まれたようだが、もう情報を聞き出す必要すらないかもしれない。
クレアリアの隣では、簡易テーブルに伏したリーフィアがすうすうと寝息を立てていた。
ほぼ事態は収束し、当然だが交渉で彼女を引き渡すこともなかった。もうこの少女が、こんな場所にいる必要もないはずだ。
駆けつけはしたものの、自分も必要ないだろう。アルディア王に反抗的な態度を取ってしまった手前、何だか顔も出しにくい。子供っぽい己の態度に、今更になって自己嫌悪を感じる。
自分が少し反抗した程度で、アルディア王は子供をあやすように受け止める。受け止めてくれる。それを分かっていて、あんな態度を取ってしまう。
こんなことは、今回が初めてではない。
あのときのことを――遊撃兵だった彼女……レッシアのことを思い出す。
「ああ、全く……!」
もう、何に苛ついているのかよく分からなかった。
リーフィアに配慮しないアルディア王に対してなのか。
その王が包み込んで許してくれると分かっていながら、甘えて反抗する自分に対してなのか。
忠告したにもかかわらず、遊撃兵となろうとしているあの少年に対してなのか。
「はぁ……」
クレアリアが溜息をつくと同時、ガシャガシャと金属音を立てて一人の兵士が近づいてきた。
「失礼、伝令をお伝え致します」
声に釣られるまま顔を向けて、クレアリアはわずかにぎょっとした。
銀色の全身鎧を着込んだ兵士。それはいいのだが、頭部全体を覆い尽くすゴテゴテしい鉄兜を被っており、その顔が全く窺えない。ひとまず、声で男性だということだけは分かった。
レインディールにおいて、顔の見えない兜を愛用する者は少ない。温暖な気候(まして今は夏)のせいもあるが、「兵の顔が見えたほうが安心する」という民衆の意見を受けて、普段は身につけない者が多いのだ。兵同士、互いが誰だか分からなくなるという欠点もある。
怨魔掃討や山賊の駆除など、討伐任務の際には着用するのが基本なのだが……。
そんなクレアリアの内心を知ってか知らずか、全身銀一色の兵が生真面目な口調で告げる。
「そちらにおられるのは、リーフィア・ウィンドフォール嬢ですね。先ほどお屋敷から連絡がありまして……事態も収束に向かっておりますゆえ、戻られるようにとのことです」
「屋敷に……、分かりました。すぐ向かわせます」
クレアリアが頷くと、兵は金属音を響かせながら走っていく。この暑いのに、ご苦労なことだ。
リーフィアが通信の術を使えないため、直接伝えに来たのだろう。もっともクレアリアを含め騎士や兵士たちが待機しているのだから、通信を使えば早いだろうに。
溜息と共に、気持ちを切り替える。
ともかくまず、この風の少女を屋敷まで送り届けよう。
「リーフィア、リーフィア」
優しく揺さぶってみるも、うーんと唸るのみで目を覚ます気配がない。昨夜は何だかんだで遅くまで夜更かししていたし、アルディア王の無神経な発言で泣き疲れてしまったことも理由の一つだろう。
ちょうど通りかかった女性騎士に手伝ってもらい、リーフィアを馬車まで運んでもらうことにした。
「…………」
ごった返す人ごみの中で、ベルグレッテは思案し続けていた。
流護の勝利、人質全員の解放。
なぜ敵は、あっさりと要求に応じたのか。
全人質と引き換えでもいいと言った、本命の要求であるリーフィアの奪取。それに失敗して、自棄にでもなったのか。それとも、素直に負けを認めたのか。いや――これまでのジンディムという男の対応から考える限り、それはありえないように思う。
ここまで慎重に交渉を進めてきた男が、アルディア王の提案した決闘にあっさりと同意し、あっさりと負ける。やはり腑に落ちない。
となれば、人質を一気に解放し、その中に神詠術爆弾を仕掛けた者を紛れ込ませる。十分という時間も怪しい。施術するための時間とも考えられる。
アルディア王たちがその可能性に気付かないはずもないだろうが、こちらもいつまでも油を売っている訳にはいかない。
ベルグレッテはひとまず、アルディア王や流護たちの下へ戻ることにした。
それにしても一体、どれほどの人々がこの場に集まっているのか。
テロという危険な事態だというのに、この国の人々の野次馬根性はこういう場合にはよろしくない。エドヴィンやミアがいたとしたら、やはり興味を惹かれて野次馬に加わりそうだ。逆に、レノーレやダイゴスはさして興味を示さないだろう図が容易に想像できる。
ベルグレッテは人ごみを掻き分け、流護たちのいた場所を目指す。
「あ、リューゴ……」
「おう、ベル子か」
戻ってみるも、そこには少年の姿しかなかった。
「あれ……みんなは?」
「ああ、えっと――」
クレアリアとリーフィアはキャンプへ。
アルディア王とケッシュは、神詠術爆弾の可能性に備えて人員を集めているという。やはりそこに気付いたようだ。もっとも、アルディア王がそこを見落とすはずはない。
「そっか。リューゴも、お疲れさま。ケガはなかった?」
「パーフェクトゲームだった。心配ねえよ」
「……ねえ、リューゴ。あなたは……」
「ん?」
――遊撃兵になるつもりでいるの?
そう、尋ねようとした瞬間。
「遅れましたごめーん! お待たせ、お待たせ致しましたあああぁぁっ!」
人波の中から、文字通りの意味で人が飛び出してきた。
「んげっ」
その人物を見るなり、流護が苦々しい呻き声を漏らす。
「あれ? 王様は? ここにいるって聞いて来たんだけど……うっぷ」
「学院長……」
現われたのは、ナスタディオ学院長その人だった。急いで駆けつけたのか、珍しく息を切らしている。美しい金髪も所々ハネていて、メガネもずり落ちかけていた。そのメガネの奥から覗く鳶色の瞳には覇気が感じられない。着ている白衣も皺だらけだ。……しかも酒臭い。
テロについて情報を交換すると、学院長はぶーぶーと声を上げた。
「じゃあ、もうほとんど解決? アタシがここに来た意味なし?」
「今の話だと、学院長はずっとこの街にいたんすよね? こないだ俺らと会った翌日に出張の予定で、でも壁外演習近いしってことで王様に言われて出張やめて、ずっとこの街にいたんすよね? それで何で学院から来た俺らより到着が遅いんすか、それもメチャクチャ」
ジド目がちな流護の言に、どこかげんなりした顔で学院長が受け答える。
「だから道がすんごい混んでたんだってば。それはもう、お通じの悪いアレのように。あ、お通じっていえばちょっとお腹の調子も悪くてさ……あ。リューゴくん、今おトイレに篭もるアタシの図を想像したでしょ。いやんこのスケベ小僧! あ、そんで宿を出るのに時間かかっちゃってさ……そのせいもあるかも……んで、そっちは全然混んでなかったの?」
「街に近くなったらそこそこ。美術館周辺はもう馬車も近づけなかったんで、降りて走ってきましたよ」
「何だとぉ……便利だと思って中心街に宿取ってたのが間違いだったか……あぅ、頭痛い……」
五年前のテロを単独で鎮圧したナスタディオ学院長だが、今回ばかりは出番がなさそうだ。
それこそ五年前のように――今回の流護たちのように、学院から駆けつければそちらのほうが速かったかもしれない。
(…………さて)
ベルグレッテは気持ちを切り替える。
学院長と会えたのであれば、聞いておかねばならないことがあった。
「学院長。実は――」
ベルグレッテは言葉を選んで説明した。
リーフィアの乗った武装馬車が襲撃を受けたこと。襲撃を仕掛けたのが、オプトであるかもしれないこと。そのオプトが、複数の属性を扱っていたこと。そして彼女が、テロを起こした者たちに加担しているかもしれないこと……。
学院長は比較的オプトと親しいとのことだが、やはり黙っている訳にはいかない。
「襲撃って……まじかよ。裏で『ペンタ』が動いてんのか?」
「――そっか」
驚く流護とは真逆に、学院長の反応はベルグレッテが予想していたより遥かに淡々としたものだった。
ふと、ベルグレッテはかつてミアが幾度となく零していた言葉を思い出す。
『あの人にとっては、生徒なんてペットみたいなもんなんだよ、ほんとにもう』
無論、愚痴めいた冗談にすぎない。けれど。
懇意であるはずのオプトのことに対しても、学院長は眉ひとつ動かさない。
それは教師として、動揺を押し殺しているのだろうか。それとも――。
ナスタディオ・シグリスという人物の内面は、ベルグレッテには推し量れそうもない。
「学院長。オプトの属性について、複数属性を扱ったことについて……なにか心当たりはありませんか?」
「ベルグレッテはさ。ミアとえっちなトコロを見せ合いっこしたりするの?」
「ッ……、はぁっ!?」
予期しないどころではない。突拍子もない、もはや意味の分からない発言に、ベルグレッテは茹だったように真っ赤となる。
流護も顔を少し赤くして唖然としていた。
「んなっ……なにを、なにっ……」
言葉が紡げなくなっているベルグレッテに、学院長は淡々と告げる。
「同じコトよ。親しい間柄だからって、相手の全てを……奥の奥まで、底の底までを知ってるとは限らないでしょ。オプトがアタシの知らない術を秘めていた可能性は、充分にある。もっともそれは、アタシにも言えるコトだけどね」
自嘲気味に肩を竦めて、学院長はそう笑った。
「ベルグレッテ、周囲に注意してみて。今からアタシが、オプトの鼻タレ小娘に通信入れてみるから」
「あ……はっ、はい」
相変わらずの唐突な切り替えに置いていかれそうになるも、ベルグレッテは気を引き締める。
簡単だが有効な判別法だった。通信を受ければ、その者の耳元には波紋が広がる。
――しかし。
「……いない」
周囲の人波を注視するが、波紋の現われる人物はいない。少なくとも目に見える範囲にはいないようだ。
学院長の通信に、オプトが出る気配もない。
通信を切り上げた学院長は、素早くベルグレッテに指示を下した。
「ベルグレッテ。一応、リーフィアのところに行ってあげて」
「は、はい!」
仮にオプトが近くにいるとして、リーフィアを狙っているとして、馬車のときのように襲撃をかけてくる可能性はさすがに低い。周りには大勢の民衆や騎士たちがひしめいているのだ。
だが学院長の指示通り、念のためリーフィアについていたほうがいいだろう。
「えっと……リューゴ。じゃあ私、クレアたちのところに行ってくるね」
「お、おう。大丈夫か? 俺も行った方がいいか?」
流護がいれば心強い。同意しようとしたベルグレッテだったが、よく考えたら今回、流護はアルディア王が個人的に呼んでいるのだ。勝手に連れていってしまう訳にもいかない。
「あ……陛下が戻られるまで、待ってたほうがいいかも……」
「えっ……あ、そうか……うん……ああ……」
流護の視線が学院長へ注がれる。二人きりになるのが嫌なのだろう。
「アタシも、オプトに呼びかけ続けてみるわ」
「はい。お願いします」
――大丈夫なはず。
しかし妙な焦燥感を覚えたベルグレッテは、足早にリーフィアたちのいるというキャンプへ向かうことにした。
「えっ、屋敷に帰った……?」
キャンプで待機している兵に話を聞けば、クレアリアたちは馬車でリーフィアの屋敷へ向かってしまったという。
「はい。何でも、戻るように屋敷から連絡があったそうで」
「え……?」
そんなはずはない。
この交渉が始まった当初、ベルグレッテは屋敷へ通信を飛ばしている。リーフィアはしばらくこちらにいると報告し、向こうもそれを承諾している。
もし本当に戻るよう要請があるのなら、まずベルグレッテに連絡が来るはずだ。
(……、まさか、敵の――!)
胸中に渦巻いていた焦燥感が、明確な不安へと形を変える。
ベルグレッテは慌てて術式を紡ぎ、リーフィアの屋敷へと通信を飛ばす。
「あの、ベルグレッテです! 確認したいのですが……リーフィアに、屋敷へ戻るよう連絡されましたか!?」
『えっ? いいえ、していませんが……。あの子、しばらくそちらにいるんですよね?』
不安が、完全な脅威へと変貌を遂げた。
――失策だ。流護やクレアリアと合流した時点で、馬車襲撃の件を伝えておくべきだった。
流護にはつい先ほど話したが、クレアリアはリーフィアが襲われたことを知らないのだ。屋敷から連絡があったと言われれば、疑いなどしないだろう。
リーフィアはリーフィアで、あの穏和な性格だ。心配をかけまいと、自ら積極的に襲撃の件を話そうとはしないはず。むしろ怖い思いをしたことなど早く忘れたいはずだ。悪意ある何者かが偽の連絡を入れてくることなど、きっと考えもしない。
リーフィアの屋敷周辺は、閑散とした佇まいだ。襲撃にはもってこいの環境といえる。
ベルグレッテは妹たちの後を追うべく、全力でその場を駆け出した。
そして、十分が経過した。
間を置かず、本当に解放された人質たちが次々と美術館から出てくる。
「ようし、手早く罠の有無を確認しろーい」
アルディア王の指示の下、備えていた兵士たちによって、人質全員に対しての罠の確認が手早く実施された。一分も経たないうちに、兵士の一人が声を張り上げる。
「判定終了しました! 罠は、仕掛けられておりません!」
その報告に、ふーむと声を漏らしたのはアルディア王だ。
ケッシュも訝しげな表情を見せる。流護も同じ。
かなり大ケガをしている者もいたようだが、人質たちには誰ひとりとして罠は仕掛けられていなかった。
もちろん喜ばしいことではあるものの、こうなると分からないのは敵の思惑だ。
本当に、生命線であるはずの人質を素直に手放してしまった。こうなれば、敵にもう『盾』はない。これ以上、立て篭もりは成立しない。
テロ発生から約四時間。雌雄はほぼ決した。
あえていうならば、まだ美術館という建物そのものが人質ならぬ『モノジチ』として残っているとも表現できるが――
『さぁて……どうするよ? まだ続けるかい?』
長時間立ちっぱなしで疲れたらしい。どこから持ち出したのか、椅子にドカリと腰を下ろしたアルディア王が声を響かせる。
降伏するか。抵抗して叩き潰されるか。待ち受ける結末は変わらない、その二択を突きつける巨大な王。
応えたのは、余裕を滲ませたジンディムの声だった。
『フ……「まだ続けるか」だと?』
『あん?』
嘲笑を含んだようなジンディムの声に、アルディア王は眉をひそめた。
『ようやく、準備が整ったのだ。こちらの計算通りにな』
『あぁ? 何を言ってん――』
『さて。では「本題」に入るとしよう。言っておくが、要求を飲んでもらうことになる。何しろこれで――』
それはさながら、勝利宣言だった。
『人質は――アルディア王よ。貴様も含めた、そこにいる全員となったのだからな』
周囲が、静まり返った。
流護もジンディムの言葉の意味が理解できず、刹那に思考を惑わせる。
――人質が? 全員になった?
もう全ての人質が解放されて、爆弾が仕掛けられていないことも確認された。ジンディムの言葉は、爆弾を仕掛けることに成功していなければ出てこないセリフのはず――
「……!」
そこで流護は閃いた。
爆弾を仕掛けられたかもしれない、とある可能性。
「まさかッ……!」
ケッシュも気付いたのか、弾かれたように視線を向ける。
彼が睨む先は――設営されたキャンプ。先ほど、流護に倒されたフェル・ダイが運び込まれたテント。
『気付いたか? 超威力・広範囲を誇る、我が自慢の神詠術爆弾。警戒はしていたようだが、まだ甘い。人質ではなく――先ほどそちらに遣したフェル・ダイに対し、これを仕掛けていたのだよ』
『よオオォーし全員動くなアァッ!』
アルディア王が被せるように大声を轟かせた。
『動くなよ皆の衆。こういうときこそ、落ち着いて行動だぜぇ?』
この場に集った約二百名の民衆たち。王の声に驚きこそすれ、誰ひとりとして逃げ出したりはしなかった。
青ざめた顔をした若い女性。顔をこわばらせた中年の男性。人質となっていた家族と再会し、喜びを交わし合っていたはずの人々。しかし誰ひとりとして、逃げ出す者はいなかった。
『フ……大したものだ。実に従順な国民たちじゃないか。さすがは「暴王」の支配といったところだな』
嘲るジンディムに、騎士たちはおろか、民衆たちもが虚空の波紋を睨む。
『言っておくが、私の神詠術爆弾はそれなりのものだと自負している。その殺傷範囲は、およそ百マイレにも及ぶ。その場にいる者ども全員、容易に吹き飛ばすぞ。勿論、アルディア王……貴様を含めて、な』
加害半径、百メートル級の爆弾。その爆弾たるフェル・ダイが収容されたテントなど目と鼻の先だ。
この場にすし詰め状態となった人の波。ジンディムの言は、決して大げさなものではない。炸裂したならば、凄まじい犠牲が出ることになるだろう。
アルディア王も学院長もケッシュも流護も、射程圏内に収まってしまっている。流護の位置からでは見えないが、おそらくはベルグレッテたちも。
『……なーるほどねぇ』
『決闘前に言ったはずだ。「後悔することになるかもしれんぞ」、とな』
ジンディムの言葉を受けて――アルディア王は、その大きな手のひらで己が顔を覆う。
『さて、民衆の諸君。分かっていると思うが、逃げようなどとは考えぬことだ。君等の命は、今や完全にこの私が掌握している。アルディア王、しっかりと見張りを頼むぞ? 貴様の国民たちが……我等の人質たちが逃げ出さぬようにな。フフ』
「まさか、自分の仲間に神詠術爆弾を仕掛けているとは……!」
「なんて奴……考えられん! くそっ、どうするんだ!?」
正々堂々や武勇、仲間といったものを重んじる気風があるレインディールの者たちからすれば、到底考えられない悪魔の発想。
周囲の兵士たちが焦りを滲ませる。
そんな中。
膝に肘をつき、座した巨王は大きな手のひらで己が顔を覆っていた。
その表情を、周囲の者たちに悟られぬように。
誰にも見えないその手の中で、口角が邪悪なまでに吊り上っていた。
何もかも。
全てが、思惑通りだといわんばかりに。