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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
4. レインディール・スペキュレーション
85/667

85. 摂理

「私などがお役に立てるのであれば」


 と、その男は言った。


 国のどこを探そうとも、彼より優れた者などいなかった。いるはずがなかった。彼は、最高の愛国者だった。

 だというのに。

 連中は己の無能を認めようとはせず、全ての責を彼へと押しつけた。


 ――許しはしない。


 これより、轟くことになる。誰ひとりとして――彼すらも知ることのなかった、その異名が。彼に贈った、その二つ名が。


 からん、とグラスに入った氷が音を立てた。

 そこでふと我に返る。

 薄汚い、安宿の一室。粗末なテーブルの上に置かれた酒のグラスが、大量の汗をかいていた。

 溜息をつきながら、右頬に刻まれた己の傷痕を撫でる。


 その耳元に通信が広がった。


「私だ」

『応答確認。こちらブランダルだ』

「貴様か。フフ、彼女の調子はどうだ? そろそろ馴染んできたか?」

『ああ。恐ろしいものだな「ペンタ」とは。格の違いというものを実感しているよ。有象無象を何人並べたところで、「ペンタ」一人の足元にも及びはしない。到底覆しようのないこの摂理には、正直なところ憤りすら覚えてしまうな。――だが、』


 通信の向こう側で、くぐもった含み笑いが響いた。


『――ミディール学院の三位、『源泉インテグル』のオプト。戦力になるぞ、この女は』






 さて、夕食の時間である。

 ほどよい賑わいに満ちたいつもの食堂は、ほとんど芋洗いと化していた昼間の混雑が嘘のようだった。流護にガーティルード姉妹、ミア、リーフィアの五人でテーブルを囲む。


「ひ、久しぶりです、学院のご飯……。神さまに感謝を」


 席についたリーフィアが、そわそわしながらスプーンを手に取る。

 風の少女の前に並べられているのは、カボチャのグラタンに小さなサラダ、そしてわずかな麦飯。いずれも、流護ならば少しつまんだだけで完食してしまいそうなボリュームだ。


「リーフィアは、カボチャのグラタン好きなのか?」

「は、はいっ」

「少なくないか? もっと食べたほうが……俺の少しやろうか?」

「いっ、いえ……」

「やめてくださいアリウミ殿。明らかに嫌がってるでしょう」

「あっ、い、いえっ……そういうわけでは……」


 開幕早々、流護とクレアリアの板挟みになっておろおろするリーフィア。

 そんなつもりはなかったのだが、何だか気の毒になってしまったので、少年は自重することにした。


「リーフちゃん、何かスパイスいる? やっぱり辛くする?」

「あ、はいっ、では……クラウドペッパーをお願いしますっ……」

「はいどーぞ」

「ありがとうございますっ」


 リーフィアはミアからクラウドペッパー――レインディールで一般的に用いられているコショウ――を受け取り、さらさらとグラタンに振りかける。


 さらさら。さらさらさら。さらさらさらさら。さらさらさらさらさら。


「……な、何ぃ……? か、かけ過ぎじゃないか?」


 とめどなくコショウを振り続けるリーフィアを見て、流護は呻くように呟く。


「え、あっ……すみませんっ。わたし、辛いのが好きで……」


 そう言いながらも、彼女の手は止まらない。

 その表情は真剣そのもので、ただコショウを振るという行為にすら多大な集中力を費やしているようにも見えた。


 いや。事実、集中していたのだ。


「……っふう」


 手を振り続けて疲れたのか、リーフィアは気が緩んだように息を吐く。

 瞬間、かすかな風がふわりと漂う。

 風に乗ったクラウドペッパーの粉末が、リーフィアの隣に座ったミアの鼻腔をくすぐった。


「ふゃっくしょーい!」


 ミアのくしゃみに驚いたのか、リーフィアがあわあわする。


「あっ、も、もしかして、わたしのせいで……、す、すみませんっ」


 動揺した少女から、さらに微風が漂う。

 コショウの香りが、またもミアのほうに流れたようだ。彼女は身体を丸めてくしゃみを連発した。


「くしゅ! っくひゅ! いいぃはっくしょーい! えーいお! ふいー!」

「あ、わっ、ご、ごめんなさい!」

「ミア、最後おっさんになってたぞ」


 ミアが鼻をかんで落ち着く頃には、肩を落としたリーフィアが小さくなっているのだった。


「す、すみません……」

「はは、そんな気にすることないってばー。ほら、食べて食べて。冷めちゃうよ」

「『神々の噴嚏ふんてい』ならぬ『ミアさんの噴嚏』って感じで面白かったしな」


 皆になだめられ、ちびちびと食事を再開するリーフィア。

 ――と。


「……わたし、風以外の属性がよかったです……」


 風の少女は、おもむろにそんなことを呟いた。


「風以外?」


 流護が聞き返すと、彼女は小さくこくりと頷く。


 ともすれば周囲のものを吹き飛ばしてしまいかねないリーフィアは、その生活にかかわる周囲の環境にも特殊な措置がなされているのだという。

 例えば、家具や小道具も特別製。テーブルや戸棚やクローゼットなども、これらに封印や防護の術を施したうえで、単純に重量を重くして吹き飛びづらくしているのだそうだ。しかしあまり重くしてしまえば、万が一倒れた場合に危険だし、引き出しや扉を重くしすぎてしまうと、リーフィアの細腕では扱えなくなってしまう。難しい問題のようだった。


「とはいえ……リーフィアは、風で良かったんだと思いますよ」


 優雅に紅茶を注ぎながら言ったのはクレアリアだ。


「例えば……水属性で制御ができなければ、周囲が水浸しになってしまいます。それもまだ、ましな方でしょう。雷や氷、炎の属性で制御ができなかったなら、どうなることか。他の希少な属性でも、同じことと思います」

「……うぅっ」


 リーフィアが縮こまる。

 だが、クレアリアの言うことはもっともだ。

 例えばリーフィアが、ディノと同じ炎の属性を宿していたのなら。自身の力を制御できず、周囲に炎を撒き散らしてしまうのだとしたら。どのような事態になるかなど、考えるまでもない。

 他属性の性質を考えると、やはり風に煽られるのが一番ましなのかもしれない。


 そこで流護は、ふと気になったことを尋ねてみた。


「ていうかさ。リーフィアみたいに力の制御ができないって人は、他にいたりしないのか?」

「まあ、詠術士メイジの卵には大勢いますが……。『ペンタ』の場合であれば、資質なき者は自ずと淘汰されると考えられています」

「自ずと……? どういう……」

「アリウミ殿は、護符ルーンのことはご存知でしたっけ」


 クレアリアは答えになっていないようなことを言う。


護符ルーン……? なんか聞いた覚えが……あ、思い出した。知ってる知ってる」


 以前、エドヴィンから聞いた話だ。

 詠術士メイジは皆、自らが身につけているものの内側に護符ルーンを仕込んでいる。これによって、己の術から己の服などを守っているのだ。

 特にエドヴィンのような炎の使い手には、重要な問題であったはずだ。


「通常、三歳頃になれば己が持つ属性の力が発現し始めます。炎ならば、かすかな熱気。氷ならば、わずかな冷気。風であれば、微風……といった具合に。これは『ペンタ』であっても同じです。基本的に『ペンタ』だと発覚する切っ掛けは、検査で莫大な魂心力プラルナを宿していることが判明するからだといわれています」


 例えば学院の三位であるオプトは、三歳の時点でそういった現象の発現こそなかったものの、検査にかけられることで『ペンタ』だと判明したのだという。


「なるほどな……、ん?」


 納得しかけた流護だったが、そこで引っ掛かった。

 先ほどベルグレッテから聞いた話では、リーフィアは五歳にして宮廷の詠術士メイジを凌ぐ力を持っていたとのことだった。風であれば微風、どころではない。

 そんな流護の疑問を読んだかのように、クレアリアが続ける。


「率直に言って、リーフィアの才能は抜きん出ています。通常より遅咲きでしたが、五歳で力を発現した時点にして、凄まじいまでの能力を有していました。これは稀有な例となりますね」


 リーフィアは特に強大な力を宿している部類のようだ。

 しかし『ペンタ』に関しては、秀でた才能を有しているという事実が、必ずしも喜ばしいことだとは限らない。クレアリアはそう断じた。


「例えば、リーフィアと同等の力を持つ者がいたとして……五歳であれば当然、術の制御もおぼつかないものです。神詠術オラクルについて教え説くことも、護符ルーンを作らせることもできない。ふとした拍子に、術が暴発してしまうかもしれない。そんな者が、もし炎や雷などの属性を授かっていたなら……どうなると思います?」

「ああ……なるほどな」


 五歳児が爆弾を抱えているようなものだ。

 そこでベルグレッテが補足した。


「だからそういう事例の場合、周りがなんとか補助してあげないといけないんだけど……」


 王都やその周辺都市ならばともかく、辺境の村々などでは学が浸透していない地域も多い。幼年期どころか、それなりの年齢になってすら神詠術オラクルについて学ぶことができないことも珍しくない。当然、検査を受ける機会もない。

 それでも、通常の人間であればさほど問題はなかった。

 が、そういった地域に生まれ、必要な知識を得られなかった『ペンタ』の卵は、持て余した強大な術を操りきれないまま、やがて自滅することになってしまう。

 護符ルーンを作る知識もないため、自分の術から自分を守ることもできないのだ。


 と、ガーティルード姉妹はそんな風に説明した。


「だから……国の関知しないところで『ペンタ』が発生することは、まずありえないっていわれてるのよね」


 人知れずどこかで生まれた『ペンタ』は、必要な知識を得られずに、成長することなく消えていく。


 詳しく調査された結果ではないが、研究部門ではそのように考えられているらしい。古い時代には、『神の選定』などと呼ばれていたそうだ。

 その仮説を裏付けるかのように、ポッと出の『ペンタ』というものはほとんど確認されていないとのこと。


(うーん……)


 しかし、何という摂理なのだろう。流護は思わず心中で唸ってしまった。

 弱肉強食を地で行く、このグリムクロウズという世界。そんな世界のほぼ頂点に君臨するだろう『ペンタ』という存在が、自然発生したならば自滅してしまうかもしれないという脆さをも内包している。

 それも、才覚ある者ほどその確率は高い。幼少期に大人顔負けの力を獲得し、操りきれなかったのなら、そこには滅びが待っているのだ。

『ペンタ』が希少だとされる背景には、この摂理も関係しているのかもしれない。


「リーフィアは、自分の術でケガしたこととかないのか?」

「えっと……小さい頃には、何回か。幸い、大きなケガはなかったんですけど……」


 どこか申し訳なさそうに、風の少女は答える。ケガをさせたという友人のことを思い出させてしまったのかもしれない。


 実の親に捨てられ、他人に疎まれ。トラウマとでもいうべき過去の失敗が元で、神詠術オラクルの扱いも上手くいかなくなって。

 しかしそれでもリーフィアという少女は、運がいいといえるのかもしれない。死ぬことなく、今を生きているというだけで。制御がおぼつかなくとも比較的被害の少ない、風の属性に生まれついたということも含めて。


「なるほどなー。じゃあ『ペンタ』ってのは、いきなり全然知らねー変なヤツが出てきた! みたいなことはありえないんだな」


 どこか知らない場所で生まれた『ペンタ』は、勝手に自滅してしまう。知識を得て生きている『ペンタ』は、王都やその周辺都市の人間であるため国が関知している。

 例えばこう、「何だこの神詠術オラクルは!? こ、こいつ新手の『ペンタ』か!?」などということはないのだ。

 何だか寂しいような、いきなり正体不明の『ペンタ』に襲われるようなことはなくて安心したような。

 などと思う流護だったが、


「飽くまで基本的には、です。何事にも例外はあります。今もどこかに、誰も知らない『ペンタ』がいる可能性は否定できません。例えば、ブレーティのような……、」

「ブレーティ?」


 流護がおうむ返しに問い返すと、クレアリアは失言したとばかりに眉をひそめた後、


「……そういう名の者がいるんです。運良く国の関知しないところで生き延びて、罪に手を染めていた愚かな『ペンタ』が」


 言葉少なにそれだけを告げて、「とにかく」とまとめに入る。


「リーフィアがこうして今日を生きていることも、また神のおぼし召し。貴女の場合、力を上手く扱えないのは過去の失敗が起因しているだけ。資質なき者ではありません。風以外の力が良かっただなんて、風の神ウェインリプスが嘆きますよ。属性というのは、その者が授かる唯一のものなんですから。悲嘆する前に、まずは努力して力をつけましょう。大丈夫、私も協力しますからね」

「は、はいぃ……す、すみません……」


 そこでミアが思い出したように明るい声を上げた。


「そーだよリーフちゃん。世の中には、『すまないおじさん』っていう『ペンタ』だっていたんだし!」

「…………え?」


 唐突に飛び出した意味の分からない単語に、流護は口元へ持っていきかけていたスプーンをつい下ろしてしまった。


「すま……何?」

「すまないおじさん」


 誰だよ。


「北東のほうにあった国……シュメーラッツ・イーアにいた『ペンタ』ね」


 流護の表情を見て取ったベルグレッテが、苦笑しながら説明する。


「本名はゾスタン・ラデーア。とにかくすごい魂心力プラルナを宿した男性で……生涯病気知らず、とても壮健な方だったそうなんだけど――」


 結論から述べてしまえば、最後の最後までその属性や術の詳細が解明されないまま、ゾスタンは天寿を全うしてしまったそうなのだ。

 今ほど神詠術オラクル関連の技術が発展していなかった時代。人口わずか数万名の国であるシュメーラッツ・イーア、その中でも貧しい村に生まれたゾスタンは、三十も半ばを過ぎてから『ペンタ』であることが発覚する。

 その国で初めて見つかった『ペンタ』だったという。

 当然ながら研究の対象となるも、膨大な魂心力プラルナを宿していること以外は解明が進まず、詳細不明のまま時が過ぎていき、今から十六年前に老衰で亡くなってしまった。

 ロック博士のような研究者がいれば、また違ったのかもしれない。ゾスタンに凄まじい能力が備わっていたことが発覚していた可能性もある。むしろ、何らかの力を持っていたのは確実だろう。それが最後まで分からなかっただけの話だ。


(あれか。時代がすまないおじさんに追いついてなかったんだな……)


 知識を得られない『ペンタ』は自滅する。

 このゾスタンは、まさにその法則の外側にいた異例の存在といえるだろう。何しろ、三十を過ぎてから『ペンタ』だと判明したというのだ。

 それまで自滅しなかったということは、相当に穏やかな能力を有していたのかもしれない。


 しかしともかく、膨大な時間とおそらくは金をかけて研究したであろう『ペンタ』が、結果として『ただ元気なだけのおじさん』で終わってしまったとは……その国にも、ゾスタンにも、お疲れ様でしたと言うしかない。他人事ながら、流護は気の毒に思ってしまった。


「えーと、そのシュメ……なんとかって国は今、どうしてんだ?」

「潰れました」

「あっ……」


 ビシッと断じたクレアリアの一言に、流護は弱々しい声を漏らしてしまった。

 初の『ペンタ』であるゾスタンの研究に全力を費やし、何の成果も挙げられなかったその国は、ゾスタン存命のうちから緩やかに衰えていき――十五年前、完全に崩壊したとのことだった。彼の没後、わずか一年で潰えてしまったことになる。


『ぺンタ』の希少性。

 大国にはわずか数名、小国には存在しないことも珍しくないという超越者。

 例えばダイゴスの出身国である東の大国、レフェ巫術ふじゅつ神国こうこくなどは、レインディールの二倍以上となる七十万人もの人々が暮らしているそうだが、『ペンタ』はわずか二人だという。……その数は自己申告だそうだが。

 小国に『ペンタ』の存在が確認されたとあれば、全力を注ぎ込むのは当然なのかもしれなかった。

 そう考えたなら、レインディールの八人……学院の生徒を含めて十三人という数は、異常な数字だともいえる。


 ともかく例外中の例外ではあるが、ゾスタンのような事例もあり、属性や詳細が不明の『ペンタ』に関しては、国も慎重な対応を取ることが多いのだとか。

 それはそうだ。総力を挙げて研究した『ペンタ』が「ただの元気なおじさんでした」という結果に終わっては、もはやどうしようもない。国も潰れるというものだ。


「とにかく……そういった輩もいる訳ですし。リーフィアは間違いなく膨大な力を宿しているのが分かってるんですから、頑張って練習しましょう」

「は、はいっ……」


 皆の話を一生懸命聞いていたリーフィアは、小さく縮こまるように頷いた。


「まああれだよ。世の中には、俺みたいに神詠術オラクルなんて全然使えないのもいるんだし。リーフィアはもっと自信持っていいって」

「貴方は気にするべきなのですが」


 クレアリアさんに睨まれてしまった。


「夜になったら、部屋で少し頑張ってみましょう」

「はっ、はいっ」

「ん、よろしい」


 何だかお姉さんぶるクレアリア。

 ふむ、と流護は考える。流護とベルグレッテ、ミアが十五歳。クレアリアが十四歳。


「そういやリーフィアって何歳なんだ?」

「えっ……あ、はい、十三ですっ」

「二個下か……」


 なるほど、クレアめ。いつもは周りが年上ばっかりだから、お姉さんぶってやがるな。


 そう考えると、大人びた態度を取るクレアリアもどこか微笑ましく思えた。

 そして、十三歳を相手にあの反応を見せるロック博士のことも改めてやばいと思えた。






「よーし、今日はリーフちゃんとお泊りだね!」


 夕食後。普段は使われていない客間に、ガーティルード姉妹、ミア、リーフィアの四人が集まっていた。


「お泊りはいいですが、ミアは課題終わったんですか?」

「ぐふっ……」


 ジト目を向けるクレアリアに、ミアが呻いて転がる。横になったまま、渋々といった様子で自分の鞄から教本を取り出した。


「ぜんぶ教えてくーださーい」

「……『少し』や『分からないところ』ではなく『全部』と言うあたり、逆に潔さを感じますね……」


 盛大に溜息をつくクレアリアだったが、そこでふと妙案を思いついたとばかりに、ふふんと鼻を鳴らした。


「ミアは真面目に頑張って姉様やアリウミ殿に恩を返すなどと言っておきながら、その程度の決意だったということですか」


 その言葉に、ミアがガバリと跳ね起きる。


「そんなことないもん!」

「ええ、その意気です」

「うぐっ……」


 まんまと乗せられたことに気付いて勢いを削がれるミアだったが、「よーし」と気合を入れると、一転して真剣な面持ちで教本とにらめっこを始めるのだった。

 その様子を横目に、クレアリアは次いでリーフィアへと顔を向ける。


「さて……リーフィアも。少し力の制御を練習しましょう」

「えっ、あ、は、はい」


 気弱なリーフィアがクレアリアに言われて断れるはずもなく、おどおどしながらも頷く。


「ふふっ」


 そんな様子を見て、ベルグレッテはつい頬を緩ませた。


「何ですか? 姉様」

「ううん。クレア、いい先生になれそうだなーって」

「か、からかわないでください」


 満更でもなさそうな表情を浮かべて、妹は視線を逸らす。


「実際、クレアちゃんの仕切りっぷりって、ほんと先生! って感じだもんねー。男子なんて、クレアちゃんのこと先生より怖がってるもん。っと先生! 『身体強化の前身となった神詠術オラクル』ってなんですか!」


 そんなミアの質問に、クレアリア先生は淀みなく答える。


「狂人化です。身体強化以上の能力向上を可能としますが、施術された者は思考能力が著しく低下してしまうため、力の加減や敵味方の判断すらできなくなってしまうといわれています。反動も大きく、廃人となってしまうことも有り得るので、現在では実用に耐えない術として、完全に廃れています」

「学院の先生がたでも、使える人はいないでしょうね」


 ベルグレッテが補足を入れる。

 使える者がいないというより、そんな使い勝手の悪い旧時代の神詠術オラクルを学ぼうとする者などもういない、というほうが正しいだろう。

 一部……特に教会の間では、人の尊厳を踏みにじる悪しき神詠術オラクルとして忌み嫌われているほどだった。

 ミアはふむふむと頷きながら教本に書き込んでいく。


 そんなミアを何となく眺めるベルグレッテに、横からさわやかな風が吹いてきた。

 見れば、胸の高さでボールを抱えるようにしたリーフィアが、真剣そのものといった顔で精神を集中させている。実際に抱えているのはボールではなく、渦巻く風の塊だ。


「いい感じですよ、リーフィア」

「は、はいっ……」


 神詠術オラクルの扱いというものは、綱渡りに似ている。

 上手く均衡を保つことができるか否か。上手く力を制御・維持することができるか否か。

 例えばベルグレッテの場合、水の剣を形作ることができるが、集中を切らしてしまえば、剣は形を崩してただの水と化してしまう。


 リーフィアは、確かに扱う力そのものが強大だ。

 綱渡りでも、重い荷物を持たされているといえるかもしれない。

 人を傷つけてしまったという苦い過去もある。

 それでも――


「あ……うん、上手よ、リーフィア」

「は、はいっ」


 それでも扱えるようになるはずだ、とベルグレッテは思う。

 リーフィアは間違いなく風の神に愛されて生を受け、潰えることなく今を生きているのだから。


 小さな手の中で、危なっかしく風が渦を巻く。

 風の少女はその力を逃がさないよう、慎重に両手で包み込む。まるで宝物を抱くように。


「ではリーフィア、その風弾を私に放ってみなさい。ゆっくりと」


 クレアリアが身構える。


「は、はいっ、よーし……あ!」


 リーフィアの手をふわりと離れた小さな風の塊は、

 ふんふんと鼻息荒く教本を見つめているミアの横っ面に直撃した。


「ゲバババババー!」


 いきなり顔に強風を浴びたミアは、乙女にあるまじき声を発してコテンと倒れてしまった。


「きゃああああぁぁっ! ミ、ミアさーん! ご、ごごごごめんなさいっ!」

「う、うう……び、びっくりしたけどだいじょうぶ」


 リーフィアに泣きつかれながら身を起こすミアの髪は、かき回されたようにボサボサとなっていた。


「ミア、塔みたいになってますよ頭が」

「ぎょー! なんじゃこりゃー!」

「ご、ごめんなさい~」


 やはりリーフィアの場合、自信のなさが問題なのだとベルグレッテは思う。

 神詠術オラクルを扱うにあたって重要なのは、集中力。そして意志。

 失敗するかもしれない……などと腰が引けた状態で術を行使すれば、その感情に引っ張られるかのように負の結果を招いてしまうものなのだ。


「リーフィア、風を形作るところまでは問題なかったわ。もっと自信を持って」

「う、でも……」

「ぐへへへリーフちゃんよぉ、あたしの頭をこんなにしてくれやがってよぉ、すまないと思うのであれば練習するのだー」

「は、はいぃ……」

「髪、この部分がハネて直らなくて……ほら、こっちからちょっと風吹かせてみて?」

「んっ……こ、こうですか?」

「おっ、そうそう。よしほぐれる。ぐへへへ、上手じゃねぇかよぉリーフちゃん、ぐへへへへ」

「ひぃ……」


 ブオー、と風が方向を変える。


「ぎゃー! 逆方向にハネた!」

「ひゃああぁご、ごめんなさいぃ」


 そんなこんなで、少女たちの夜は更けていくのであった。

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