671. 来賓の皆様
内部もやはり、サスクレイスト闘技場と比べると数段小さめか。それでも二百名近くの観客を収容する分には問題なく、両校の生徒を合わせても充分に座れるだけの余裕があった。
すり鉢状の観覧席を大きく二分し、東側にはミディール学院、西側にはリズインティ学院の関係者たちが着席する形となっている。流護や彩花は当然、前者に含まれる。
「闘技場の形が、前のとは違うね」
座席から中央の競技スペースを見下ろした彩花が、目を丸くして呟く。
全面が均された土くれのみだったサスクレイストとは違い、このローグロン闘技場には二十メートル四方ほどとなる正方形の石畳が敷かれていた。そこより一段低い周辺の地面には、短く刈り揃えられた芝生が茂っている。
「完全にリングアウトありルール向けの試合場だな。お立ち台からこの芝生に落っこちたらダメってこったな」
「はあ……でもなんか、すっごい大きくない? こんだけ広いと、真ん中で闘ってればリングアウトなんてしなそうだけど……」
「普通の格闘技とか拳闘ならな。でも詠術士だからな、今回試合すんのは」
長射程の神詠術が飛び交うことを思えば、むしろ遠距離を得意とする選手にとっては狭く感じるぐらいのはずだ。
「ええ、ここは詠術士用の競技場だそうですよ」
と、横で聞いていたクレアリアが補足を入れてくる。
「やっぱそうなんか」
「奥の方に、ここより一回り小さい拳闘用の闘技場があるそうです」
「なるほど」
事前のトイレやらを済ませた生徒たちも次々と観戦スペースへ入ってきて、それぞれの陣営の思い思いの席へと腰を下ろしていく。
「いよーっし、応援するぞ~」
「結局、誰が出るんだ?」
「ま、そこもお楽しみって話だったけど……ベルグレッテとクレアリア、レノーレ……この三人が出ないわけないし、あとエドヴィンも確定だろ。そうなるとあと一人だけど、ダイゴスは強すぎるから出ないとか何とか……とにかく、この勝負もらったも同然だよ」
「マリッセラも観戦に回るみたいだし……。そうなると、俺たちの勝ちは揺らがないよな」
その会話を聞いて流護はふと思い出す。そういえば先ほどシスティアナたちと合流した際、マリッセラの姿がなかった。などと考えた直後、
「あーっ! 寝過ごしましたわ!」
上部の入り口から、どばーんと駆け込んでくる貴族少女の姿があった。その一言で、何があったのか全てを説明してくれている。ウェーブ気味の美しい金髪もいつも以上にちょっとハネている。
「ったく、いないと思えば案の定。相変わらず朝にだらしのない方ですね」
クレアリアがジト目を送ると、ベルグレッテが苦笑した。
「あはは……。マリッセラってば、夜はしっかり早く休むのに朝起きられないのよね……」
そんな体質とは初耳だった。
そうこうしている間に、他の級友とともにダイゴスとエドヴィンも連れ立って入ってくる。
「適当に座りゃいーか?」
「ええ。好きな場所でいいわよ」
少女騎士に尋ねたエドヴィンが「オウ」と大股で腰を下ろす。二百人近くが見守るこの舞台でこれから出撃することになる彼だが、さすがというべきか緊張はしていないようだ。
と、そこで観客席が沸き立った。主に、ミディール女子の黄色い嬌声によって。
「何だ? おっ」
こちら側とは反対、西側の観覧席。
出入り口から、見知った人物が姿を現していた。金髪碧眼、おとぎ話の世界から飛び出してきたかのような美青年騎士。
「レヴィンじゃん。見に来たのか」
相も変わらずの爽やかイケメンナイトは、階段を下ってシスティアナ、シロミエール、リムのいる席へと近づいていく。その中途、手を振るミディール女子やリズインティ生徒たちの声援に笑顔で応じながら。
そうこうしているうちにこちらに気付き、完璧極まるスマイルで手を掲げてくる。
ガーティルード姉妹や彩花は会釈で応え、流護も苦笑しつつ手を上げておいた。ちなみに、周りの席の女子たちから爆発的な歓声が轟いた。耳が死んだ。
「なんていうか、アイドルだよね……」
彩花の一言があまりに的を射ている。完全に立ち回りがそれなのだ。
「お忙しい御身でしょうに、ローヴィレタリア卿とともにいらっしゃったのでしょうかね」
「ええ……きっとそうでしょうね。そのローヴィレタリア卿のお姿は、今のところお見えにならないけど……」
姉妹の会話通り、とりあえず現時点であの笑顔を絶やさぬ最高大臣はまだ観客席へはやってきていないようだった。
客席と控え室へ分岐する細長い通路に、二人の夫婦の姿があった。
「それじゃあアナタ。アテクシは一足先に、関係者席へお邪魔させてもらうわよぉ」
「うむ」
七色飛雀。その姿は、一部の王城関係者からそう比喩される。
派手な赤黄色に染めて塔さながらに巻き上げた長い髪、襟元や袖口に無数の宝石をあしらった煌びやかなドレス。誰が呼び始めたのか、なるほどその佇まいは虹のごとく色彩豊かな羽毛を持つ珍しい鳥によく似ている。
「……」
ローヴィレタリアは無言で、そんな去り行く妻ことエルメラリアの背中を見送った。
贅の限りを尽くした、他の人間には到底真似できぬほどの財力が注ぎ込まれた麗装。最高大臣の妻たる者、富を主張することも確かに必要だ。しかし――
(……やれやれ)
互い、もう若くはない。もう少し落ち着いた格好をしてみてはどうか。
とみにここ数年そう思うようになったが、口に出したことはなかった。
あれも気の強い女だ。くだらないことでいがみ合いたくはないし、もしそうなれば己の外面にも影響する。『喜面僧正』が妻と揉めて顔を怒りに染めていた、などと囁かれては笑い話にもならない。
せっかくここまで、そうした醜聞とは無縁でやってきたのだ。レヴィンに品行方正を強いる以上、自分自身の振る舞いにも当然気を払っている。
ひとまず今は、未だ幼い一人娘があのような服や宝飾に興味を示さぬことを密かに祈る毎日である。
「……ふー」
手にした錫杖の石突を床について、思うように曲がらなくなって久しい膝の向きを変える。長柄の先端に施された幾重もの鈴輪が、シャンと涼やかな音色を響かせた。
(さて……)
――ミディール学院とリズインティ学院の対抗戦。
合同学習の集大成とも呼べるこの催しを開きたい、との打診があったのが先週のこと。
学長を務めるアンドリアンからのこの提案に対し、ローヴィレタリアは二つ返事で許しを出した。
代表五名を選出しての模擬戦。
結果は火を見るより明らかで、リズインティが敗れるだろう。
ミディールと比して、自国の生徒たちが大きく劣っているとまでは思わない。
ただ、ガーティルード姉妹が飛び抜けて優秀なのだ。まして、同学年にバダルノイスの元・宮廷詠術士までもが所属している。後にも先にもない黄金世代と呼べるだろう。
代表五名を選出しての催しとなれば、これだけで三勝を持っていかれてしまい、団体としての負けが決定する。
だが、それでいい。
今回は、ミディール学院に――レインディールに華を持たせる。
前例のない、修学旅行なる斬新な催し。最後に、気持ちのいい思い出を作って帰ってもらう。客人を丁重に持て成すバルクフォルトとしては至上の対応。
そういう判断だった。
第一、血気盛んな若い学院生たちである。
対抗戦の話が出れば、否応なく活気づく。認めないなどと言って水を差してしまえば、顰蹙を買うことは明らか。
寛大な心で笑みをたたえる『喜面僧正』、その異名と評判に傷をつけることは避けねばならない。
学長を務めるアンドリアンが何を思って対抗戦の話を持ちかけてきたのかは分からない。彼とて、やれば己が学院が負けることは分かっているはず。
(あの『雷釣瓶』らしくもない判断じゃが……遊び好きだからの、あ奴も)
何より、随分と丸くなった。生徒から請われれば、おいそれとは拒むまい。今は戦場の修羅ではなく学長なのだから、それでよかろう。
そも、勝敗に何かが懸かっている訳でもない。皆々、祭りと思って好きに楽しめばいい――
「……」
狭い通路の角を曲がって、その行く先。
灰色の壁へ気だるそうにもたれかかる若者の姿を認め、ローヴィレタリアは足を止めた。
赤い巻き毛、左目尻の泣きぼくろ。スラリと高い痩躯。特徴的なその青年の姿は――、やる気のない態度は、久方ぶりであっても変わらない。
こちらに気付いたその相手――ガンドショールの小倅ことリウチが、おっと左手を掲げてくる。
「やあ、トネさん」
それこそ学院で友人でも呼び止めるような軽い仕草で。ローヴィレタリアは大きな溜息とともにかぶりを振った。
「……その呼び方はやめんか。他の者に聞かれては示しがつかん」
「そんなこと言ってもな。俺にとっては、トネさんはトネさんだもの」
全く、子供時代と変わらない。鼻垂れの腕白小僧だった幼少期から、背丈が伸びていつしかこちらが見上げる側となった今でも。
誰も彼もが自分に萎縮するようになった今、ある意味で希少かもしれないが。
「こんな場所で何をしとる。大方、レヴィンと顔を合わせはしたが、居心地が悪うて尻尾を巻いてきおったといったところか」
「逆だよ。いつだって、あいつの隣は居心地がいい。とっくに折れてついていけなくなった俺に、ガキの頃と何ら変わらず接してくる。俺の『価値』なんて関係ないとでも言うように、友人として。ったく、『白夜の騎士』様の輝きは、俺には眩しすぎる」
「……ふん。舌ばかり回しよって。お主、そんな様で将来はどうするつもりじゃ」
「まだ二年もあるんだ。ゆっくり考えるさ」
「もう二年しかない、じゃぞ」
「シスと同じことを言うんだな、全く」
「システィアナといえば、どうしとる。今回のような話には、真っ先に異論を唱えそうなものじゃが」
「おっと、トネさんは知らないのか。今回の対抗戦をやろうって言い出したのは、そのシスだよ」
「……何?」
これは慮外だった。
システィアナといえば、優等生の見本のような生徒である。
実直、従順。安定性に優れ、裏を返せば予想や期待を大きく上回ることがないとも評せるが、リウチのようになる懸念がないだけ安心だ。
今後の将来をどのように考えているかは知らないが、宮仕えの詠術士となるには充分な素養と能力を備えている。奮わなくなって久しいミルドレド家の名誉を挽回することも、彼女ならば決して不可能ではないだろう。
かように優れ、かつ生真面目なあの少女なら、こうした話が出れば真っ先に諌める側へと回るはず。
「あの子が対抗戦を申し出た理由は聞いておるのか?」
「いいや」
対戦する組み合わせによっては、五戦全敗もありうる。いかに結果に拘泥しない余興といえど、大差をつけられての負けとなれば立つ瀬もない。
(ふむ……)
あれで負けん気の強い少女だ。同好の士との交流により、競争心を刺激されたことは確かだろう。だが、それだけで動く性格でもない。
よもや、勝ちの公算があるのか。
それとも、相手の力量を見誤っているのか。
期せず、彼女の采配や能力を査定するいい機会が巡ってきたのかもしれない。
「して、お主は出る心算なのか?」
「俺かい? んー、そうだなぁ」
呑気に両手を頭の後ろで組んだ若人は、あくびを噛み殺しつつ答えた。
「必要とあらば、って感じかな」
「ったく、相も変わらず芯の通った考えを持たん奴め」
「ホラ、俺は風属性だからね。流れゆくまま、気の向くままってことで」
ああ言えばこう言う。口ばかり達者になったものだ。まさに手で掴むこと叶わぬ風のように、のらりくらりと煙に巻く。
ガラン、ゴロンと重い鐘の音が回廊に響き渡る。開始が間近に迫ったことを知らせる合図だった。
「おっと、時間か。それじゃあ、行くとしますかね」
「……やれやれ」
その切り替え、足取りもまさに気まぐれな春風がごとし。
杖をつきつつ、ローヴィレタリアもその後を追った。




