80. 王都の夜
午後八時を少し過ぎて、ようやく王都へ到着した。
馬車が街へと入る少し前に、雨は止んでいた。
これからクレアリアの用事で城へ寄り、その後はみんなで近くの酒場にて食事、宿で一泊。明日は朝一番で病院へ向かい、入院しているクレアリアの同僚騎士を見舞い、そして街をぶらぶらして、学院に帰還。
随分と慌しいスケジュールだ。
それはともかく流護としてはやはり、王都まで来ておきながらベルグレッテと会えないのが何とももどかしかった。
路面に溜まった水を弾きながら走っていた馬車が、城の前へと到着する。
「では、少し待っててください」
クレアリアは馬車を降り、長い階段を駆けていった。
流護たちは城の片隅にある馬車の停留所にて、しばし待機することとなった。
五分ほど、漫然と背もたれに深く沈みこんでいた流護だが、
「馬車に乗りっぱなしも疲れるよな……ちょっと外の空気吸うか」
客室から降りて、身体を捻る。ぱきぱきと腰が心地いい音を立てた。
ミアも同じように降りてきて、子猫みたいに伸びをする。夜の闇に浮かび上がる巨大な城を仰ぎ見ながら、ほえーと声を漏らした。
「いつ見てもでっかいお城だよねー。あたしは入ったことないから知らないけど、中もやっぱりすごいんでしょ?」
「あれ、ミアは入ったことないのか」
「ないよ。普通は王様と謁見するにも、前もって許可とかいるし……リューゴくんが特別なんだってばー」
アルディア王本人の意向としては本来、『来る者拒まず、誰でもどうぞ』というスタンスなのだそうだ。
しかしやはり、一国の王としてそれはまずい。何の制限もなく正面から堂々と城に入った賊が、王を暗殺することすら容易となってしまう。
アルディア王としては「やれるモンならやってみろ、むしろ挑戦者募集中」とのことだが、周囲が全力で反対した結果、奔放な王も渋々承諾し、事前許可の謁見制度(当たり前)となっている。
実際、城を一般開放したなら掃除なども大変だろうし、あの『銀黎部隊』の長であるラティアスあたりがいい顔をするとも思えなかった。あいつ神経質そうな顔してるしな、と流護は心中で毒づく。
そこでミアが軽く溜息をついて、物憂げな顔になった。
「せっかくここまで来たら、ひと目でいいからベルちゃんの顔見たかったなぁ」
先ほどの流護と同じようなことを言う少女。大きな城を見上げるその顔は、まさしく恋する乙女のようだ。
「……実際は一目見るだけじゃ済まないから、ベルも大変だと思う」
レノーレも降りてきた。
「なんでさー」と頬を膨らませるミア。
「そういやさ、ベル子は何で忙しいんだっけ。『銀黎部隊』の何とかって言ってたよな」
そこは博識なレノーレが即答した。
「……壁外演習。『銀黎部隊』が主導して数年に一度、該当年内に三度実施している、大規模な遠征演習。『銀黎部隊』と兵士たちを複数の班に分け、それぞれ個別に領内各地を周りながら、様々な環境での訓練、村々の訪問、怨魔や山賊の駆除などを行う。期間は一週間前後の予定。一班、約七十名で構成される。兵士たちが参加する際は希望制で、定員はおよそ七百名。レインディールの騎士や兵士たちは武勇を重んじる者が多いため、怨魔や賊との戦闘を楽しみに参加する兵も多く、毎回、募集直後に定員を超えしまうといわれている」
「本当かどうか分からないけど、壁外演習の時期が近づいてくると、野盗とか山賊の数がぐぐっと減るなんて噂もあるよねー」
「なるほどな……」
レインディールの騎士や兵士たち、約七十名が一斉に街道を練り歩いている図が流護の脳裏に浮かんだ。山賊どころか怨魔も近づきそうにない。
「数年に一回……該当年内に三回、ってのはどうしてなんだ? 今年は実施する年で、今年中に三回やるってことだよな。んで、しばらく数年はやらないと。なら、一年に一回とかにした方がバランスもいいんじゃ……」
「……主に、怨魔の巣を根絶するためだと聞いている。一年に一度では、駆除対応が甘かった場合、翌年の演習までに怨魔が勢力を取り戻してしまう可能性がある。だから年三度と短い期間に集中し、前回の演習で確実に根絶できたか、確認作業を含めながら実施するようにしているのだと聞いている」
実際のところ、昔からの習わしだからとの理由もあるようだ。
騎士や兵士らの中でも期間についての見直し案はあるようだが、中々まとまらないというのが現状らしい。
「……とにかく『銀黎部隊』や兵士が少なくなる分、ベルの仕事が増えるんだと思う」
「そうか……」
それで今回は会えないのだろう。
流護は毎度のことながら、ベルグレッテの多忙ぶりに頭の下がる思いがした。
学院ではクラスをまとめ、城では騎士としての任務に奔走する。
ちゃんと休めているのだろうか、などと余計な心配をしてしまう。
「そのあまりの忙しさに、俺の入る余地などないのではないかと思ってしまうほどだ。いや……事実、ないのだ。このままでは、ベル子は俺のことなど忘れてしまうかもしれない。仕事上で親しくなった男の騎士と、恋に落ちてしまうかもしれない。焦りにも似た情欲の炎が、リューゴの心に火をつけた。よし。ベル子を連れて、二人でどこか遠くへ行こう。逃げるんだ。そして誰の手も及ばない世界の果てで、たった二人、愛欲にまみれた淫猥な日々を送るのだ――。リューゴはそう、決意するのだった」
唐突にまくし立てたミアは、シメに「ふすっ」と鼻息を漏らした。
いや、なんで得意げな顔してんだ。
感想を期待しているらしいミアに無言のデコピンで答え、「ぉぉぅ……ぉぉぅ……」と涙目で額をさする彼女をよそに、流護はふと浮かんだ疑問を口にする。
「でもさ、『銀黎部隊』総出の遠征なのか? 王都の警備が手薄になったりしないのか?」
すぐにレノーレが首を横に振った。
「……総出じゃない。……何人かは残る」
「あ、そりゃそうだよな。やっぱ」
「……ただ、五年前まではほとんど総出だったみたい。……五年前、『銀黎部隊』の大半が壁外演習に出た際、手薄となった王都で大規模なテロが起こった。……それ以来、そういった際に対応できるだけの人員を残すようになったと聞いている」
そこで、おでこをさすりながらミアが言った。
「ほら、こないだの話覚えてる? リューゴくん。王都でテロが起こったことがあって、学院長がそれをたった一人で鎮圧したっていう。あの話だよ」
「ああ、その話なのか……、なんつーか俺としては、学院長の存在こそがテロだったよもう」
「うん……」
ミアも思い出したのか、その小さな身体をさらにぶるりと縮こまらせた。
「……偉い人に気に入られてるのは、色々有利だと思う。……出世街道?」
なぜか小首を傾げて疑問系で言うレノーレに、ミアは「かんべんしてください……」と珍しくもこの上なく真剣なトーンで呟いた。
「あたしゃぁ……多くを望みませぬ。出世など、望みませぬ。あたしゃ、犬でいい。ベルちゃんに飼われる、ただの犬でいいですじゃ……」
「どんだけ卑屈なんだよ……。まあミアは犬ってより、ハムスターって感じだよな」
流護は前々から思っていたことを言ってみた。
「え、そう? かな。んー、ハムスターかぁ。じゃさ、レノーレを動物にたとえたら?」
その言葉に、レノーレが流護のほうを見る。いつもながらの無表情で、その感情は読めない。そんな様子は、まさに――
「うーん……レノーレは……こう、しゅっとした黒猫って感じかな」
お気に召したのか、レノーレはうんうんと頷いた。
「じゃあベルちゃんは?」
「ベル子は……高級な、品のいい白猫かな。毛の長いやつ」
「なるほど。じゃあクレアちゃんは?」
「あー……、どう見てもハリネズミだろ、あれは」
直後、流護の真後ろから刺すような声が聞こえた。
「ハリネズミで申し訳ありませんね」
流護の呼吸が止まった。
恐る恐る振り向く。
いつも通り不機嫌そうな顔で腕組みをした、クレアリアさんの姿があった。
少年は恭しく頭を垂れる。
「しかしながらハリネズミ様。そのトゲの一本一本は磨き抜かれており、気品すら感じさせます。この上なく美しくも妖しい煌めきを放っておられるかと……」
「お誉めにあずかり光栄です、アリウミ殿。ふふ。ではせっかくですし、そのトゲを味わってみませんか?」
にこりと営業スマイルになるクレアリアと、ただひたすらに平謝りする流護。
そんなこんなで、食事をするべく移動を開始する一行だった。
まさにオルティの午睡ゆえなのか。平常日にもかかわらず、夜の街並みは賑わっていた。
歩道を行く若い男女。露店に集まる家族連れ。屋外のテーブルで酒盛りをする大人たち。ノーガードで殴り合う屈強な男たち。
「いやいや、最後のおかしいでしょうが」
流護は思わず自身にツッコミを入れながら、慌てて振り返る。
そこには、歩道の隅で拳を振り回して殴り合う、大柄な男たちの姿があった。その周囲にはわずかな人だかりができており、止めるでもなく殴り合いを見守っている。
それどころか、「ハゲに百エスク!」「意気地なし、実家に帰れ!」などという歓声(?)も飛び交っており、異常な盛り上がりをみせていた。
「騎士のクレア先生、ケンカしてる奴らがいるんすけど! 止めなくていいんすか」
「は? ……ああ、あれですか。やらせておけばいいんです」
騎士見習いの少女は冷めた溜息をつきながら、肩を竦めるのみだった。
聞けば、このようなケンカは茶飯事だそうで、ほとんど娯楽の一つとして定着してしまっており、街の至る所で繰り広げられているのだという。
週末やオルティの午睡ともなれば、血の気が多い連中のテンションも無駄に上がっているため、騎士や兵士らもうるさくは言わないのだとか。
無論、一方的な暴力や本格的な戦闘となると、話は変わってくるようだが。
「こういうときにベルちゃんがいると、面白いことになったりするんだよ~」
ミアがししっと笑う。
「何でベル子?」
「ベルちゃんは、いちおうやんわりと注意しに行くんだよね。そうすると、盛り上がってた人たちも『え、ベルグレッテ様!?』『あっ、すいません!』みたいにデレデレしちゃって。そのまま『ベルグレッテ様に話しかけられたヤッター!』みたいな感じで、集まってる人たちの盛り上がりの方向が変わっていくっていう……」
「そ、そうなのか……」
民衆の中には、ベルグレッテの顔を知らない者も少なからずいる。しかし、ロイヤルガード見習いのベルグレッテという名前ならば誰もが知っている。
そういった場合、「何だこの女?」から「ベ、ベルグレッテ様!?」という露骨な態度の変化が見られるらしい。まさに相手が上様と知って慌てる下っ端悪役のような、時代劇みたいなやりとりがなされるのかもしれない。少し見てみたいかも、と思う流護だった。
ともかくそんな訳で、騎士や兵士たちによって、こういったケンカの対応も様々なようだ。
ひどい場合は、兵士がギャラリーに混じって野次を飛ばしたりしているとか何とか。
ぐるりと見渡せば、どこもかしこも賑やかな夜の街。
流護はオルティの午睡の由来となった昔話を思い出す。これならば確かに、イシュ・マーニも寂しくはないだろう。
……などと思ったが、そもそも先ほどまで雨が降っていたため、夜空はどんよりとした雲に覆われていて、肝心のイシュ・マーニが欠席している。
やっぱ伝承なんてこんなもんだよな、と流護は変に納得した。
「さあ、行きましょうか」
目的の店へ向かうべく、先頭をずんずん歩いていくクレアリアだったが――
「お嬢さーん、お一人ですかー?」
「おーキミ、可愛いねえ。お兄さんたちと遊ばない?」
一人で先行していたせいか、二人組みの若い男たちに声をかけられた。身なりもよく、年齢は二十歳そこそこといったところだろうか。
「クレアに声かけるとかロリコンかよ」
「や、クレアちゃんって人気あるんだよー。……ロリコンってなに?」
「ロリコンってのはな、幼い少女にアレな感情を抱いてしまう人間のことだ。ちなみに俺は、ロック博士もそうだと睨んでる。しかもあの人はもう逮捕寸前だ」
「そっ、そうなんだ……」
後ろでそんな会話を交わす流護とミア。そんな二人をよそに、男たちのナンパは続いている。
「おれ、こう見えても水の神詠術が得意でさ。バルクフォルトの学院にも通ってたんだよ。どう? おれの術を見てみたくないかい?」
ファサッと髪をかき上げながら言う優男。
「? ミアさんや、あの兄ちゃんは何で脈絡もなく神詠術の自慢始めてしまったん?」
「あ、うん。すごい神詠術が使える人は、やっぱりすごい学校に行ってたり、いい職についてたりするから……。よく男の人が、口説き文句にしたりするんだよー」
なるほど、ステイタスというやつか。
となると、神詠術など全く使えない学院雑用の流護には、女の子をナンパする権利すらないのかもしれない。
いや別にする気もないし、俺にはベル子が……その……ゴニョゴニョ……
などと胸中で口ごもっていると、
「あ、オイ、こいつやべぇって……!」
「あっ……! し、失礼しました~」
男たちはクレアリアが何もしていないにもかかわらず、そそくさと退散してしまった。
流護は目を見開いて呻く。
「……な、何だ? 何でいきなり逃げてったんだ? ま、まさか……自分より低レベルの敵が闘わずして逃げ出すという、勇者のみが使えそうな感じの神詠術……ッ」
「え、なにそれ……? まあ、クレアちゃんが騎士だって気付いたんじゃないかな。ベルちゃんもクレアちゃんも、胸元に騎士の紋章をあしらったバッジつけてるから。この国の人ならみんな、一目見れば分かっちゃうからね。いまの人たちは、なかなか気付かなかったけど……」
そうなんだ。知らなかった。
「……全く。これだから殿方は嫌なんです。盛りのついた猿のように寄ってきて、欝陶しいったら」
男たちの走り去っていった方角を見ながら、クレアリアは腰に左手を当てて盛大な溜息を吐き出した。
「ていうかあいつら、ロイヤルガードのクレアリアだ! って気付かなかったのか?」
「んー。顔までは知らない人も多いんじゃないかな。ベルちゃんと歩いててもよくあるし。熱心に『アドューレ』に参加してる人なら別だろうけどね」
「む……つまり連中はあれか。政治に関心のない、イマドキの若者ってやつか。全くけしからんな……」
「へえ? そういうアリウミ殿は、政治にご関心がおありで?」
「あ、ないです……」
流護は周囲の街並みを見渡す。重厚な石造りの建物が立ち並ぶ、美しい景観。
このグリムクロウズへとやってきて、約二ヶ月。しかしこうして街を歩くだけでも、まだまだ新しい発見がある。
いつか、この世界にも完全に慣れる日が来るのだろうか……。
「リューゴくーん、どしたのー? いこー?」
気付けば、女子たち三人が流護を振り返っている。
「あ、おう」
流護は慌てて足を急がせる。弾かれた水溜りの飛沫が、ぴしゃりと舞った。