677. それぞれの余韻
二転、三転なんて言葉がある。
しかし今この状況、それを優に数倍しているに違いない。
「――……、……~~ッ」
凄まじい勢いで天地を入れ替えながらも、やがて静止したエドヴィンは何とか手を地につけて膝で立つ。
(ッ、が、息が……、止まる、かと、思ったがよ……!)
思いっきり飛ばされた。こうなれば打倒は宣告されているはずだが、聞く余裕もなかった。されども、まだ十秒も経ってはいないはずだ。
散々に転げ回ったおかげで頭がクラクラする。しかし、意識はまだある。行ける。立てる。
それどころか、
(ヘッ、面白く……なって、きたじゃねーかよ……! いいぞお前! やるじゃねーかッ……! もっとやり合おうぜ――!)
転がっている間も惜しい。早く続けたい。
短く揃った草の大地に手をついて、その反動を利用するかのように一呼吸で立ち上がる――
「そこまでエェ! 勝負有りィッ! 勝者、リウチ・ミルダ・ガンドショールッッ!」
轟くはドーワ判定員の宣告。
そして、喝采が爆発した。
「…………あ?」
呆然と立ち尽くすエドヴィンは、思わず周囲を見渡した。
妙に視界が狭いのは、散々に殴られてまぶたが塞がってきたからか。そんなことにも今更気付く始末。
それよりも――
何だ? 終わり? 負けた? 立ち上がるのが遅かったのか?
一瞬の間を置き、試合場から見下ろしてくるリウチの視線に気付く。
やや離れた位置に佇む彼は疲れ果てたような顔で溜息ひとつ、踵を返しリズインティ側の観覧席へと向かっていく。
「……っとォ、そーか……」
そういうことだ。『見下ろされる』立ち位置。
今、エドヴィンがいるのは――試合場となる石畳の外。舞台からやや離れた、芝生の上だった。
『第一試合、決着――! リウチ選手の放った風術によって、エドヴィン選手が試合場の外へと吹き飛ばされ転落……! 場外判定により、リウチ選手の勝利となります!』
響き渡るエフィの通信と降り注ぐ拍手の雨を聞きながら、『狂犬』はようやく全てを理解するに至った。
「選手退場!」
早く出て行け、の言い換えにも聞こえるドーワ判定員のぶっきらぼうな宣告を聞きつつ、ようやっと足を動かす。
(ちっ、身体中が痛ぇ……)
まだまだやれるつもりでいたが、冷静になってみれば全身ボロボロだった。決定打となった風術をまともに受けたせいか、歩くのもしんどい。
『まずはリズインティ学院が一勝! 続く二試合目は十分後に開始としますので、皆様ご準備をお願いいたします!』
エフィの通信を聞き流しつつ、ミディール学院側の客席へと続く階段に足をかけると、級友たちが拍手とともに迎えてきた。
「うおーエドヴィン、惜しかったぞ!」
「負けちまったけど、すっげぇ試合だったな! ほとんど殴り合いだったけど! ヒャー、顔ボッコボコじゃねーか!」
「でも、最初の反則はどうかと思うけど! しっかり強いんだから、次からは正々堂々とやりなさいよ!」
意外と、罵声は飛んでこなかった。
「……、」
開幕から意図的な規定違反、神詠術をまともに使わない展開、そして敗北。もっとボロクソに言われるものだと思っていた。いささか拍子抜けする。
そんな中、席から立ったステラリオが興奮気味に小走りでやってきた。
「ちっくしょう、実質お前の勝ちだったってエドヴィンよぉ! 打倒だってお前の方が多くさせてたし、今だってすぐ立ったし、場外判定なんてもんがなけりゃあよ〜……!」
自分のことみたいに悔しそうにまくし立てる悪友へ対し、当のエドヴィンはゆるりと首を横へ振った。
「みっともねーこと言ってんじゃねー。負けは負けだろーよ……」
定められた規則の中で勝ちを掴めなかった。自分に、そこまでの力はなかった。それだけの話だ。
実際、こうして喋るにも口の中が痛い。さっさと倒れ込んでしまいたい。手ひどくやられたものだ。
「そ、そうは言ってもよ〜!」
納得のいかなそうなステラリオを引き連れていつもの面々の下へ戻ると、真っ先にベルグレッテが駆けつけてきた。
いかにも心配げな様子の彼女に、まずは言うべきことを言う。
「悪ィ。負けちまった」
「ううん。気迫を感じる、とてもいい試合だったわ。……最初の反則以外はね? ひとまずはお疲れさま。とにかくこのまま医務室へ行って、すぐにケガの手当てをしてもらって。ステラリオ、付き添ってあげてくれる?」
「おう、任せとけ!」
「あぁ? んな大げさな……」
強がって難色を示すと、座ったままの妹のほうがジト目を送ってきた。
「ほう。では、この場でとくと貴方の試合についての品評でも聞かせて差し上げましょうか。言いたいことは山ほどありますよ?」
げっ、と呻いたエドヴィンは、大人しく姉の提案に従うことにする。踵を返し、医務室の方面へ足を向けて。
「……お疲れ様。……いい勝負だったと思う」
「惜しかったの」
「オウ……」
ちょうどそこに横並びで座る言葉少ななレノーレとダイゴスには同じように短く応じ、
「エドヴィン、頭大丈夫!?」
「第一声がそれかよ、ミア公……」
「あっ、違うよ! ぼこぼこ殴られてたから、大丈夫かなって思ったんだってば!」
一応は気遣ってくれているらしい賑やかな少女には、苦笑を返しておく。
「ヘッ。あんなヘナチョコ拳が効くかってんだよ。心配ねー」
いやはや、効いた。
小狡く術を隠していたとか、実は拳打法の使い手だったとか、そんなのは大した問題ではない。
後半、あのリウチは明らかに『変わった』。
こんな短い試合の最中でどんな心境の変化があったのか――少なくとも当初思っていたような、ただの軽薄な軟派野郎ではなくなった。
(おかげで、面白ぇケンカになったがよ。ケッ、強かったぜ)
そして完敗だった。
つまるところ、相手の方が上手だった。
そんな一戦となった。
(……ったく、まだまだだぜ。俺もよ……)
通路を抜け際、後列に座っている流護と視線が交わる。
「…………」
こちらから何か発することもなく、そして彼もまた言葉をかけてくることはなかった。
「えっ、流護……エドヴィンさんに何か言ってあげないの?」
無言で見送ったことが引っ掛かったのか、隣の彩花が困惑気味に尋ねてくる。少年はというと、ステラリオに肩を貸されて退場していく『狂犬』の後ろ姿を見つめながら答えた。
「勝てばハイタッチぐらいはしたと思うけど……負けちまったからな。俺から言うことは特にねえよ」
「えっ! 冷たいんだ!」
「違うって。エドヴィンからすりゃ、俺は目標な訳でさ。今回、その目標の目の前で負けちまって……そこで俺が何か言ったって、上からみたいになっちまうっていうか慰めにもならんだろうし……。つーかまずエドヴィンって、そこで気とか遣われて喜ぶ奴じゃ絶対にないしな」
一年の時をともに過ごしてきて、少しはあの悪童の性格も理解できているつもりだ。というより、こうした点においては自分とよく似ていると流護は思う。下手な慰めや同情などいらない。そう考えるはずだ。
「うーん……でもエドヴィン、本当に惜しかったよね! 押してたと思うもん!」
ミアが感情豊かにフンスコすると、脇のダイゴスが唸る。
「その点、あの伊達男が上手く規則を活かしておったと言わざるを得んの」
「……うん。……エドヴィンは、意図的に誘導されていた」
レノーレに言われ、ミアは「どういうこと!」と目を丸くした。すると、隣のベルグレッテが引き継ぐ。
「リウチさんは、エドヴィンの拳を躱しつつ下がり続けて……試合場の端へと移動していたの。その立ち位置を考慮したうえで……」
「あの、さっきのすごい風の神詠術を使ったってこと?」
「ええ」
少女騎士は驚き顔の彩花の言に頷く。
「疲弊により精彩こそ欠いておったようじゃが、元は白波を割るほどの一撃じゃからの。あの場で貰わば、場外への転落は免れん」
ダイゴスが言い切ると、レノーレも小さく頷く。
「……あの術は、浜辺でアバンナーと闘った時に一度見せたもの。……それなのにまともに受けて場外に飛ばされてしまったのは、完全にエドヴィンの落ち度だと思う」
親しいがゆえであろう、やや厳しめな感想を添えつつ。はえー、と感心したミアの傍ら、続く推測を発したのはクレアリアだった。
「ただ……決着の直前にエドヴィンが放った、爆発を伴う拳。あの初撃に対し、リウチ殿は防御しようと身構えたように見えました。結果として躱しましたが、どちらかといえば体勢を崩してしまったことで偶然外れた風にも見えましたね。仮に、あのまま防御するつもりで受けていれば……」
珍しくも、少しエドヴィンを擁護しているようにも聞こえる発言。だが、この辛辣な彼女から見ても、それほどに惜しい場面だったということ。
「……だな。サベルを参考にした爆発の拳、か。大雑把に炎を出すしかないと見せかけといて、あそこまで温存した。これまでの闘い方からただのパンチだと思わせることには成功してただろうし、だからこそリウチさんも普通に防ごうとした。布石は十分だったし、確実に当たるはずだった。けど――」
言いながら、流護は高い天井を仰いだ。
まさに勝負は時の運。どちらに転んでもおかしくはなく、結果として勝利の女神はリウチに微笑んだ。
「はぁー……、そなんだ……。エドヴィンさん、悔しいだろうなぁ……」
感情移入したらしい。彼が消えていった出入り口を遠目に眺めて、彩花が小さくぼやいた。
「まあでも、こんなことで腐って止まる奴じゃねえよ。今のエドヴィンはさ」
きっと今回の敗戦も糧として、更なる高みを目指していくだろう。
自然と迷わず、流護はそう確信することができた。
「やったな、まずは一勝! しっかしドロドロの試合だったなおい〜!」
「リウチくんらしくなかった気もしたけど……勝ったわね!」
「やだ、リウチくんの顔、腫れてる! 大丈夫!?」
級友たちに軽く手を振って応えつつ、青年は観覧席へと軽快な足取りで戻った。
「リウチ……!」
勝利の空気に誰もが高揚する中、いかにも心配げな顔で寄ってくる少女が一人。
「よう、シス。とりあえず勝っておいたぞ。あとは残りの皆で上手くやってくれ」
散々に切れた口腔の痛みを押し、平静を装いながら言い捨てると、近くで優雅に座るマリッセラが平坦な視線を送ってきた。
「全く。そんなにも満身創痍になっておいて、何を格好つけているのやら」
「はっ、盛り上げ上手と言ってくれないか」
軽口を叩きながら、実に滑稽だなとリウチは自嘲する。
少なくともマリッセラやシスティアナが見れば、本当に苦戦していたことなど一目瞭然だ。
何より、最も格好悪いところを見せたくない相手であるシスティアナにばれているのだから、全くもって意味のない虚勢だった。
「ひっ、ひぇ~~っ、だ、大丈夫です!? はっ、早く医務室へ行ったほうがいいかもです……!」
シロミエールは自分のことのようにあわあわしているし、その脇のリムも目を丸くしてこくこくと頷いている。自分で自分の顔が見えないから分からないが、結局のところ誰の目から見ても明らかなほどやられているらしい。伊達男が台なしだ。
変わらずジト目を送ってくるのはマリッセラで、
「そうよ。貴方の姑息な規定違反が盛り上がりでうやむやになっているうちに、早々とこの場から退散なさいな」
「熱さで誤魔化したと言ってくれ。ったく、どいつもこいつも大袈裟だな……。ま、いいさ。ここにいては落ち着けそうにもない、大人しく医務室で休ませてもらうさ。次の出場者には、より盛り上げてもらって俺の戦略については忘れてもらおう」
背を向けると、
「リウチ……ありがとう」
昔なじみと呼べる少女の、試合中の応援とは打って変わった弱々しい声には、振り返らず片手のみを上げて応えた。
級友たちの喝采を受けつつ出入り口へ向かう道すがら、中途の観覧席にどっしりと座るその男が視線を向けてくる。
「フッ、手酷くやられたな。リウチよ」
「そう見えるかい、オルバフ」
「ああ。ミディール学院の『狂犬』か……。どうやら、本番で実力以上のものを発揮してくる手合いのようだ。俺が闘っても、果たしてどうなっていたか」
「へぇ。随分と買うじゃないか、お前さんほどの男が」
「それは実際に闘ったお前自身がよく分かっているんじゃないか?」
重くなったまぶたで、ミディール学院側の客席を窺う。どうやら『彼』も医務室へ向かったのか、その姿を確認することはできなかった。
(分かっているさ……。これが『試合』ではなく、『実戦』だったなら……今頃……)
リウチは意図的にエドヴィンを端へと誘導し、狙い通り試合場の外へと吹き飛ばした。
だが、実戦には場外判定など存在しない。
仮にこれが、命を懸けた果し合いだったなら――
(……ったく、参るね)
どうにか、システィアナのために催し上での勝ちは獲得した。
ただ、それだけ。
「これを機に、そろそろ真剣に訓練を再開してみてはどうだ? その才、腐らすのはあまりに惜しかろうて」
「ハハ……考えておくよ」
同じ風使いの有望株にそう答え、出入り口を目指す。
未だ興奮冷めやらぬか、周りからは拍手喝采がひっきりなしに飛んできた。
「リウチ、いい試合だったぞー! 殴り合いばっかだったけどさ!」
「真面目にやれば強いんだよなぁ、やっぱり」
「がむしゃらに闘うリウチくんも、かっこよかった!」
……ああ、悪くないかもしれない。
真剣に頑張るだなんて馬鹿らしいと思っていたが、誰かがそれを認めてくれるのなら。
(今からでも……遅くないものなのかねぇ――)
ここからは遠い解説席。
そこに座して周囲の者たちと何やら語る親友の姿を横目にしつつ、リウチは観覧席を後にした。




