673. 出来損ない
『おおっと! たった今、ミディール学院側より一人の男子生徒が試合場へと降り立ちました! 彼は何者でしょうか? ナスタディオ学院長、ご紹介をお願いいたします!』
『おー、早速来たわねー。彼はエドヴィン・ガウル。ま、そうね~……見ての通りの子よ』
『ええっ、やや雑では!? ですが、確かに! 二百余名もの人数が注目する中、この堂々たる佇まい! ふてぶてしくすらある面構え! 緊張している様子はまるで見受けられません! 開幕戦を飾るに相応しい胆力の持ち主ということでしょうか、度胸は充分だ! さて、実力のほうはいかほどか!?』
乗ってきたエフィの弁舌を聞きつつ、システィアナは試合場に堂々と大股で立つ彼を見やった。
「ふんむ、まずエドヴィンくんか〜……。出場するだろうとは聞いてたけど、早速ってわけね」
「ど、どど、どうしましょう?」
普段通り弱気なシロミエール、無言で見上げてくるリムに視線を送りながら、システィアナは懐中時計を取り出して確認した。
(……あと三十分ぐらいね……)
「うわーっ、早速来たぞ……ミディール学院の『狂犬』が……」
「まぁ、こないだ出るって言ってたからな……」
「予想はしてたけど、初戦からかぁ……」
級友たちも弱気に囁き合う。ここまでの合同学習を経て、今やこの相手の力量を疑う者はいないだろう。初っ端から、紛うことなき難敵だ。
「システィアナ、どうするつもりでいて?」
涼やかな声音で尋ねてくるのは、一歩離れた席で優雅に腕と脚を組むマリッセラである。
「相手は駄犬だけれど、調子づかせると厄介だわよ。わたくしが知る頃より、多少は腕も上げているみたいだし」
常々まるで情け容赦のない、あまりに正直すぎる物言いをするマリッセラだが、そんな彼女が「厄介」と口にした。であれば、それは極めて確度の高い忠言となる。
そしてもちろん、システィアナも理解している。エドヴィンが相手の時点で、勝てる人選は限られる。こちらが出し得る選択肢は大幅に狭められる。
「こうなったらばシロミエールが適任ではなくて? 貴女なら、ほぼ完封できると思うわよ」
「えっ、え!? すーっ、わ、私ですか……!?」
相も変わらず自信なさげな彼女だが、その提案に間違いはない。学院生の身、それも一年前の時点にて『焦灼衝羽』の二つ名を授かっている優れた実力は伊達ではない。誰よりも本人こそが己の実力を過小評価しているだけなのだ。
シロミエールならば鉄板、エドヴィンが相手であっても一勝は固い。しかし――
「そいつはもったいないんじゃないか?」
そんな感想を述べつつふらふらとやってきたのは、やや離れた席に居座っていたはずのリウチだった。
「あまり序盤に強すぎる札を切ってしまうのもな。いいよシス、俺が行こう」
「! リウチ、あなた……いいの?」
「気が向けば出る、と言っていたじゃないか」
それは前もって話していたことだった。あちらは、ほぼ確実にオルバフが出ると想定し、それを元に対策を練ってくるはず。そこを外すための一案。
申し出てきた気だるげな級友に対し、マリッセラが胡散臭そうな目を向ける。
「あら、本当に出るつもり? いつもの放言ではなかったの? 貴方……普段、ろくに訓練もしていないのではなくって? 大丈夫なのかしら?」
「大丈夫さ」
飄々と、青年は言ってのける。
「――あのお兄さん程度が相手ならね」
気まぐれな風のように軽やかな足取りで、試合場へと向かって歩き出した。
そんな彼の背中を、物珍しげにリムが見送る。おそらくは心境を同じくしたマリッセラが、眉をひそめて呟いた。
「……珍しいわね。『やる気』のようだわ」
リウチ・ミルダ・ガンドショール。一見すれば眉目秀麗な好青年、その実情は不真面目でいい加減で女好き。
持ち前の明るさと人当たりのよさから級友たちとの関係も良好ではあるが、普段の素行を考えると問題児である。
しかし、彼がそうなってしまったのには理由があることをシスティアナは知っている。
「……、」
システィアナは無意識に、解説席へ座るその姿へと目を滑らせた。
(……レヴィン様……)
今や稀代の英雄とまで称され、この大陸で知らぬ者はいないであろう存在。あまりに輝かしくなった友の隣に、並び立つことができなくなってしまったから。追いつけないと……自分では支えられないと、悟ってしまったから。
全てを諦めたリウチは、目標を見失い何事に対しても軽薄に振る舞うようになってしまった。
それが板につき、彼の『我』となって、違和感を覚えなくなったのはいつからだったろう。
分け隔てなく明るく。深入りしない。情熱を傾けない。浅く広く。のらりくらりと躱し、誰とも衝突しない。
そんな彼が言ったのだ。
『大丈夫さ』
『――あのお兄さん程度が相手ならね』
明確な敵意。
もしくは、嫌悪感にも近しい何か。
「合同学習を見ている限り、特に衝突などもしていなさそうだったけれど」
訝しむようなマリッセラの言は確かだ。
「……そうね。それどころか、むしろ……」
無関心。合同学習の際、必要最低限の会話ぐらいしかしていない。そんな印象だった。
三週間の期間を経てほとんどの二人組はその仲を深めていたが、リウチとエドヴィンに関しては互いがともに興味すら示していなかったように見えた。
「おおっ? リウチか!」
「って、どういう風の吹き回しだ? 大丈夫なのか~!?」
仲間たちから沸き立つ歓声に、彼はひらひらと適当に手を振って応える。
「はは、ただの点数稼ぎさ。シスには怒られてばかりだからな、たまには手を貸しておくだけの話だよ」
普段と変わらないいい加減さで。
そして、躍るような軽い足取りで階段を下ったリウチは躊躇なく試合場へと降り立った。
『さあここで、リズインティ学院からも候補者が舞台へ入場しました! さて、この男前の彼は……? アンドリアン学長、ご紹介をお願いします!』
『ふぅむ……あー、そうですな……ここは私より、レヴィン殿の方がお詳しいでしょう』
と、学長は同じ列に座る『白夜の騎士』へと水を向けた。
その対応に一瞬だけ戸惑ったような雰囲気を見せた英雄が、気を取り直したように広域通信へと声を乗せる。
『あっ、は、はい。……彼は、リウチ・ミルダ・ガンドショール。バルクフォルトの方ならご存じとは思いますが、オートゥス公爵の子息にして……僕の、幼い頃からの親友です』
よせよ、とでも言いたげに肩を竦めるリウチ。驚きの声は、ミディール学院側の観客席から上がった。
「えっ!? レヴィン様の!?」
「まぁっ、そうだったの!? お二人揃って美男なのね……尊いわ……」
そうなのだ。リウチが全く公言しようとしないため、隣国の皆が知らないのも当然のこと。
『彼の神詠術の才覚は、幼い頃から非凡なものがありました。怠らず研鑽していけば、きっと我が国にとって欠かすことのできない詠術士となるはずです……』
『なるほど! オートゥス公爵のご子息が学院の三年生であるとお聞きしてはいましたが、この方が! あまり似てはおられないようで驚きです!』
システィアナの他に気付いた者が、この場に何人いるだろうか。レヴィンの今しがたの言葉が、彼の願いそのものであることに。
そんな数少ない『気付いた者』であるはずのリウチ当人は、まるで聞こえなかったかのように装って周囲の女子生徒たちへ手を振り返している。
その様子を細い眼で眺めたローヴィレタリアが、やれやれと言いたげにかぶりを振っていた。
『では、初戦の組み合わせが決定しました! リウチ・ミルダ・ガンドショール対、エドヴィン・ガウル!』
「よもやリウチ殿とは、意外ですね。しかも、レヴィン殿と友人関係にあったとは……」
「ええ……」
ガーティルード姉妹も知らなかったようで、揃って目を丸くしている。
「全然、そんな話も聞かなかったよね……」
「まあ、何となく言いそびれてたのかもしれんが」
彩花も、もちろん流護も初耳だった。
「うーん! レヴィン様と友達ってことは……リウチさんって、実はすごく強いの!?」
ミアが率直な疑問を口にする。
「普段の実演とか見てる感じだと……まあ、そんなに……って感じだったな」
流護の感想としては、茶を濁すようなその一言。特別、何か語るようなこともないという印象。
「そうね……あまり熱心には見受けられなかったわね」
ベルグレッテもそう評する。
とにかく様々な生徒がおり、もちろん中には今ひとつ成績が奮わぬ者もいる。それはそれで仕方ない。
しかしリウチの場合、適当に流しているような――少なくとも、真面目に取り組んでいるとは言い難く、それがそのまま結果に表れているような感じだった。
「……ただ、それでも無難に講義をこなしている……そうと言い換えることもできるけど」
「ん……、言われてみりゃ……」
思えば、いつだったか。流護も、ふと脳裏によぎった覚えがあった。
不真面目な姿勢ながら脱落者の多いリズインティ学院で三年生までやってきているリウチは、実はすごいのではないかと。
ふと視線を転じると、レノーレとダイゴスが無言で試合場を見下ろしている。
「どした? 二人とも静かじゃん」
普段から言葉少なな両者ではあるが、特に今は試合場を……正確には、舞台に降り立ち周囲の声援に応じるリウチに注目している。
「……こういった場に出る性格ではないと思っとったが……こうなると存外、面倒なことになるやもしれん」
「……うん。……あの浜辺での立ち回りを見る限り、あの人は……」
どうかしたか、と問う間もなく。目下の闘技場で両者が動いた。
「……お前かよ。どーゆー風の吹き回しだ?」
試合場の中央へ歩み寄りながらエドヴィンが飛ばした問いに対し、
「さてね。風ってのは、気まぐれなのさ。どう吹くかなんて、当人にも分かりゃしない」
同じく歩を進めてきたリウチは飄々と笑う。
審判を務める中年男性ことドーワが舞台に上がり、二人の間に立った。
「これより、模擬戦第一試合を行う。準備はいいな?」
熟練の判定員は厳めしい眼光で、これから干戈を交える両者を見比べる。
「あいよ」
リウチはいつもの調子で応じる。一方、
「…………」
エドヴィンは無言でこちらを睨めつけていた。
「そう睨みなさんなって。ま、お手柔らかに頼むよ」
言って、リウチは右手を差し延べる。開始前、こういう時は爽やかに握手でも交わしておくべきだろうと。
「……」
エドヴィンも右手を伸ばしてきて――
ばちぃん、と乾いた音が反響した。
「痛っ」
直後、リウチが感じたのは手のひらの痺れ。
握手のため差し出した右手が、エドヴィンによって叩き払われたのだ。
「心にもねー真似しよーとしてんじゃねーよ」
そして、その相手は鋭く吐き捨てる。
『おおーっと!? なんとエドヴィン選手、リウチ選手との握手を拒否! て、敵意丸出しだぁ〜!』
瞬間、観覧席から驚きと非難の声が口々に巻き起こった。
「ちょぉっと!? せっかくリウチさんが握手してくれようとしてんのに、何なのその態度は!?」
「はぁ!? 信じられない! もうこの馬鹿! 恥さらし!」
「いくら模擬戦がちょっとばかし得意だからって、やっぱ相応しくないでしょアイツ!」
「えっ、何あの態度! リウチくん大丈夫!?」
学院問わず、主に女子の黄色い悲鳴である。
『うわぁ、こ、これは……非難轟々です! エドヴィン選手、あろうことか味方であるはずのミディール学院の女生徒からも反発を浴びています! この場の女性陣を丸ごと敵に回してしまったぁ!?』
そんな阿鼻叫喚を生んだエドヴィンはというと、怨嗟渦巻く観客席をややわざとらしい挙動で大きくグルリと見渡した後、
『うわぉー!? ここでエドヴィン選手、天を仰ぎながら大げさに両耳を塞いだー! うるせーよ、聞こえねーよ、と言わんばかりの立ち振る舞い〜っ!』
その横柄さを前に、女子たちはもはや憤怒で卒倒しかねない勢いである。少数のミディール男子が「いいぞ、もっとやれ」と囃し立てたが、殺意に満ちた乙女らの眼光を受けてすぐさま黙り込む始末だった。
「……ったく、随分と殺気立ってるねぇ。もっと気楽に行こうじゃないか」
払われた手をさすりながらリウチが呆れ気味に呟くと、女子陣に挑発的な態度を取り続けていたエドヴィンは一転、憐憫すら篭もった眼差しを向けてきた。
「ケッ。本当はいっぱいいっぱいのクセして、余裕ぶってんじゃねーよ。小っ恥ずかしくなってくるぜ、以前の俺を見てるみてーでよ」
「……何?」
「お前、逃げてんだろ? 現実から目を背けてよ」
「――……」
スッ、と腹底が冷えるのをリウチは自覚した。
……ずっと、直視できていない。
解説席に座る、輝かしいその姿を。
だが、この相手がそんな内情を知っているはずはない。
「……君に、俺の何が分かると?」
期せず、リウチの喉からは低い声が漏れ出る。
「知らねーよ。興味もねー。ただ、お前は昔の俺と同じ目をしてる……そう思っただけだ。強くなりてぇ、でもなれねぇ。そんな『負け犬』の目をよ」
「……、はっ、知った風に言うじゃないか――」
「そこまでだ。始めるぞ、離れたまえ。位置についてっ」
埒が明かないと思ったか、ドーワ判定員が割って入る。
「――お前の化けの皮、剥いでやるよ」
最後に。凶悪に笑んでそう告げたエドヴィンが、こちらに背を向けて舞台端へと大股で歩いていく。
「……」
その様子を見届けたリウチも、遅れることわずか踵を返した。
(……言いたい放題、言ってくれるじゃないか……)
そうだ。
この対抗戦、気が向けば出るとシスティアナに告げていた。
何らかの思いがあって、この催しを提案した彼女。普段から迷惑をかけている身だ、たまの協力ぐらいは厭わない。
……が、レヴィンが観戦に来るらしいと聞いて少しばかり躊躇したのは事実だ。
彼を大切に思うからこそ、今の堕落した己の醜態など晒したくはない。
『お前、逃げてんだろ? 現実から目を背けてよ』
ああ、その通りだ。
だが。
――そんなことを、お前に言われる筋合いはない。
この三週間、すぐ隣の席で合同学習をこなしてきた。ゆえに分かっている。
少なくとも、エドヴィン・ガウルの座学における成績はひどいものだ。実技のみに傾倒した――それとて決して一番ではない、総じて下から数えたほうが早い劣等生。
だというのに。
あの全てを見透かしたかのような目は何だ。不遜なまでのその余裕はどこから来るのだ。
(…………)
得意げに出てくるその様子が少しばかり鼻についたから、軽く凹ませてやろうと考えた。切っ掛けなんてそんなものだ。
それが、
『強くなりてぇ、でもなれねぇ。そんな「負け犬」の目をよ』
偉そうに。
お前も出来損ないだろうが。俺と同じ。
(……何を思い上がっているか知らんが……あまり調子に乗るんじゃないぜ)
めき、と。
握ったリウチの右拳に、力が滾った。




