669. 未来への絆
あなたは怨魔討伐の命を受け、郊外の森へ一人でやってきた。
現場は背の高い木々に囲まれた池のほとりとなっており、小高い岩場も多く遮蔽物は多い。目標はルガル、ドラウトロー、コブリアの三体。それ以外の脅威は確認できないものとする。
さて、あなたはどのように対応しますか。
「――ということでですね、この議題について隣の人と話し合ってみてください。さぁ、始めて」
小さな丸メガネと口ひげの優しげな中年男性教師が手を叩くと、広間がざわめきに包まれる。
「コブリアはともかくとして、ルガルとドラウトローだって……?」
「まともに闘ったら死ぬだけだな」
「そもそもルガルとドラウトローって犬猿の仲だろ。何で一緒にいるのさ。しかも、ルガルって一匹でいないだろ」
「そこは教本の例題だから……」
すっかり打ち解けて久しい隣席同士の異なる学院生らが、各々意見を口にする。
「おう、いい議題じゃん。考えたまえ、若人たちよ」
最後尾の席でその風景を眺める流護は、腕を組んで唸ってみたりした。
「なによ、偉そうに言っちゃって」
隣の彩花がすかさずジト目を送ってくるも、流護はふんと得意げに鼻を鳴らした。
「そら俺は遊撃兵だからな。まだまだ未熟な生徒諸君がどう対応するか、お手並み拝見ってなもんよ」
「ふーん。ちなみに、あんたならどうするの?」
「ルガルってのは実際に遭ったことねえけど……狼系の怨魔だったかな。この例題みたいに一匹でいることはまずないみたいだけど。まあ、真っ正面から突っ込んで一発ずつ拳ブチ込んで終わり。コブリアなんかはその巻き添えで勝手に死ぬ。所要時間五秒」
「脳筋」
「うるせえ、俺ならそうするって話だよ。一般的に詠術士がどうするか……ってなると、結構考えどころのある問題なんだよな、これ」
「そうなの?」
前方に視線を投じれば、流護のその考えを証明するように議論が白熱していた。
「あ、あの、レノーレさん! えっと、すーっ……そ、その、これって、一番御しやすいコブリアをまず真っ先にやっつけてしまいたいところですけど……そう簡単な問題では、ないですよね……!」
緊張しきりな面持ちのシロミエールが、隣のメガネ少女に意見を求める。
「……うん。……コブリアに攻撃を仕掛ければ、ルガルとドラウトローに気付かれると思う」
歩く辞典ことレノーレの推測は正しい。
一番弱いカテゴリーEのコブリアをとりあえず排除したいところだが、そうすると感覚の鋭敏な他の二体に気付かれる。その二体が両方ともカテゴリーBの強敵。正面から闘うことは無謀だ。
「コブリアは大半の生徒にとって問題にならないでしょうが、ただ倒せばいいという話でもない……。そんな状況で、ルガルとドラウトローにどう対処するか。もちろん学院生の技量でこの二体を相手取ることは現実的ではありませんので、前置きされている現場の環境を考慮しろ、ということですね」
「……はい。わたしも、そうおもいました……」
「あら。さすがですね、リム殿」
「……」
クレアリアとリムもすでにそこへ考えを至らせているようだ。
「で、貴女ならどう対処して? 田舎娘」
「うう、こんなのどうしようもないよ……。大人しく引き返して、リューゴくんを呼んでくるしかないよ!」
「そんな答えで許されるはずないでしょう! ったく、二言目には遊撃兵殿の名前を出してからに……。っとに、あの方がどれほどのものだって言うの」
ミアとマリッセラはそんなやり取りを繰り広げ、後者の鋭い視線が矢のように流護へと飛んでくる。
「わー、睨まれてる睨まれてる。嫌われて大変ですなー、流護くん」
「だから何でお前はちょっと嬉しそうなんだよ」
貴族少女からのガン飛ばしに気付かないふりをしつつ、妙に楽しげな幼なじみへ苦言を呈する遊撃兵殿であった。
「ふんむ。ドラウトロー……って、見たことないのよね。バルクフォルトにはあんまりいないみたいで、よくも知らないし。ベルは実際に闘ったんだっけ」
「……ええ。極めて危険な相手だわ。より接近戦に特化したアバンナーみたいなものと思ってもらえば、想像しやすいんじゃないかしら」
「うぇ……それは想像したくないわね~……」
委員長コンビのシスティアナとベルグレッテは、噛み締めるようにそんな会話を交わしている。
前者が人差し指をピッと立てると、肩に乗った白フクロウの相棒がその先を嘴でツンとつついた。
「とにかく普通なら、学院生の技量で闘おうと思うこと自体が論外なわけでしょ。議題の場所は、岩場が多くて木々に囲まれた水場……。ルガルも厄介な相手だけど、狼みたいなものだから木や切り立った岩場に登ればひとまずの安全は確保できる。……となると、ふんむ……そうね……ドラウトローって、もしかして水が苦手だったりするんじゃない? 例えば、池に落ちたら泳げないとか。ちょっと素直な目線じゃないけど、ルガルと同じような対処法がないと、この問いがそもそも成り立たないというか」
「ええ。そういう趣旨の議題なんだと思うわ」
西の委員長ことシスティアナの指摘に、東の委員長たるベルグレッテが首肯を返した。
流護は思わせぶりに唸ってみせる。
「うむうむ。さすがじゃのう、あの二人は。ホッホッホ」
「なんのキャラよそれ。てか、どういうこと?」
「つまり、この現場はルガルとドラウトローそれぞれに対して優位に立てる環境があるってことだ。ルガルは犬コロだから木とか高いとこに上がれば安全。ドラウトローは泳げない。つまりこの問題の正解は、まず切り立った岩場なり樹上なりに位置取って、ルガルを無視できるポジションにつく。で、射撃とかでドラウトローを池に突き落とす。同じように射程外からルガルとコブリアをやる。って感じか。他にも解はあるかもだけど、ようはそういう戦略を立てられるか試す問題だな」
「へー……。でもあんた、なんでそんな詳しいの? ベルグレッテとかシスより早く気付いてたってこと?」
「はっはっ、こちとら遊撃兵ぞ。そういう基本は頭ん中入ってんだよ」
「ふーん。で、本当のとこは?」
「……前に見た兵法書に同じ問題が載ってた」
「そんなことだと思った」
ジト目な彩花だが、まあ待てと流護は彼女を押し留める。
「実戦派の俺に言わせりゃ、こんな問題はきじょ……キジョーの……ほら」
「机上の空論?」
「はい。絶対こんな上手く行かんからな現実は。あくまで理論上、知識のテストみたいなもんだ」
ドラウトローは打たれ強く、学院生レベルの術では直撃させたところで池に突き落とすことも難しい。ただ体型がややアンバランスなため、上手く足元を掬えば成功する可能性もなきにしもあらずといったところか。
しかしそんなことを試すぐらいなら、先ほどのミアではないが誰か強力な助っ人を呼んでくるほうがよほど現実的だ。
様々な議論が交わされた頃合いを見計らって、教師が手を叩く。
「はい、ではそこまでー。お気付きの人も多いようですね。そう、これは怨魔の特徴を理解して戦略を立てるための設問です。しかし勘違いしてはなりません。実際にこのような場面に遭遇したなら、まずは迷わず逃げること! 例えこれが国家からの指令であっても、頼まれたからには自分がどうにかしなくては……などと使命感に駆られる必要はないのです。そのことを肝に銘じてください」
(……なるほどな)
ふと、今回の修学旅行前にナスタディオ学院長が語っていた話を思い出す。
学院を巣立っていった卒業生たちは、なまじ神詠術の素養があるゆえに少なくない人数がその命を散らしていると。
この共同学習は、そうした悲劇を未然に防ぐための知見を授ける場でもあるのだ。
つまり、ミアも図らずして正解していたということである。
「このような場合、仲間を募ることが肝要です。まさに今この場には、二百名近くもの人数に及ぶ皆さんがいる。ここで学んで三週間、皆さんは同好の士と打ち解ける方法を学んだはず。新たに生まれた絆もあるはずです。今後、それらを大いに糧とし――」
教師の話に真剣な面持ちで耳を傾ける生徒たち。
「…………」
かれこれ三週間。流護はこの最後尾の席で、講義に臨む皆の姿を見てきた。
リズインティ学院の生徒たちまではさすがになかなか顔と名前が一致しないものの、それでもいつも同じ席に座っている面々はもう見慣れている。気軽に話しかけてくれる相手も増えた。
数年後、卒業してそれぞれの道を歩んでいく彼ら。その命が儚く消えてしまうような未来は想像したくない。
「なんかさ、いいよね」
小さな囁きに目を横向けると、彩花が儚げな笑みをたたえていた。
「ほんと平和な授業の時間、って感じで……こうして見てると、私たちの学校と変わんないよね……」
「……そうだな」
幼なじみの囁きに、流護も心からの同意を示した。




