674. 心の底では
「ったく! 少しは佇まいに落ち着きが出たかと思えば……!」
「……でも、エドヴィンらしいと思う」
頭を抱えそうなクレアリア、むしろ安心感らしきものすら垣間見えるレノーレの対比。
「なんて奴なの! 負けちゃえ!」
「リウチさん、頑張ってー!」
先のエフィの通信ではないが、本来なら味方であるミディール学院の女子たちからもそんな野次が飛ぶ始末である。
そうした傍らで、ベルグレッテが顎下へ指を添えた。
「エドヴィン……リウチさんとの合同学習では積極性に欠けていたし、あまり会話もないようだったけど……」
困り眉でぼやく少女騎士に対し、流護はしたり顔で言ってやる。
「いや、俺は何となく分かったぞ。悪役演じてんだよ」
「ヒール?」
「ああ。敢えて嫌われ役を買って出たんじゃねーかなって」
流護としてはちょっとだけウキウキだった。
親睦会にも等しい交流試合、互いに憎しみ合って闘う訳ではない。しかし、どうせやるならこれぐらいの『バチバチ』はあっていい派である。そしてエドヴィンほど、こんな役どころが似合う男はいない。
「はっはっ。こういうのでいいんだよ」
「なんであんたちょっと満足そうなの!? ブーイングすごいし、一気に空気悪くなっちゃってるんですけど!」
彩花は周囲で殺気を膨らませる女子たちに怯え気味だった。
「んでも皆、一気に試合が楽しみになってるだろ。エドヴィンなりに、上手いこと盛り上げようとしてんじゃねえかな。ま、一種のプロレスよ」
得意げに持論を展開してみる格闘家少年だったが、そこで反応したのは意外な人物だった。
「うーん。でもエドヴィンって、そこまで考えるやつじゃないと思うよ……」
『狂犬』とは犬猿の仲たる小動物ことミアである。
「そうですよ。それに盛り上げるなら、もっとましなやり方もあるでしょうに」
おかんむりなクレアリアも追従する。
「いやでもさ。そうなると、エドヴィンがあんな急にリウチさんに敵意剥き出しになるのもおかしいだろ。ベル子じゃないけど……あの二人、まともに喋ってんのすら見たことないぞ」
合同学習でコンビこそ組んでいる彼らではあるが、その関係性を一言で表現するならば『無関心』。
互い、好感や反発を抱く段階にすら至っていない。それほど希薄な間柄に見えた。
「ふむ。真意はどうあれ……始まるようじゃの」
普段通りのダイゴスが「ニィ……」とおなじみの笑みを深める。
闘技場の端と端。エドヴィンとリウチが両極へ位置取ったことを確認した審判は、石畳から降りて大きく右腕を掲げた。そこにエフィの通信が被さる。
『さあ、殺伐とした空気が漂う中、いよいよ第一試合が始まります! 遠い間合いで見合う両者! いざ――』
双方の距離は二十メートルほど。
事前の詠唱は禁止されている。つまり、開幕直後にどう動くか。その場で詠唱を始めるのか、それとも接近戦を仕掛けつつ術の準備を進めるのか。試合が始まるや否や、それぞれの戦略が試される展開となろう。
「始めええぇぇぃッ!」
ドーワ判定員の一声は、広域通信でないにもかかわらず朗々と場内に轟いた。
直後。
赤熱する火球を右手に顕現したエドヴィンが、盛大に振りかぶってそれを遠投。
瞬く間に己へと迫る一撃にリウチが目を見開いたのと、着弾による噴煙が巻き起こったのは全くの同時だった。
一拍遅れて、観客席に驚きの悲鳴が木霊する。
『うわあぁーっ! エドヴィン選手、開始の合図と同時に強おぉぉ烈な火球をお見舞い――……っ、て、あれ……? ちょっと待ってください、エドヴィン選手って、詠唱なしであんな強力な術を撃てるんですか……?』
ハッとした様子のエフィが、横並びで座るナスタディオ学院長へ目線を向けると、
『いやー、撃てないわねー。詠唱保持もできないぐらいだし……』
『ってえええぇ!? じゃあ反則だぁー! 反則ゥ――――! エドヴィン選手、試合開始前に詠唱していたということになります! いけません! 事前に説明した通り、これは禁じられています! 開幕からいきなり堂々と反則行為に打って出たぁ〜〜っ!?』
エフィの絶叫を受けて、事態を把握した女生徒たちの間にまたも混沌が舞い降りた。
「はああぁー!? うそ!? 何してんのこの狂人!」
「規則理解してないの!? この期に及んで!? 言葉分かんない人!?」
「いや、リウチくんは無事!?」
無論、怒声を渦巻かせるのは彼女らだけではない。
「こぉのおおぉ!? 何をやってるんですか何を! 出場を認めた姉様の顔に泥を塗るような真似をして! この駄犬がァ!」
クレアリアはもはや憤怒の化身へと変貌している。口から炎でも吐きそうだ。水属性の人なのに。
「悪役を『演じようとしてる』の……? あえて……?」
引きつった彩花の目線には疑念しかない。
「いや、うん……秒で思いっ切りスキャッターボム撃ったな……。この距離だと、さすがにベル子でも『揺らぎ』は見えんかったか」
「ええ……」
神詠術を扱う際、術者の周囲には原則として空気を震わせる『揺らぎ』が発生する。これを意図的に隠すことも技術のひとつではあるが、もちろん(?)エドヴィンにそんな腕はない。
ダイゴスがうむと唸る。
「離れ過ぎとるの。解説席はもちろん、審判からも『揺らぎ』は見えてはいまい」
「……第三者の誰からも見えない距離を作ることで、観戦の緊張感を増す仕組みなんだと思う」
レノーレが呑気にそう補足した。
「……ってことは、あんだけ遠くにいるリウチさんも気付かなかったはずだよな……」
開始位置の両端は、それほどに離れている。
ともあれ、薄らいでいく粉塵の向こう側に全員が注目する。
「まずいですよ……リウチ殿の状況によっては、こちらの反則負けになりかねません……!」
彼の身の安全より試合の行方を心配するあたりが実にクレアリアっぽいが、実際のところ没収試合となりかねない暴挙だ。
土煙が収まり――、やがてそのスラリとした影が露わとなる。
「……ったく、いきなりやってくれるねぇ……」
両腕を掲げたリウチが目を細め、頬の端を引きつらせながら立っていた。
(! 無傷、か……)
流護は思わず眉をひそめる。
『お、おおーっ! リウチ選手、無事です! あの凄まじい一撃をどうにか凌いでいた模様! 一安心ですね、レヴィン様、猊下! ……って、あれ? お二人とも、あまり驚かれたご様子ではありませんね……?』
エフィの指摘通り、バルクフォルト最上位の両名はリウチの健在が明らかとなっても、さしたる反応を示さなかった。
レヴィンが曖昧に頷く。
『……ええ、まあ。リウチは、こうした局面にも慣れていると言いますか……。しかし……』
何か言い淀む英雄の一方で、ローヴィレタリア卿はわずかに目を眇めた。
『……まんまと嵌められおったな』
『えっ? 猊下?』
『ホッホ。いえ、こちらの話ですぞ。しかしこれは……ホッホ』
取り繕ったような笑顔で、やや言いづらそうに試合場へと注目する。
直後、大声が響いた。
「エドヴィン・ガウル! 警告だ!」
試合場の外側に立つドーワ判定員が、厳めしい顔で人差し指を立てて宣告した。
『おおっと、ここでエドヴィン選手が警告を受けました! いや当然ですけど! 警告は二回までです! もう一回警告を受けると、その時点で負けとなります!』
――そして。
「リウチ・ミルダ・ガンドショール! 警告だ!」
判定員は同じように指を立て、彼に向けても言い放つ。
『え!? どうしてリウチ選手も警告を!? 攻撃された側ですよ!?』
場内もどよめく。ややバツの悪そうな顔のレヴィンが告げた。
『……いえ。ドーワ判定員の裁定は間違っていません。リウチも、「防ぎ」ましたから――』
『あっ……!』
エフィがその意味に気付き、場内のざわめきも大きくなった。
「……姉様。これは……」
「ええ……」
ガーティルード姉妹も神妙な顔で頷き合う。
「え、なに? どういうこと?」
目を丸くして尋ねてくる彩花へ、流護は動きの止まった試合場を見つめたまま説明する。
「エドヴィンは事前に詠唱してなきゃ出せないぐらい強い術を撃った。リウチさんはリウチさんで、そんな一撃を無傷で防いだ……」
脇で聞いていたミアがピンと背筋を伸ばす。
「あ! リウチさんも、前もって防御術を詠唱してたってこと!? そっか、それもだめなんだ!」
「そゆことだな」
エドヴィンが密かに攻撃術を備えていた一方、リウチは同じく防御術を用意していた。攻撃や防御に関係なく、事前詠唱そのものが禁止。どちらも等しく反則行為。
ゆえに、レヴィンとローヴィレタリア卿も微妙な面持ちを見せたのだ。
「えっ、えー! リウチさん、あんなさわやかだし反則とかしなさそうな人だけど……!」
「……そんなのは、分からない」
驚きの彩花には、レノーレがぽつりと呟く。
「えっ?」
「……人なんて、心の奥底では何を考えてるか分からない。……あの人の普段の態度が、本当の顔だとは限らない……」
泰然と腕を組むダイゴスが「ニィ……」と笑みを深めた。
「あの二人……存外、似た者同士やもしれんの」




