678. 同じ憧れ
『結果として、リウチ選手の奪った打倒は一度だけ……。それに対して、エドヴィン選手は三度もリウチ選手を地に這わせています。単純な殴り合いでは競り勝ったと言いますか、形勢はエドヴィン選手に傾いていたかに思えましたが……』
エフィが一試合目の流れを振り返ると、アンドリアン学長がふぉっふぉっと己の白く長い顎ひげをさする。
『これこそ闘技の妙味ですのう。そのように押していると思いきや、勝敗は一瞬でひっくり返る……まさに、「闘いとは天秤」なり……』
ええ、と肩を竦めたのは。その隣のナスタディオ学院長だった。
『むしろ三度も打倒させていたからこそ、エドヴィンは意識的にせよそうでないにせよ自分の優位を確信し、リウチくんを深追いした。その結果、風使いであるリウチくんによって場外へ落とされてしまった。ある意味、まんまと転がされてしまったとも取れるわねー。レヴィン殿はどうお考えでしょう?』
話を振られた『白夜の騎士』は、淡い笑みを浮かべて応じた。
『そう、ですね……。対戦相手のエドヴィン選手……ですか。機を逃さず攻め立てる嗅覚と勇猛ぶり、学院生とは思えぬほどの気概……実にお見事でした。一方のリウチは昔から、窮地に陥っても緻密に計算された行動を取れる男でした。そんな持ち味がそのまま活かされた一戦だったのでは……と感じます』
ふん、とかすかな息をつくのは、さらにその隣のローヴィレタリアだった。
『リウチに関しては鍛錬不足が随分と露呈しておりましたがな、ホッホ。試合であったから良かったものの、これが野における実戦ならばどうなっていたか。彼にはこれを戒めに、自らを見つめ直していただきたいものですな、ホッホ』
(猊下、相変わらずリウチには手厳しいわね……)
満面の笑顔ながら、発せられる評定は苦言に等しい。かつて、その才に目をかけていたゆえの裏返しでもあろうが……。
それら解説席の会話を耳にしつつ、システィアナは懐中時計を確認する。
(今の試合時間は七分……。待ち時間が十分で……これなら、もう一試合後には……うん、いける)
ローヴィレタリアの評価はともあれ、リウチはやってくれた。一勝に加え、時間も充分。正直、これ以上ない。
(リウチ、本当にありがとう。恩に着るわ……!)
これなら――ひとまず三試合目にて、確実な一勝が手に入る。
『さてここで時間となりました! ではこれより、第二試合を行います! 二戦目を競う選手の方はお決まりでしょうか!? 三分以内に、試合場へとお越しください!』
待ちかねたような拍手が巻き起こる中、システィアナはその友人へと振り返った。
「じゃあさっきも話した通り、お願いできるかしら。――シロ」
男子と変わらぬ上背を誇る彼女、シロミエール・レ・オードチェスター。その端正な顔を仰ぐと、当人は今にも卒倒しそうな面持ちだった。
「はっ、すーっ、はぃっ……! で、でででも、わ、私なんかが……!」
長い脚を組んで座るマリッセラが、思わずといった様子で苦笑する。
「落ち着きなさいな。そんなに緊張していては、ろくに実力も出せなくてよ。貴女は実質、リズインティ学院の三番手みたいなものでしょうに。今この場を見渡したとて、貴女に敵う生徒などまずいなくてよ。どうしてそう自分に自信が持てないのやら」
その指摘はもっともだが、これがシロミエールという少女なのである。
幼い頃、右も左も分からぬバダルノイス神帝国にて心細い思いをした。そこを助けてくれた北方の英雄、メルティナ・スノウ。彼女に憧れるあまり、比較して自らを小さく見積もってしまう。
でありながらも、少しでもその憧れに近づくため研鑽を積んできた。
知識も豊富で、超自然的な感覚にも長けている。
未来のバルクフォルトにとって貴重な人材となるであろう詠術士の一人である。
「さあ、行ってらっしゃい! シロ!」
「わわ、わかりました……!」
後ろに回って両肩をぽんと押すと、一瞬だけビクリとした彼女は慣性に押されるかのように歩き始めた。
「おお! 次はシロミエールか!」
「これは二勝目ももらったわね! 頑張って~!」
級友たちの喝采を受け、
「ひーっ、す、すみませんすみません……!」
本人は背を丸め気味にして小走りで通路を抜けていく。注目や期待に耐えられなくなったらしい。
「っとに、シロったら……」
一見すれば頼りない。
しかし、彼女ほど盤石な人選はない。ただ優れた術者というだけではない。
こと、この規定の試合においては――もしかすれば、彼女に勝る者など敵味方問わずいないかもしれない。
それほど『相性がいい』のだ。
「さて、あちらは誰が出てくるかしらね。……もっとも」
言葉を切ったマリッセラが、その切れ長の目を光らせた。
「誰が相手であっても、シロミエールが勝つ可能性が高いわね。この方式の試合においては」
つい今しがたシスティアナが巡らせた思いを、マリッセラもまた同じように口にした。
『おおっと! ここで早速、リズインティ学院側より一人の女生徒が舞台へと降り立ちました……、おや! 彼女は、シロミエール・レ・オードチェスター嬢ですね! 弱冠十六にして「焦灼衝羽」の二つ名を授かった、有望な若き詠術士候補として王宮でも知られています! かく言う私も見知った間柄でして、そういえば三年生でしたね! お久しぶり〜、元気でしたか〜?』
そう語った解説席のエフィが気さくに手を振ると、試合場の隅に立つ長身の少女は恥ずかしそうに縮こまってしまう。怯えた表情からは「目立つからやめてください」との心の声が聞こえてきそうだ。
「おー、二戦目はシロミエールさんか。ま、ああ見えてただのコミュ症じゃないからな」
受ける声援に比例して縮こまっていく彼女を眺めながら、流護は噛み締めるように唸った。
「神詠術のことは分かんないけど……授業とか、指名されてもすぐ答えてたよね。……めっちゃオドオドしながら」
門外漢の彩花から見ても、それほどに優秀ぶりが明らかだったということ。
そもそも学院生の身ながら、すでに二つ名持ちの術者。先日の海岸で怨魔と遭遇した際の立ち回りからも、並の学院生レベルを優に上回っていることは確かだ。
「ふむ……。これは、勢いづいて本気で二勝目を取りに来ましたね」
腕を組んだクレアリアもそう評すると、試合場を見下ろすミアが鼻息をフンスコさせた。
「うーん! シロミエールさん、授業も実技もすごいんだよね! ……でもあんなになんでもできるのに、どうしていつも自信なさそうなんだろ?」
そんな疑問に答えたのは、物静かなその少女だった。
「……彼女には、目標とする人物がいる。……その相手が途方もない高みにいるから、比較して自分を小さく見積もってしまうんだと思う」
「……レノーレ……」
わずか目を丸くしたベルグレッテが名を呼ぶと、風雪の少女は音もなく立ち上がった。
「……彼女のことは、少しは理解できているつもり。……同じ人物を目標とする一人として興味もある。……私が行こうと思う」
「! ……分かったわ。じゃあお願いできるかしら、レノーレ」
「シロミエール殿が相手といえど……貴女ならば、何の心配もいりませんね」
ガーティルード姉妹の言葉にコクリと頷いた彼女が、しずしずと試合場へ向かって歩いていく。
「おおっ、こっちはレノーレか……!」
「何だか二人組同士の対戦が続くな!」
生徒たちの注目が集まるも、レノーレの無表情や静かな立ち振る舞いは常と何ら変わらない。周囲の歓声など聞こえていないかのようなマイペースぶり。シロミエールとは対照的だ。
「レノーレさんって、文学少女っぽい見た目なのに実はアクティブだよね……。性格は見た目通りっぽいんだけど、運動神経とかめちゃくちゃよくて意外っていうか。緊張とかも全然してないみたいだし……」
「そりゃあな……」
彩花の言を聞き、流護は思わず苦笑した。
学院生たちの中には、卒業後に宮廷詠術士となることを志す者もいるだろう。それこそ近頃のミアもそう公言しているし、神詠術学院へ通う生徒が抱く夢としては代表的なものだ。
そう考えると、レノーレほど特殊な生徒はいない。
何しろ、元・宮廷詠術士である。
とうにその立場で活躍していた実力者が、逆に生徒として在籍しているのだ。
それも、バダルノイスにて過去最年少でその座に就いた異才。
並であろうはずもなく、単騎での任務を得意とする一流の術士。
かつておよそ一月以上もの間、国家から追われるも凌ぎ続けたその手腕は流護としても唸るところだ。
「向こうもシロミエールさんでリードしに来たんだろうけど、こりゃさすがにレノーレが勝つわ」
もっともらしく言ってみる流護だったが、ダイゴスとベルグレッテの切れ者両名は神妙な面持ちで試合場を見下ろしていた。
「どう見る、ベル」
「……そうね。一戦目と違って、人選に迷った様子もなく即座にシロミエールさんを出してきた……。シスの采配だと思うけど、こちらの出場者を考慮するまでもないほどに、シロミエールさんに信頼を置いている……?」
確かにシロミエールはあちらにとって『鉄板』に違いないだろうが、ベルグレッテやクレアリア、レノーレに勝るかと言われれば疑問符がつく。
システィアナやシロミエール本人がそこを理解していないとも考えづらい。
(そうなると……ガチで自信があるのか?)
誰が相手でも勝てる。ゆえにノータイムで選出してきた。あの気弱な少女に、まだ流護の……皆の知らない何かがあるのか。
「シロミエールさんの『眠らせる術』って、人間にはほとんど効かないんだよな?」
誰にともなく口にした疑問には、試合場を見下ろすクレアリアが答える。
「ええ。正確には、一定以上の知能を有する生物には効果が期待できないという話です」
「はっはっ。俺には効くと言いたそうですな」
「別に思ってませんが……」
珍しい困惑顔である。先手を売ったつもりだったが、どうやら被害妄想だったらしい。
「もちろん、シロミエールさんはそれだけの詠術士じゃない……けど」
思案顔で唸る姉の傍ら、妹が平坦な眼差しで肩を竦めた。
「ひとまず、お手並み拝見といこうじゃありませんか」
『さぁここで、ミディール学院側からも一人の女生徒が試合場へ降り立ちました! 大人しそうな感じで、メガネのよく似合う女の子ですが……? 彼女をご紹介くださいますか、ナスタディオ学院長!』
『彼女は、レノーレ・シュネ・グロースヴィッツ。バダルノイスからの留学生よ。入学する以前の時点で「凍雪嵐」の二つ名を授かっていて……、まあ詳しい説明は長くなるから省くけど、あの子がただの大人しそうなメガネっ子でないことは、合同学習で一緒にやってきた皆ならよく分かってるでしょうね〜』
『なんと、バダルノイスの!? しかもあの若さで二つ名を! それは只者ではありませんね!?』
そんな解説を聞きつつ、システィアナは無意識に深い息を吐く。
「レノーレさんか……。ちょうどいいじゃない、シロ」
「……ちょうど……いい?」
たどたどしく反芻してくる隣席のリムに、システィアナは下方の二人を見つめながら告げる。
「シロがずっと憧れてるメルティナ・スノウ……。レノーレさんは、その従者。こんな機会、そうはないわ」
北方の英雄の付き人として見初められた人物に、己の力はどこまで通用するのか。目標としている人物にどれほど近づけたのか、それを具体的に知れる絶好の舞台。
「そうね」
同意を示したのは、横で脚を組み替えたマリッセラだった。
「実戦ならば、おそらくレノーレが勝るでしょう。けれど……この方式の試合において、シロミエールの力は抜群の効果を発揮する。断言するわ、レノーレは勝てなくってよ。シロミエールも、これを機にもっと自信を持てるようになればいいのだわ」
確信を抱いて言い放つ令嬢に、システィアナは笑みを返した。
「ええ。私もそう思うわ……!」
「レ、レノーレさん……!」
「……どうも」
両者、闘技場の中央へ歩み寄ってなお。
普段から言葉少なな両者の声は、周囲から降り注ぐ喝采にかき消されてしまいそうだった。
「……、――」
「……」
だが、問題はない。
これから交わされるべきは、言葉ではない。自らの誇りたる、主より授かった力。
「学院生らしく、正々堂々と競うように。では、位置についてっ」
先の初戦を受けてか、ドーワ判定員からはそんな忠言が添えられた。
二戦目を任された両名は、観覧席からの熱気に反するかのごとく静かに、しかし集中を高めて舞台端へと足を運ぶ。
「む」
「なに、どしたの流護」
「いや、シロミエールさんさ。さすがは二つ名持ちだと思ってな。レノーレが相手になっていつも以上にキョドってたみたいだけど、一瞬で表情が引き締まった。ちゃんとスイッチ入ってるな」
眼下の両選手を俯瞰しつつ彩花に答えると、被せ気味にエフィの広域通信が鳴り渡る。
『では第二試合! お二人とも、準備はよろしいでしょうか!? 学院生の身ながら、ともに二つ名を冠する実力者同士! 勝るは北国からの来訪者か、それとも西端の未来を担う者か! いざ――』
「始めええぇぇいィッ!」
まさにジャストのタイミングでドーワ判定員が野太い咆哮を轟かせ、全くの同時にレノーレが地を蹴った。
身を屈め気味の疾走で、瞬く間にシロミエールへと肉薄する。
「は、速っ!」
そんな彩花の驚愕と重なる形で、レノーレは素早く右の拳打を繰り出した。三十センチを優に超える身長差ゆえ、遥か高いシロミエールの顔には届きづらい。狙いは腹部、みぞおち。
そしてシロミエールもその点を理解しているか、腕で身体の前部を守るようにしつつ足捌きでレノーレの打撃を凌ぎにかかる。
細かいステップで、素早く小刻みに拳を見舞うレノーレ。やはり足を止めず、その疎らな連打を回避と防御でいなすシロミエール。
「うっわ! バリバリ格闘! し、しかも、さっきのエドヴィンさんよりすごくない……!?」
すっかり驚き役となった彩花に、流護は「そりゃあな」と苦笑する。
何せ、レノーレは実戦派の元・宮廷詠術士である。詠唱の間を稼ぐための、その職に見合った上質な打撃技術を持ち合わせているのだ。当然、体術においてもエドヴィンを大きく凌駕する。
そして、それに対応できるシロミエールもかなりのもの――ではあるが、
「! くっ」
流れるように、巧妙に。猫科の獣さながら軽快に一歩踏み込んだレノーレが、拳と見せかけて腕を振り、その場で横一回転。遠心力を利用した、カーフキック気味の足払いを放つ。パンチのフェイントに引っかかり横移動しようとしていたシロミエールはまんまと軸足を刈られ、よろけながらたたらを踏む。
「やっぱ地力とか引き出しの多さはレノーレが上だ。で、そろっと詠唱も終わるぞ」
エドヴィンやリウチと違い、彼女たちは格闘戦に終始する訳ではない。あくまでこの交錯は、詠唱の時間を稼ぐためのもの。
そして、発現した。
レノーレが真っ直ぐかざした右手のひらより、逆巻く雪の突風が発現。一直線に白の竜巻が突き抜ける。
「うっわ! 冷た!」
「こ、ここまで風が来たぞ……!」
観客席からワッと歓声が炸裂するほどの鋭い一撃。
「――くぅっ……!」
シロミエールは咄嗟に横っ飛び、しかし一撃がかすめて大きく態勢を崩し、石床に手をつく。が、その反動を利用する形で転がりながらレノーレの側面へと回り込む。弱気であまりアクティブな印象のないシロミエールだが、運動能力はかなり高い。
「手、ついた! てか、転がってるけど!?」
「あれぐらいだと、ダウン判定にはならんみたいだな。ま、実際効いて倒れてるとかじゃないし」
彩花と流護が会話する間にも、レノーレは身体を回して接近するシロミエールを捕捉。
横転の勢いを利用し死角から踏み込んでいたシロミエールは、レノーレに接触する寸前の間合いまで迫る。
「っ……!」
白い冷気が渦巻いた。そうと錯覚する一撃だった。
氷の煌めきを纏うレノーレの右裏拳が、すんでのところでシロミエールの鼻先をかすめる。
文字通り出鼻を挫かれた長身の少女は、体勢を崩しかけながらも大きく飛びずさった。
そのまま、中間距離でしばし見合う形となる。
「ふむ。危険を察知する能力もお見事ですね。お互いに」
クレアリアが何やら偉そうに腕組みをして頷く。
レノーレはしっかり気付き、シロミエールも欲張らず退いた。そんな双方の判断力。
「んでも、構図は決まったな」
動きが止まった。わずかながら、シロミエールの表情に翳りが見える。
短い交錯ながら、すでに理解したのだ。
レノーレと正面からやり合うべきではないと。
そうなると、試合の方向性――構図は定まる。
神詠術でも格闘術でも上回るレノーレに対し、最大の持ち味である睡眠の術を活かせないシロミエールはどう立ち回るか。
(てか、正直シロミエールさんが勝つのは難しいとしか思えないんだよな――)
そんな流護の考えを打ち破るように、シロミエールが一足跳びで再接近を試みる。
(いや、それは悪手……)
思ったより強情なのか、それとも他に手段がないのか。長身の少女はまたもレノーレへ肉薄。
だが、今度は攻防の形にもならなかった。
拳打のモーションを見せたシロミエールに対し、レノーレが冷風纏う右腕を一閃。
「っ!」
白い破片が散る。先ほどよりも速いカウンター。シロミエールも今度は躱すことができず、どうにか両腕で咄嗟に防御。押し返される形で後退する。
本来、身長差を思えば接近戦はシロミエールに分がある。だが、それを覆すほどのスピードと技術がレノーレにはあった。
近づくのは無謀。シロミエールもこれで完全に悟ったはず――
とん、と。
そんな音が聞こえた訳ではない。
が、そう比喩できそうな光景だった。
「え?」
それは誰の声か。
不意のことで分からなかったが、そんな驚きが漏れる理由は明らかだった。
シロミエールが接近できず飛び退いた。
その直後、レノーレが手をついたのだ。
試合場の石床に、片膝を曲げて。跪くように。
「? 何だ、滑ったか? ま、ダウンじゃな――」
「レノーレ、打倒――ッ!」
流護の感想をドーワ判定員の野太い宣告が寸断し、歓声が爆発した。




