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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
3. 燦然のヘリオドール
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75. 終天の世界と月下の花

「さぁーて……それじゃあ、行きますかねぇ」


 巨大にすぎる大剣を軽々と肩へ担ぎ上げ、青年はたのしそうな声音でニッと歯を見せた。

 野性味溢れる、自信に満ちた顔つき。自分たちの置かれている状況を分かってなお、その顔には恐れというものが微塵も感じられない。


 その佇まいもまさに威風堂々。

 全身を覆う、黒燕鉄こくえんてつ製の全身鎧。全長三メートル弱にも及ぶ、常識の埒外にあるような鉄塊の剣。

 常人であれば立つことすら不可能な武装だが、しかし彼の馬鹿げた筋力の前には何の枷にもなっていないのだろう。並の軽装兵よりも身軽な動きを見せていた。


 終わりそうな色をした空の下。山へと続く道を眺める青年に向かって、その後ろについていた女性が弱々しく声をかける。


「……待って。待ってよ。本当に、行くつもりなの? こんな……」


 流れるような藍色の髪を背中まで伸ばした、どこか儚さを感じさせる若い女性。

 儚くも美しい女性だった。触れただけで、温もりによって消えてしまう雪のような。すっきりした目鼻立ちとその白い肌は、まさに繊細な雪像を思わせる。

 そんな彼女が身に纏う純白の神官服は、国に仕える最高位の詠術士メイジたる証でもあった。


 しかしそんな詠術士メイジですら、明らかな恐れの表情を浮かべていた。


「ここまで来て帰るって訳にもいかんだろ。何だったら、レイは兵士たちと一緒に補佐に回っ……」

「そんなこと、できるわけないでしょ!」


 どこまでも気軽な彼の言葉を、彼女は震える声で遮った。


「……まぁアレだ、オレたちがここで何とかしねーと、どうにもならんでしょうがよ。メーティスたちも兵士たちもいるんだし、何とでもならぁって。今までみてぇにさ」


 ガントレットの指先で首筋をポリポリと掻く青年は、屈託のない笑顔を見せる。



 ――何だろう。演劇を、テレビドラマを見てるみたいだ。ひどく、悲しい。結末を知ってるからなのかな。



 そこへ、広域通信が響き渡った。


『お、応答願います! だ……大規模な怨魔の群れを確認ッ! こん……な……こんな事がッ……!』

「こちら討伐部隊! 状況は!?」


 咄嗟に彼女が通信を拾う。


『現在、上空に……ま、間違いありません! ファーヴナールが……三体! 先行していた偵察部隊からも連絡が途絶えました! 最後の通信内容から、おそらくはプレディレッケ一体、ズゥウィーラ・シャモア一体……そしてウィンギーブル二体に遭遇したと思われます! さらには別働隊より、ガルバンティスが一体出現との情報も……! くそ、どうなってるんだ!?』


 逼迫した声に、彼女が青ざめて絶句した。

 対照的に、青年の哄笑が響き渡る。


「オイオイオイ、一級品のフルコースじゃねえか! 盛り上がってきたぜぇ……!」


 地獄と呼んで差し支えない状況に青年が身を震わせた刹那、


『ファーヴナール一体! そちらへ向かいます!』


 悲鳴じみた通信とほぼ同時。大地を揺らして、土埃を撒き散らして、巨大な影が目前へと舞い降りた。


 高みから獲物を睥睨する、ギョロリとしたその瞳。

 全身を覆いつくす、金属のような硬度を誇る灰色の鱗。

 大鎌のごとき凶悪な曲線を描く鋭い爪。それを擁する太い四肢。

 裂けるほど大きい口内にびっしりと乱立した牙は、雑な処刑器具を思わせる。


「来た来た! 相っ変わらずブッサイクなツラしてるよなぁ、おめーさんはよぉ~」


 青年はたのしそうに、大剣の切っ先を邪竜へと突きつけて構えた。


 通常であれば、まず一個人がファーヴナールと対峙するなどという判断が間違っている。

 だが幸いにして、彼の強さもまた桁を外れていた。


「それじゃあ、まずは準備運動といきますか! レイ、チビッコ! 支援宜しく!」


 彼は振り返らない。

 それはきっと、信じるがゆえ。短くない付き合いだ。よく分かっている。






 けれど、私は伝えない。

 この決戦、勝ち目などないと分かっていても。皆が死に、国が潰えると分かっていても。

 信じてくれる彼らに、告げることはない。

 恨まれる覚悟も、とうにできていたから。






 夜空に輝く洪大なまでの真円。


 この場所は、月が近い。


 ただでさえ巨大な月は、満月ともなれば、昼間にも劣らぬ明るさで周囲の景色を照らし出す。

 目の前に湧く透明で清らかな泉。その脇で高々とそびえ立つふるい巨木。なだらかな丘の先に広がる平原。風に洗われ、なびいて踊る草々。遠く見える山々。

 青白い輝きに映し出される、それら全てが美しい。まるで絵画のよう。


 長きにわたって目にしてきたこの世界は――『エヴロギア』に満ちたこの世界は、それでも飽きることはない。

 変わらず続いている。守られている。



 ――だから。私は、私たちは……間違ってなんかいない。



 月光を受けて煌めく泉に両手を浸し、水を掬い上げる。ゆっくりと顔を洗った。


 かすかに波打つ水面みなもには、顔色の悪い少女の姿が映っている。

 胸元まで伸びた黒髪。その胸は貧相で、いつまで経っても成長はしない。そんな起伏のない身体を包む、薄手で簡素な白のドレス。

「綺麗な人形みたいだ」と兄が褒めてくれる顔の作りは、しかし自分ではあまり好きではなかった。

 やはり平坦というか、外国人のようなかっこよさがない。鼻は高くないし、目も一重まぶた。長い黒髪と相俟って、水面にぼんやりと映る姿は、人形は人形でも呪いの人形にすら見えた。

 ある意味、間違ってはいない。自分は、本当に呪われているのだから。

 顔を振って飛沫を飛ばし、タオルで顔を拭く。


 最初にまた、ひどい夢を見た。


 仲間が一人、怨魔と呼ばれる怪物に殺される夢。

 それを分かっていて、そう仕向けた自分を俯瞰から見下ろしている、そんな夢。

 あれは誰だったろう。心当たりがありすぎて、もうよく分からなかった。


 しかしそれは、ただの悪夢。自分が視ようとしていたものではない。


 もう一度潜り込み、いくつもの夢を『視た』。

 裏切られたと知った、少女の顔。

 今は遠い、義父の笑顔。

 死にゆく戦いへと向かう英雄たち。

 いくつもの夢を渡り歩き、検索に検索を重ね、目的の光景にたどり着いた。

 そして知った。ついに――


 物思いに耽っていた少女の耳元に、波紋が広がった。

 指で弾いて受け取る。


「……もしもし」

『おはよう。もう起きてたかな』

「ん、おはよ。ちょうど起きたとこ」

『……どうだった?』


 遠慮がちな兄の声。視えなかったと告げても、優しく許してくれるだろう声音で。

 少女は伝える。己が視たままの光景を。


「昨日ついに、あいつが……グランシュアが、表立って動き出したよ。間違いない」


 吐き捨てるようにその名を呟く。続ける言葉にも自然、熱が篭った。


「ねえ兄さん。私、あの男だけは我慢ならない。今、この時点で排除して――」

『駄目だよ』


 鋭い。けれど、優しい声による否定。


『そんなことをすれば、全てが大きく変わってしまうはず。その結果、また新しい道を模索しなきゃいけなくなる。お前にも負担がかかるし……それにほら、新しい道を歩む過程で、あの二人が要らない――なんてことにでもなったら、彼らにも申し訳が立たないよ。今更かもしれないけどね』

「……そう、だね」


 それだけならまだいい。

 もし他に、方法が見つからなかったら。

 グランシュアを消すことで、道が閉ざされてしまったら。

 ようやく見つけた、一縷いちるの望み。正解へのルート。

 やはりこの道をたどることで生まれるだろう犠牲も、受け入れねばならない。あのときのように。あの夢のように。


 少女は気持ちを入れ替えるように溜息をつく。


「あと……ヒヤヒヤした」

『ヒヤヒヤした?』

「そうだよ。流護くんとディノくん。どっちか……死んでもおかしくなかったんだから」

『ははは、そっかそっか。そうだった。凄いバトルだったんだろうなぁ。客の取れるカードだよ、もったいない』

「笑いごとじゃないでしょ……」


 たまたまその後のことを明確に知っていたからよかったものの、どちらも一撃必殺といっていい火力を誇る使い手だ。いつどちらかが死んでもおかしくない、あまりにも心臓に悪い闘いだった。命のやり取りをしているというのに、二人とも心底楽しそうだったのも理解できない。


『まあ、ひとまずは順調か。お疲れ様、ゆっくり休んでくれ』

「はは……寝てばっかみたいなものだから、休んでって言われてもね……」

『それもそうか。ははは』

「兄さんは今、どこにいるの?」


 遥か頭上の真円を仰いで尋ねる。


『レインディール……王都の宿だよ。いい満月だね。明るいから、外もよく見える』

「そっか」


 同じ月を兄も見上げていると知り、少しほっとする。


『そろそろノルスタシオンの連中が王都に入ってくる頃かな。巻き込まれても面倒だから、一度そっちへ戻るよ。何かお土産でも買って帰ろうか?』

「え、……じゃあ……」


 ふと、彼女たちのやり取りを思い出す。


「『フェテス』のベリータルトがいいな」

『いいけど……王都の?』

「あ」


 そう。『フェテス』はレインディール国内各地に展開している店舗だが、なぜか店によって味のばらつきが大きい。ディアレー店は評判がよく、王都店はイマイチだ。王都には王室ご用達の高級店などがあるせいで、余計にそう感じるのかもしれない。


「あ、やっぱりやめ――」

『いいよ。ディアレーの店に寄っていくから』

「……いいの?」

『どうせ暫くは、のんびりするつもりだしね。たまには寄り道もいいさ。それより、何でまたベリータルト?』

「ん……ミアちゃんたちのやり取り見てたら、出てきて……。それで、なんとなく」


 通信の向こうから、兄の微笑む気配が伝わった。

 ――と、


『……友達になりたい? みんなと』


 不意打ち気味な兄の言葉に、思わず息をのんだ。


「…………い、いよ」


 彼女たちの笑顔を思い浮かべる。


「なりたく、ない」


 思い浮かべて、否定する。

 どうせ。どうせ彼女たちは、すぐに――


 かすかな沈黙に何を察したのか、兄は小さく「そうか」とだけ呟いた。


『じゃあ、明日には発つよ。予見通り、ノルスタシオンが動き出す前にね。この件は……また、彼らを信じて待つとしようか』


 彼らとて、これを乗り切れないようであれば、あの厄災と対峙することなど到底できはしない。

 兄が有海流護とディノ・ゲイルローエンの激突に口を挟まなかったのも、そういうことなのだろう。ここで容易く潰えるようならば、その程度でしかないということ。

 逆に、視えたからには、彼らは通用する器であるはずなのだ。そう割り切るしかない。


『それじゃ切るよ。できるだけ早く帰るから』

「うん」


 波紋が消えた。

 途端に辺りは静寂に包まれ、世界に一人で取り残されたような気分になる。


「…………」


 ――いつまでこんなことを続けるんだろう。


 ねえガイ、フュー姉。私たちのこと、恨んでる? あなたたちがあんなにも死力を尽くしてくれたのに、やっぱりこのときが来ちゃったよ。

 ねえジェド。今も兄さんと二人で暮らしてるよ。寂しいよ。これがあなたの望んだ未来なの?


「……っ」


 涙が零れ落ちそうになり、否定するように上を向く。どうあっても視界に入ってくる巨大な月を、八つ当たり気味に睨んだ。


 ――それでも、続けていかなくてはならない。

 八人が揃い、グランシュアが動き出した。ついに始まった。ここからだ。今度だってきっと、凌いでみせる。

 兄にはゆっくり休んでくれと言われたが、万全を期すため、より深く知っておくべきかもしれない。

 特に、彼女。

 ベルグレッテ・フィズ・ガーティルード。八人が揃って以降、なぜか彼女には不安定なものを感じる。万全を期すべきだろう。


 大きく息をつき、再び周囲を見渡す。

 言い聞かせる。全てを守るため。自分たちは間違ってなどいないと。


「――やるよ。『みんな』」


 その呼び声に応えるかのごとく、少女の身体は淡い光を放ち始める。再び集中力を高めていく。

 少女は思い、信じる。



 全ては――――終天に続く、この世界のために。

第三部完となります。


第四部の開始は、およそ一ヶ月後を予定しています。

今までになく執筆に手こずっており、下手をすると二ヶ月弱ほどかかってしまうかもしれません。

ある日いきなり、ぬるっと始まるかと思います。お待ちいただければ幸いです。


余談になりますが、四部を開始する前に、息抜きで書いている番外編を投稿するかもしれません。

本編とは毛色が違うため、次話ではなく短編か別の連載という形で投稿予定です。かなり短いです。

こちらは飽くまで投稿予定なので、しれっとなかったことになっている可能性もあります。


以上、よろしくお願いします。

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