69. そして少女は歩き出す
クラスメイトの皆で昼食を終えて、街を巡る。
十人を超える大人数だった。
今日は平常日ではあるが、祭日のため学院は休みだ。まるで神が祝福してくれているみたいにも思える。
ミアのそばにはダイゴスがついていた。身体が大きいせいもあってか、安心感がすごい。それにあの戦いに参加していたというのに、一人だけ包帯すら巻いていないのだ。去年秋の校外実戦授業などでも、淡々とこなしていたのを思い出す。
「ねえねえ。いまさらだけど……ダイゴスって、実はものすごく強い?」
小さな少女は、山のような大男を見上げて訊いてみる。
ダイゴスは口の端を「ニィ……」と吊り上げて、短く太く「さほどでもない」と答えるだけだった。
「ダイゴスは強いっていうより、上手いって感じだよなー。こう、職人って感じ? いや、そりゃ俺なんかよりはずっと強いんだけどさ」
両手を後ろ頭に組みながら言ったのはクラスメイトのステラリオだ。
爛々と輝く青い瞳と、ハネた栗色の短い髪。年齢は一つ上の十六歳だが、顔立ちはどこか幼く、年下にも見える。……ミアに人のことは言えないのだが。
「強いって言ったらよ、やっぱベルとマリッセラは双璧だろ? 二人ともカワイイしさー」
「おい、よりによってクレアリアさん忘れてるぞ。殺されるぞおまえ」
「い、いや、クレアリア大先生は……まあでも、ベルたちには劣るだろ」
「いやーおれだったら、一番闘いたくないのはクレアリアだな。前に、街で背信者シメ上げてんの見たことあんだよ。ありゃ、そこらのマフィアも真っ青だって。やべえよアイツは……」
男子たちが盛り上がっている。いつものことだが、強い人と可愛い女子の話題が尽きることはない。
「でもよ……あのディノが負けたってんだから、ホント信じられねーよ。あいつって倒せるんだな……人間とは別の生き物だと思ってたぜ。ミア、どうだったんだよ。あのアリウミって奴の活躍。見てたんだろ?」
「あ、うん……」
「ちょっとやめなよー。せっかく気分転換に来てるのに、ディノの話なんてすることないでしょー」
エメリンが間に割って入った。訊いてきたステラリオは、バツが悪そうに「あ、わりい」と返す。
しかしミアは、自然と呟いていた。
「ケンカ、みたいだった」
きょとんとしたステラリオが、「え?」と聞き返す。
「最初はもう、すごすぎてわけが分からなかったんだけど……最後には、リューゴくんがディノのことばしーって殴って。倒れかけたディノが、リューゴくんをばしーって殴り返して。もう、神詠術もなにもない……ふつうの、男子のケンカみたいだった」
クラスメイトたちは、口々に感心したような声を漏らした。
「あれか。凄いやつ同士の闘いは、かえって地味になるっていう……」
「そんな殴り合いにも、深い駆け引きがあったんだろうな~」
そんなやり取りを眺めながら、ミアは久しぶりにクラスメイトたちと楽しい時間を過ごしている気がしていた。
「でも……本当に……本当に、よかった。ミアちゃん、よかったよう……」
「ちょ、もう泣きすぎだってば、アルヴェ」
アルヴェリスタはずっとこの調子だ。目を真っ赤にしたその泣き顔は、女の子にしか見えない。
――今度こそ、本当に……終わったんだ。
あまりにも目まぐるしく状況に翻弄されていたせいで、あまり実感がない。
ミアは雲ひとつない青空を仰いだ。燦々と照りつけるインベレヌスの恵みに、目を細める。
昼の神が、自分を祝福してくれているような気がした。
皆と一緒にひたすら街を歩いたミアは、へとへとになりながら流護たちの待つ診療所へと向かっていた。
クラスメイトらは一足先に馬車で帰っている。
ミアの左右を、それぞれレノーレとダイゴスが挟むようにして歩く。なんだかお姫さまみたいに守られてるや、と少女は今更ながら少し恥ずかしくなった。
「よ、よーっし。明日からは、今までどおりミディール学院一……いや、ベルちゃんがいるから学院二……や、クレアちゃんも可愛いし……レノーレもきれいだし……リーフちゃんなんか抱き枕にしたい可愛さだし……マリッセラもベルちゃんのライバルを自認するだけあるし……あれ、あたしって地味……? ま、まあとにかく学院で十番以内には入るはずの美少女学生、ミアちゃんとしての日常に戻ってがんばるぞー」
へとへとになりながらも確かな決意を胸に秘めて、ミアは石畳を踏みしめる。
「……大丈夫。……ミアは、私よりは可愛い」
「え? い、いや、そんなことは……いやいや~」
「……いえいえ」
「よーし。ねえねえ、ダイゴスはどう思うっ?」
ダイゴスは「ニィ……」と不敵に笑うだけだった。
……いくら何でも訊く相手を間違えた気がする。
と、小さな十字路へ差しかかろうとしたミアの耳に、先の路地から響いてくる声が届いた。
それは――聞き覚えのある、高い少年の声。
「……!」
ハッとして、思わず足を止める。
建物の影から脇の路地を覗き込むと、そこにいたのは――ボールで遊んでいる数人の子供たち。
そして、その中には。
ミアの弟、ティモの姿があった。
(……っ)
そう。このディアレーは、故郷のラドフ村からも近い。時折こうして、弟のティモは村の友人たちを連れて、ディアレーの友達のところまで遊びにきているのだ。
それにしたって、何という偶然なのか。こんなところで――
「……ミア?」
レノーレとダイゴスが、怪訝そうに足を止めた。
二人は、路地の先で遊ぶ子供たちへと視線を向ける。その中の一人、ミアと同じ赤茶色の髪をした少年……どこか顔立ちも似ている少年を見て、察したのか。
「……いってらっしゃい」
「い、や……でも」
瞬間的に、ミアは思う。これは希有な例だ。
レドラックファミリーは潰れた。『サーキュラー』も潰れた。
もう、問題ないのではないだろうか。家に戻っても。
まず間違いなく、父と母以外はミアが売られたことを知らないはずだ。まだ幼い弟たちに、そんな話をすることはないだろう。
きっと、すんなり家に戻ることは不可能ではない。
が、戻ってどうするのか。断腸の思いで自分を売った父親に、どう接するのか。ミアとしても、父親を恨んでなどいない――とは言い切れない。そこまで聖人ではない。けれど、その苦悩を察して余りある。許すことはできる。
一度は売った自分の娘を前にしたら、父はどうするだろう。
きっとあの人は、潰れてしまう。気が弱いくせに、それでも責任感は強いのだ。ミアがどんなに許すと言っても、きっと父は自分自身を一生許さない。残りの人生の全てをミアのために捧げ、潰れていくだろう。
そんなのは、ダメだ。嫌だ。
やはりもう、あの家に戻る訳にはいかない――
「い、いいよ。行こう」
少女はダイゴスの影に隠れるように身を潜める。
「いいのか」
低く問うダイゴスの声にも、無言で頷いた。
下を向いて足早に歩き出したミア――の首筋に、突然ヒヤリとした感触が伝わった。
「うっひゃああああぁあああぁっ!?」
思わず絶叫する。
何事かと思って振り返れば、小さな氷塊を手にしたレノーレの姿。その顔は無表情ながらもどこか得意げだ。意味が分からない。
「なっ、レノーレ、なにすっ……」
首を押さえながら抗議しかけたところに、声が聞こえた。
「……ミア姉?」
少女は思わず硬直する。振り返る。
「………………う」
そして、凍りつく。
走り寄ってきたのは…………四つ下になる、自分の弟。ティモ。
「やっぱミア姉だ! こんなとこでなにしてんの?」
弟は、いつもと全く同じように姉を見上げた。……やはり、知らされていないのだ。
「……ティモ……げ、元気?」
「へ? べつに元気だけど……なんだよ、ミア姉のほうが元気なさそう」
ティモは両手を頭の後ろで組み、困ったように続けた。
「そういえばさいきん、父ちゃんと母ちゃんも元気なくてさー。なんか急に、お金が増えたみたいで、ご飯とかはちょーっとごーかだったりするんだけど。……こないだは、父ちゃんの部屋いったら……父ちゃん、泣いてたし……」
「…………っ」
ミアの息が詰まる。
「だからってわけじゃないんだけど。おれさ、しょうらい、ミディール学院に入る!」
ティモは顔を上げて、明るい声で宣言した。
「おれも学院入って、みんなに楽させてやるんだ! ミア姉だけにくろうさせないからな! 安心してよ!」
「……、……ティモ……」
ミアは涙が出そうになるのを懸命に堪えた。
「この人たちは、ミア姉の友達? 学院の人?」
「……ミアの友達、レノーレです」
珍しく、レノーレはかすかに微笑んで自己紹介した。
少年はかすかに顔を赤らめて「ど、どうもティモです」と返す。
「ダイゴスじゃ」
対して、誰が相手でも変わらぬ巨漢の「ニィ……」という不敵な笑みに、ティモは顔を強張らせて頷きながらも後ずさった。
「じゃ、じゃあ二人ともおれの先輩だ。そ、そのうち学院に入るので、よろしくお願いします!」
ティモは緊張した面持ちながらもはっきりと言ってのけ、頭を下げる。
学院に入れるかどうかは、努力よりも生まれ持った資質……率直に言ってしまえば、運によるところが大きい。
一定の魂心力を有していることが条件だからだ。魂心力というものは努力で多少なりとも保持量を増やすこともできるが、おおよそは生まれつきで決まっている。
だからこそ、レドラックはあんな真似をしてまで無理矢理に得ようとしていたのだ。
学院に入れたミアの弟だからといって、同じように才能に恵まれているとは限らない。
レノーレとダイゴスの二人も、当然それを分かっている。そのうえで、
「……待ってるよ、後輩くん」
「うむ。精進せえ」
そう、声をかけた。
それから少しだけ当たり障りのない――いつも通りの会話を交わし、
「あ、ごめんミア姉。これから友達の家いくんだ。じゃあ、おれいくから! たまには家、帰ってきてくれよな!」
「……、うんっ……いってらっしゃい、ティモ」
「うん! いってきまー」
いつも通りに送り出して、弟は友達の輪へと戻っていく。
こちらを見ながらぶんぶんと手を振って、友達と一緒に走っていくティモ。その小さな影が建物の角を曲がり、姿が見えなくなっても、ミアは弟の消えていった街角に目を向けたままでいた。
――ごめんね、ティモ。
あたしはもう、アングレードの家には帰れないんだ。
「…………っ、」
――帰りたい。
狭くても落ち着く、あの家に帰りたい。母さんのご飯が食べたい。みんなの顔が見たい。
「……っく……」
売られたのであっても、父さんに会いたい。どうせ落ち込んでる父さんに、怒ってないよ、って声をかけてあげたい。
でも。
レノーレが、優しくミアを抱き寄せた。
「……ごめん。余計なお世話だった?」
その言葉に、ぶんぶんと首を横に振る。
「……っ……、ううん……決心、ついた。ありがと、レノーレ」
――あたしは、もう泣かない。
がんばる。学院でがんばって、自立して。誰にも迷惑をかけないような、立派なレディーになってやるんだ。
リューゴくんとベルちゃんに、恩返しをするんだ。そう、決めたんだ。
いつか大金持ちになったら、匿名でアングレード家に寄付するのもいいかもしれない。遠見の術を身につけて、驚く家族の様子をこっそり見てみるのも面白そうだ。
精一杯の笑顔を浮かべて、レノーレから離れる。
「いこ、二人とも!」
明るくレノーレとダイゴスに声をかけて、ミアは踵を返す。
振り向かない。浮かんだ涙を拭って、けれど笑顔で、少女は歩き出す。
ミア・アングレードはもういない。
ただのミアは、強い心で歩み出した。