68. 戦い終わって
流護が目を覚ましたのは、翌日の昼前だった。
ディアレーの街にある小さな診療所。あの闘いの場所から最も近いのがここだったそうだ。
流護の傷は通常なら長期入院コース間違いなしだったが、すでに処置は完了している。まだ全身が軋むように痛むうえ、ところどころに包帯を巻いてはいるのだが。
『ペンタ』と闘えばただでは済まないと判断したベルグレッテが、回復の得意なメンバーを集めて流護たちのところへ向かっていたらしく、おかげで大事に至らずに済んだのだ。
ひとまず今日はここで夕方までゆっくり休み、それから学院へ戻る予定である。
今は昨夜、流護が意識を失ってからの話を聞いているところだった。
「騎士側は重傷十八名、軽傷二十三名、死者なし。レドラックファミリーは重傷七十八名、軽傷百三名。死者七名。学院のメンバーは、レノーレとダイゴスも多少の傷は負ってたけど……エドヴィンがちょっと派手にケガしちゃって」
そういうベルグレッテも手足に包帯を巻いている。騎士側の軽傷、二十三名に含まれているはずだ。
「エドヴィンのケガって……大丈夫なのか?」
「ん。エドヴィンってば、自分の肌が焼けるのも構わないで術を乱射するから……。大勢の敵ともやり合ったみたいだし、思いっきり殴られたりもしたみたいで、意識が朦朧としてた感じね」
「……うう、いつもならバカにするとこだけど、あたしのために来てくれたと思うと」
ミアが小さな身体をさらに竦ませる。
「ふふ、気にしないの。昨日のエドヴィン、久々に参戦権が使えるってすっごいイキイキしてたし。まあ、昨日のことあんまり覚えてないって言ってたけど……本人は、やたらすっきりした顔してたわ」
エドヴィンは絶対、祭りなんかでハシャいで「なんでえなんでえ! 喧嘩ならあっしも混ぜておくんなせえ!」とか言ってツッコんでくタイプだよなーと流護は思った。
喧嘩は江戸の華、みたいな。『エド』ヴィンだけに。
ごめん。
「敵側に七人、死者が出たんだな。俺が殺しちまったか……?」
「いいえ。廃工場の二階部分の床が一部老朽化してたみたいで、崩落を起こしちゃって……追い詰められた黒服の六人がまとめて崖下に転落したのと……」
そこでベルグレッテは、思案するように顎へ手を当てる。
「敵の幹部に、ビゼンテっていう手練の武闘派がいたんだけど……その男が死んでるのが発見されたわ。しかも……あれは、相当なレベルの神詠術で倒されたんだと思う。その……状態が、ちょっと口にするのも憚られるほどだったから」
「へえ……騎士ってやっぱすげえんだな」
「ううん。昨日のメンバーは、ほんと即席で集めた人たちで……戦闘慣れしてない人も多くて、三分の一は見習いだったの。ビゼンテを相手に、あれだけのことをできる人は……」
「んー……そうなのか」
流護としては、そこまで関心の湧かない話だった。
あんな外道どもが死のうが、そんなのは自業自得だ。
……とはいえ、自分が倒した中に死者はいなかったと聞いて、正直ホッとしているのも事実ではある。
やはりまだ……敵がどんな悪党だろうと、人を殺すということには躊躇がある。すでに間接的とはいえ、デトレフを『殺して』しまってはいるのだが……。甘い考えだということは、もう身に染みて分かっている。
それにいつか、きっと来る。
グリムクロウズで生きていくならば。
この手で、人を――今この瞬間も生きている誰かを、殺めてしまう日が。
俺はこの手で、誰を殺すんだろう――。
「あとは……あの場にいたレドラックファミリーのメンバー全員、生死問わず捕縛確認済みね。……レドラック本人以外は。他に『先生』って呼ばれてる白衣の老人がいたそうだけど、こちらは不明。実際にいたのよね? ミア」
「うん、間違いないよっ。名前、忘れちゃったけど……キン……キンタ? あー、なんだっけ……タマ? タマ……いや、やっぱキンタなんとか先生だった気が」
ミアやめれ。絶対そんな名前じゃない。
流護は特に意識していなかったため、その老人の存在には気付かなかった。あの黒の群れの中、白衣を着ていたのなら目立ったはずだが、ミアによれば随分と小柄な人物だったという。薄暗かったうえ、なにしろあの場には二百人以上の人間がいたのだ。埋もれてしまい、見落とした可能性が高い。
それでも確かに、追い詰められたレドラックが「先生」と連呼していたのは流護も覚えている。ドンパチが始まって、すぐに逃げたのだろうか。
「……それにしても、ちょっと信じられないわね。魂心力の移植……だなんて」
ベルグレッテの感想はもっともだ、と流護も頷く。
脳、心臓、脊髄。このいずれかに魂心力が宿っており、さらにはこれらの部位を直接取り込むことによって、宿った魂心力をも取り込むことができる。
信じがたいとはいえ事実、流護も目にしているのだ。心臓をいくつも貼りつけた、レドラックの身体。呼応するように光っていた、その心臓を。
「……裏の世界では、そんなところまで……使いたくない言い方だけど、神詠術が『研究』されていたのかしらね……」
ベルグレッテが複雑そうな表情を見せた。
「あのオヤジ、信じられない力だったよね。腕力で、いくらボロボロになってたとはいってもリューゴくんに張り合うなんて……」
「レドラック自身は風属性の持ち主だそうよ。神詠術については才能に恵まれず、全くといっていいほど知識や技術がなかったらしいわね」
「あのデブが風ぇ……? 全国の風使いさんに謝った方がいいレベルだろ。ありゃどうみても毒属性だぞ、主に顔とかが」
いや、毒属性なんてものがあるのかは知らないが――
(…………?)
そこで流護は、ふと両手のひらを見る。
多少ヒリヒリと痛むが、治療の施された手には、もう目立った傷は見当たらない。
(……レドラックが……風属性、ねえ)
「……こう考えると、恐ろしい新発見なのかも。そのレドラックにすら、それだけの力を与えたんだから……」
ベルグレッテは不安そうに目を伏せ、身を竦めるようにきゅっと腕を組んだ。……おっぱいが強調される。
「おっぱ……じゃねえ、それで、そのレドラックの野郎は……」
「おっぱ……? 転落した川の周辺をさらったけど、見つからなかったみたい。現在行方不明ね。執念深い男だけど……ファミリーは事実上もう壊滅といっていいし、『専売』が明るみに出て、あの男の信用はゼロになったはず。連中のアジトも制圧されたし、もう奴が力を取り戻すことはありえない。もちろん、逃がすつもりなんてないから捜索中よ。『サーキュラー』も、『銀黎部隊』の手によって押さえられた。安心していいわ」
「……今度こそ、ほんとに終わったのかな?」
ミアが弱々しく――不安そうに微笑む。
「ん。終わったから、安心して」
「まあ、終わってなくても任せろミア。今度こそ拉致られねえようにするし。あとあれだ、ミアは俺の……扱い的にはほら、その、ど、どっ、どどど奴隷になった訳だし、手ぇ出そうとする奴がいたら今度は問答無用でブチのめせるし」
完全に終わったとは言い切れない。
しかし少女を安心させようと、力強く言い放つ。
「……んっ、ありがと。ベルちゃん……リューゴくん」
ミアはぺこりと頭を下げた。
「あのチャラ男……ディノはどうなるんだ?」
「……あの男については『ペンタ』だから……。捕縛はしたけど、すぐに治療を施されて……いちおう、強制労働にはなるのかな。それでもすぐ、釈放されるはず」
ベルグレッテの口調が暗いものになる。流護も、話としてわずかに聞いていた。学院所属の『ペンタ』は、多少の『無茶』をやらかしても基本的には罪にすら問われない。無論、その希少さと有用さゆえにだ。
今回のような、『流護の奴隷であるミアを連れ去った』というケースの場合、軽い窃盗罪程度の扱いでしかないという。流護の感覚からすれば立派な人さらいだが、ミアの立場が奴隷であるという事実が罪を軽くしている。今回の場合は、本来であれば厳重注意程度で釈放されるものだという。
しかしディノが捕まるのはこれで二回目であるため、数日程度の強制労働には処されるだろうというのがベルグレッテの予想だった。
思い返してみれば、ディノ自身もそんなことを言っていた気がする。
「しかしまあ、なんだって『ペンタ』はそんな特別なんだか」
「……それは――」
ベルグレッテが言いにくそうに口を開く。
それほどに『ペンタ』という存在が優遇される背景。
そこには、この世界の宗教がかかわっているという。
神から与えられた力である神詠術。その神詠術を自在に扱える『ペンタ』は、神に選ばれた子だという認識だ。
『ジェド・メティーウ神教会』。
最大規模を誇るこの宗教団体は、世界各地に支部が点在し、信者数は四十万人を超えるのだという。王都の人口が約五万人。レインディール王国の総人口が約三十万人なので、その規模は推して知るべしだ。
この宗教そのものに、何ら問題がある訳ではない。王都にも教会があり、そこの長を務めるロダンティという大シスターは、暴力的(ベルグレッテ談、意味がよく分からない)でありながらも気さくな人物なのだそうだ。
厄介なのはこの宗教団体のとある一派、『イル・イッシュ』と呼ばれる集団。
率直に言ってしまえば狂信者。『ペンタ』は神に選ばれた存在。『ペンタ』のやることは神のやること。だから彼らに殺されるのならば、それは神が死ねと言っていると同義。そう思い込み、実際にその命を奪われることすら厭わない集団。
罪を犯した『ペンタ』を裁こうとした際に起こる彼らとの軋轢は、この国では遥か昔よりずっと悩みの種となっているようだった。
それでも超越者そのものの絶対数が少ないため、実例も非常に少ないのが救いか。
しかし十五年ほど前、レインディール領を荒らし回ったとある『ペンタ』がいたという。アルディア王と騎士団によって捕縛されたそうだが、そこからは実に面倒なゴタゴタがあり、結局は処刑を実行することができず、その囚人は今も城の地下牢に収監されているらしい。
あまりこの宗教関連の話はしたくないようだ。ミアが努めて明るい声を上げて、話題を変えた。
「でもさ、ディノのやつ……あんだけ威張り散らしてたのにリューゴくんにやっつけられて、いい気味だよーだ!」
「実際、これからディノは裏の世界でも肩身が狭くなるでしょうね。……それに護送される馬車の中でも、びっくりするぐらい大人しかったし。とりあえずリューゴ、お疲れさま。さすがね、やっぱり」
「おう……」
ベルグレッテたちの回復がなければ、今頃は地獄を見ていたかもしれない。いや、回復の術に長けた兵士の人手が不足していれば、あのまま命を落としていた可能性もある。
流護はまだ少し痛む頭の傷を撫でた。
ディノ・ゲイルローエン。
実のところ、思っていたのとは随分と違う人物だった。
確かに危険な人間ではある。
しかし、あの男の目を思い出す。最初の軽薄そうな見下した目ではない。闘いの後半の、確かな……強い意志を秘めていた、あの瞳。
象徴といってもよかったはずの炎を無意識に捨ててまで向かってきた、あの気概。
何があの男をあそこまで奮い立たせていたんだろう、なんてことを思う。
そこで、ガチャリと部屋のドアが開け放たれた。
顔を向ければ――部屋の入り口に佇むは、いつも変わらぬ無表情の金髪メガネ少女。しかし今は、その頭や腕に巻かれた包帯が痛々しい。
「お……レノーレか。結構、派手に包帯巻いてんな。大丈夫か?」
「……これは念のため。……大丈夫、あなたに比べれば全く問題ない」
そういえばファーヴナールの件で入院したときにも、こんな風にレノーレが病室に入ってきたなあ……などとどうでもいいことを流護が考えていると、
「……ミア。一緒に、遊びに行こう。……ミア帰還記念」
「え? で、でも」
当の少女は複雑な表情を見せる。
……きっと、怖いのだ。
二度も白昼堂々と誘拐され、さらには昨日の今日。しかも、ここはディアレーの街。今だって、ベルグレッテにぴったりと寄り添っている。
「……ついさっき、みんなが来た。……エメリンも、ステラリオも、アルヴェリスタも……具体的には、エドヴィン以外みんないる。……だから、大丈夫」
その言葉に、ミアはかすかに吹き出した。
彼は流護と同じようにこの診療所のどこかで寝ているらしい。エドヴィン不遇だなあ……と流護が内心で同情していると、ミアが勢いよく立ち上がった。
「……よおおーっし!」
何だか随分と久しぶりにも思える、屈託のない少女の笑顔。
「じゃあ行ってきます! みんなにも心配かけちゃったし、あいさつしておかなきゃ!」
「ははは。おう、行ってこい」
ミアらしい笑顔だった。
「まずは二人とも、ほんとにありがとう! あたし、家族のためにがんばって学院出るっていう目標はなくなっちゃったけど……でもやっぱ、がんばって勉強して、ベルちゃんとリューゴくんに恩返しするからね! 気長に待ってくださいっ!」
「んっ。期待しないで待ってるからね」
微笑んで言うベルグレッテに、「ひどいよー」と涙目になるミア。
「でもほんと……二人とも、かっこよかった。あいつらをばったばった薙ぎ倒すベルちゃんとか、あたしが貞操の危機! ってときにばーんと登場したリューゴくんとか、もうほんと勇者さま! って感じで」
「え、あ。お、おう」
つい、流護はしどろもどろになる。
実は突入の十分ほど前に到着していたことは黙っておこう……と、少年は密かに誓った。
さすがに敵の数が多かったので、様子を窺いながらコソコソと廃工場の周囲を探っていたのだ。そうこうしている間にミアが本格的にピンチになってしまったので、正面から突っ込んだのである。
「ベルちゃんも行かない?」
「ん。私は、自分の包帯替えたりもしないと。あとリューゴのも。夕方には学院に戻るし、準備もしておかなきゃ」
「むむ、そっか……。じゃあ、なにかほしいものない? リューゴくんも。おみやげ買ってくるよー」
「んー……あ、じゃあせっかくだし、『フェテス』のベリータルトお願いしようかな?」
「はは。やっぱりベルちゃんも? 王都にも『フェテス』はあるけど、ディアレーのがおいしいんだよね」
「じゃあ、よく分からんけど俺もそれで」
「了解しました! それじゃ行ってきます!」
元気に飛び出していくミアと、包帯を取りに行くというベルグレッテを見送り、流護はまた少し横になることにした。
さすがに疲れているようで、一瞬で意識が落ちていくのを感じた。