71. 魂心力
「流護クンにベルちゃん、話は聞いてるよ。ミアちゃんの件……ご苦労様。今度こそ本当に、一件落着といったところかな。なんにせよ、無事に済んで良かったよ」
ああ、いえ……と二人はそれぞれ頭を下げる。
「博士はほほ行っへはんふは?」
流護は血止め用の布を鼻に押し込みながら尋ねる。
「ああ、ちょっとばかり調べてたことがあってね。実は少し前に、『エクスペンド』の少女がディアレーで発見されたんだけど……おっと、流護クンは知ってたっけ? 『エクスペンド』っていうのは――」
「あ、知ってます」
「おっ、そうかい? まあともかく、調べてみたらその少女の主はレドラックだったことが分かってね。そこからレドラックが魂心力を多めに宿している人間を集めていたことも発覚して……と、そんな感じで芋ヅルを辿っていったら、新発見という名の実が生っていた……ってところかな」
「!」
新発見。
まさかと思った流護は、咄嗟にベルグレッテの顔を見る。ベルグレッテもまたハッとした様子で流護の顔を見た。ミアの言っていた、例の話――
そんな二人の顔を見たナスタディオ学院長が言う。
「んー? 何いきなり見つめ合ってんのボーヤとベルグレッテ。全く若いんだからもー。ガマンできないなら自分らの部屋行きなさい。教室の空き部屋とか外も禁止。スリルを求めるのは分かるけど、アタシの学院の領内だからね。騒音に配慮し、避妊もしっかりすること。ちゃんとしてる? 避妊はあれだ、王都でも売ってるけどガランタトスの浮き袋使ったヤツとかがオススメ。ちょっと高価なのがいただけないけど」
何言ってんだこの人。
「っ、が、学院長! いきなりなにを……!」
ベルグレッテが真っ赤になって声を裏返す。
「んで新発見ってのはアレでしょ? 魂心力の宿ってる部位が確認できたってヤツ」
いつの間にか目つきを鋭くした学院長が真面目なトーンで言う。つい今までのふざけた態度とは真逆だった。落差についていけない。
「そうそう。もう聞いてましたか学院長」
ロック博士はいつもの調子だった。
「聞いたばっかよ。それでさすがのアタシも歴史的大発見に濡れちゃって、詳しい情報ないかなーってことで、ちょっくらこの部屋にお邪魔させてもらってたワケ」
そこへ流護がやってきたということなのだろう。
なるほどと頷いた博士は、メガネのフレームを押し上げて、キリッとした研究者の顔になる。
「結論から言うと……魂心力の宿っている部位が特定されました。必ず……脳、脊髄、心臓のいずれか一つになります。けれど例えば、一口に脳といっても大脳、小脳、脳幹といった部位に分けられるし、それらの部位も更に区分けして考えられるから、『脳に魂心力が宿っていた』という場合でも、正確には『脳の中のどこか一部分に宿っていた』、ということになりますねえ。大脳の中の前頭葉かもしれないし、側頭葉かもしれない。脳幹に含まれる神経群の一つかもしれない。ちなみに、脳、脊髄、心臓……とは言いましたが、脳幹は脊髄と繋がってるし、脳と脊髄を合わせて中枢神経って呼ぶワケだから、大雑把に『脳』か『心臓』。このいずれかに魂心力が宿る……と考えていいと個人的には思いますね」
流護は大きくコクリと頷き、「なるほど……」などと言ってみた。
やだ……博士ったら、博士みたい……。
ところで、何言ってるか全然分からんって言ってもいいんだろうか。
流護はベルグレッテと学院長のほうをチラリと盗み見る。二人も、うんうんと頷いていた。
あっ、でも俺と違って知ったかぶりしてない空気だこれは。
「それにしても、魂心力の宿る部位が判明したのはいいとして……それらを他の人間に移してもそのまま機能するってのは、どういうことなのかしら?」
「それについては……まだ、調査中ということで」
興味深そうに言う学院長に、博士は煮え切らない様子で答えた。話題を変えるように、流護とベルグレッテへ交互に視線を向ける。
「ところで流護クンとベルちゃんはどうしてここに?」
「ああ、いや。俺はまさにその話をしに来たんすけど」
「あ、はい。私もです」
はは、と博士は苦笑いした。
「まあ、新発見だからねえ……みんなの関心が集まるのは当然なのかな」
そりゃそうよ、と学院長が続ける。
「とりあえず……やり方はどうあれ、生まれつきで内包してる総量がおおよそ決まってるとされる魂心力を、大幅に増やせる方法が見つかってしまったワケよね。事実、レドラックはそれを狙って奴隷を買ってたんでしょ?」
「そうですねえ。裏の世界では、知る人間は知る情報だったようですよ。それでも、『部位』の抜かれた遺体が見つかり始めた……ここ一年の話だと思いますが。今回、レドラックが雑な死体処理をしたことで、ようやく表沙汰になったといったところですかね」
レドラックがミアの前で得意げにベラベラと喋っていたようなので、いずれにせよ今回の件で明るみに出ることだったのだろう。
何だか生々しい話だ、と流護は思った。
ファンタジー世界の魔法なんて、よく分からないけど神秘的ですごい力、程度の認識でしかなかった。しかしやはり、一見して不思議の塊にしか見えない魔法のような……この世界でいう神詠術も、何らかのメカニズムがあって作動しているのだ。
――それにしても。
(魂心力の宿る部位……か)
そもそも、『宿る』とはどういうことなのだろう。宿っているか否か、どうやって判別するのか。それは目で見て分かるようなものなのか。
いや、それ以前に魂心力とは何なのか。
ミネットは以前、『人の内側に宿る力』だと言っていた。流護もそれを聞いて、精神力とか気合みたいな抽象的なものだと思っていた。
ロック博士の発表した論によれば、どちらかといえば空気と同じようなものだという。とすれば、ゲームや漫画などでいう『魔力』と考えると分かりやすいかもしれない。
人は生まれつき魔力を内包し、魔力に包まれた世界で魔法を行使する。魔力を消耗すれば、大気中から新たに取り込む。そんなイメージだ。
しかし、そんな魔力が具体的に『臓器へ宿る』となると、急に生々しさを帯びてくるように感じる。
まるで、魔力――魂心力という名の『何か』が、臓器に――
なぜだろうか。ひどく厭な想像をしてしまった。
「すでに国王以下、全ての機関に報告はしてあります。すぐ民衆たちの耳にも入るでしょう。来年からは、教本の内容にも追加されるかな」
「……そう、ですか。……それにしても、また今回みたいなことが起きたら……」
ベルグレッテが複雑そうな表情で言う。
彼女の懸念はもっともだ。臓器に魂心力が宿っているのはいい。問題は、それを奪うことが可能だという点だ。
「その点については、念のため警戒しているよ。キンゾルという謎の老人は拘束対象の賞金首になったし……あと問題は、その『融合』という行為を行える者が、そのキンゾル以外にもいるかどうかだね。聞いたことすらない能力だけど……同じことをできる人間がそういるとも思えない」
そう。『融合』がキンゾルにしかできない場合、その老人さえ押さえてしまえば、同じことは起こらなくなる。
仮に同じような真似を可能とする人間が多くいるのなら、今回の件はもっと早くに発覚していたはずだ。皆無……とは言い切れないが、そんなことのできる人間はそういないだろう。
使い手が一人しか見つかっていないような、珍しい術も多々存在するといわれている。この『融合』という施術が、キンゾルにしかできないことである可能性は少なくない。
「それにしても、何だかスゴイ話よねえ。これってつまり――」
ナスタディオ学院長は不敵な微笑みを浮かべた。
「その『融合』を使えば、人工的に『ペンタ』をも上回る存在を作り出せるかもしれない……ってことよね?」
はっとした顔になるベルグレッテ。
ロック博士に動揺の色はない。ふーっと、煙を吐き出すのみ。気付いていたのだろう。
流護も思い出す。ディノを倒した後に襲いかかってきたレドラックは、「瀕死となったディノと貴様……双方を殺し、魂心力を同時にいただくチャンス」などと言っていた。
魂心力など最初から内包していない流護はともかく、『ペンタ』であるディノから奪うことができれば、莫大な力を手にすることが可能だったはずだ。
「そんな……それこそ、神への冒涜です」
神に選ばれた存在である『ペンタ』から、選ばれていない人間が奪い取るという行為。
信仰に篤い、模範的なレインディールの人間であるベルグレッテは、うつむいて小さく呟いた。
少女の懸念はもっともだ。
しかしきっと、この世界でも同じ。
力を求め、それを得る方法を知った人間は、簡単に禁忌の領域へと踏み入っていくものだ――――と、流護はポエム的にそんなことを思うのだった。
流護、ベルグレッテ、ナスタディオ学院長の三人は揃って研究棟の外に出た。
外はすでに薄暗くなっており、おなじみのイシュ・マーニがその巨大な姿を覗かせている。
「さぁーて……部屋戻って、少し仮眠でも取ろうかしらねぇー」
ぐぐっと伸びをした学院長がパキパキと身体を鳴らしながら言う。
「学院長、今回は何日ぐらい滞在されるんですか?」
「うんー? もう明日には出るわよー」
「相変わらずご多忙ですね。お疲れさまです」
ベルグレッテと学院長がそんな会話を交わしているところへ、見慣れた小さい影がとてとてと寄ってきた。
「あ、ベルちゃんにリューゴくんっ、いたー。晩ごはんにし……」
無警戒な小動物みたいに近づいてきたミアは、そこで言葉と共に停止した。
「……ん? お、ミア! ミアじゃないのー!」
学院長が、ぱあっと笑顔になった。
ああ、この人はミアのことも知ってるのか。校長みたいなもんだろうに、ベルグレッテはともかくとして、一生徒であるミアのこともちゃんと知ってるなんて、立派なところもある人だな――
と感心しかけた流護だったが、己の甘さを痛感することになる。
「ぎゃあああぁ!? で、出たアアアァーッ!」
ミアは凄まじい絶叫と共に、くるりとターンして走り出した。
出たって何だ、幽霊でも出たのか、この世界にはアンデッドモンスターとかいるのか、と流護が焦ってキョロキョロしたところで、学院長が手をわきわきさせながらミアを追いかけて走り出した。
「うへへへへ! ミア待てー! 待ておらー!」
乙女チックな走り方で逃げ出したミアだったが、いきなりすっ転んだ。そこへ学院長があっさりと追いつき、その小さな身体を抱きかかえる。
「ぎゃあああああぁ! やだ! いやぁ! 離して! ベ、ベルちゃん助けてえええぇ!」
「うっへへへ、泣いても叫んでもベルグレッテは来ねえよ!」
「い、いるし! そこにいるし!」
「それは幻覚だぁ! いひひひひ!」
「ぎゃあああぁあ」
ミアを抱きかかえて、頬擦りしながらがしがしと頭を撫でるナスタディオ学院長。
「……何アレ」
「は、ははは……学院長、ミアのことがお気に入りなのよね」
「ああ……そうなんすか……」
無理矢理に撫で回そうとする動物好きな人(でも動物には嫌われる)と嫌がるネコみたいになっている二人を眺めがら、流護は疲れたように呟いた。
そんな小動物みたいな少女を抱きかかえた学院長が、ふと声を潜める。
「……まあアレよ、ミア。話は聞いてる。ディノのアホはこってり絞るように言っておく。あんたが奴隷になっちゃったとか、関係ないから。引き続き頑張って勉強して、優秀な詠術士を目指しなさいな」
「…………、その、つもりだもん」
「いよーっし! よしよし、可愛いヤツめ! この、このこの!」
「ぎゃあああぁぁぁあ」
「ヒッヒヒヒ! ヒヒヒヒヒ! この……ん?」
ミアをがしがしと撫でまくっている学院長の耳元に、ぶわりと波紋が広がる。通信の神詠術だ。
「っと、誰よ……このお楽しみ中に」
ミアを小脇へ抱えたまま、学院長は器用に通信へと対応する。
拘束が緩くなったのか、その腕からスポンと抜け出したミアが、よろよろとこちらに向かって這ってきた。髪はボサボサで、ライオンのオスみたいになっている。
「い、いま……のうちに……逃げ……」
死にそう。