689. 火種
「で、次はクレアか」
「そうなりますね」
各々トイレ休憩などを挟み、戻ってきた観覧席にて。
流護が話を振ると、クレアリアは試合を控えているとは思えない落ち着きぶりで平然と受け答えた。
「もう、ここからの展開は予想するまでもありません。次の四戦目にて私が出場……あちらは今度こそオルバフ殿を出してくるでしょうが、勝たせてもらいます。そして五戦目では姉様とシス殿が術を交える。我々が二連勝を飾り、三勝一敗一分けにて勝ち越して対抗戦は終了です」
「聞いたか彩花。お前も、これぐらいふてぶてしく自信持っていけ」
「は? ふてぶてしい?」
「わ、私に振らないでよっ」
ジトリと睨みを利かせてくるクレアリアさんだが、実際のところその筋書きはほぼ既定路線だ。
最終戦のカードはベルグレッテ対システィアナで実質確定している。
であれば次戦はクレアリアが出陣となるが、もうリズインティ側には彼女に対抗できるほどの使い手がいない。
クレアリアを始めとした皆はオルバフが出場すると睨んでおり、実際に彼ならば拮抗するかもしれないが、流護は本人から出場しないと聞かされている。
(オルバフさんが出れば、あっちが四戦目取る可能性も全然ゼロじゃないんだけど……)
しかし、どういう訳か出ないというのだ。
副将戦とも呼べる次の四戦目。ここでクレアリアが負けるようなことがあれば、大将戦をベルグレッテが勝ったとしても二勝二敗一分となる。見事なまでの引き分けだ。
「でもでも、クレアちゃんが負けるとは思えないよ~」
「当然です」
ミアの評価に、当人は腕を組んでふんっと頷く。
システィアナたちも、この小生意気な妹騎士の実力については見誤ることなく把握しているだろう。
だがオルバフも、マリッセラも出場しない。
(……。…………)
流護の脳裏に浮かぶそれは、引っ掛かりだ。今朝、この闘技場にやってきた直後。リズインティ学院の皆と顔を合わせて、その時――
『では、時間となりました! これより第四試合を行います! 折り返しとなる、そして学院としての勝敗に大きく影響するこの一戦! ここを勝った側は総合勝利まであと一歩! しかし負けた側の勝ちはなくなり、仮に次戦を勝ったとしても引き分けに持ち込むことが精いっぱいとなります! 重要なこの大一番! 出場選手はお決まりでしょうか!?』
「時間ですね。では、行って参ります」
軽い用事でも済ませるかのような口ぶりで。
「ええ。任せたわよ、クレア」
「……頑張って」
「応援してるよ! クレアちゃん!」
仲間の熱とは対照的、いつも通りの澄まし顔で席を立ったクレアリアが、迷いのない足取りで試合場へと向かっていく。もはや、対戦相手が誰であるかなど気にもかけない。
今しがたのエフィの通信でも言っていたが、この試合の結果によっては総合判定での勝敗も見えてくる。普通ならプレッシャーを感じる大事な一戦だ。しかし――
最終戦はベルグレッテ。なら、自分の出番は今。彼女にとってはそれだけの話であり、そのうえで己の勝利を微塵も疑っていない。そんな自信が垣間見える、威風堂々の立ち振る舞いだ。
「おおっ、やっぱここでクレアかぁ。こうなるともう四戦目と五戦目、ガーティルード姉妹で二連勝は確定ってもんだよ。この対抗戦、もらったな!」
「うん、安心して見てられるね」
「よし勝ったな。ちょっと売店行ってこようかな?」
いよいよ対抗戦の結果も見えてくる大一番となるが、ミディール学院勢はこれまでになく落ち着いている。それだけ、彼女に信を置いているのだ。
「クレアリアさん……全っ然、緊張してなさそうだね……。見てるだけの私のほうが落ち着かないぐらいなのに、さすがだなぁ」
ソワソワしている彩花に対し、流護は苦笑しつつ答える。
「何回も言うけどふてぶてしさは世界レベルだからな。つか実際、向こうとしちゃ厳しいぞ。クレアに勝てそうな人選ってなるとな」
勝負論のありそうなオルバフも、全局面で上回るであろうマリッセラも出場しない。システィアナはベルグレッテとの対戦を熱望。となれば――
「…………」
「流護? どうかした? 急に黙っちゃって」
「……いや、何でも」
そんな会話を交わす間にも、その彼女が試合場へと降り立った。
『さあ、早々にミディール学院側から一人の女生徒が舞台へとその姿を現しましたぁ! 何やら高貴さと怜悧な雰囲気を併せ持った美人さんですが! 見るからに只者ではなさそうです! 彼女は一体!?』
『クレアリア・ロア・ガーティルード。レインディールでリリアーヌ王女の次期姫付きとなるべく修行を積んでる、ロイヤルガード見習い。遠からず、正式に姫様に侍る騎士となる予定よ』
『えぇ!? レインディールの王女様の!? そ、それはすごいですね!』
目を白黒させるエフィに笑ったナスタディオ学院長は、次いでその目線を傍らの老父へと向けた。
『御大としても、ガーティルード家とは親交深い間柄ですわよね?』
話を振られたローヴィレタリア卿は、一貫して崩れない笑顔をたたえつつ首肯する。
『ホッホ、そうですな。僭越ながら、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいておりますぞ。とみにクレアリアお嬢様に関してましては、その高度な知見や技能は元より、現状に甘んじることなく更なる成長を遂げようとなさるそのご姿勢……そういった面に於いても、学院生らが手本とすべき存在と言えましょう。ホッホ、我が娘にも見習わせたく……、………………ッ……!?』
息をのむ、とはまさにこのこと。
それは明確な異変だった。
唐突に絶句したローヴィレタリア卿。
『喜面僧正』と渾名され、呼び名通りの表情しか見せてこなかった老父から、その象徴である笑みが消し飛んでいた。
代わりに浮かぶは驚愕。
開かれたまぶたから覗く黄土色の瞳。声を発することを忘れたかのように戦慄く太い唇。
流護としては初めて目の当たりにする、最高大臣の『喜』以外の表情。まさしくザ・驚愕。「この人、こんな顔するのか」と思うほどの。
「え…………?」
そして隣から溢れるのはベルグレッテの困惑の声。
大きく見開かれた薄氷色の瞳は、リズインティ側の観覧席を……正確には、そこから試合場へと向かっていく一人の女生徒の姿を注視している。
こと、今この会場で大きな驚きを露わにしたのはこの二人だった。
「おお? オルバフじゃないのか」
「なるほど、あちらさんは『彼女』か。でも、クレアには勝てないだろ~」
他の生徒たちの間でも多少のざわめきは起きているが、さほどではない。おそらく、『彼女』の優秀さを知っているからだ。
「あれ、って……」
彩花もやや戸惑った風ではある。が、先の二人ほどの動揺はない。
温度差がある。
今まさに試合場へ降り立とうとしている『彼女』をよく知る者ほど、信じがたい思いを抱いている。そんな中で、
(………………やっぱり、か……)
流護の裡には、むしろストンと腹落ちしたような感覚が生じていた。
やはり気のせいではなかったのだ、と。
あの時の、燃えるように睨み上げていた緋色の瞳は。
そして、最大限の驚きを表現する者がもう一人。
試合場にて対戦相手の入場を待つクレアリアが……対戦相手など誰でもいいと考えていたであろう彼女が、やはりその切れ長の瞳を見開いて口にするのだ。
「……………………リム、殿……」
自分と闘うためにやってきた、その相手の名を。
この遠間で実際の声は聞こえなかったが、間違いなく彼女の唇はそう動いていた。
『こっ……、これは…………、猊下っ……』
リウチの顔を知らなかったエフィでも、さすがに『この少女』については説明不要らしい。
これまでで最大の困惑をもって、自国の最高大臣へ……つまり『この少女の父親』へとぎこちない視線を送る。
その当人ことローヴィレタリア卿はいうと、完全に『喜』の消えた厳しい顔で観覧席の一角へと眼光を飛ばす。
そこは来賓の大人たちが集まる指定席。彼の視線の先には、伴侶であるエルメラリア夫人が座っていた。
夫の視線に気付いた妻は、完全に訳が分からないといった面持ちで首を横へぶんぶんと何度も往復させる。ド派手で煌びやか、色彩豊かな身なりの彼女がそうする様は、取り乱した孔雀のようだ。「このことを知っていたのか」、「知らない」――そんな会話が聞こえてきそうなやり取り。
そこでハッとした夫人が、己のすべきことを思い出したかのように甲高い声を張り上げた。
「リム! ちょぉっとリムちゃぁん! 何をしているのアナタ!?」
母からの呼びかけに対し、試合場へ降り立った娘は反応を返さなかった。
ただ、試合場の対角線に佇む『対戦相手』へ緋色の視線を投げかけている。
「アナタ、試合に出るだなんて一言もっ……! それも、クレアリアちゃんを相手にぃ!? 何を考えているのぉ!?」
しかし、リムはその場から動かない。叫ぶ母へ目を向けようともしない。その無言、無反応こそが、少女の発する雄弁な答え。
リズインティ側の客席では、システィアナがどこか祈るような面持ちで舞台上の級友を見守っている。彼女が出場を強いた訳ではなさそうだ。
(……ってことは、やっぱ……)
――リムは、自らの意志でクレアリアに戦いを挑もうとしている。
「うーん!? リムちゃん、どうしてクレアちゃんと!?」
「ちょっと待って? ど、どうなるの、この試合……? やるの……?」
ミアと彩花の戸惑いも大きい。普段のクレアリアとリムの関係性を見ていれば、その動揺は無理もない。
「立候補したんであれば、やらせん理由もないだろ。ローヴィレタリアさんの娘だからって、試合に出るのはダメとかそんな話はねえだろうし……」
客観的な視点からそう述べてみる流護ではあるが、きっとほとんどの者が考慮していなかった。
あの引っ込み思案な少女が、自らの意志で試合場に立つなど。それは、彼女の両親の動揺ぶりを見ればよく分かる。
「リムちゃん、どうして……」
何せ、ベルグレッテですらこの様子なのだ。
この三週間の交流学習を傍観しているだけだった流護でも、そこは手放しで頷ける。
自発的に誰かへ話しかけたりすることは皆無に等しく、察したクレアリアやシスティアナが優しく語りかける。それに対して、控えめな肯定を返すのみ。流護などは彼女とまともに言葉を交わした記憶もない。
リムとは、そんな少女だった。
「……おかしいとは思わない」
その意見は、変わらぬ平坦な表情で試合場を見下ろす風雪の少女からだった。ベルグレッテが目を見張る。
「レノーレ……?」
「……私は、あの子が自分の気持ちを口にしたところを見たことがない」
「……、それは……」
無論、年単位で交流のある少女騎士が思い至らなかったはずもないだろう。
ただ、それが当たり前だったのだ。リムという少女は、そういう内向的な性格だと。
「『人なんて、心の奥底では何を考えているか分からない』……じゃったの」
脇から聞こえてきた太い声に顔を向けると、医務室から戻ったらしいダイゴスがやってくるところだった。
やや右足を庇うようにしているが、他に傷らしい傷はほとんど見受けられない。
一方でおそらくエーランドのほうは、快方までまだ時間を要するはずだ。
「『普段の態度が、本当の顔だとは限らない』。エドヴィンと向き合った伊達男に、お主が言った言葉じゃったな」
「……うん」
それを聞いたエドヴィンがカカッと笑う。
「違ぇねーな。ケッ、いーじゃねーか。四六時中クレアやらシスやらにひっ付いてるだけの陰気臭ぇガキかと思ったが、何やら言いてーことがありそーなツラしてるぜ」
「…………」
流護にも理解できるような気がしていた。
あの表情を踏まえたならば。
『貴方のことが、気に入らないんです……っ!』
今のリムが、かつて自分に挑みかかってきたクレアリアと重なって見えるから。
『アラアラ。御大、いかがでしょう? この試合の見どころは〜?』
あっけらかんと、まるで空気など読まず言い放つのはナスタディオ学院長である。傍らのレヴィンですらこの事態にどう反応したものかと逡巡していた風なのだが、相変わらず怖いものなしの自由さだ。きっと心臓に毛が生えているに違いない。
ハッとしたようなローヴィレタリア卿が笑みを戻すも、取り繕ったようなその顔には若干の苦さが滲んでいた。
『……ホッホ。見所……とおっしゃられてもな。……結果の知れた試合に、そのようなものはありますまい』
論外。娘では勝負にもならない。
そんな父の評に反抗するように、試合場の彼女は一歩前へと進み出る。絶対にここから降りないと主張するかのごとく。
『げ、猊下。ではその、この試合を……容認されるということで……?』
『……ホッホ。これは学院生同士の対抗戦。生徒であれば、誰にでも出場資格はある……。私が口を出すことではなかろうて』
どこか、己に言い聞かせる風ではあったが。
すっかり元の喜面を取り戻したローヴィレタリア卿が言い放つと、客席の各所から「おお」と感嘆の声が漏れ聞こえた。
――その一方で。
「なぁっ、ダメよぉ! アテクシは認めないわよぉ! リムが試合に出るだなんてぇ! そんな危ない真似、させられるワケないでしょぉっ! ちょっ……何よぉアナタたちぃ! 離しなさぁいっ、無礼者ぉ! きーっ!」
席を立って試合場へ向かおうとしたエルメラリア夫人が、わらわらと寄ってきた係員たちに押し止められる。
最高権力者たるローヴィレタリア卿が容認する意向であれば、いかにその妻であってもこの試合を中止させる術はないのだろう。
「……お二人とも、同じ心持ちでおられることはたしかだわ……」
そんな事態を沈痛な面持ちで見守るベルグレッテが呟く。
ローヴィレタリア卿もエルメラリア夫人も、リムが試合に出ると知って驚愕した。
しかし夫人はともかく、この国の影の帝王とも称される『喜面僧正』があからさまな実子贔屓をする訳にもいかない。
ここは他の生徒同様、本人が出るというのであれば認めるしかないのだ。
『……でっ、では、第四試合! リム・リエラ・ローヴィレタリア対、クレアリア・ロア・ガーティルード! 決定です……!』
拍手が降り注ぐ中、彩花が目をしばたたかせた。
「や、やるんだ……! あの二人が闘うなんて想像できないんだけど! どうなっちゃうのこれ!?」
「ま、ローヴィレタリアさんの言う通りだな。これまでで一番の格差マッチになる……つーか、完全に勝敗は見えてる」
リムは極めて気弱で消極的な性格の持ち主ではあるものの、間違いなく将来有望な詠術士の卵だ。リズインティ学院でも上位に入ることは疑いようもない。
しかし、とにかくこの一戦に関しては相性が悪い。
クレアリアが一度自律防御を展開してしまえば、リムには突破するだけの攻撃力がない。
相手が負った傷の痛みを増幅するといった特異な力を有してはいるものの、そもそも傷をつけることすらできないのであればそれ以前の問題。
直接的な攻撃手段でない……シロミエールの睡眠の術のような搦手であれば、自律防御をもすり抜けることは確認されているらしいが、リムにはそうした手段がない。
既知の情報のみで考えるなら、およそ勝負論のない試合となる。
のだが――
「…………」
ローヴィレタリア夫妻、ベルグレッテ。
リムの人となりを知る者は、この展開に等しく大きな衝撃を受けている。
……そして当然、これから神詠術を交えることになるその少女も。




