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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
3. 燦然のヘリオドール
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72. 傾向と対策

 通信中のナスタディオ学院長を放置し、流護、ベルグレッテ、ミアの三人は食堂へ向かうべく学生棟の扉を押し開けた。


「うぅ……ひどい目にあったぁ……」


 捕獲されたセミみたいな声を上げ続けていたミアは、学院長に撫で回されまくったおかげで髪が爆発してしまっていた。


「ベルちゃん……あなたのミアは汚されてしまいました……夜、部屋に行ってもいい? なぐさめて……」

「どさくさに紛れてなにを言ってるんだか……って、ほんと髪すっごいわね」


 櫛を取り出したベルグレッテが、優しくミアの髪をいていく。

 ミアが『ペンタ』を苦手とする理由の大半ってあの人が原因なんじゃないか、と思うほどの溺愛っぷりだった。本気で嫌がってたし。風呂に入れられそうになっているネコみたいだった。


「そんなにあたしのこと好きなんだったら、もっと早く帰ってきて奴隷組織に捕まったとこ助けてほしかったよ……なーんてね……」


 ぐったりしたミアが力なく独りごちる。


「いや……ミア、気持ち分かるぞ……」


 幻覚で翻弄されて鼻血まで出した流護としては、心底ミアに同情した。


「リューゴくんもひどい目にあったんだね……なんか鼻に止血用の布突っ込んでるし……げっそりしてるし……」

「なんていうか……奔放な人だからね」


 ベルグレッテも、笑顔ながらどこか困ったような口調だった。


「まぁ、あの人にとっては、あたしなんてネコみたいなものだし。それは分かってるんだけどさ」


 ミアは、はーっと憂鬱な溜息をついた。


 聞けば、学院長はあのようにお気に入りの生徒を撫で回したがるのだという。

 被害はミアだけにとどまらず、年齢、性別も問わない。撫で心地のいい生徒を勘で見極めているようだ。年端もいかぬ少年が撫で回され、その被害者は幼くして巨乳好きプラス年上趣味になってしまったという噂もあるとかないとか。教育者としてダメすぎる。


 気力が回復してきたのか、ミアが強気に眉を吊り上げた。


「むむ、どうせだったら通信を盗み聞きして、弱みをつかめばよかったかも……相手、男の人っぽかったし。あれは絶対、イケナイ関係だよ! オトナのただれた関係だよ!」

「やめとけって。またぐしゃぐしゃにされるぞ」


 ミアが敗北する未来しか見えない。


「でも、通信の声が漏れないようにしてたし。きっと、やましいことがあるんだよ。は、反撃のチャンス……?」

「やめろミア、それこそ幻覚だ」

「仕事上、外部秘の通信も多いでしょうしね」

「にしても幻覚使い……か。おっかねえなんてモンじゃねえよ、もしかしたら今も幻覚を見てる可能性がある訳だよな……」


 考え出すと頭がおかしくなりそうだ。


「あの人ってばひどいんだよ。前、ベルちゃんに抱きついたと思ったら幻覚見せられてて、気付いたら学院長に抱きついてたし……」


 エロマンガかよ。


「実際……恐ろしい人よ。五年前、王都でかなり規模の大きなテロがあったんだけど……『銀黎部隊シルヴァリオス』が壁外演習のために不在だったところを狙った攻撃で、鎮圧は困難を極めると予想されてたものだった。それを、偶然学院に帰還してた学院長が出ていって、たった一人で鎮圧したのよね」

「いや、映画じゃねんだからさ……ていうか何だよテロって、この世界でもあるのかそんなの」


『ナスタディオ・怒りの逆襲』みたいな。


 流護は今更ながらに『ペンタ』の恐ろしさを再認識する。

 本当に学院長が敵だったなら、為す術なくやられていたのではないか。


 学院所属の『ペンタ』には多少の罪も見逃される特権があるそうだが、国属の『ペンタ』には当然ながらそういったものはないという。いきなり学院長に幻覚見せられたんです! とか訴えて騎士たちに何とかしてもらえないだろうか。

 粋がってケンカ売ったのに負けて警察へ逃げ込むヤンキーぐらい情けない。かつてない事態に弱気になっているようだ。流護は心中で慌てて首を横に振りながら否定した。


「何かこう、弱点とか対策みたいのないのか? 今が現実である証拠もねえし……あ、でも痛みは感じないんだっけ。じゃあ大雑把に、『痛みを感じなければ幻覚』って認識でいいのか……?」


 であれば、区別は容易だ。

 しかし、ベルグレッテはわずかに暗い表情となる。


「……きっとそう簡単な話じゃないわ。学院長は、おそらく誰にも……本当のことを話してないと思う」

「どういう、ことだ?」


 それはベルグレッテの推測。しかしおそらく、真実に近い予想。

 ナスタディオ学院長が語った、自身の幻覚の特性。


 おそらく、それそのものが嘘。


 正確には、真実と嘘を混ぜ、能力の特性を掴ませないようにしている。ベルグレッテたちにすら。

 分からない話ではない。『幻覚を見せる』とは、つまり『人を欺く』ということだ。例え相手が味方であったにしても、その特徴というものは、おいそれと明かすようなことではないのだろう。


「ひぃぃ、大人って怖い! だから『ペンタ』って嫌い!」


 ミアがぶるぶると震えた。流護も思わず鼻を押さえる。


「鼻血出したからって現実だとは限らないってことか……」


 鼻ぶつけて大損じゃねえか。いっそおっぱい揉んでおけばよかった。しかしそのおっぱいすら、まやかしかもしれないということか。くそが。


「ただ……分かってることもあるわ」


 ナスタディオ学院長の属性は、光。これは能力を封じる拘束衣を着せられた状態で計測された結果であるため、間違いないのだそうだ。光属性の使い手は、国内でもかなり希少とのこと。

 つまるところ、学院長は光の力を使って幻覚を見せているということになる。


「おそらく学院長は、光を通して……自分の思い浮かべた光景を相手の脳内へ叩き込んでいる」


 それが幻覚のカラクリ。ちなみにこれはロック博士の推論だそうだ。

 流護は『学院長が想像した流護を殺す光景』を強制的に見せられた。幻を見せられている間、流護は無防備に立ち尽くしていたのだろう。


「まぁ、これも分からないわよね。もしかしたら、学院長にそう思うよう仕向けられてるかもしれないし……」


 苦笑いするベルグレッテ。

 疑心暗鬼に次ぐ疑心暗鬼。恐ろしい話だ。

 しかしこの『幻覚を見せること』そのものより、幻覚を見せられているかもしれないと『疑わせること』。これこそ、学院長の力の本領なのかもしれない。


「うぅ、今さらだけど怖くなってきた……だから学院長に近づきたくないんだよ……。なにか対抗策とかないのかな? せめて、今この瞬間が幻覚じゃない証拠がほしいよ。……ベ、ベルちゃん、本物だよね?」


 先ほどの流護のようなことを言い始めるミア。

「たしかめるためにおっぱいを……」などと言って手をわきわきさせるミアと、そんな彼女の額を押さえつけて制止するベルグレッテを見ながら流護は思う。

 ミアではないが、何だか今自分が立っている場所すら不安定に感じてきてしまう。

 俗な言い方をしてしまえば、学院長の技は自分の想像を相手に見せつける能力だ。迷惑にもほどが――


「ん……? あれ、それなら対策できるんじゃ……」

「あ、リューゴ気付いた? そう、対策……は、あるにはあるんだけど」

「えっ!?」

「しっ。ミア、声大きい」


 少女騎士は慌てた様子で彼女の口を押さえる。そうしてベルグレッテに密着されたミアの幸せそうな表情を見るに、今は間違いなく現実だよなこりゃ、と流護は確信した。

 

「光を通して幻覚を見せてるなら、単純に目をつぶれば対策にはなるんだけど……それじゃ、こっちもなにもできないし。だから……」


 ベルグレッテは声をさらに潜める。


「学院長が自分の想像したものを相手に見せているのなら……学院長の知らないことは、見せられないってことになるわ」


 ミアが「?」を浮かべた表情で首を傾げる。

 対照的に流護は頷いた。


「どゆこと?」

「学院長は、自分の知識の範囲内でしか幻覚を作れない……自分の知ってることしか幻覚にできないってことだ。だから例えば――」


 流護は二人に問う。


「二人は、俺がどこから来たか知ってるよな?」

「えーと……ニホン、よね」

「そうそう。チキュー、のニホンだよねたしか。……あ、そっか! 学院長はこのこと知らないんだ。だから……」


 流護が『現代日本から来た』という事実は、今のところベルグレッテとミア、ロック博士しか知らない。

 そして学院長は、自分の知っていることでしか幻覚を作れない。


「お互いに『俺たち』が本物かどうか確かめるには、俺たちが知ってて且つ学院長が知らないことを尋ねて、確認してみればいいってことだな。まさに今の、俺の話みたいな」

「それなら、今の『ニホン』とか、あの『ケータイデンワ』とか。私たちでしか知りえない単語を合言葉にしてみるのもいいかもしれないわね」

「そ、そっか! やったね、これで安心!」


 一瞬、『学院長の想像した光景を相手の脳内に叩き込む』という考えそのものが間違っていたらどうしよう……などとも思ったが、もう疑心暗鬼が深まるばかりでどうしようもない。いいように踊らされている気分になってくる。


「学院長が知らなくてあたしたちだけが知ってることなら、結構いっぱいあるもんね。……あ! たとえばほら、ベルちゃんの右のおっぱいの」

「ちょっ!?」


 ベルグレッテが慌ててミアの顔面を押さえつけた。


「………………」

「……………………」

「…………もご、もご」


 辺りが静寂に包まれる。


 …………。


 ベル子の右のおっぱいが……何なんだ!?


 妙な沈黙の中ゴクリと喉を鳴らす流護だったが、真っ赤になったベルグレッテが慌てて話を変えた。


「じ、実際にね。半年ぐらい前かな。学院長に、『ベルグレッテさんよー、ちょっとお金貸してほしいんだけどよー』って言われて……」


 なんだそのダメな大人は……。


「断ってすぐ、向こうから城にいるはずのクレアが歩いてきて。『お姉ちゃん、お金貸してほしいんだけど』って……」


 雑すぎだろおい。


 夢を見ているかのごとく、違和感を違和感と思わないような不思議な感覚だったそうだが、さすがにおかしいと思って気付いたという。

 ちなみに幻覚は見破った時点で解けるのだそうだ。

 そのときは、気付けばクレアリアが学院長になっており、金を貸してもらおうと手を差し伸べていたという。


 明晰夢めいせきむというものがある。夢だと自覚しながら見ている夢のことだ。

 学院長の幻覚を悪夢と例えるなら、明晰夢だと知覚することができれば幻を破れると考えてもいいだろう。


 本来であれば神詠術オラクルというものは、発動する際に術者の周囲に『空気の揺らぎ』が発生するのだという。かつてロック博士が発表した論によれば、魂心力プラルナの流れだか何だかが空気を歪ませているだとか何とかで、ナスタディオ学院長はこの発動の際の揺らぎを隠すことが抜群に上手いらしい。

 その瞬間を見切れば幻覚を瞬時に打ち破ることも可能なようだが、ベルグレッテの技量では残念ながら不可能とのこと。

 ちなみに流護は今まで、そんな揺らぎとやらには気付かなかった。魂心力プラルナがないから感じ取れないのかもしれない。次からは意識してみよう、と思う少年だった。


幻儚ヴァーヘリア』のナスタディオ学院長。

 一見、凶悪にすぎる能力にも思えるが、完全無欠という訳ではない。


 学院長が幻覚を見せる場合、充分な知識が必要となる。その場にいないはずのクレアリアが「お姉ちゃん、お金貸して」などとキャラ崩壊も著しく言ってきてはモロバレだ。

 詳しい効果時間は不明だが、『自分の想像を相手に見せる』という性質上、長時間にわたって相手を騙し続けるような技ではないのだろう。今の状況のような、三人で議論を交わしているという複雑な場面を『見せる』こともできないはずだ。もっとも、これらは希望的観測にすぎないのだが。

 そもそも戦闘中であれば、流護が見たような一瞬の幻覚で事足りるのかもしれない。


 研究棟でのキンゾルの話ではないが、こんな真似のできる人間がそういるとも思えないし――


(……いや)


 今後、学院長と同じような技を使う敵が現われない保証などどこにもない。この世界での油断は、死に直結する。弱気なことは言っていられない。

 流護は、自分の頬を両手で挟むように軽く叩いた。気を引き締める。 


 ベルグレッテの手から解放されたミアが、ぜーぜーと息をつきながら口を尖らせる。


「ぜはー、で、でもさ。そんな対抗策あるんだったら、もっと早く教えてくれてもよかったのにー」

「や、学院長に会うことってほとんどないし……対策、っていうには頼りない案だしね。ミアも、学院長の話出すと嫌がるかなって思って」

「う。あたしを思ってくれてのことだったんだ……やっぱベルちゃんは優しいや。ちゅーしていい? ちゅっちゅっ」


 尖らせた唇をぐいぐい近づけていくミア。


 そこでベルグレッテは――抱きかかえるように、両手で優しくミアの頬を包み込んだ。

 至近で見つめ合う、少女二人。


「……いいの?」

「え…………、え!?」

「ミア、しちゃっていいの……?」


 !?


「う、うわあああぁぁあ!? いだっ!」


 ミアは凄まじい勢いで後退して壁に後頭部をぶつけた。


「はっ!? これは幻覚だーッ! リューゴくんニホン! ニホンだよねニホン!? あとケータイデンワ!」

「おおぉうケータイデンワ!? 俺が日本だ! 俺たちが日本だ!」


 慌てたように連呼する流護とミア。

 ベルグレッテが堪えきれないようにふふっと吹き出す。


「……あ、あー!? ベルちゃん騙したなー!」

「ふふ。これなら、とっさのときも安心かもね」

「あ、安心じゃないもん! もー、ちゅー!」

「えー。ミア、嫌がって離れたじゃないのー」

「嫌じゃないもん! びっくりしただけだし!」


 ひっつこうとするミアと押さえつけるベルグレッテ。幻覚には見えない、いつも通りの光景だ。


「ゆ、百合の花の幻覚を見た気がした」


 流護は額の汗を拭う素振りを見せる。

 ひとまずは『ニホン』を三人の合言葉とすることで、安心しておくことにした。






「――ンフフ」

『あぁ? どうした、急に』


 思わず漏れた吐息混じりの笑いに、通信の向こうから野太い声が問いかけた。


「いえいえ。教え子たちが自分で考え試行錯誤していく様は頼もしいものねーと思って。ヒントを与えた甲斐があるってものよ。まー常に疑われてるってのは、若干チェッと思わないでもないけど」


 遠ざかっていくベルグレッテたちの背中を廊下の角から眺めて、ナスタディオは呟く。


 まあ、仕方のない話だろう。

 教え子といったところで、自ら彼女たちを手塩にかけて育てている訳ではない。ただ学院長として、ここに居座っているだけ。それも出張に次ぐ出張で、学院になどほとんどいないのだ。


 そのうえでこの『幻覚』という、己が最も使用する術。

 自分はいわば、『究極の嘘つき』だ。


「ところで、ニホンって知ってる? あとケータイナントカ? とか」

『はぁ? 何だそりゃ。何の話だ?』


 ふむ。やはり知らないらしい。博識博学たるナスタディオでも知らないとなれば、通信の向こうの人物が知らないのも当然だろう。

 ナスタディオとしても途中からしか聞いていないので、よく分からない。

 あと、ベルグレッテの右のおっぱいがどうのこうのとも言っていた。これも近々、確認する必要がある。この手で直接。知識は重要なのだ。


『で、話の続きになるが……さっきの件、よろしく頼むぜ』

「あー……そっか。また壁外演習だもんね。でも、考えすぎじゃ――」

『いや。今回に限っては、少しばかり怪しい連中がすでに目撃されてんだ』

「ふぅーん。ま、構わないけど。でもアレね。アナタもそろそろ、新しい部下を迎えてみたら? 演習やら何やらの度にアタシがいなきゃダメってのも考えものじゃない。こっちとしては、学院の宣伝になるっていえばなるんだけど」

『ふむ……遊撃兵もしばらくいねぇし、『銀黎部隊シルヴァリオス』も一人減ったしな。……そうさなぁ、例えば丸腰でファーヴナールを殺っちまうような奴なんか、いいかもしれねえな』

「そうそう。『ペンタ』に勝っちゃうような子とかね。これ、破格の物件じゃない? 本気で考えてみたらどう? ――アルディア王さん」

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